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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

山崎豊子原作「不毛地帯」 栗原俊雄著「シベリア抑留」 山下静夫著「シベリア抑留1450日」 

2009-10-17 17:03:21 | 読書
木曜日(10月15日)の夜、テレビドラマ「不毛地帯」を観た。新に始まる連続ドラマで初回のことゆえ9時から2時間を超える番組であった。敗戦間際の関東軍、とくに高級将校たちの動きなどのシーンを観ていると、「元軍国少年」には郷愁が湧いてきた。軍服の襟章をちらっと見るだけで尉官、佐官、将官の違いはもちろん階級も分かるし、国民学校生に戻ったような気分だった。その目で見ると今の自衛官の階級の呼び方なんてまがいもの同然で、まるでよその国の兵隊さんである。それはともかく、その関東軍の将兵がシベリアに連れて行かれて強制労働させられる情景も描かれていたが、このソ連による理不尽が若い世代にはまるで絵空事のように映るのではないかと、少々気になった。

このドラマの原作である山崎豊子著「不毛地帯」をなぜか私は読んでいないので、白紙の状態でドラマに対面することになる。大本営参謀であった壹岐正を演じる唐沢寿明が、壹岐正の商社マンとしての成長に伴い役者としてどのように変貌していくかが楽しみであるが、人間としての重みをぜひ出していって欲しいものである。それにしてもなぜ今頃、このようなドラマを制作したのだろう。経済低迷期にあって意気の上がらない日本人に、昔の夢を甦らせてあげようとでもいうのだろうか。

「不毛地帯」は読んでいないけれど、最近、栗原俊雄著「シベリア抑留 ―未完の悲劇」(岩波新書)を読んだばかりであったので、このドラマを観て私の思いは「シベリア抑留」の方に移ってしまった。敗戦後、ソ連に抑留された日本人は関東軍兵士を中心に57万5000人(うち民間人3万9000人)で、死者は8万40人(43ページ)に及ぶ。さらに、満州にいた民間日本人およそ150万人のうち、18万人が死亡した(21ページ)とのこと。この死亡者数は沖縄戦での全戦没者20~24万人(ウイキペディア)に匹敵するものでありながら、日本人のどれほど多くがこのような事実をちゃんと認識しているだろうか。


「シベリア抑留」は直接には国際法を無視した当時のソ連により引きおこされたのであるが、煎じ詰めれば戦争のなせる技である。ソ連が日ソ中立条約を一方的に破り、1945年8月9日に満州に攻め入った歴史的事実はわれわれの脳裏にはっきりと刻まれている。しかし1941年6月22日にドイツがソ連領に侵攻して独ソ戦が始まったときには、天皇が臨席する7月2日の御前会議で「情勢の推移に伴ふ帝国国策要項」が決定され、独ソ戦が日本に有利に働いた場合にはソ連と戦うことを決めた(3ページ)、とあるのでどっちもどっち、戦争の流れがソ連侵攻に傾いただけで、ソ連の条約違反を一方的に責め立てても意味がない。戦争とはこのようなものなのである。

ソ連の満州侵攻により日ソ戦争が始まり日本の敗北で終わったが、今に至るも語り継がれるているのは、関東軍が民間人を置き去りにして逃げたということである。事実、開戦直後の8月11日、満州の首都新京から日本人を避難させたときに、南下する18本の列車に乗ったのはおよそ3万8000人であったが、うち2万人あまりが関東軍の軍人や家族で、満鉄関係者が1万6000人、大使館員と家族らが700人あまりで、民間人はただの300人程度であった(19ページ)。そして、関東軍はどうしたか。ドラマのなかでも出てきたが、天皇の命令に結局は従うという形でソ連軍に無条件降伏し、多くの日本人の安全が損なわれることを目にしながら助けに赴くことはなかった。なぜこのような行きがかりになったのか。

 関東軍参謀だった草地貞吾大佐の主張を見てみよう。
 「ソ連参戦にあたっては、関東軍は作戦第一主義であった。ということは、作戦の結果が間接的に居留民保護にはなるかもしれないが、居留民保護を直接目的とする作戦は行わなかったということである。
 軍の主とするところは戦闘である。戦闘に際しては、隣の戦友が負傷しても見向くことすら許されない。あの作戦時、なぜ関東軍は居留民保護の兵力をさし出さなかったか―あるいはまた、何故に居留民よりも速やかに後退したのか―とただされれば、それはただ一つ、作戦任務の要請であったと答えるばかりである」(『関東軍作戦参謀の証言』)(中略)
 では自国の軍隊が自分たちを守ってくれないその状況で、居留民はどうすべきだったのか。「市民にとっては、無抵抗こそ最大の戦力である。いかに暴戻残虐なるものも、無抵抗者に対しては手の下しようがないのである。
 僅少な武装警官に擁護されたり、自ら若干の自衛装備をもっていたばかりに、開拓民等の避難集団がソ連の重火器の餌食となり、あるいは戦車に蹂躙されたりしたのは、無用有害の微少抵抗の反作用ではなかったろうか」(同前)。
(22ページ)

戦前の日本軍隊の存在意義が国体の護持、すなわち天皇制の維持であったことを思えば、旧日本軍参謀のこの言葉を異とするに足りないが、無抵抗主義の主張は軍隊の存在を究極的に否定するものとして、注目に値するとも言える。私もかって元在朝日本人が読んだ「ある朝鮮総督府警察官僚の回想」のなかで、朝鮮での疎開先、江原道鉄原で敗戦時に経験したことを次のように書いたことがある。

疎開先の鐘紡鉄原工場の周辺を軍隊が警備していたが、戦争に負けたかと思うと早々と姿を消してしまい、取り残された民間人だけが列車に乗り込むべく早暁の田舎道を急いだのである。今の感覚で云えば、こういう非常事態においてこそ『皇国臣民』を保護すべき任にあたる朝鮮総督府に軍隊が、なんとなんと民間人より先に逃げ出したという芳しからざる噂がその後根強く流布した。

「天皇制」を否定した新憲法の下で国体(国民体育大会ではないよ)は大きく変わったが、戦争に負けた「軍隊」は昔も今も変わるものではなく、どのような行動をとるかは容易に想像がつく。ましてや「軍隊」でもない自衛隊に一体何が出来ることやら、また期待できることやら、答えははじめから定まっているようなものだ。

「シベリア抑留」は戦争に巻き込まれる愚を、そして悲惨さを、シベリア被抑留者に焦点を当てて論じたものといえる。そのシベリアに抑留された日本人が帰国する際に、ソ連は国際法に違反した長期抑留の実態を隠すためか、手帳や絵など、収容所の生活を記したものをすべて没収したとのことである(199ページ)。しかしソ連は予期しなかったかたちで裏をかかれたのである。ここに日本人あり、なのだ。それが2007年になって出版された山下静夫著「シベリア抑留1450日」である。著者は帰国して25年後の1974年の春、抑留の4年間を日記風にまとめ、その間、記憶力を頼りに挿画として描き上げた400枚あまりの抑留画がこの画文集の元になっているとのことである。「シベリア抑留」とともにぜひ目を通されることを、とくに若い世代に呼びかけたい。


徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女 1980-2009」の後半が面白い

2009-09-28 11:38:43 | 読書

本屋で手に取ると私の好きなゴシップ集のようにも見えたので買ってしまった。巻末にこの本の成り立ちを次のように説明している。

「諸君!」一九八〇年(昭和55年)一月号から二〇〇九年(平成21年)六月号まで三十年にわたって掲載された「紳士と淑女」から選びました。

ついでに言うと、「諸君!」はこの六月号で休刊になり、毎月匿名で巻頭コラムを書き続けた著者はこの本で実名を明かしている。この雑誌は本屋で手にしたことぐらいはあると思うが、これらの文章には始めてお目にかかることになる。

さっそく人物月旦が数々出てくるが、どうもひねくったような文章が読みづらい。お初にお目にかかった著者の頭の回転に、私の頭がついていけないのである。どれぐらいの歳の人だろうと気になって著者紹介を見ると、1930年大阪府生まれ、とある。敗戦時は旧制中学校生であるから、私以上に屈折した心情の持ち主であっても不思議ではない。ということで我慢をしつつ読んでいるうちに、著者の独りよがり的なところが次第に影をひそめ、半分ぐらいのところから共感するところが増え始めた。思いつくままそのいくつかを引用させていただく。

 なるほど人命は尊い。生命の安全は守られなければならない。だが人間すべてが身の安全を第一に考えていたなら、この世の大切はことは何ひとつ成らないのである。いや、生命を捧げて、それが地上に何らかの大事を成しとげてくれるなら、誰でも死ぬ。もっと貴いのは、一命を捧げて、それが何の役に立つ保証もないのに、犬死に覚悟で死ぬことである。烈日の下、カンボジア・コンポントムの砂の上に乾いた血を残した中田厚仁の生涯は、われわれを長い沈黙へと誘う。(1993年6月号)

 いまから二十年後の米国民は、リチャード・ニクソンを「悪いことをして辞めた大統領」としてしか記憶していないだろう。逆に世界の人々は、彼を第二次大戦後最高の米大統領として評価しているはずである。ニクソンを追い落としたのはヒステリックな感情だが、広い視野に立てば彼の功績は誰も疑うことができない。(1994年7月号)

本当かなと思ったが、それに続く著者の説明で納得した。それを知りたい方はぜひこの本で。

「アルツハイマーが進行するにつれて家族は大きな負担を受ける。私はナンシーにこうした苦痛を与えることがないよう望んでおり、(死の)時が訪れたとき、あなた方の支援により彼女が信仰と勇気を持って対処できることを確信している。
 大統領としてあなた方に奉仕させてもらう栄誉を与えてくれたことに感謝する。神に召されるとき、米国への愛と将来の楽観を抱いて私はこの世を去るだろう。私は人生の終わりに向けた旅に出かける。
 この手紙をレーガンは口述もタイプもせず自筆で書いた。(1995年1月号)

感動を新にする一文である。

 妻瑤子との結婚に至った経緯を解説して、三島由紀夫は書いている。
「どこかに、『結婚適齢期で、文学なんかにはちっとも興味をもたず、家事が好きで、両親を大切に思ってくれる素直なやさしい女らしい人、ハイヒールをはいても僕より背が低く、僕の好みの丸顔でかわいらしいお嬢さん。僕の仕事に決して立ち入ることなしに、家庭をキチンとして、そのことで間接に僕を支えてくれる人』そんな女性はゐないものか。さういふお嬢さんを見つけようとするならば、見合いを経るよりほかにつながりやうがない。知り得べからざるお互ひを知り得る条件をもつものとして、僕は見合い結婚をすべきだと結論した」(「私の見合結婚」)(1995年10月号)

「文学」を「科学」に置き換えたら私の願望そのものであった。でも見合は必要なかった。

 インドで行われた国際児童図書評議会世界大会の基調講演。NHK教育テレビに流れた美智子皇后のお話には驚嘆した。(中略)
 なかでも弟橘媛の話が出てきたのには、びっくりした。(中略)
 何にびっくりしたかというと、この古歌に皇后のの覚悟を見たからである。彼女は夫に万一のことがあった場合、身を捧げる覚悟をなさっている。その心構えを、弟橘媛の歌に託して言われたのであろう。あの方は尋常の人ではない。(1999年1月号)

この著者、私と同じ感性を持っている。どのような古歌なのかはこの本でご覧あれ。

記者クラブのことにも触れている。

 新聞社、通信社はレッキとした私企業である。なのに各官庁、各自治体、国会、各裁判所、各警察のトップが執務する中枢フロアの一等地にクラブ室を持ち、大変な権力を握っている。
 いわゆる「新解釈」により、記者クラブは取材の拠点で、記者会見は記者クラブが主催するものと定義された。だが「官」「公」のビル内の特等席に大スペースを確保し、私物を置いてる記者もいるのに、彼らは家賃はおろか光熱費、電話代、女の子の給料などビタ一文払わない。
 税金の窃盗に等しい行為だが、それでも足りず、彼らはクラブ室に治外法権を要求する。(1999年11月号)

これはほぼ10年前の記事なので今やこのような「窃盗行為」はなくなったことだろうが、記者クラブの排他性は鳩山内閣の発足時からさっそく問題になっている。日経ビジネスの記事はこのように伝える。

 政権交代という積年の夢を果たし、官邸に「入城」し、首相として会見を行った鳩山代表は、会見場のエンジ色のカーテンを背に、こう第一声を発した。 (中略)

 国民の期待を背負った鳩山首相、民主党政権は今後、「脱官僚」を旗印に、霞が関にメスを入れ、大なたを振るう。

 しかし、早くもこの記念すべき就任会見自体が「官僚支配の象徴」であり、「公約違反だ」と指摘する声が上がっている。

 声の主は上杉隆氏。鳩山首相の弟、鳩山邦夫氏の公設秘書を務めた後、米紙「ニューヨーク・タイムズ」東京支局の記者となり、現在は「週刊文春」など雑誌メディアを中心に、フリージャーナリストとして筆を走らせる。

 首班指名が滞りなく終わり、閣僚の呼び込みが始まった頃、上杉氏は永田町でこう息巻いた。

 「鳩山代表、小沢一郎代表代行自ら、『民主党が政権を取ったら、会見はオープンにする』と、3度も約束した。にもかかわらず、最初の会見から果たされていない。事実上の公約を破り、国民の知る権利を侵害する行為で、極めて残念です」

皇太子、皇太子妃に関して。

 皇太子は、かなり言いにくいことを、珍しくハッキリ仰った。皇族にはないことである。「それまでの(雅子妃の)キャリアや人格を否定するような動きが、あったことも事実です」
 いずれ相応の覚悟あっていわれたのだろう。ただし、真実は語られなければならぬと信じるのは哲学者くらいのもので、この世のたいていの事柄は、言わずに済ます方がいい。それに気付くのは人間も中年になってから。敢えて発言されたのは、皇太子がまだその心意に達しておられないか、雅子妃の御容態が伝えられている以上に重いか、またはその双方なのだろう。(2004年8月号)

確かにほのめかしで終わったこのご発言は後味の悪いもので、私なんぞは将来の天皇としての資質を疑ったくらいである。「諸君!」にはそこまでは書けなかったのだろう。ついでに皇太子妃について。

 もう一つ。御成婚に至る経緯をよく知らずに言うが、皇太子に嫁ぐ決心をされたからには、男子を産むことが最優先の「重要な役目」だとご存じのはずである。むろん子は天恵の生命だから、励んで得られるものではない。

どのようなご決心をなさったのか、下々のものにはさっぱり分からない。

 チャールズ皇太子の二男で英国の王位継承権第三位のヘンリー王子(22歳)が、所属する陸軍部隊とともにイラク南部バスラに入る。もう入ったかもしれない。ダイアナ妃の忘れ形見である。
 イラクは、御存知のように無制限殺戮の戦場で、とくに自爆テロは始末におえない。そんなところへなぜ貴公子が行くのか?(中略)
 ヘンリー王子は英国王室の伝統を守って戦地に行く。英オックスフォード大学に学んだ日本の皇太子は何を守るか?雅子さまを守る。(2007年5月号)

いやはや。

 徴税吏は、その気になりさえすれば、日本の伝統芸能を滅ぼせる。怪力無双の関取をねじ伏せるのも朝めし前だろう。彼らは先に林家正蔵(44歳)を血祭りに上げ、続いて中村勘三郎(52歳)を上げた。ともに襲名に関わる不明朗な経理を衝いた。やられた側は人気商売だから、平つくばってお上に詫びた。「脱税」分の税金を、そそくさと納付した。
 しかし落語や歌舞伎は、近代税制よりはるか前から存在する日本の芸である、芸人にとって襲名は一世一代の決意であり、踏ん切りである。(中略)襲名を税制によって取り締まるのは、事後立法によって裁く暗黒裁判に等しい。(2007年7月号)

以前、朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべしで私は次のようなことを述べている。

大相撲が日本人力士だけでやっていけるのか。日本相撲協会が乾坤一擲の勝負にでる気構えがあるのなら、その再生の秘策を伝授するに私はやぶさかではない。

この秘策とは、土俵に飛び交うタニマチの大枚をすべて課税対象外とするという簡単なことなのである。それを相撲協会が国に掛けあえばよい。土俵に金が埋まっていることが知れ渡ると、それを目掛ける日本人力士が増えることだけは間違いなしである。

と言うように、この本は著者と話を交わしながら読み進めるところがなんともよい。おあとはこの本をご自分でお読みになるのがよろしいようで。


私好みの変わった本屋 関西編

2009-09-10 16:04:31 | 読書
先日、大阪南まで足を延ばしてやや風変わりな本屋を訪れた。『地下鉄心斎橋駅から御堂筋西側を南へ徒歩8分。「三津寺町交差点」を右折してすぐ』にあるスタンダードブックストアである。その風変わりさ加減はまずこのホームページを訪ねてみると分かる。『本屋ですが、ベストセラーはおいていません』がその見出しである。さらに置いているもののユニークさは、私が下手な説明をするより、このページを繰ってみるとよい。20ページ捲ってもまだまだ出てきそうなので中断した。それよりなにより、本屋に直接行った方がよい。

ビルの1FとB1Fを占めており、両フロアともかなり広い。適当な高さの台や本棚が一面に広がっているけれど、結構見通しがきく。それでいて配置が工夫されているせいか、コーナーを回ると次ぎに何が出てくるだろうと期待感がかき立てられる。そして期待感は裏切られない。本だけに留まらず、いろんなこだわりグッヅというか雑貨が所狭しと並べられている。それなら、と簡単な動画専用カメラのSALを探したが、それは置いていなかった。この店にぴったりの商品だと思ったのであるが・・・。

B1Fにはゆったりとした感じのCafeがある。『カフェではお会計前の本でも持ち込んで検討できます』となっており、コミックやパックされた商品以外はOKである。私からすると孫に近い年格好の若い男女が物静かに本を読んだり、物書きをしたりしていた。時には品のよい白髪の老紳士が座っているのも雰囲気作りに役立つだろうと、私もその空気に溶け込んだ。全席禁煙なのがよい。書籍の間を歩き回ったり、またCafeに舞い戻ったり、心豊かな一日を過ごせそうである。

この本屋のことは京都に住んでいる私の次男から聞いていたのであるが、京都にも似たような感じの本屋がある。恵文社一乗寺店である。『「とにかく新しい本」を紹介するのではなく、一冊一冊スタッフが納得いくものを紹介したい。ただ機能的に本を棚に並べるのではなく、思わぬ出合いにぶつかるような提案をしたい。表紙の美しい本はきれいに飾り、眺めて楽しんでいただきたい』がここの特徴をよく表している。規模はスタンダードブックストアよりかなり小ぶりであるが、 こだわりのある品揃えについ一点ずつ手に取ってみたくなるような、そういう本屋である。この本屋にはアンフェールというギャラリーが併設されていて、実は次男が以前ここで何回か個展を開いたことがあるので、その頃からの知り合いであった。ところがこの恵文社がどうしたことか2008年に「世界の素晴らしい本屋さん10選」の第九位に選ばれていて、これをひろぶんさんがブログで紹介している。

ベストセラーに惑わされることもなく、新しい本にこだわるわけでもない、それでいて本大好きな人には格好のオアシスである。



内井惣七著「ダーウィンの思想 ―人間と動物のあいだ」(岩波新書)を読んで

2009-09-02 18:15:36 | 読書

「まえがき」は次のように始まる。

 わたしがダーウィンに出会ったのは、今から三十年以上も前である。科学に統計的な方法が取り入れられていく過程を調べているうちに、ダーウィンの進化論に行き当たったのだ。その後、何度かの中断の時期はあったが、彼の進化論関係の本や航海記を読むたびに新な発見があり、いつしか「ダーウィンの本を書いてやろう」という意欲がわいてくるようになった。念のためにお断りしておくと、わたしは生物学者でも科学者でも歴史家でもなく、一介の哲学研究者にすぎない。それも、「科学哲学」あるいは「科学史科学哲学」と呼ばれる、日本では研究者の層が薄い分野の学徒である
(強調は私、以下同じ)

この強調部分に惹かれてこの本を買った。ダーウインの進化論がたんに自然科学の領域に留まらず、社会思想や哲学にも大きな影響を与えたとは言われているものの、どのように、について私は無知に等しいので、少しは知識が仕入れられるかな、と思ったからである。しかし、哲学的素養に欠ける私にはこの本はやっぱり難しかった。それはこの本が著者のダーウィン研究ノートブックのようなものだったからでもある。よく勉強し思索を重ねておられるのはそれなりに推察できるが、岩波新書の読者層の知的レベルを過大評価なさっているというのか、少なくともご自分と同じレベルと目されているように感じた。素材に過ぎない研究ノートをそのまま公開されていることから、私はそう思ったのである。随所でそれを感じたが、その一、二例を取り上げてみる。

『第4章 種はなぜわかれていくのか ―分岐の原理―』の(2)は次のように始まる。

32 「種の起源」の難解な部分
 わたしは歴史家ではなく哲学者なので、枝葉末節は省いて早く本質に迫りたい。ダーウィンの「分岐の原理」とはいったいどういう内容のもので、彼の学説の中でどういう役割を果たすのか。これが主問題である。それに付随する疑問は、この原理をダーウィンはいつ手に入れたのか。
(92ページ)

ところがこの「分岐の原理」が一癖も二癖もあるしろもろで、その中身はさておき、この著者なりに自分の解釈に到達するまでに十年ほどかかった、なんて言っているほどのものなのである(それほどのものだから中身の説明をスキップせざるを得なかったのである)。著者の解釈は『38 形質分岐の過程 イラストで』(113ページ)に示されている。そして自身の解釈のみに留まらず、ダーウィンからは離れるが、現代の研究者の新しい研究を紹介して、

「分岐の原理」が単に歴史家や哲学者の興味の対象に過ぎないものではないことを確認しておきたい。
(118ページ)

と、ピーター・グラントなどのフィンチ研究に移り、彼の著書、『Grant, P.R.(1986) Ecology and Evolution of Darwin's Finches. 1st ed. 1986, 2nd ed. 1999, Princeton University Press』を次のように紹介する。なおフィンチとは鳥の一種である。

 生きたままの標本を個体識別し、世代を追跡調査して多数の個体を精密に測定する、その威力は絶大である。ガラパゴスフィンチの特異性、変異の豊かさが数量的に、疑問の余地なく明らかにされた。彼らが研究の主要な拠点にしたのは、ダフネ島という小さな島で、彼らは地上性のフィンチ6種類に研究の的を絞った。クチバシの形状を測るだけでなく、フィンチの食料となる二十種あまりの植物の種子をすべて調べ、それらを割るために必要な力も測定した。さらに、雨がふる季節とふらない乾期とでは生存条件が大きく異なるので、乾期の採食行動も調べ、クチバシとの関係を観察した。

 印象的なのは、ハマビシという植物の堅い実を割るときに、小さいガラパゴスフィンチでは、クチバシの長さで一ミリに満たないわずかの差が、実を割れるか割れないかに関わってくる、という事実である(割れなければ、中の実を食べることはできない)。問題は、このようにわずかな差異が子孫に遺伝するかどうかである。個体識別をしたフィンチ数年分のデータを解析した研究員は「イエス」の答えを出した。ダーウィンが直感的に判断したとおり、わずかな個体差も次の世代に遺伝する確率が高いのである。
(123ページ)

グラントの研究方法、研究内容をいかにも具体的に伝えているような文章である。ところが一つ疑問を持つと、具体的と一見思われた記述が実はより多くの疑問を呼び起こす、そういう意味では表面的なものであることが浮かび上がってくる。

下の強調の部分では、クチバシの長さで一ミリに満たないわずかの差、このようなわずかな差異が子孫に遺伝するかどうかである、と取り上げている。確かにこのようなわずかな差異が遺伝すると結論できれば、先の思考に安心して移ることができるだろう。しかし私がまず引っかかったのは、フィンチが何歳の時のクチバシの長さなのだろうと言うことであった。フィンチが幼ければ当然クチバシは短いだろうし、成長すれば長くなるだろう。同じ種の幼いフィンチと成長したフィンチのそれぞれのクチバシの長さを比べても、それは著者が考える意味でのクチバシの長さを比較したことにはならないし、種の異なるフィンチ同士の比較でも、それぞれが何歳なのかが問題になるのではなかろうか。

私が想像するに、グラントは当然比較しようとしているフィンチの年齢をも考慮に入れてデータ整理をしているはずである。もしそうでなければ科学的には無意味のデータになるからだ。そのような疑問を読者に抱え込ませたまま、著者の内井氏は引用部分の始めの強調部分のように、思い入れを強調するのみで情緒に流れてしまっている。私が研究ノート(いや、メモか)と断じる所以である。

そう思ってみると次のような部分も引っかかって来る。

 すべての結果を照会することはできないが、グラントの著書に示された十五の島につての予測と実際のデータとの比較の図のうち、もっとも印象的なのは、ラビダ島(三三七ページ、図94、右下隅)のものである。適応のピーク(山)が、予測では三つできて、互いの間は深い谷で隔てられている。
(128ページ)

この強調部分は実は上に引用したグラントの著書の引用ページなのである。私も含めて、もし誰かが実際にどのようなグラフなのか見ようと思っても、この著書に明示されていないから、原本が手元にない限りおいそれと見ることが出来ない。専門家相手の学術論文ならともかく、岩波新書の読者層を想定した書き方としてはいかがなものだろう。私のブログさえ、たとえばこのような図を引用する限り、その強調箇所をクリックすると引用元に飛んで原図を見られるようにしている。どうもこの著者は自分の勉強ぶりを披瀝するのに熱中しすぎて、一般読者の立場に立って文章を見直すことを怠っているようである。個人的な研究メモなら許されることではあるが。編集者ではないのでこれ以上は立ち入らないことにする。

ふたたび「まえがき」に戻って、著者は次のように記している。

 ダーウィンはきわめて几帳面な「手紙魔」だったので、多数の著書のほか、膨大な量の手紙やノート、手稿などが残されており、それらの研究で何百人もの研究者が「食べていける」ので、巷では「ダーウィン産業」という冷やかし言葉がはやるほどなのだ。不肖わたしは、そのおこぼれにあずかろうというケチな根性は持っていない。

この言葉の真偽を判断するにはなにはともあれ最終ページまで読み通すことが肝心である。途中で挫折しないように「少しでも哲学的議論の素養を身につけた」(162ページからの引用)方に、挑戦をお薦めする。


磯崎憲一郎著「終の住処」を読んで

2009-08-16 18:58:37 | 読書
著者が現役の商社マンであることでも話題になったこの芥川賞受賞作品を読むために、文藝春秋九月特別号を買った。

これは読みづらい。1ページ上下2段、ほぼ36ページにわたって活字がびっしりと詰まっている。それでも目を通さなくちゃ、なんせ芥川賞である。ところが早々このようなくだりが現れる。

 新婚旅行のあいだじゅう、妻は不機嫌だった。彼はその理由を尋ねたが、妻は「別にいまに限って怒っているわけではない」といった。

やっぱり怒っているのである。でも夫でない赤の他人の私がこんな不条理の怒りになぜお付き合いをしないといけないのだ、と思った途端、一挙に読み続ける意欲が萎えてしまった。それでも先を追う。話はこの新婚時代から始まり、製薬会社に勤めている主人公の一代記が断片の積み重ねで進行する。

気まぐれな妻の不機嫌が狂言廻し。そういう状況を読者に納得させようと冒頭の不条理な叙述が必要であったようだ、と私なりに納得するが、十一年間妻と口を利かなかったという話も、そのような流れの語り口で出てくる。妻と口を利かなかった十一年の間に彼はけっきょく八人の女と付き合ったて、それなに? である。といって一人ひとりの付き合いの中身が語られるわけではない。そんな低級な覗き趣味の人はお呼びではない、とばかりに私はまたもはじき飛ばされる。

この小説を終わりまで読み通すことの出来る人は、どれくらいいるのだろう。さらにその中で面白かった、といえる人はまたどれくらいいるのだろう。このような「読み巧者」に面白みをじっくりと説き聞かせて貰うと私も開眼するかもしれないが、九人の選者による「芥川賞選評」を見ても、評価している選者の言葉は私には高踏的すぎてピンとこない。もっとも納得したのは高樹のぶ子さんの次の言葉だった。

 受賞作「終の住処」は、何十年もの歳月を短編に押し込み、その殆どを説明や記述で書いた。アジアの小説に良くみられる傾向だ。日本の短編はもっと進化しているはず。

作品はさておき、磯崎氏が商社マンとしてデトロイトに駐在して、世界最大の鉄鋼ユーザー相手に大きな商談をまとめたとあり、私も短期間ではあるがデトロイトで生活していたので、少し親近感を覚えた。さらに、磯崎氏の勤務する商社名を最近なにかで目にしたと思ったら、なんと、その会社案内の立派な冊子のイラストを表裏表紙も含めて私の次男が描かせてもらっているのである。もう余計なことは申しませんので、どうか息子をお引き立てのほどを。

藤田宜永著「鋼鉄の騎士」(下)がamazonから1日で届いたが・・・

2009-07-25 11:15:39 | 読書
「鋼鉄の騎士」が「新潮社ミステリー倶楽部」の一冊として刊行されたのは1994年というからまだ私が現役の頃である。その当時、本屋で目を通してその内容に惹かれたものの、かなりの大冊で読む時間があるようには思えなかったので買うのを控えた覚えがある。先日大阪の書店で双葉文庫の日本推理作家協会賞受賞作全集として再版されているこの本にお目にかかった。上下二巻に分かれていて、文庫本といっても一冊が750ページほどもありかさばっている。そこでとりあえず上巻だけを買い求めた。

静岡県伊東のはずれ、さる男爵がパリから連れて帰ったフランス人妻を喜ばせようと建てたスパニッシュ様式の洋館も、建造後20年も経つ間に夫人はフランス人船員と本国に駆け落ちしたし、放蕩児の男爵も昭和初期の世界大恐慌の煽りをくらって自殺してしまう。そして1932年9月、人手に渡ったこの洋館で官憲側のスパイと発覚した男が非合法活動家たちに凄惨な拷問を受けてピストルで射殺される。これがプロローグである。

主人公の青年は子爵家の次男で共産党のシンパ。しかしリンチ事件とのかかわりで心に深い傷を負い、フランス駐在武官ななった父親に伴われてパリにやってくる。1936年からの数年、ヨーロッパで繰り広げられる世界歴史の大きな転換期に、この主人公はスパイ合戦に巻き込まれる一方、たまたま観戦したグランプリレースに触発されて、プロレーサーとしての途を切り開いてゆく。多彩な登場人物の中にはもちろん主人公に関わりの深い女性も何人か出てくる。間を空けて読んでいると、登場人物がどう繋がっているのか分からなくなるので、急ピッチで読み進んでいるうちに、上巻も終わり近くなった。

下巻を買わなくちゃと思いわざわざ街に出かけたが、なんとジュンク堂を始めとして三宮あたりのどの書店にも下巻が見つからない。6月14日発行だから一ヶ月あまりで早くも売り切れ続出ということなのだろうか。大阪まで出かける元気はなかったのでamazonで注文することにした。合計金額が1500円を超えると送料が無料になるので、そのためにもう一冊新書本を注文した。発注が23日の午前8時前、すると翌24日の9時ごろに早くも配送されてきた。最速記録である。おかげで中断することなく下巻に取りかかっている。この週末、大雨が降るかも知れないので家でゆっくり楽しむことにする。



ところが、である。このamazonの特急サービスは有難かったが、一方、注文してもう五ヶ月近くなるのに、まだ届かない本があるのでこのこともついでに述べておく。以下の例をご覧いただきたい。本を一冊今年の3月6日に発注したが、待っているうちに次のようなメールが5月5日に送られてきた。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

2009-03-06 (注文番号:250-9078●●●-9120●●●)にご注文いただいた商品の配送予定日がまだ確定しておりません。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House"
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0747582157

継続して商品の調達に努めてまいりますが、調達不能な場合または入荷数の関係上
キャンセルをさせていただくこともございます。

そして6月30日。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

2009-03-06 (注文番号:250-9078●●●-9120●●●) にご注文された商品の配送予定日が確認できましたのでお知らせします。ご注文いただきました商品と配送予定日は以下のとおりです。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder at Road Hill House"
配送予定日: 2009-07-13 - 2009-07-19

ところが7月17日には次のメールである。

このたびは、Amazon.co.jpをご利用いただき、ありがとうございます。

先日ご注文いただきました下記の商品につきまして、予定しておりました発送予定日に変更がございます。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House"

上記商品につきましては、ご注文時にご案内しておりました発送予定日までに商品を
発送するよう努めてまいりましたが、現時点では、上記商品の確保が出来ておりません。
現時点での最新の発送予定日は下記になります。
お待たせして申し訳ありませんが、継続して商品の調達に努めてまいりますので、
商品の発送まで今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。

Kate Summerscale (著) "The Suspicions of Mr Whicher: or the Murder
at Road Hill House" [ハードカバー]
発送予定日: 2009-07-29 - 2009-08-02

一日と五ヶ月、このギャップは大きすぎる。システム上の欠陥があるような気がする。巨人amazonにも弁慶の泣き所か。




小川洋子著「ミーナの行進」を読んで

2009-07-06 13:46:24 | 読書

帯の「懐かしさといとおしさが胸にせまる」に、そんな思いにさせて貰えるとは嬉しいこと、とこの本を手にとってみた。

1972年3月15日、主人公の女の子、朋子が小学校を卒業の日に山陽新幹線新大阪―岡山間が開通し、その翌日、彼女は岡山駅から一人で新幹線に乗り新神戸にやって来る。お迎えはベンツを運転してきた伯父さんで、連れて行かれたのは17も部屋のある芦屋の山手に建てられた豪邸、この家に一年間あずけられることになったのである。となるとこれから一年間、そこで展開される彼女の生活をかいま見たくなるのが人情で、この文庫本を買ってしまった。カラーの挿画に私の未だ衰えない想像力がかき立てられたこともある。

 阪急芦屋川駅の北西、芦屋川の支流高座川に沿って、海抜二百メートルのあたりまで山を登った地に屋敷を建てたのは、伯父さんの父親だった。

GoogleEarthで眺めてみると、なるほど、現在は会社の寮とマンションになっているのであるが、それとおぼしき場所が見つかるのが面白い。私も高校生の頃、精道町にあった伯母の家を足場にこの辺り一帯をよく歩き回っていたものだから、その意味でも郷愁を誘われたのである。

朋子が仲良しになるのは一年下の従妹のミーナ、本名は美奈子である。このミーナがある事情で、遙か下の方にある小学校へは河馬の背中に乗って往き帰りするのである。その河馬のポン子をミーナはこう説明する。

「正確に言えば、コビトカバ。偶蹄目カバ科コビトカバ属。普通のカバよりはうんとちっちゃくてかわいいの。おじいちゃまが西アフリカのリベリアから買ってきたんよ。その頃日本の動物園にはまだ一頭もいなくて、車十台分くらいの値段がしたんだって」

朋子とミーナとのふれあいを中心に、朋子の目から見た伯母家族の生活の描写が、今でも御影、芦屋あたりに点在する木立に囲まれた大邸宅でかって繰り広げられていた人生模様をうかがわせるもので、覗き趣味旺盛の私の好奇心を、十二分に満足させるものだった。時代は異なるが「細雪」の醸し出すイメージと重なるところがあるのも面白かった。

こういう話が出てくる。

 一家は六甲山ホテル開業以来の常連だった。特におじいさんが生きている間は、避暑やダンスパーティー、取引先の接待、家族のお祝い事などでしょっちゅうホテルを利用していた。(中略)

「ねえ、どうしてホテルの人が来るの?」
私はミーナに尋ねた。
「おばあちゃまが六甲山ホテルの洋食がお好きやからね。時々、出張して来てもらうの」

私がこの六甲山ホテルをある国際会議に利用したのは、その6年後になるんだなあ、と個人的な感慨を覚えた。昔をたっぷり持っている熟年世代より上のほうが、この本を読む楽しみをじっくり味わえそうである。


コンビニの弁当と本屋の書籍 どこがどう違う?

2009-06-24 14:04:58 | 読書

コンビニは便利だけれど値引きはしない、と思っているので、滅多に買い物をしない。ところがコンビニ店が値引きをしないのは、出来ないようなシステムなっていたかららしい。弁当や惣菜が売れ残るとコンビニ店がそれを全部引き取り、そのうえ廃棄処分するとのこと。昨日(6月23日)朝日朝刊二面にその廃棄食品がコンビニ主要10社で年間4億2千万食分に相当するとの記事が出ていた。もったいないの一言に尽きる。廃棄分を減らす一つの手段は売れ残りをつくらないことで、そのためには売れ残りそうになると店で値下げをすればよいと思うのに、コンビニ本部との取り決めでそれが出来なくなっているとのことである。これに対して公正取引委員会が断を下した。

 約1万2千店舗を抱えるコンビニエンスストア最大手のセブン―イレブン・ジャパンの本部(東京)が、販売期限の迫った弁当などを値引きして売った加盟店に値引きをしないよう強制していたとして、公正取引委員会は22日、独占禁止法違反(不公正な取引方法)で同社に排除措置命令を出した。
(asahi.com 2009年6月23日3時30分)

売る側の立場でそれぞれ言い分があるにせよ、消費者としては商品が安く手に入ることは有難いし、さらにそれが食品廃棄という食糧自給率が40%に過ぎないわが国であるまじき「神をも恐れぬ所業」を少しでも抑えることにつながれば言うことはない。今日の朝日朝刊によるとセブンイレブンは値引きを認める方針に加えて、廃棄分については原価の15%を負担するとのことである。コンビニ加盟店が声を挙げただけのことがあったようである。

ところで一方、出版業界で似たような問題のあることを二日前のasahi.comが報じていた。

出版業界の流通革命?返品改善へ「責任販売制」広がる

 小学館、講談社、筑摩書房など大手・中堅の出版社10社が、新たな販売方法「責任販売制」に乗り出した。定価に占める書店の取り分を現行の22~23%から35%に上げる代わりに、返品する際の負担を書店に求める制度だ。出版不況の中、長年の懸案だった4割に及ぶ返品率を改善する狙いがある。

 高い返品率の背景にあるのが出版業界の慣行となっている「委託販売制」。書店は売れなかった本を返品する際、仕入れ値と同額で出版社に引き取ってもらえる。多様な本を店頭に並べられる利点があるが、出版社の負担は大きい。(中略)

 出版社の在庫を管理する倉庫会社「昭和図書」の大竹靖夫社長によると、08年の出版社への返品はコミックスなども含めて約8億7千万冊。4分の1は再出荷もされずに断裁処分され、損失額は年間約1760億円になるという
(2009年6月22日3時2分、 強調は筆者 以下同じ)

この強調部分は上記の食品廃棄と同じことが書籍でも行われていると言っている。コンビニの弁当と違うところは、書籍の廃棄に小売書店が費用負担せずに済むことである。それはともかくこれまた木材という天然資源の壮大な無駄遣い(たとえ断裁処分された紙の再利用があるにせよ)であり、その金額も中途半端ではない。返品断裁するぐらいならなぜ値下げをしてでも売らないのかと思いこの辺りの事情を調べてみた。ここで浮かび上がったのは、小さい時から定価販売を刷り込まれてしまった購買者を黙らせてしまう本の価格決定システムであった。

私にとって本は定価で買うものであった。例外は大学生協に加盟していた頃で、生協の書店では定価の一割引きで買えた。どのような理屈で安くなったのかは知らないが、なんだか特別扱いされているようでこそばゆかった。定価という表示は昔からあったようで、手元にある古書では明治37年に発行されて大正3年に増訂改版の出た丘浅次郎著「増補進化論講話」の奥付きに定価金三円五拾銭とある。ゴム印で臨時定価金五円とあるのはどういうことだろう。


大正13年に発行され昭和3年に再刷された小泉丹訳「進化学説」は定価金壱円。


天皇陛下のお生まれになった二日後、昭和8年12月25日に発行された小泉丹著「進化学序講」は定価三円五拾銭。


大東亜戦争(としか言いようがないので)が始まった二日後、昭和16年12月10日発行された巴陵宣祐著「生物学史 上」は定価四円八十銭。ちなみに下巻は翌昭和17年3月25日に発行されて定価金五円八十銭也。


戦時中、昭和18年12月10日に発行された化学実験書。定価に戦時下の特別税であろうか、特別行為税相当額なるものを合わせて11.9円。5月にはアッツ島で日本軍玉砕、12月1日には第一回学徒兵入隊が行われたこの時期に、800ページを超えるこういう実験書がシリーズものの第19回配本、それも3000冊も!、として刊行されていたとはとに日本人科学者と出版人の心意気を感じて心が熱くなる。私の大学時代の恩師がこの本の一部を執筆されていることを古書店で購入してから知った。


少々変わっているのは次の本で、これには頒価金三円 外地三円参拾銭と記されている。頒価(はんか)とは頒布会などでの価格という意味があるので、もしかするとこのダーウイン全集は予約購読で頒布したのかもしれない。


奥付きを見ていると面白いのでつい脱線してしまったが、最近では価格が奥付きに印刷されるかわりに表紙カバーなどに印刷されるようになっている。そして消費税が本にもかかるので、定価(本体1900円+税)とか定価:本体1350円(税別)のような思い思いの表示になっている。前者では定価に税金が含まれるし後者では含まれない。従って定価の定義が変わってくる。

話を元に戻して、このように本の定価制は私の生まれる遙か以前から社会に定着していたようで、それが戦後、いわゆる再販制度(再販売価格維持制度)という法律により守られていると思っていた。ところが上の新聞記事を見て違和感を覚えた。新たな「責任販売制」では、定価に占める書店の取り分を現行の22~23%から35%に上げる代わりに、返品する際の負担を書店に求める制度だ、と述べられている。出版社が書店に本を売り渡す価格をこのように変えられるのなら、なぜ一般読者だけが定価に縛られないといけないのだろう。そこで再販制度を支持する立場にある財団法人日本書籍出版協会の見解と、再販制度に批判的な立場をとる著作物再販制に疑問を持つためのサイトに目を通したところ、私にとって思いがけない新事実が明らかになってきた。以下はおもに後者からの抜粋である。

まず再販制度とは「再販売-価格-維持-制度」の略であることから始まる。

ふつう、商品流通は、メーカー(製造業者)がモノを作り、それを卸売業者に売り、さらに卸売業者が小売業者に売り、最後に小売店が消費者に売る、という流れをたどります。※1

※1 出版物の場合ですと、メーカーに相当するのが出版社(版元)、卸売にあたるのが取次(とりつぎ)、小売店にあたるのが書店やコンビニです。

この「メーカー→卸売業者→小売店」という流通過程の中で、商品を次の業者に「再び販売」するわけですから、これが「再販売」です。そして、そのときどきの販売価格を「再販売価格」と呼ぶわけです。

つまり通常は、再販売価格とは、卸売価格と小売価格のことと考えていいわけです。このうち、ふつう問題になることが多いのは小売価格のほうですから、「メーカーが再販売価格を維持する」ということは、「メーカーが小売価格を維持する」ことと理解して特に不都合はありません。※2

※2 出版物でいうと、「版元(出版社)が本の小売価格を維持する」ということになります。

さらにこの再販制度はの正体が明らかにされる。

「再販売価格維持制度」という「制度」が、どこかに明示的に「ある」わけではありません。

そうではなくて、著作物の流通では、メーカー(出版社や新聞社やレコード会社)によって再販価格を維持する行為が行われても、法律違反にはならないため、そのような行為がデフォルト(基本状態)になってしまった実態があり、これを「制度」と呼んでいるだけなのです。

この意味で「再販制度」とは、要するに業界の商慣習みたいなものです。いますぐにでも、メーカーが再販制度をとらない流通を選択するなら、それでもいっこうに構わないのです。
(一部筆者による省略有り)

すなわち

「再販制度」は明示的な「制度」ではないし、法律で決まっているわけでもなく、業界の取引の実態であって、その意味では商慣習にすぎない。

と管理人は説く。きわめて説得力のある説明である。

それなら出版社が本の小売店に定価販売を押しつけることは、小売店が自由に本の価格を決めて販売競争をすることを妨げることになり、コンビニの場合と同じように独占禁止法違反(不公正な取引方法)を犯したことになるはずである。確かにその通りで、一般にメーカーが小売店と再販価格維持契約を結んで小売価格を拘束することは、独占禁止法で原則として禁止されているのであるが、なんとなんと書籍は1953年に独占禁止法の適用外になっているのである。しかも

再販制がオッケーとなったのは1953年の独禁法改正からですが、このとき出版業界などが当局に再販制を認めるよう運動した形跡などは皆無と言ってよく、業界には再販制が認められることがメリットであるという認識さえなかったことが指摘されています。

なんて説明がされている。これだと出版業界にとって「再販制度」は据え膳のようなもので、それに手をつけただけのこととなる。したがって、

独禁法では原則として違反のはずの再販制だが、公取委が認める「指定再販商品」と「著作物」は例外として認められている。著作物は条文に書いてあるから「法定再販」の商品だ、という言い方がある。
またこれらの例外規定を独禁法の「適用除外」などと呼ぶ。

こととなる。しかし次のことに注意を払う必要がある。

独禁法の再販制適用除外の規定は「義務」ではありません。つまり、小売店に対してメーカーの指示した定価を遵守するように義務づけたものではない。条文ではただ単に、「メーカーが小売店に再販価格維持を強制したとしても、独禁法違反には問われない」としているだけです。あくまでも「禁止の例外」にすぎないわけです。これ以上にも以下にも、特別な意味はありません。

したがって「書籍は定価販売が義務づけられている」というような表現は非常に正確性を欠きます。定価販売は、再販価格維持契約の範囲内で「義務」とは言えても、法的な義務では全くないわけです。再販制度は、あくまでも民間業者間の取り決めなのであって、法的な取り決めではありません。

すなわち

再販制が認められる商品、つまり「指定再販商品」と「著作物」は、必ず再販制でなければならない、ということを独禁法が言っているわけではない。再販制は法的な義務でもなければ権利でもない。ただ単に「禁止の例外」としてゆるされているのにすぎない。

と言うことになる。ここで「指定再販商品」を一応テーマ外として「著作物」に限って話を進める。ちなみに公正取引委員会の定める著作物とは「書籍、雑誌、新聞、レコード、音楽用テープ、音楽用CD」の6品目とのことである。

1980年になり定価制度の弊害を緩和する目的で「新再販制度」が設けられた。その骨子は「部分再販」と「時限再販」である。「部分再販」は出版社が自動的にすべての商品を再販契約にするのではなく、一点ごとに再販にするかどうかを決めるものであり、また「時限再販」は出版後一定期間が過ぎたら再販指定をはずし、自由な価格で本を売ることを認めるものである。「新再販制度」が導入されてかれこれ30年経っているのに、私はこのような制度のあることを知らなかった。かって触手のまったく動かないぞっき本が書店のコーナーで展示されているのを目にしたことはあるが、これが「新再販制度」の適用例だったのかも知れない。いずれにせよ引用サイト元は

こうして始まった新再販制度も、じつは形骸化しており、出版業界の努力はまったく不十分だ、ということが指摘されています。たしかに、「新再販制度」から20年以上経った今でも、部分再販も時限再販もごく例外的にしかおこなわれていません。

と述べている。これは本を作って売る側が「再販制度」をとにかく維持したがっていることから想像される当然の結果であろうと思う。それには次の文書を見ればよく分かる。

書籍・雑誌の再販制度に関する共同談話≪ 著作物再販制度維持は国民的合意≫
公正取引委員会は、平成3 年以降、独禁法適用除外制度見直しの一環として行ってきた著作物再販制度検討の結果、本日、「同制度を存置することが相当」との結論を公表しました。
この結論は、先般公取委が実施した制度見直しに関する意見照会に寄せられた2万8千件を超える意見のうち約99% が制度維持を求める意見であったこと、著作者団体等も制度維持を求めていること、多くの地方公共団体の議会においても同様の意見書が採択されていること、さらには超党派の多数の国会議員が結束して制度維持を支持する熱烈な決意を表明していること等々からしても、当然の結論といえましょう。しかしながら、今回の公取委発表文の中に「著作物再販制度の廃止について国民的合意が得られるよう努力を傾注する」とあることは、国民的世論に背くことと言わざるを得ず、遺憾であります。
私どもは、当初から書籍・雑誌等出版物に関する再販制度の意義と必要性を広く訴えてまいりました。ここに国民各位の理解と支持を得、制度維持となったことに感謝の意を表明する次第であります。
書籍・雑誌等出版物の発行、販売に携わる私どもは、その文化的使命を自覚し、制度の弾力的運用と流通の改善に努め、読者の期待に応えるよういっそう努力する所存であります。
平成13年3月23日
社団法人 日本書籍出版協会
理事長 渡邊 隆男
社団法人 日本雑誌協会
理事長 角川 歴彦
社団法人 日本出版取次協会
会 長 菅 徹夫
日本書店商業組合連合会
会 長 萬田 貴久

この強調部分はこれが本を作って売る側の「談合」結果であることは常識のある人なら容易に想像つくことで、このことから≪ 著作物再販制度維持は国民的合意≫と唱えるに至っては国民をおちょくっているとしか言いようがない。

コンビニと異なり出版・販売業界では、小売店が危険負担無しに売れ残りを返品できるシステムになっていることが大量の断裁処分を招いていることは疑いなく、その意味では今回の「責任販売制」は小売店の企業努力を呼び起こすものと一応歓迎できるが、企業努力をさらに推し進めるには「著作物」を「再販制度」の対象から除外することにつきる。とりあえずは「新再販制度」の「時限再販」を活用して、年に何回か定期的に「バーゲンセール」を、とくに専門書に重点をおいて実行して欲しいものである。この声こそ国民的合意を得るのではなかろうか。

瀬戸内寂聴 画・横尾忠則 「奇縁まんだら」正・続を買って

2009-05-19 18:27:09 | 読書
京都まで一弦琴のお稽古に通っていた頃、帰りには地下鉄四条烏丸駅近くのくまざわ書店によく立ち寄った。昨日は久しぶりの京都だったのでこの書店に顔を出したところ、平積みされている「奇縁まんだら」にお目にかかった。正・続が隣り合わせに並べられて「正」が10冊ぐらい積み重ねられているのに「続」が2冊しかない。「正」を手にとってぱらぱらとめくると何やら面白い。2冊しかしかない「続」が今にも売り切れてしまいそうな気になり、思い切って正・続とも買ってしまった。

実は瀬戸内寂聴さんの小説はほとんど読んでいない。手元にあるのは瀬戸内寂聴訳「源氏物語」巻一~巻十ぐらいのものである。ご縁がなかったのだろう。「続」こそ二00九年五月十五日第一刷とあるものの、「正」はもう一年も前に発行されているのに気がついていなかった。このたび新たに縁が生まれたのであろう。「はしがき」が次のように始まる。

 生きるということは、日々新しい縁を結ぶことだと思う。数々ある縁の中でも人と人との縁ほど、奇なるものはないではないか。

そして続く。

 ふり返れば茫々の歳月が流れ去っていた。
 長い生涯であった。その間に何が愉しかったかと思いをこらせば、それは人との出逢いとおびただしい縁であった。
 この世で同じ世代を生き、縁あってめぐりあい、言葉を交わしあった人々の俤が、夜空の星のように、過ぎてきた過去の空にきらめいている。

この人たちの記憶を老い呆けてしまわない前に書き残しておこうと、日経朝刊に書き連ねたものをまとめたのがこの本のいわれである。

読み始めたら面白い。私の大好きなゴシップの宝庫なのである。永井龍男さんの言葉として

「近頃の小説は面白くない。面白かったら悪いみたいな風潮がある。小説でも随筆でも面白くないのはよくない。本が売れなくなった原因は、ゴシップを嫌悪する風潮が強くなったからだ。文学といえば人生のゴシップですよ。小説の中で、ちょっと生きをつくところがなくちゃね」

をわざわざ取り上げているくらいで、だから寂聴さんもこの本の中で多くの作家のゴシップを直接の見聞に基づいて惜しみなく披露している。まさに絶品である。「正」を息も継がずに読み終えてしまった。

「正」に取り上げられたのは次の順番の21人である。名前の後ろの数字は、横尾忠則さんによる人物画を含めて、その人に割り当てられたページ数である。読み始めて、もしかすると寂聴さんとの関わりや思い入れの深さを反映しているのかな、とふと思ったので数えてみたが、分からない。せっかく数えたので挙げておく。また右の欄は「小見出し」からとったもので登場人物の一面を表しているが、順番はわざと変えている。興味をお持ちの方はそれぞれを結びつけていただきたい。「続」を直ぐに読んでしまうのがもったいないので、こんなお遊びをしてみた。正解は次回に。


ⓐ島崎藤村 5
㋐浮気の数だけ着物の数

ⓑ正宗白鳥 5
㋑前掛けをした文豪ってカワイイ!

ⓒ川端康成 13
㋒謹厳な批評家も春画へは興味

ⓓ三島由紀夫 14
㋓芸術は共同作品でいい

ⓔ谷崎潤一郎 12
㋔小説がうまくなくても、大評論家として名を残す

ⓕ佐藤春夫 14
㋕肥りすぎであぐらをかいている女大親分作家

ⓖ舟橋聖一 8
㋖善女も悪女も小説の肥料

ⓗ丹羽文雄 9
㋗○○立女形はトイレも女用

ⓘ稲垣足穂 10
㋘小説家○○が美男だったから私は文学を志した

ⓙ宇野千代 14
㋙ピストルで仇討ちに行くコキュの情熱

ⓚ今東光 15
㋚寝た寝ないで男を判別する美人老作家

ⓛ松本清張 10
㋛金持ちの息子でもドラ息子とは限らない

ⓜ河盛好藏 9
㋜文豪になる前の○○さんに送ったファンレターが縁

ⓝ里見 13
㋝天然の旅情の尽きる海の果て

ⓞ荒畑寒村 14
㋞学生や女子供の列が続いたお葬式

ⓟ岡本太郎 14
㋟複雑怪奇な小説家ならではの四角関係

ⓠ檀一雄 10
㋠自他ともに認めた男前の艶聞多き作家

ⓡ平林たい子 14
㋡天才も朝酒に酔えば三島由紀夫のこきおろし

ⓢ平野謙 14
㋢粋人になるには元手がかかる

ⓣ遠藤周作 14
㋣大作家になれば、お金持ちになれるんだなあ!

ⓤ水上勉 14
㋺学歴のむなしさ 独学のおそろしさ


シリン・ネザマフィ作「白い紙」を読んで

2009-05-12 18:06:00 | 読書

三宮センター街のジュンク堂に入って「文学界」六月号を探した。このたび文学界新人賞を受賞したイラン人女性シリン・ネザマフィさんの受賞作「白い紙」を立ち読みしてやろうと思ったからだ。いろんな月刊誌が平積みされているが「文学界」だけが見あたらない。店員さんに聞いたところ、上の本棚に一冊だけ陳列されていたので、これは希少価値がありそうと思ってつい買ってしまった。物好きなことである。

一口に言えば「イラン・イラク戦争下の田舎町を舞台に、若い男女の恋と別れを描いた青春小説」であろう。イランと言えばその昔はペルシャ、ペルシャと言えば「千夜一夜物語」で、私が読んだ唯一のイラン産の物語である。バートン版であれマルドリュス版であれ、アラビア語原典の英語訳もしくは仏語訳からさらに日本語に重訳されたものだから、手間暇がかかっている。しかるこの受賞作はイラン人がイランにおける生活を日本語で書いているのだから、つくづく世の中が変わったものだと思ってしまう。ところが舞台がイランである上に登場人物がすべてイラン人で、日本語で書かれたこと以外は日本とは無縁であったせいか、まるで翻訳を読んでいるかのように感じた。非漢字圏出身者による初めての文学賞受賞作品という話題性がなければ、多分接することがなかっただろうにと思うだけに、この作品の伝えてくれるイランという国の生活実態がけっこう面白かった。

主人公である女子学生の父親は戦争医師として、最前線に近い病院に派遣されているが、週末には女子学生とその母親が首都テヘランから疎開してきた田舎町に戻ってきて、町医者よろしく住民を診察する。そして患者をなんと紅茶などでもてなすのである。所変われば品変わるで、随所に出てくるイランの生活風習が面白い。しかし男女の引かれ合う心の動きとか、男子学生が田舎町からただ一人の医学生として、夢に描いていた道がこれから開かれようとするその瞬間に、戦士として戦場に赴くことを決意するが、その心の葛藤などはいわば万国共通のテーマであって、エキゾチックな味わいを別にすると、類型的な小説仕立てに終わっているように感じた。

日本語で読む作品である以上、新人賞とはいえ文学賞が対象とする作品は、日本人と日本文化を描くものであるべきではないかと思う。そうでないと万国共通のテーマの小説仕立てに過ぎないのに、外国人が日本語を操るといういわば際物的な側面で他の候補作を抜きんでたのでは、とついげすの勘ぐりをしてしまう。

しかしそれにしてもシリン・ネザマフィさんは華麗な方である。システムエンジニアとして身を立てながら小説をも書くという何とも優美な生き方が羨ましい。ぜひ日本人と日本文化を描いてわれわれ日本人の心をがっちりと掴んでいただきたいものである。