日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

徳岡孝夫著「完本 紳士と淑女 1980-2009」の後半が面白い

2009-09-28 11:38:43 | 読書

本屋で手に取ると私の好きなゴシップ集のようにも見えたので買ってしまった。巻末にこの本の成り立ちを次のように説明している。

「諸君!」一九八〇年(昭和55年)一月号から二〇〇九年(平成21年)六月号まで三十年にわたって掲載された「紳士と淑女」から選びました。

ついでに言うと、「諸君!」はこの六月号で休刊になり、毎月匿名で巻頭コラムを書き続けた著者はこの本で実名を明かしている。この雑誌は本屋で手にしたことぐらいはあると思うが、これらの文章には始めてお目にかかることになる。

さっそく人物月旦が数々出てくるが、どうもひねくったような文章が読みづらい。お初にお目にかかった著者の頭の回転に、私の頭がついていけないのである。どれぐらいの歳の人だろうと気になって著者紹介を見ると、1930年大阪府生まれ、とある。敗戦時は旧制中学校生であるから、私以上に屈折した心情の持ち主であっても不思議ではない。ということで我慢をしつつ読んでいるうちに、著者の独りよがり的なところが次第に影をひそめ、半分ぐらいのところから共感するところが増え始めた。思いつくままそのいくつかを引用させていただく。

 なるほど人命は尊い。生命の安全は守られなければならない。だが人間すべてが身の安全を第一に考えていたなら、この世の大切はことは何ひとつ成らないのである。いや、生命を捧げて、それが地上に何らかの大事を成しとげてくれるなら、誰でも死ぬ。もっと貴いのは、一命を捧げて、それが何の役に立つ保証もないのに、犬死に覚悟で死ぬことである。烈日の下、カンボジア・コンポントムの砂の上に乾いた血を残した中田厚仁の生涯は、われわれを長い沈黙へと誘う。(1993年6月号)

 いまから二十年後の米国民は、リチャード・ニクソンを「悪いことをして辞めた大統領」としてしか記憶していないだろう。逆に世界の人々は、彼を第二次大戦後最高の米大統領として評価しているはずである。ニクソンを追い落としたのはヒステリックな感情だが、広い視野に立てば彼の功績は誰も疑うことができない。(1994年7月号)

本当かなと思ったが、それに続く著者の説明で納得した。それを知りたい方はぜひこの本で。

「アルツハイマーが進行するにつれて家族は大きな負担を受ける。私はナンシーにこうした苦痛を与えることがないよう望んでおり、(死の)時が訪れたとき、あなた方の支援により彼女が信仰と勇気を持って対処できることを確信している。
 大統領としてあなた方に奉仕させてもらう栄誉を与えてくれたことに感謝する。神に召されるとき、米国への愛と将来の楽観を抱いて私はこの世を去るだろう。私は人生の終わりに向けた旅に出かける。
 この手紙をレーガンは口述もタイプもせず自筆で書いた。(1995年1月号)

感動を新にする一文である。

 妻瑤子との結婚に至った経緯を解説して、三島由紀夫は書いている。
「どこかに、『結婚適齢期で、文学なんかにはちっとも興味をもたず、家事が好きで、両親を大切に思ってくれる素直なやさしい女らしい人、ハイヒールをはいても僕より背が低く、僕の好みの丸顔でかわいらしいお嬢さん。僕の仕事に決して立ち入ることなしに、家庭をキチンとして、そのことで間接に僕を支えてくれる人』そんな女性はゐないものか。さういふお嬢さんを見つけようとするならば、見合いを経るよりほかにつながりやうがない。知り得べからざるお互ひを知り得る条件をもつものとして、僕は見合い結婚をすべきだと結論した」(「私の見合結婚」)(1995年10月号)

「文学」を「科学」に置き換えたら私の願望そのものであった。でも見合は必要なかった。

 インドで行われた国際児童図書評議会世界大会の基調講演。NHK教育テレビに流れた美智子皇后のお話には驚嘆した。(中略)
 なかでも弟橘媛の話が出てきたのには、びっくりした。(中略)
 何にびっくりしたかというと、この古歌に皇后のの覚悟を見たからである。彼女は夫に万一のことがあった場合、身を捧げる覚悟をなさっている。その心構えを、弟橘媛の歌に託して言われたのであろう。あの方は尋常の人ではない。(1999年1月号)

この著者、私と同じ感性を持っている。どのような古歌なのかはこの本でご覧あれ。

記者クラブのことにも触れている。

 新聞社、通信社はレッキとした私企業である。なのに各官庁、各自治体、国会、各裁判所、各警察のトップが執務する中枢フロアの一等地にクラブ室を持ち、大変な権力を握っている。
 いわゆる「新解釈」により、記者クラブは取材の拠点で、記者会見は記者クラブが主催するものと定義された。だが「官」「公」のビル内の特等席に大スペースを確保し、私物を置いてる記者もいるのに、彼らは家賃はおろか光熱費、電話代、女の子の給料などビタ一文払わない。
 税金の窃盗に等しい行為だが、それでも足りず、彼らはクラブ室に治外法権を要求する。(1999年11月号)

これはほぼ10年前の記事なので今やこのような「窃盗行為」はなくなったことだろうが、記者クラブの排他性は鳩山内閣の発足時からさっそく問題になっている。日経ビジネスの記事はこのように伝える。

 政権交代という積年の夢を果たし、官邸に「入城」し、首相として会見を行った鳩山代表は、会見場のエンジ色のカーテンを背に、こう第一声を発した。 (中略)

 国民の期待を背負った鳩山首相、民主党政権は今後、「脱官僚」を旗印に、霞が関にメスを入れ、大なたを振るう。

 しかし、早くもこの記念すべき就任会見自体が「官僚支配の象徴」であり、「公約違反だ」と指摘する声が上がっている。

 声の主は上杉隆氏。鳩山首相の弟、鳩山邦夫氏の公設秘書を務めた後、米紙「ニューヨーク・タイムズ」東京支局の記者となり、現在は「週刊文春」など雑誌メディアを中心に、フリージャーナリストとして筆を走らせる。

 首班指名が滞りなく終わり、閣僚の呼び込みが始まった頃、上杉氏は永田町でこう息巻いた。

 「鳩山代表、小沢一郎代表代行自ら、『民主党が政権を取ったら、会見はオープンにする』と、3度も約束した。にもかかわらず、最初の会見から果たされていない。事実上の公約を破り、国民の知る権利を侵害する行為で、極めて残念です」

皇太子、皇太子妃に関して。

 皇太子は、かなり言いにくいことを、珍しくハッキリ仰った。皇族にはないことである。「それまでの(雅子妃の)キャリアや人格を否定するような動きが、あったことも事実です」
 いずれ相応の覚悟あっていわれたのだろう。ただし、真実は語られなければならぬと信じるのは哲学者くらいのもので、この世のたいていの事柄は、言わずに済ます方がいい。それに気付くのは人間も中年になってから。敢えて発言されたのは、皇太子がまだその心意に達しておられないか、雅子妃の御容態が伝えられている以上に重いか、またはその双方なのだろう。(2004年8月号)

確かにほのめかしで終わったこのご発言は後味の悪いもので、私なんぞは将来の天皇としての資質を疑ったくらいである。「諸君!」にはそこまでは書けなかったのだろう。ついでに皇太子妃について。

 もう一つ。御成婚に至る経緯をよく知らずに言うが、皇太子に嫁ぐ決心をされたからには、男子を産むことが最優先の「重要な役目」だとご存じのはずである。むろん子は天恵の生命だから、励んで得られるものではない。

どのようなご決心をなさったのか、下々のものにはさっぱり分からない。

 チャールズ皇太子の二男で英国の王位継承権第三位のヘンリー王子(22歳)が、所属する陸軍部隊とともにイラク南部バスラに入る。もう入ったかもしれない。ダイアナ妃の忘れ形見である。
 イラクは、御存知のように無制限殺戮の戦場で、とくに自爆テロは始末におえない。そんなところへなぜ貴公子が行くのか?(中略)
 ヘンリー王子は英国王室の伝統を守って戦地に行く。英オックスフォード大学に学んだ日本の皇太子は何を守るか?雅子さまを守る。(2007年5月号)

いやはや。

 徴税吏は、その気になりさえすれば、日本の伝統芸能を滅ぼせる。怪力無双の関取をねじ伏せるのも朝めし前だろう。彼らは先に林家正蔵(44歳)を血祭りに上げ、続いて中村勘三郎(52歳)を上げた。ともに襲名に関わる不明朗な経理を衝いた。やられた側は人気商売だから、平つくばってお上に詫びた。「脱税」分の税金を、そそくさと納付した。
 しかし落語や歌舞伎は、近代税制よりはるか前から存在する日本の芸である、芸人にとって襲名は一世一代の決意であり、踏ん切りである。(中略)襲名を税制によって取り締まるのは、事後立法によって裁く暗黒裁判に等しい。(2007年7月号)

以前、朝青龍問題 日本相撲協会は『皇民化教育』を廃すべしで私は次のようなことを述べている。

大相撲が日本人力士だけでやっていけるのか。日本相撲協会が乾坤一擲の勝負にでる気構えがあるのなら、その再生の秘策を伝授するに私はやぶさかではない。

この秘策とは、土俵に飛び交うタニマチの大枚をすべて課税対象外とするという簡単なことなのである。それを相撲協会が国に掛けあえばよい。土俵に金が埋まっていることが知れ渡ると、それを目掛ける日本人力士が増えることだけは間違いなしである。

と言うように、この本は著者と話を交わしながら読み進めるところがなんともよい。おあとはこの本をご自分でお読みになるのがよろしいようで。


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