様々な場面を経験すれば分かる事だが、本当に
大切な事や重要な事実は文書化されない。
記録に残さない場合が少なくない。
世の中の様々な背景や本質を見て行く時にこの
感覚が大切である。
学者の限界はここにある。
文献がなければフェイクだのデマだと見なすのは
本質を見落としてしまう。
今の時代ですら議会の委員会や様々な企業の会議
でも白熱したやり取りが行われて踏み込んだ内容の
議論や意思表示がされた場合には進行役や権限者が
速記を止めさせて
「今の内容は議事録には載せないように。」
と指示する場合が多々ある。
口角泡を飛ばして怒鳴り合い、批判が飛び交い、
激しく意見が対立した会議であっても議事録には
その場面は記載されず、終始円満に滞りなく会議は
終了した等と記載されている事例が多い。
そのような形で残された議事録だけを後の世の
人々がつぶさに読んだところで全く何も伝わるものは無い。
会議録も同じことである。
歴史における亡命も命懸けで逃げるのだから逐一
証拠を残しながら移動することは先ず有り得ない。
逆に偽情報を撒きながら亡命していく事はある。
後の世の私達が記録にないからデマだ、文献に残って
いないから証拠がないのでフェイクだと言う事が本質の
把握を逃すことになる。
秘事や重要な中身は一子相伝や口伝、歌の形にして
語り継ぐなどをしながら後世にヒントを残す。
何かに際して文献や証拠がないからフェイクだと断じて
しまえばそれまでである。
しかしその奥に潜む本質を見たいなら必要な事は感性
とセンスであろう。
本当に重要な内容は文献には残さない。
または不都合な事実は時の権力者に改竄される。
この2点を踏まえて世の中を見れば逆に様々な姿が
見えてくる事がある。
そしてまた言外の言も大切である。
相手が放つ言葉の中に表れない本音や言葉には表れない
本当に言いたい事を把握できるか否かもその後の展開を
左右する。
例えば数名で打ち合わせをしていて誰かが
「なるほど承知しました。」
と言葉では言ったけれど次の瞬間に居合わせた人と目で
合図をしている、互いに視線を送って発言内容とは違う
意思表示を投げてくる。
このような場面はよくあるだろう。
この時の相手の本音は
「ノー。」
「この内容は無理だな。」
というものである。
このような感覚が分かるか分からないかで展開は真反対
になっていく。
相手の言葉だけを言葉の意味のまま理解するだけでは
気が付いたら誰もいなくなる。
顔で笑いながら握手をして
「また会いましょう。楽しみにしているよ。」
と言葉では言うものの次第に遠ざかっていく、いつしか
会わなくなっていく、という展開もよくある。
手を振り続けながら関係を終える手法である。
この時の相手の本音は
「もう会いたくないね。」
というものである。
世の中は子供のようにストレートに意思を表現しない
場合が少なくない。
これを理解できない人は気が付いたら周囲に誰もいなく
なっていく。
「私だったらこの場面ではこうしますよ。」
と言った場合は言外の言は
「こうして欲しい。」
という本音である。
これが理解されなければいつしか相手はいなくなっている。
今の世の中でも昔の時代もそのような感覚が世の中には
存在している。
従って近年に日本人の間で流行したエビデンスはあるのか、
ソースはどこなのか、という事に固執していると物事や世の中
を見失いかねないという事である。
NHKや朝日新聞、読売新聞やテレビが報じない限り
事実ではないという思考回路からいつ日本人が抜け出せる
のかが大切である。
何が本質のなのか、
何が真実なのか、
を感じ取る感性が時として大きな鍵穴を発見する事に
繋がるものと最近つとに感じている。
真実や秘事は記録や文献には残されない。
これが世の中の本質である。
去年11月の参議院文部科学委員会で、維新の中条きよし議員が、12月のディナーショーのCMをした事を議事録から削除しようとする動きが、有った様ですが、「議長は、議院の品位を傷付ける発言等を取り消せる」という〝国会法“の規定が有り、議事録から削除された例が少なくないとの事です。
安倍政権が、新型コロナ「専門家会議」の議事録を残さないと明言し、1〜3回目迄の議事録が、残されていません。
公文書管理担当の北村誠吾地方創生相は、議事録を作成しない理由について「構成員の専門家に自由かつ率直にご議論をいただく為」と説明しましたが、腑に落ちない事を堂々と言える感覚に危うさを感じました。
我々庶民は、彼等にとっては、実験用鼠にすぎないのでしょう。
ただの風邪に対して、厳しい言論弾圧と情報統制という軍事体制を敷いた中で、議事録を残したと言っても信用出来ません。
戦時中の満州利権の暴利を貪った子孫達(犯罪者集団)に国家権力が掌握されている今の時代を生きるには、鋭い感性が、必要不可欠だと思います。
やっぱり、エビデンスは大事だと思いますよ。でないと、『180度手のひらを返したみたい』という言葉がブーメランしてきますよ。