木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

短編小説「吐息」でも書いてみましょうか

2024-07-13 01:18:08 | 随想
数日前の夜、大阪環状線に乗り
帰宅していました。
ある停車駅から横向きの座席に私の隣に
年輩男性が2人座りました。

が・・・。

私の隣に座った年輩男性の吐く息
が呼吸困難になる程に異臭を放ちます。
何とも表現に困るカビ臭い異臭です。

うっ・・・。

私の隣に座った年輩男性は真正面を向いたまま
その男性の左隣に座ったお連れの年輩男性と
会話しているのですが、吐く息というのは意外と
広範囲に流れてくるものですね。
このままでは私の肺の中にカビが生えてしまいかね
ないと耐え切れなくなった私は生存本能に従って
座席から立ち上がりました。

次の瞬間、たまたま私の前に吊り輪を握って
立っていた年輩男性が
「あ、ご親切にありがとう。」
と満面の笑みを浮かべて私が立ち上がり空いた
席に座りました。
優先座席ではない普通の座席ですが私が親切に
年輩男性に席を譲ったようにしか見えなかった
のでしょう。

生存本能に従って耐え切れず座席を立ち上がった
瞬間の私の顔が走行する電車の車窓に不愉快そうな
表情で映し出されたかと思った次の刹那、
「あ、ご親切にありがとう。」
と言われた私は一瞬だけ理解に苦しんだ後、
営業スマイルに切り替わり
「あ、どういたしまして。」
と言っていました。
電車が揺れる音が小刻みに響きます。
果たして私は年輩の男性に親切に座席を譲った
善良な人となるのだろうか。
私が立ち上がり空いた席に座った年輩男性は
目を閉じて電車に揺られています。

大阪環状線は幾つか駅で停車して、やがて私は
目的駅で帰路につくべく下車していきました。

事実と真実・・・。
世の中には時としてこのような光景があります。
私が立ち上がり空いた席に年輩男性が座った
という事実。
それを見た多数の乗客はこの光景を親切だと
認識した事でしょう。
しかし真実は・・・。

芥川龍之介ならこの光景をどのような短編小説
として描くだろうか、とふと考えました。
「吐息」
という短編小説にでもなりますかね。
男性客の吐息が1人の男性乗客の行動を変えた。
その行動が多数の乗客の目にいかなる姿として
映ったか。

実は今、カフェに座ってスマホから入力して
いる私の真横に座った年輩夫婦の男性の吐く息
が数日前の帰路の電車の座席での生存本能を
想起させるもので、この投稿となりました。
男性は前を向いて左隣に座っている妻と話を
しているのですが、カビ臭い異臭が横に流れて
きます。

このままでは私の肺の中にカビが生えてしまう。

生存本能に耐え切れなくなり荷物を持って
カフェの席を立ち上がると座席待ちをしていた
女性が近づいてきて
「あ、ありがとうございます。」
と私に頭を下げて私が立ち上がって空いたばかりの
カフェの席に安堵の表情を浮かべて座りました。
果たして私は親切に席を譲ったのであろうか。
感謝する女性。

吐息。
隣に座った年輩男性の吐く息が私という1人の
人間の行動を変えてしまいます。

ちなみにこの場面で現実に形となって表れた会話は
「あ、ご親切にありがとう。」
「あ、どういたしまして。」

「あ、ありがとうございます。」

だけですね。
心の中の葛藤や心の中のつぶやきは乗客や
カフェの客には誰一人として分からないわけで。
まあ、これを描写するのが小説ですかね。

人により真実が違うという事例です。
電車内での光景も立ち位置により認識が違います。

席を立った私  →  耐え切れなくなったから
新たに座った年輩男性  →  私が親切に席を譲った

カフェにては、

席を立った私  →  耐え切れなくなったから
座席待ちしていた女性  →  私が親切に席を譲った

このように同じ場面に際しても立ち位置により
真実は変わっていきますね。
芥川龍之介ならどのような短編小説に仕立て上げたでしょうか。

コメント
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