日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

若者よ働け! 六甲山ホテル

2008-07-27 18:52:50 | Weblog
二ヶ月ぶりに車を満タンにした。レギュラー45リットルで8000円ちかくかかったのには驚いたが、気が大きくなって六甲山まで車を走らせた。山手幹線を久しぶりに通り六甲道路で山頂に出たが、予想通りというか週末なのに車が少なかった。

正午を廻ったところなので六甲ビューパレスというセルフ方式のレストランに入った。昨年孫たちを連れてきた時は同じ時間帯で何組も順番を待っていたが、昨日はすっと入れた。席の半分以上は空いていたが明らかにガソリン代高騰の影響だろう。おかげで窓際の見晴らしの良い席を占めることが出来た。

食後に見晴らしの塔の前で女性がアフリカ音楽を奏でているので出会った。一人はオルゴールの中身を取り出したような楽器を鳴らし、もう一人は鼓弓のような弦楽器を弾きながら歌を歌っていた。掛け合いもありハーモニーもあり、舌を激しく動かしてひょろひょろひょろひょろと甲高い声を発するのも面白い。タンザニアの「若者よ働け!」というスワヒリ語の歌もあった。昔からあった歌なのか、世界共通で若者が働かなくなり発破をかけているのか分からないが、若者に堂々と注文をつける大人がいるというのもいいものだ。私たちがこのような歌をうたうのもなんですが、とはにかみながら歌う女の子がなかなかよかった。達者な日本語を喋るのも当たり前、日本の女の子なのである。



六甲山の上では28度で下界より5度は低い。早々と山を下りることもないので六甲山ホテルに寄って6階のラウンジでくつろぐことにした。そして下界を眺め下ろしながらとある感慨にふけっていた。

この六甲山ホテルはちょうど30年前に日本学術振興会と米国国立科学財団の後援で私どもの研究領域の日米セミナーを開催したところである。恩師と私が日本側の代表者になった。50人ほどの参加者が全員4泊5日の日程でホテルに泊まり込み仕事の話を交わすのである。日米セミナーというものの、世界各国の代表的な研究者を招待するもので、イギリスからはP.ミッチェル博士が招待に応じて初来日された。会議が終わったこの1978年秋にミッチェル博士がノーベル化学賞を単独受賞されるなど、私どもの研究分野は活気を呈していた。この会議がきっかけとなり私は博士から個人的な交誼をかたじけなくする幸運に恵まれた。六甲山ホテル最上階のパーティー会場での写真が残っているが、左側がミッチェル博士、右側はアメリカ側の代表者の一人T.E.King教授である。King教授は以前私がタンパク3000とPerutz博士で触れたDavid Keilin教授の門下生で、その頃からミッチェル博士と親交がありこれが博士の招待に繋がったのである。両側のお二人はすでに鬼籍に入られ、私は白頭の老僕と化した。



蛇足: 昨7月26日朝日朝刊の天声人語が《「鬼籍に入る」という言葉がある。その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答えるものが多かったそうだ。》との挿話を伝えていた。むむむ・・・・、私は長男なのである。


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