季節外れの今では白山吹の花は見ることも出来ないが、黄色の山吹と花の姿は瓜二つで、清楚そのものだ。花が散った後に、光沢のある実が生り、茶色がだいぶ濃くなっていた。黄花の山吹は実を結ばぬが、白山吹の茶色の実はやがて漆黒の実に変わり、冬になれば寒風に晒されて小枝に残り、存在感を増すことであろう。
嘗て、太田道灌が狩に出掛けて雨に遭遇した。
折しも一軒の小さな民家を見つけて、雨具・蓑の借用を所望した。その家の年端もゆかぬ小女が、目を伏せ黙したまま山吹の一枝をさし出した。少女のさし出した花の意味が理解できなかった道灌は、「花を求めに来たのではない」と怒って、雨に濡れて帰ったという。
その夜、道灌がこのことを語ると近臣の一人が、後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれた歌を誦し、「その娘は蓑一つなき貧しさを、山吹に例えたのではないでしょうか」と付け加えたという。
己の不明を恥じた道灌は、この日を境に歌道に精進したと言い伝えられている。
七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞ哀しき
当時の雨具としては、蓑は農作業の必需品であった。藁を編んだ蓑一つすら無い清貧の生活のなかで、年端もゆかぬ少女が、殿様の咄嗟の蓑の所望に、山吹の花一枝をさし出した機転の物語は、信じ難い程の伝説である。が、貧しい暮らしの中にあっても、当時は「古歌を学ぶたしなみ」があったことの、誠にゆかしい言い伝えだ。翻って、虚庵居士も若い頃から清貧の暮らしであるが、我が子達にこの様な床しい教育環境を整えていたかと、今更ながら恥じ入り、悔やまれる。
緑葉の中に小粒の光るもの
白山吹の実にこそありけり
時経なばやがて輝き漆黒の
命を抱かむ白山吹の実は
白妙の清楚な花の思ひをば
輝く小粒の実に託すとは
山吹の黄花の思ひは如何ならむ
託す実もなく散りにけらしも
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