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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

林望さんの「謹訳 源氏物語」に目を通して

2010-03-25 23:19:59 | 読書

このタイトルを書くのに迷った。林望謹訳「源氏物語」とすべきなのかとも思ったが、中表紙に「謹訳 源氏物語」と印刷されていたのでこのタイトルにしたわけである。ところが今度は「謹訳」の意味が引っかかった。新明解、広辞苑、大辞泉、大辞林、小学館国語大辞典、大言海、字通のいずれにも「謹訳」という言葉が出ていない。「謹呈」という言葉は論文の別刷りを人にさし上げるときに習慣的に使っていたので、それから類推すると謹訳はつつしんで現代訳を仕りましたの意味ではないかと思うが、要するに一般的に使われる言葉ではない。書誌学者である林望さんならではの言葉遣いなのだろうが、出来ればうんちくを傾けての説明が欲しかった。

と、最初から引っかかったが、この本を書店で手にしたときからドキッとさせられたのである。本を静かに開いたつもりなのに、その背を折ったかのようにパクッと開いてしまったからである。雑な造本だなと思ってそれだけで興味を失いかけたが、どこを開けてもパクッと折れる。不思議に思ってパラパラとめくっていると次のような説明が目についた。

これで納得。でも人騒がせな本である。しかしこのページをスキャナーで取りこむ時も、このページがガラス面にピタリと密着するのでなかなか具合がよい。本のカバーを外してみると背表紙のないのがもの新しく、安藤忠雄さんの打ち放しコンクリート造りを連想した。


確かに「どのページもきれいに開いて読みやす」いのであるが、ところどころ際まで開かないところがある。この装訂では紙を四枚重ねて二つ折れにして何カ所か糸で綴じて小冊子を作り、小冊子をさらに積み重ねて接着剤でつなぎ合わせて一冊の本に仕上げているが、この接着剤が小冊子間に少々はみ出して紙同士をくっつけているようなのである。これをはがしてみようと少々試みたが、何か悪いことが起こりそうな気がしたので無理は止めにした。接着剤を上手に使っている点では、以前に写真で示したペーパーバックスの造本と共通しているのであろう。ただしペーパーバックスではページを完全に開ききるようにはなっていない。それにしても林望さん、ほんとうはどのような意図でこの造本にしたのだろう。なんだか勿体をつけながら、安上がりを狙ったのだろうか。

家に帰ってよく見ると、「謹訳 源氏物語」は全十巻完結の予定で、全十巻というところは瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」と同じである。巻編成を比べてみると巻七と巻八以外は両者まったく変わらない。林望源氏の巻七は寂聴源氏より三帖少なく、その分が巻八に回っている。と言っても寂聴源氏の三帖の中には「雲隠」が含まれており、「雲隠」とのみ印刷したページが存在しているが、林望源氏ではその帖が完全に雲隠れしていて「雲隠」の文字すら見当たらない。書誌学者としての一家言あってのことだろうか、仕上げではどう料理されているだろうか。

あれやこれや周辺のことに気が取られたものだから、本文はなにはともあれと「桐壷」を読んだだけである。帯に檀ふみさんの、これはどう考えても「小説」なのです、との評が紹介されているが、なるほど言い得て妙であると私も思った。そういう意味では確かに読みやすい。まずのっけから、

 女御ならば皇族または大臣家の娘、更衣ならば大納言以下の貴族の娘と決まったものゆえ、その並々ならぬ家柄の女御のかたがたからみれば、我をさしおいて桐壷の更衣ごときがご寵愛をほしいままにするなど、本来まことにけしからぬ話、とんでもない成り上がり者と、あしざまにののしらずにはおられない。

と、いうように、女御、更衣の説明をちゃっかりと本文にいれてしまっているのである。ある程度の素養があれば、いちいち注釈などに頼らずに気楽に読んでいけるのがよい。まさに小説を読む感覚である。

ただ一方ではこれ、ほんとかな、と引っかかるところもあった。たとえばこういうところである。

 この頃、明け暮れにご覧になる『長恨歌』の絵巻物があって、その絵は宇多天皇のご宸筆、また絵に合わせて伊勢の御や紀貫之らに詠ませた和歌や、また漢詩もとりどり書かれているのだが、帝は、そのいずれをご覧になっても、ただ玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋のことばかりを、口癖のように仰せになる、そんな日々が続いている。
(28ページ)

宇多天皇のご宸筆とは宇多天皇ご自身の直筆ということだから、ここは『長恨歌』の絵巻物を宇多天皇がお描きになったことになる。ほんとかな、と思ったものだから原文をあたってみると次のようになっている。

 このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢 貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。

なるほど「亭子院の描かせたまひて」の「せ」は、尊敬とも使役とも受け取られるが、ここは使役、すなわち絵師に命じて描かせた、とするほうが素直ではなかろうか。宇多天皇が彩管をふるわれたとは世に伝わっていないからである。私の見た限りの現代訳では使役になっている。それどころか林望さんご自身、このあとの31ページで

 絵巻物に描かれている楊貴妃の姿は、どんなに上手な絵師が描いたとしても、しょせん筆には限りがあるから、生きている人間のような色香には乏しい。

と、この絵巻物が絵師により描かれたことを前提とした書き方になっている。原文がもちろんそうなのであるが、林望さんの「宇多天皇のご宸筆」では矛盾をきたすことになる。ついでに言えば林望さんは宇多天皇と書かれたが、原文の亭子院とは明らかに上皇の御所なのであるから、宇多上皇とかせめて宇多院とすべきであろう。これもちぐはぐである。

書誌学者の林望先生の現代訳ではあるが、素人の私が突っ込みを入れたくなるようなところが、全巻完結までこれからもちょくちょく出てきそうなのが楽しみである。



堤 未果著「ルポ 貧困大国アメリカII」の信憑性は?

2010-03-07 20:00:52 | 読書
3月5日の堤 未果著「ルポ 貧困大国アメリカII」を読んでで、次のような書き方をしたところがある。

その一方で、UCが数人の役員に対して総予算の一二%にあたる総額八億五000万ドル(八五0億円)のボーナスを出していたとという、ルポの信憑性を疑いたくなるような乱費が行われているとのスキャンダルが浮かび上がった。
(強調は私)

この部分は著書の15ページに出てくるもので、念のためにその前後をコピーで示す。


間違い無く「数人の役員に対して、UCの総予算の一二%にあたる総額八億五000万ドル(八五0億円)のボーナスを出していた」となっている。私にはこのボーナスの額が信じられなかった。こんなことが本当にあり得るとは思えないだけに、もしこれが事実ならまさに大スキャンダルである。でももしこの文章が著者の取材不備や推敲不十分で事実と異なっていたがために、あり得ないと私に思わせたのであれば、これはこの本の信憑性にかかわることである。その思いからルポの信憑性を疑いたくなるようなと持って回った書き方をしたのである。

何故このボーナスの額が信じられないのか、簡単な計算をしてみよう。数人の役員というから10人を超えることはなかろう。それでかりに最大9人とすると1人当たりのボーナス平均額が日本円にして90億円、USドルで9000万ドルを超えてしまう。これでは公的支援を申請した米国企業トップの報酬を遙かに超えてしまう(過去データであるが、ゴールドマン・サックス 5396万ドル;メリルリンチ 8309万ドル;ゼネラルモーターズ(GM)1574万ドル)。営利事業をしているわけでもない州立大学の役員の年間ボーナスがこの額とは私の常識では信じられなかったのである。となるとこれは著者が資料を読み間違えたとしたほうが私には理解しやすい。著者の用いたデータの出所は分からないが、私なりに調べたところ、見つかったのは私の常識を裏付けるような次の資料であった。UCのPreliminary analysis of 2005-06 compensation “above base pay”と、Further analysis of 2005-06 "above base pay" compensation (December 2006)で、おそらく後者が最終報告ではないかと思われる。そこには次のような文章がある。

Any compensation other than base salary and overtime is known as “above base pay” compensation. In November 2006, the University issued a preliminary report on “above base pay” compensation provided to UC employees during the 2005-06 fiscal year. The report showed that $916 million in “above base pay” compensation was paid in 2005-06, excluding employees at UC-managed national laboratories. Of this $916 million, approximately $7 million was paid to employees who are members of the University’s Senior Management Group.

これによると報酬は基本給と残業手当とそれ以外の“above base pay” compensation、即ち諸手当からなっていて、これにはいわゆるボーナスも含まれることがほかの文書で明らかになっている。問題になったのはその諸手当で、これが2005-6年度で9億1600万ドルである。1ドル100円計算で916億円となり、著者のいう総額8億5000万ドル(850億円)と金額が近い。ところがUC文書によると9億1600万ドルのうちおよそ700万ドル(7億円)が"members of the University’s Senior Management Group"に支払われたことになっている。大部分となる残りは、後に記すように、UCの多くの教職員に分配されたようである。資料では総長、学長、副学長などの管理者316人がこのグループに含まれていて、そのうち169人がいわゆる諸手当を手にしていることが分かる。この諸手当を計算すれば700万ドルになるのだろうが、そこまでは確認していない。

ところで著者の堤さんはスキャンダルという言葉を用いているが、その起こりはSan Francisco Chronicle(SFC)の記事に由来するのだろうか。一連の記事をSF Chronicle Series on UC Executive Compensationで見ることができるが、2005年11月13日に次のような記事がある。

When the University of California hired David Kessler as dean of the UCSF School of Medicine two years ago, the university announced he would receive "total compensation" of $540,000 a year.

Turns out he actually got much more.

In addition to his salary, he received a one-time relocation allowance of $125,000, plus $30,000 for six months' rent and a low-interest home loan.

There was more. He was reimbursed for his actual moving costs from Connecticut, and his family received round-trip airline tickets to go house-hunting in the Bay Area.

Kessler is hardly unique. Despite UC's complaints that it has been squeezed by cuts in state funding and forced to raise student fees, many university faculty members and administrators get paid far more than is publicly reported.

In addition to salaries and overtime, payroll records obtained by The Chronicle show that employees received a total of $871 million in bonuses, administrative stipends, relocation packages and other forms of cash compensation last fiscal year. That was more than enough to cover the 79 percent hike in student fees that UC has imposed over the past few years.

ここで出てくる8億7100万ドルは2004-2005年度の額で、2005-2006年度の9億1600万ドルに相応するものである。UCが管轄する国立研究所への支出を除外すると8億4300万ドルになり、新書本の8億5千万ドルはこの数字を引用しているように思われる。この金額がボーナスを含む諸手当に使われたというのであるが、SFCの記事は次のように続く。

The bulk of the last year's extra compensation, roughly $599 million, went to more than 8,500 employees who each got at least $20,000 over their regular salaries. And that doesn't include an impressive array of other perks for selected top administrators, ranging from free housing to concert tickets.

さらに前年度2003-2004年度でこの諸手当は5億9900万ドルになるが、それは8500人以上の教職員に支給され、一人当たり通常の給料より2万ドルを上回ったというのである。限られたトップ管理者への特典はこれに含まれていないというが、具体的な数字はここには出ていない。その限られたトップ管理者への特典の一例が、SFC2005年11月13日の記事に出てくるDavid Kessler氏への手厚い待遇と言うことなのだろう。この「スキャンダル」が世間に知られるようになった2005-2006年度においても、すでに述べたように"members of the University’s Senior Management Group"の169人が諸手当を受け取っており、諸手当が10万ドルを超えた人はそのうちの16人である。諸手当の最高額は25万6916ドルで、基本給と合わせて報酬総額が61万3666ドルに達した人がいる。いずれにせよ堤さんが書いたように、数人の役員に8億5000万ドル(850億円)という巨額の諸手当が分配されたわけではなさそうである。

このようなSFCの一連の記事が引き金になっていわゆるCompensation Scandalが世間に大きく広まったのだろうが、この記事が取り上げたような諸手当の額の大きさ、その支出の根拠などが世間の注目を引いたのであろう。しかし、繰り返しになるが、私がこれまで取り上げてきた資料のどこにも、新書本に記されているように総額8億5000万ドルの諸手当が、数人という限られた役員に支給されたとの記述を裏付けるデータが見当たらない。堤さんは一体どこからこのような情報を得たのだろうか。州立大学の役員の定義自体あいまいであるが、いずれにせよこの数人の役員が平均90億円を超えるボーナスを手にしているとは到底考えられないだけに、堤さんがどこかで過ちを犯したとしか言いようがない。もしそうだとすれば一事が万事ではないが、このルポの信憑性が大きく揺らぐことになる。著者に説明して頂けるだろうか。

【お断り】(3月8日) 昨日投稿した内容に加筆または変更を加えた。

堤 未果著「ルポ 貧困大国アメリカII」を読んで

2010-03-05 23:39:55 | 読書

著者によるルポ第2弾で、Iは目を通していないが、帯の「日本の近未来を暗示」なる言葉につい手を出してしまった。こういう本を読むと心が暗くなりそうで、それでいて何かができるわけでもなし、だからふだんは避けるのにちょっとした好奇心で手を出したのが運の尽き、やっぱり心が暗くなった。出口が見えてくる話ではないからである。

「公教育が借金地獄に変わる」「崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う」「医療改革vs.医産複合体」「刑務所という名の巨大労働市場」と四つのトピックに分けて貧困大国の内情が述べられているが、私が意表をつかれたのはアメリカでは刑務所に入るのにお金がいるということであった。ニューヨーク州で窃盗を犯した青年の言葉である。

「まず逮捕された日付で、法定手数料三00ドル(三万円)と囚人基金の積立金二五ドル(二五00円)の請求がきたのです」

これは有罪判決が確定してからのことだろうが、刑務所での労働の対価は時給が四0セントで、そこから部屋代と医療費で毎日二ドルずつ引かれたというのである。本業のほかに貧困地域の未成年被告の法廷弁護をボランティアで務める弁護士はこのように語っている。

「刑務所が囚人たちに押し付ける負担範囲は拡大する一方です。囚人たちは用を足すときに使うトイレットペーパーや図書館の利用料、部屋代や食費、最低レベルの医療サービスなど、本来無料であるべき部分まで請求されています」

民間刑務所が巨大ビジネスの仲間入りをしているのである。目を疑うような話ばかりなのであとは実際にこの本を読んで頂くしかない。

今、アメリカで話題のオバマ大統領による医療改革の分かりにくい紆余曲折も、この本で概要と問題点を一応理解できた。社会保障の問題点でも昨年6月、GMの連邦破産法適用を申請した流れで、六五歳以上の退職者への医療保険提供の廃止とか、企業年金の年金額の六割削減が退職者の生活に及ぼす影響を分析しているが、読む方の気持ちはますます滅入ってくる。このルポではアメリカの貧困大国の面を描いているのだから、暗い話ばかりが出てくるのは当然で、もしこれがサクセスストーリーのルポなら、一転して明るい話ばかりが続くことだろうな、とでも思わないことには心のバランスが崩れてしまうことだろう。その意味でこの本はアメリカ社会の暗い面を描くのには大いに成功していると言えよう。

それにしても私の知っている古き良きアメリカはどこに行ってしまったのだろう。次の文章で始まる第一章「公教育が借金地獄に変わる」にその大きな変貌を見る。

 二00九年十一月二十三日、カリフォルニア州立大学(UC)のキャンパスで、何千人という学生たちが建物を占拠する映像が全米に流れた。
 武装した警官とにらみあう学生たちが、大声を上げながら理事たちの車を取り囲み、「大学民営化反対」「役員ボーナスをカットしろ」「教育をマネーゲームするな」などのプラカードを掲げて、通りを更新する姿だ。(中略)
 今回、UCが発表したのは、年間三二%の授業料の値上げだ。

私がUCサンタバーバラ校に務めていたのは1967-68年で、その当時州立大学が授業料を取っていたのかなとふと疑問に思ったが、次の文章で氷解した。二00八年、公教育の重要性を掲げて、サンフランシスコから下院議員に立候補した反戦活動家が次のように語っているのである。

「性別や経済状態にかかわらず誰にも平等に与えられるはずの教育は、いつから狂ってしまったんでしょう。私が学生だった頃、通っていた州立大学の学費は無料でした。今、UCに行った私の娘と息子は、それぞれ四万ドル以上の学資ローンを抱えています。一八%というクレジットカード並みの利息ですね」

その一方で、UCが数人の役員に対して総予算の一二%にあたる総額八億五000万ドル(八五0億円)のボーナスを出していたとという、ルポの信憑性を疑いたくなるような乱費が行われているとのスキャンダルが浮かび上がった。さらに元来は政府の学資ローンを扱っていたはずの非営利公的教育援助機関が、いつのまにか民間のローン会社に変容して、しかも不良債権化したローンの回収で大きな利益をあげているとの話が出てくる。現在、全米の大学生の三分の二が学資ローンを借り入れており、ローン総額が九00億ドル(九兆円)に達しているという。大学は出たが就職先がない、ローンを返済できない、と転がり出すと、これはサブプライムローン悲劇と変わるところがない。とにかく暗すぎる。


Stieg Larssonの「The Girl with the Dragon Tattoo」を読了

2010-02-28 18:39:53 | 読書
「ミレニアム」本が先か映画が先かと悩み映画より先に本を選んだ、今日ようやく530ページ余りの本を読み終わった。期待裏切られずであったが、映画の上映はもう終わってしまっていた。小説では主人公の雑誌記者が自分の書いた記事のせいで名誉毀損の有罪判決を受けたところから始まり、そのことにかかわるストーリーと、主人公が雑誌記者としての仕事から一時離れた間に40年前の実業家一族の一人の少女失踪事件を解決するストーリーとがある関わりを持って進行する。もし二つのストーリーの展開を映画で忠実に描くとすると、少女失踪事件の謎が解明されただけでも大きなことなのに、そのあとでまた名誉毀損問題の成り行きが引き続き出てくることになって、観る方は疲れてしまうし、少女失踪事件解明のインパクトが弱められてしまうように思った。映画ではどのような扱いになっているのかが気になるところである。

少女失踪事件の謎が解き明かされていく間に、きわめておどろおどろしい家族内での人間関係と犯罪が暴露されてきて、実は読んでいて気持ちの良いものでは無かった。映画でどのように描かれているのかは興味はあるものの、仲の良い男女が連れ立って観に行くようなものではなさそうである。ただ、実業家一族の住んでいた小島の風景とか、家屋や小屋のたたずまいは覗き込みたいような気がした。映画が再上映されるようになったらどうするか考えることとしよう。

ところでペーパーバックを読んでいつも感心することがある。本の背を接着剤で表紙にくっつけただけだろうに、ふつうの読み方をしている限り背が折れることがないのである。日本製の辞書などで背折れをよく経験しているだけに、この製本技術に感心する。そういえば同じような作りの500ページを超えるような日本の文庫本、新書本でも丈夫なのが嬉しい。思ったことを書き留めておく。



「Millennium」には地図がないが・・・

2010-02-15 23:19:38 | 読書
先日述べたスウェーデンのミステリー小説「ミレニアム」の英語版を読んでいて不便に感じたことがあった。大企業グループの創始者一族を中心に住人が今や二十数人しか住んでいない孤島で、40年ほど前に女の子が失踪する事件が起こった。その謎を解き明かすべくこの大物に依頼された主人公がその島に住み込んで未だに姿を見せないその少女の謎を解き明かすべく探索を始めるが、まずはその島に住んでいる一族のそれぞれの家がどこにあるかなどの説明がことこまかく出てくる。ふつうこのような場合は地図がついていて、言葉で説明されるよりも位置関係がすぐに分かるようになっているだろうに、一族の系図は出ているものの地図が出てこない。これなら説明に従って自分で地図を作るべきかなと思いつつも、Google地図で調べてみた。するとこの孤島は見つからないが、孤島が属している町Hedestadに関係するのであろうか、ストックホルムの西方にある場所のスウェーデン語による説明にこの小説の作家Stieg Larssonsの名前などが出てくるのである。

Gnesta blir Hedestad - i filmatiseringen av Stieg Larssons trilogi
Filmatisering av Stieg Larssons deckarroman i Gnesta

Gnesta blir Hedestad i en filmatisering av Stieg Larssons deckarroman Män som hatar kvinnor. Filminspelningen börjar redan under våren och kommer av och till att pågå under 2008.

小説に出てくる架空の場所と同じ名前、とか記されているのであろうか。いずれにせよこれで孤島の名前はまったく架空であることが分かった。ところが、である。日本語版の「ミレニアム」を読んだという人から、日本語版にはちゃんと地図が出ていると聞いたのである。こんな片手落ちが許されるのかとブログを探してみると、原書であるスウェーデン語版には拡大図を含めて2枚の地図がついていることが分かった。しかしなぜか英語版、スペイン語版、オランダ語版にはこの地図が出ていないということで、それぞれの読者は地図があったらいいのにと託っているのである。ところが有難いことに今年の1月10日に投稿されたメッセージで、英語版の翻訳者が読者の便宜のために準備した英語版の地図がダウンロード可能であることが分かりそれを早速手に入れた。また日本語版をお持ちの方から地図のコピーをメールで送って頂いたので、これで読みやすくなった。

それにしても英語版、スペイン語版、オランダ語版ではなぜ地図が省かれたのだろう。ひょっとしたらこれらの言語を使う人たちは、文章の説明に基づいて地図のような図形を頭の中に描く能力が優れているので、わざわざ地図をつけるまでもないとでも思われたのだろうか。どなたか説明していただきたいものである。それはともかく、ますます「Millennium」から離れられなくなっているのが現状である。

「ミレニアム」 本が先か映画が先か

2010-02-12 12:18:54 | 読書
日経夕刊で映画「ミレニアム」の紹介記事を見て面白そうと思ったのが始まりである。そういえばジュンク堂で「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」で始まるシリーズの本を見かけたが、「ドラゴン・タトゥー」という言葉のおどろおどろしさにきわもの的なものを感じて、本を手に取ることもなかったのである。ところが映画評を見て本を読みたくなり、同じ読むのならペーパーバックスでと思いしらべたところ英語版がすでに2冊出ている(原本はスウェーデン語、3冊目は4月刊行予定)のでamazon.co.jpから取り寄せた。2冊合わせて1978円、これに相当する日本語版の「ミレニアム1,2」だと6800円になる。


本を少し読みかけた頃、シネ・リーブル神戸で映画の上映が始まったので、映画をまず観た方がストーリーも分かって本も読みやすくなるだろうと思い、10日に観るつもりであった。ところがあいにくの雨模様で出かける気をなくし、その代わりに本に少し集中した。人名、地名が馴染みのないスウェーデン語ということもあって少々引っかかったが、読み進んでいくうちに話の展開に引きずり込まれ出した。そして昨日も一日中雨だったので読書に専念、ますます面白くなった。100ページ足らずのところでおもな登場人物が大体出揃ったと思うが、人物描写がよくできており、人物同士の関わり方がお互いの心の動きも含めて実に細やかにそして生き生きと描かれている。そして物語の展開に好奇心がますます掻きたてていくのである。そして私の心にも変化が生じた。

物語に引きずり込まれる。これが読書の大きな醍醐味である。ページをめくるのもまどろっこしくなりだしたこの「Millennium」こそ、まさにpage-turnerなのである。しかし映画を先に観てしまうとこの楽しみが奪わてしまいそうな気がして昨日辺りから本が先か映画が先か、悩み始めた。そして今や私の気持ちはほとんど本の方に傾いてしまったようである。

実は本を読むことにもう一つ楽しみが加わったのである。iPhoneのApp Storeで「ロングマン英和辞典」(2400円)を購入して使い始めたところ使い勝手が実によい。iPhoneを左手で持って検索単語を画面に現れるキーボードから右人差し指で入力する動作が辞書をめくる動作に相当すると思えばやや時間がかかっても苦にならない。ベッドで上向きに寝ていても簡単にできる。重い辞書では考えられないことである。しかも今まで検索した単語、ということはやや使用頻度の低い言葉になるが、そのすべての発音をスピーカーで聞くことができるので頭にも入りやすい。あんなことこんなことで、映画より本が先になってしまった。映画の上映は19日までの予定であるが、もし延長になれば本を読み終えて観られそうである。

「師」ならではの本 内田樹著「日本辺境論」

2010-01-03 15:09:13 | 読書

かって先生は偉いのだ、が教育の原点(2007-06-24)と文学者の文章 MetaphorがJargonを生む(2009-02-22)で内田樹さんを取り上げたことがあり、この方のお名前はよく存じているが、その著作を読んだことはなかった。書店では「内田樹コーナー」が出来るほどの売れっ子で、またけっこう多作の方なので「天才は多作である」の逆も真、ひょっとして天才?との思い込みで敬遠していた。それなのに年の暮れ、ついに「日本辺境論」(新潮新書)に手を出してしまった。やはりよく売れているとみえて、2009年11月20日発行で1ヶ月後の12月20日には早くも第5刷となっていた。

決して読みやすいという本ではないが、一日でとにかくおわりまで読み通したものだから大したものである。「終わりに」の始めにでてくるが、「最後までお読みくださってありがとうございます」との挨拶を受けるだけの資格はありそうだと誇らしげな気分になれた。

かって村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した時、その受賞スピーチが何を言いたいのか、私にははっきりしないので、他の人がどのように受け取っているのだろうかと思っていたところ、内田さんのブログ記事に出会ったのである。その文章を読んだ私は内田さんを村上春樹さんの「伝道者」役をかってでているように思い、文学者の文章 MetaphorがJargonを生むで次のように述べた。意は通じると思うので、このやや長い引用を読み飛ばしていただいても結構である。

私は言葉というものは伝えたいメッセージを一義的に相手に伝えるための道具であると思っている。言葉の受取手がそのメッセージを一義的に了解してこそ言葉が言葉たる機能を発揮したと思っている。ところが私には村上氏のメッセージが彼の言葉を介して一義的に伝わってこないものだから、何を言いたいのか分からないと述べたのである。では他の人はどのように村上氏の言葉を正しく受け取った(と主張できる)のだろうかと疑問に思っていたら、内田樹さんの文章「壁と卵(つづき)」にぶち当たった。私のように村上氏の「たとえ話」が分かりにく人が多いと思われたのか、「伝道者」役を買って出られたようである。この中で内田さんは

System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだ.
私はこのスピーチをそう理解した。
「政治」とは「記号の最たるもの」である。
現に、このスピーチの中の「システム」を「記号」に置き換えても意味が通じる。》と述べている。

この方は凄いと思った。独自の文章解析眼でもって私が理解をあきらめた「wall」の「metaphor」である「The System」を「言語」あるいは「記号体系」のことだと理解されたのである。ところが、である。「The System」がさらに「言語」あるいは「記号体系」あるいは「記号」と言葉を換えたものだから、「The System」だけでチンプンカンプンな私にはますますお手上げでなのである。でも私が世間の人に比べて文章理解力がそれほど劣っていることはあるまいとの自負心も多少はある。と思ったら「The System」も「言語」も「記号体系」も「記号」も、「metaphor」ではなくて「jargon」に見えてきたのである。

「日本辺境論」にも「はじめに」のところで

最初にお断りしておきますけれど、本書のコンテンツにはあまり(というかほとんど)新味がありません。(「辺境人の性格論」は丸山眞男からの、「辺境人の時間論」は澤庵禅師からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売りです。この場を借りて、先賢に謝意を表しておきます)。
とあるので、このところを一応文字どおり受け取ると、ここでも内田さんは先賢の「伝道者」を自認しているとも言えよう。

多くの先賢からの引用が随所に出てくる。アルベール・カミュ、カール・マルクス、ローレンス・トープ、司馬遼太郎、梅棹忠夫、川島武宣、吉田満、ルース・ベネディクト、池部良、山本七平、等々である。あえて告白すると、私はここで引用されている文章はもちろんのこと、これらの著書(小説を除く)に目を通したこともない。だからこそどのような小さなことでも、すべて私が頭の中で組み立てた考えを自分の言葉で語らざるをえないのであるが、そのような思考・表現行動が身についてしまっている私には、先賢の言葉を一々気にしないといけない「伝道者」がとても窮屈な存在に見えてきて、その思考過程について行くのも面倒になる。ところが私が読みづらいと思うこの本にも多くの読者がついているのである。不思議に思ったが、その謎には秘密がありそれを私は解き明かすことができたのである。いや、実は謎でもなんでもなく、この著書で内田さん自身が公開しているのである。学びの極意としてこのようなことを述べている。

 弟子はどんな師に就いても、そこから学びを起動させることができる。仮に師がまったく無内容で、無知で、不道徳な人物であっても、その人を「師」と思い定めて、衷心から仕えれば、自学自習のメカニズムは発動する。(149ページ)

さらに『こんにゃく問答』という落語を持ち出して、

 奥の深い落語です。『こんにゃく問答』のすごいところは、この学僧はこんにゃく屋の六兵衛さんから実際に深遠な宗教的知見を学んでしまったということです。弟子は師が教えたつもりのないことを学ぶことができる。(強調は著者)これがダイナミズムの玄妙なところです。(150ページ)

師弟関係が成立しておればこのように弟子は師が教えたつもりのないことを学ぶことができるのである。この真理さえ心得ておけば「師」は「師」らしく振る舞うだけでよい。その極意は、数語で表現できる真理を引用やMetaphor、Jargonで飾り立てることで、要するに何を書こうと中身は問題ではない、ただ弟子の考えようとするモチベーションをかき立てればそれでよいのである。「師」が何を宣おうとファンは、いや「弟子」は自ら会得したことを「師」の教えとあがめ奉る仕組みとなっているのである。この仕組みを早々と見抜き、あまつさえそれを堂々と開陳する内田さんはなんと自信に充ち満ちたお方であろう。敬服に値する。しかしその仕組みが分かったからには、今後本のタイトルと帯の文句を目にするだけで満足するファンも増えることだろう。

私の初遊びはこれでおしまい。




宮城谷昌光著「風は山河より」を読みつつ大掃除

2009-12-29 11:52:20 | 読書
これまで大晦日にやっていたキッチン周りの大掃除を今年は早めにすることにした。それだと時間を余り気にせずに念入りに仕事ができるし、綺麗になったキッチンでお正月支度をやって貰えるし、と発想転換したのである。愛用のスチームクリーナー(ケルヒャー1501)が相変わらず大活躍をしてくれた。一回の給水が1リットル、それを何回も繰り返したの10リットル近くは使った。それくらい念入りにしたのである。クリーナー用の真鍮ブラシを行きつけのホームセンターでたまたま見つけたので、今年はそれを使ったところ、ガスコンロのグリルが驚くほどあっけなく鋳鉄の地肌を取り戻した。やはり道具は使いようである。

それはよいのだが、結局二日がかりの大掃除となった。丁寧に仕事をしたのもその理由の一つであるが、それよりも仕事の合間に本を読むつもりが、本を読む合間に仕事をするような羽目になってしまったからである。その本とは暮れに第五巻、第六巻が出て完結となった宮城谷昌光著「風は山河より」(新潮文庫)である。スチームクリーナーの水がなくなると新に水を補給する。それが沸いて蒸気を出せるようになるまでしばらく待ち時間がある。その時間つぶしにこの本を読み始めたのであるが、そこが宮城谷さんの小説のこわいところで読み始めたら最後、物語に引き込まれて湯が沸いたのも忘れてしまうのである。気がついて清掃作業に戻っても、早く本を読みたいものだからせっせと仕事に励む。読書と仕事をともに楽しむことができるなんて思いがけない相乗効果ではあったが、それだけ仕事が終わるまでに時間だけは確実に伸びたのである。


この本が単行本で出た時は全部揃ったら買おうと思ったが、全五巻で完結した時はそのうちに文庫本で出るだろう気が変わり気長に待っているうちに、全六巻に再編集されて出てきたのである。2年待つだけで済んだ。

徳川家康が幼少の頃今川家に人質にやられたが、それは父広忠が家臣により殺されたことに由来することぐらいは知っていた。しかし祖父松平清康の事績についてはほとんど知らなかったので、物語がその辺りのことから始まるので、欠けていた知識がうめられるように思ったが、話が展開して行くにつれて、これは家康の物語ではなく、戦国時代における三河の物語だと感じるようになった。そして主人公も東三河を本貫とする野田菅沼家の三代、定則・定村(さだすえ)・定盈(さだみつ)で、やがて焦点は定盈に絞られる。この本を読むまでは菅沼定盈の名前は私の意識にはなかったが、武田信玄の3万の軍勢を相手に400余の城兵で立ち向かい、一ヶ月の籠城を耐え抜いた武将である話になって、そのよう話が確かあったな、と思い出したのである。最後は水を断たれ、城兵の命の代わりに城主の命を差し出すこととして開城のやむなきに至るが、かれの武勇を称揚する武田信玄の決断で人質交換に使われ、無事徳川陣営に戻ってくる。そして著者はこのように筆を進める。

 菅沼新八郎定盈の驍名が天下に知られるようになったのは、織田信長の熱い褒詞があったためである。
 天正三年、武田勢に重囲された長篠城の奥平貞昌を救援すべく岐阜を発った信長は、五月十七日に野田に着陣した。ここで信長は、すでに野田城主に復帰していた新八郎を召してこういった。
 「かくのごとく不堅固なる小塁に、しかも微勢にて立て籠もり、大軍猛将の信玄を禦ぎける段、往古の楠(正成)にも劣らざる英雄なり」

野田菅沼家も元々は今川家に属していて、定盈は義元亡き後となって今川氏真の武将に人質として妻と妹を差し出すが、今川家に叛き松平元康(徳川家康)に誼を通じことを踏ん切った際に人質救出作戦が齟齬をきたし、妻が磔される悲運をも味わう。戦国乱世の世にあって弱い立場にあるものがどのようにして活路を切り開いていくのか。的確な情勢判断をするためには情報収集と分析が肝要で、それに失敗すると家は取りつぶされ人質は殺される、まさに一瞬の決断を躊躇することが運命を大きく分けるのである。今の不況の世の中に、形は変わってもこのような厳しさに立ち向かっている大勢の方につい思いが移る。

宮城谷さんは出身が三河ということで、戦国期の三河を書きたいとの思いを長年温めておられたとのことである。構想から資料集めなどの準備期間を含めて出来上がるまで二十五、六年はかかったとのことで、随所に資料の読み解きのあとが出てくる。時には一度しか登場しない人物であっても、他の登場人物とどのような血縁にあるのか、くどくどしくも感じられる丹念さなのでそれに浸る余裕があれば、自分まで史書をひもといているような悠然とした気分になる。この独自のスタイルがこの物語と言わず宮城谷さんの小説の大きな魅力なのである。そしてこれも私の大好きな時代小説作家諸田玲子さんとの対話で、菅沼という人を選ばれたのはどういう考えかと聞かれて、次のように答えている。

ちょっと引いたところにいる人間ですね。大体私は前に出る人間は嫌いなんです。自分自身もひっそりと生きてきた人間ですからね、引いて引いていく方が、生き方として、自分の性にあっています。企業人でもそうですが、前に出過ぎるとどこかで落とされる。ナンバー2がやっぱりいちばん優れた生き方をしているんですね。

最近話題になった「事業仕分け」で、なぜ次世代スーパーコンピュータが世界一でないといけないのか、なんてことが取り沙汰されたが、機械でない人間だからこそナンバー2を目指す自由のあることがなんだか嬉しく感じる言葉である。あらためて意識することにする。


宮本常一著「忘れられた日本人」から 隠居は西高東低、民主主義、そして歌合戦

2009-12-23 16:32:14 | 読書
私の隠居志向は割と早くから固まっていたと思う。現役時代を振り返ってみると、近頃流行のなにかといえばすぐに億単位のお金が話題となる世界とはおよそ無縁のつつましやかな研究生活を送ってきたが、いわば蟹が自らの甲羅にあわせて穴を掘るようなものだったと思う。その穴の中で実験材料、試薬の調製から始まり、装置を使っての測定、そしてデータ解析から論文書きにいたるまで、そのすべてを自分の手でやっていくことを楽しみにしていた。これは共同研究とはまた違った醍醐味があり、現役時代の最後までのめり込んだ。1998年3月末日に定年退職したのであるがが、最後の実験記録には同年1月15日のスタンプがある。データ解析などを済ませてから身辺整理に移ったことを覚えている。定年後も何らかの手段で研究室を維持できる見通しでもあればおそらく研究生活を続けたかもしれないが、その可能性は当時の状況では0であったので、早々と現役撤退を選択したのである。では何をするのか。気宇壮大なことは何一つ考えなかった。ただ遊び事をしたかったのでヴォイストレーニングや一弦琴を始め、それが今にいたるまでかれこれ10年は続いている。ブログ書きも始めてもう5年は過ぎ、今では生活の一部になっているが、これも当初はまだこの世に姿を現していなかったものである。朝鮮語を習い始めたのもごく最近で、成り行き任せながら私なりに充実した隠居生活を満喫している。なぜ私がすんなりと隠居生活に移ることが出来たのかといえば、どうもそれなりの理由があるようなのでそのことを少し述べようと思う。

宮本常一著「忘れられた日本人」の中に隠居についての面白い話が出てくる。宮本さんは民俗学者として知られているが、日本各地を探索して周り、民家に泊まり込んでは古老から聞いた話を書き記して記録に残すというフィールドワーク ―実地採集― に徹された方で、この岩波文庫にも興味深い話がかずかず収められている。


「村の寄り合い」に出てくる話であるが、福井県敦賀の西にある半島の西海岸を歩いている時に、宮本さんは道ばたの小さなお堂に十人ほどの老女が円座で重箱を開いて食べているところに差し掛かった。そして仲間に入れて貰って話に加わる。そこから次のような話になる。

 自らおば捨て山的な世界を作っているのである。
 このような傾向は全般に西日本につよい。そこでは年齢階梯性がかなりあざやかにあらわれる。そして一定年齢に達すると老人たちは隠居するのであるが、東北から北陸にかけては、老人が年をとるまで家の実権をにぎっている場合が多い。そういう場合嫁がいつまでも嫁の座にいてカカになれないのと同じように、嫁の夫も横座へはすわれないのである。
 とにかく年寄りの隠居制度のはっきりしている所では、年寄りの役割もまたはっきりしていた。
(43-44ページ)

著者の分析では年齢階梯性のはっきりしている社会は非血縁的な地縁集団が比較的つよいところで、同族のものが一つの地域に集まって住むのではなく、異姓のものと入り交わっているところが多いとのことである。こういう傾向が瀬戸内海の島々や九州西辺の島々にはとくにつよく、こういう社会では早くからお互いの結合をつよめるてめの地域的な集まりが発達したそうなのである。そういう村では、村共同の事業や一斉作業がきわめて多く、それには戸主が参加しなければならなかった。それから逃れるためには戸主としての地位を早く去ることで、隠居すれば良かった。そうすると自分の家の農作業に専念できたからである。淡路西海岸のある村では長男はたいてい二十才過ぎて嫁を迎えており、それと同時に親は隠居して隠居家に入ったなどの例が記されている。そしてこのような話が出てくる。

現に兵庫県加古川東岸一帯には、村落の中に講堂とよばれる建物がきわめて多い。(中略)このような建物は、中世の絵巻物にもみえるところである。加古川東岸地方では、このお堂が多くの場合ちょっとした村寄りあいの場所にあてられる。
(46ページ)

実は私の両親はこの加古川東岸地方の生まれなのである。そのせいだろうか、私どもが留学先のアメリカから帰国した後は同居することになったが、母は60才になったのと機に一切の家事から手を引き、すべてを私の妻に委ねた。そのせいで朝食は長年慣れ親しんだご飯に味噌汁からトーストにコーヒに変わったが、両親はそれなりに覚悟を定めていたからであろう、一言も口を挟むことがなかった。そして母は川柳を始めだして川柳教室などにも通うようになった。そのうちに今も購読が続いている新聞の川柳欄への投稿の常連者になり、入選100回を新聞社から表彰されるまでにもなった。以前に「フーテンの風子」と一弦琴でこの川柳のことをちらっと触れたことがある。要するに隠居生活にすんなりと入っていき、私にも身近な隠居生活の実例を示してくれたことになる。このように私自身が隠居生活になんの抵抗もなく入れたのもどうもこのような地縁的ルーツがあったようで、自分が日本の風土に生かされているとの思いを実感する。そして先ほどの話のつづき。

 私の今日まであるいて来た印象からすれば、年齢階梯性は西日本に濃くあらわれ、東日本に希薄になり、岩手県地方では若者組さえ存在しなかった村が少なくないのである。
(53ページ)

私の見方でいうと今や政界のドンと目される岩手県出身のあのお方には、隠居なんて発想は皆無ということになる。

ところでこのような隠居の話はこの本のほんの一部で、昔から伝えられてきた日本人の今や知られなくなった数々の習俗が沢山でてくる。たとえば最初の「対馬にて」には、宮本さんが村に古くから伝えられている古文書の閲覧を頼んだところ、村の集まりが開かれて二十人ほどの人がながながと談義に加わり、となるとほかのことにも話が飛び回りまたこの問題に戻ってくるようなのどかな協議が二日も続く。一人の老人がこの人は悪い人ではなさそうだから話を決めようと口火を切ってからもさらに話が飛び交い、最後に宮本さんを案内してきた老人が、せっかくだから貸してあげては、と一同に諮ってようやく話がまとまった経緯が丹念に綴られている。この村寄りあいの姿はまさに戦後輸入された民主主義の原形そのもののように私は感じた。村落共同体の一員となると郷士も百姓も区別なく発言は互角であったとか。お互いに納得がいくまで、とことん時間をかけるというのが凄い。最近話題になった「事業仕分け」にぜひ持ち込んで欲しい良き習俗である。

このような話も出てくる。おなじ対馬で中世以前の道かと思えるような山中の細い道を土地の人たちと一緒に進むが、ついつい宮本さんは取り残されていく。村人は馬に乗って、宮本さんは徒歩だから当然であるが、心細くなりながらも歩き続けると村人が待ってくれていてようやく合流する。歩くのが容易でないと村人に感想を述べてから続く話である。

「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあるいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌をうたうのだ。歌をうたっておれば、同じ山の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者ならあれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしにいきつつあるのかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなったのかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどと思った。

民謡の効用である。この老人が歌を歌い出すと、実によく声が通る、と宮本さんは感心する。そして声がよいのでずいぶんよいたのしみをしたもんだ、といわれる老人も登場するのである。

 対馬には島内に六つの霊験あらたかな観音さまがあり、六観音まいりといって、それをまわる風が中世の終わり頃から盛んになった。男も女も群れになって巡拝した。佐護(地名)にも観音堂があって、巡拝者の群れが来て民家にとまった。すると村の若い者たちが宿へいって巡拝者たちと歌のかけあいをするのである。節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後にはいろいろのものを賭けて争う。すると男は女にそのからだをかけさせる。女が男にからだをかけさせることはすくなかったというが、とにかくそこまでいく。鈴木老人はそうした女たちと歌合戦をして負けたことはなかった。そして巡拝に来たこれという美しい女のほとんどと契りを結んだという。前夜の老人の声がよくてよいことをしたといわれたのはこのことであった。
(31-32ページ)

なんと昔の日本人のおおらかなことよ。これが歌合戦の神髄なのだと思い込まされる。まがい物をなんとか歌合戦と僭称するNHKの薄っぺらさ加減のよってくる理由がここに解き明かされたともいえよう。この深遠な文化の実相をさらにきわめんとする奇特な方は、ぜひこの文庫本を繙かれることをおすすめする。



木村盛世著「厚労省と新型インフルエンザ」のあれこれ

2009-12-20 18:57:48 | 読書
昨日、本屋の店頭でこの本を見つけた。著者の木村盛世さんは厚労省のお役人でありながら厚労省の新型インフルエンザ対策を槍玉に挙げた人として有名な方で、その方が「官製パニックはこうして作られた!」と暴露されたとは面白いとばかり、ゴシップ大好きの私は早速買い求めた。確かにゴシップは面白かったが、共感を覚えるところが多い反面、これはどうかな、と感じるところも結構あるので、私の読後感が褪せないうちに記すことにする。


店頭では「官製パニックはこうして作られた!」が目に飛び込んできたが、この部分は実は帯への印刷であった。一皮むけばきわめて地味な表紙なので、講談社の宣伝上手に私がころりと引っかかったようなものである。その思いが読後感にある種のバイアスを与えたかもしれない。しかし第一章「新型インフルエンザと厚労省迷走記」と第二章「悪のバイブル「行動計画」」は期待を裏切ることはなかった。とくに第一章は木村盛世対厚労省の図式を、一方の当事者である著者が、中途半端な客観性を持ち込まずに自らの視点で切り込んでいるから面白い。それだけにあとで少々述べるつもりであるが、別の立場からは拒否反応を喰らうのも宜なるかな、と思った。

「官製パニック」を引き起こしたのが厚労省の間違った「行動計画」であるとの話が第二章に出てくる。

 実際に行動計画に携わった医系技官たちは“御用学者”と呼ばれる専門家集団に相談しながら行動計画を作っていきます。御用学者とは通常、厚労省が主催する審議会という専門家会議の委員です。審議会というのは、何か法案を決めようとする時や今回のような行動計画と言った国の方針を決める時に専門家の意見を聴くために開かれます。審議会での意見をもとにして法令案を作成するというのが建前なのですが、実際の審議会の意味は、①官僚が作った青写真を審議会というセレモニーを通過することによって、専門的見地から正しいと言うことをオーソライズさせること、②何か法案などに問題が生じても、専門家がいいと言ったからだ!という責任回避ができること、の二点です。
(46-47ページ)

ある程度の事情通ならまったく同感するだろう。しかし内部者でないと分からない話も出てくる。

 四月二十四日から六月二十五日までに新型インフルエンザに関する一五五件の事務連絡、通知が出されています。本来であれば大臣や事務次官が出すような重要な項目が、室長や課長レベルでボンボン出されているわけです。
「どうしてこんな重要なものが事務連絡で出されたのか」と大臣ポストに近い厚労省官僚が見て驚いたそうです。なぜこんな事が起こるかといえば、感染症対策が厚労省としてはたらいているのではなく、医系技官の独断で動いているからです。
(48-49ページ)

一五五件もの事務連絡、通知とは厚労省から地方自治体、団体などに出すお知らせだが、ただの文書ではなく、受け取った側では法律と同じ意味を持ち絶対に従わなければならないから問題だというのである。それだけ沢山の“命令”が出されているのなら、もっとも馬鹿げている例を教えて欲しいような気がした。

第三章「公衆衛生学的にみるとどうなのか」には学級閉鎖の効果の項目がある。著者は

歴史的に見ると、どうやらインフルエンザや新型肺炎などの呼吸器感染症で特別な治療法がない病気に関しては、学級閉鎖や集会の自粛などは、広がりを抑えるための効果ははっきりしないのです。

と述べて、封じ込め作戦の弊害をも論じている。まさに事実はそうなのだろうが、私が新型(豚)インフルエンザに対する京都大学の特筆すべき指針で賞賛した理性的な対応とは対照的に切れが悪い。著者は厚労省のお役人なんだから、学級閉鎖の効果を評価出来ない状況においてすら、具体的な指示を与える立場にある。私ならこうした、を期待したがそれはなかった。その点「熱があっても必死で出社する日本人」の項目では、新型インフルエンザを特別視する前に、症状があったら職場を休むことを徹底する社会認識が必要、と強調している所などはよい。

第四章「公衆衛生の要―疫学の基礎知識」は中途半端で読みづらかった。疫学の説明に美白とサプリメントの関係を例に挙げているのはよいが、男の私には例自体に何の関心もないからそれだけで拒否反応が起こってしまった。あとの方で「ワクチンの有効性はどうやって決めるか」の話が出てくるが、このテーマに集中すれば良かったのに、と思った。いずれにせよ一般の読者なら第四章を飛ばしたほうが挫折しなくて良い。

第五章「これからのインフルエンザ流行に備えて」には具体的な提言もある。常識的な考えの出来る人ならすべて納得のいく話であるので再確認しておけばよい。私が重要な指摘だと思ったのは、ワクチンの副作用について無過失補償制度の導入の提言である。ワクチンの副作用が発生したら十分な補償を与えるというのが要点であるが、実現へ向けての取り組みが欲しいものである。しかしそれより先にさてワクチンの接種を受けるかどうかを決めるのが現実問題として大切である。そういえば今日の朝日朝刊に「新型インフルエンザワクチン 欧州大余り」と出ていた。副作用を懸念して接種率が低いためだそうである。さて日本ではどうなるだろう。私は要らない。

この本で私にとって面白かったのはやはりゴシップの部分であった。さらにもし著者が厚労省で十二分にその腕を振るうことが出来たら、どの程度著者が指摘したかずかずの問題点が解消されるだろうか、ということでも興味を持った。しかしそこで引っかかったのが著者の同僚医系技官への姿勢である。こうくそみそに言ってしまうと、これでは協力者が出てきそうもないように感じたからである。幾つかを抜き書きしてみる。「医系技官のコンプレックス」(48ページ)に出てくる。

 行動計画に基づく医療現場無視の政策、そこから派生する通知や事務連絡という命令は、医系技官のコンプレックスの表れではないかと思います。先にも触れましたが、医系技官の幹部といわれる人たちは、実際の患者を診たことは、おそらく一度もないのではないでしょうか。彼らの同級生のほとんどが実際に患者さんを診る臨床医師となります。医学部を出た優秀な学生から、内科や外科といった花形の医局に引き抜かれていったのです。しかし箸にも棒にもかからない学生たちがいました。その人たちは当時人気のなかった厚生省に入りました。そして入ってから何十年かしてみると、いつのまにか局長などのポストに座っていたのです。それがいまの医系技官の幹部たちです。(強調は私、以下同じ)

ここまで書くのなら実名を挙げてもらった方がスッキリするが、この強調部分の客観性に私は疑いを持った。なるほど一人二人はその通りかも知れないとしても、この表現ではいまの医系技官の幹部が例外なしにそうだと言っているようなものだ。私がかって在籍した医学部の教室出身者の何人かが厚生省の局長、課長になっていたのでそれなりの付き合いがあったが、箸にも棒にもかからなかった学生のなれの果てには思えなかったからである。また私が厚生省に送り込んだ卒業生がいるが、医系技官としての活躍を期待したからこそである。

さらに「おわりに」にこのような部分がある。

 医師である私たちが日本で取得するのは医学博士という称号がほとんどですが、日本の医学博士が、「足の裏に付いたごはん粒」(その心は、取らないと気持ち悪いが、取っても食えない)と言われるほど権威もなく取得が簡単なのに比べて、欧米の博士号を取得するのは容易なことではありません。

著者のご存知の範囲はたまたまそうであったのだろうが、私の知るところでは医学博士号の取得が、何をもって簡単というのかはともかく、世間の人が簡単という言葉で思い浮かべるような容易さではないことだけは断言できる。

揚げ足取りになって恐縮であるが、著者が言い切っていることでその正否を私なりに判断できる事柄については異議があるので敢えてそのことを述べた。こういう事があるとほかのところで著者の言い切っていることも素直に受け取れなくなってくる恐れがある。著者のためにも惜しまれることである。