「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「鬼百合」

2013-07-26 00:15:43 | 和歌

 「鬼百合」が彼方此方で咲きだした。

 橙色の花弁には黒い斑点が入り、強く反り返って咲く姿はまさに天真爛漫だ。
スポーツで日焼けした顔は、ニキビとそばかすが一杯だが、そんなことは意に介さず「ケラケラと笑い転げる十代の女の子」のイメージだ。

 「今どき、そんな天真爛漫な女の子はいませんよ」との声が聞こえそうだが、虚庵 居士のイメージだからご勘弁願いたい。昨今の少女は、小学生の低学年からスマートホンなどネットの交流に熱心で、「日焼け予防クリームを持参するのは、中学生の常識よ」とのお叱りを受けそうだ。

 「鬼百合」の球根(鱗茎)は、ユリネ(百合根)として食用になることをご存知の方は、意外に少ないようだ。鱗茎の癖が無い淡白な味わいは、日本料理でも貴重な食材で、茶碗蒸し等に打って付けだ。虚庵居士の子供の頃には母が様々に料理したので、よく食べたものだった。

 「鬼百合」の栽培では、繁殖は球根の株分けが一般的だが、葉のつけ根に付くムカゴからも発芽するので、繁殖できる。野原や空き地などに自生する「鬼百合」は、もっぱら後者によるものだ。自然の世界では子孫を残す類い稀な知恵を、それぞれ身に付けていることに感服させられる。

 そんな思いで改めて「鬼百合」を観れば、誠に逞しく、陰ながら応援したくなるような咲きっぷりではないか。

 


           遊歩道の植え込みに咲く鬼百合は

           誰が植えにしや 自生ならむか


           人の手の加護も無からむ鬼百合の

           天心無垢に咲くぞ愛しき


           そばかすもニキビの頬も気にとめず

           笑い転げる少女を思ほゆ


           葉のつけ根の黒き零余子(むかご)に思い託し

           せめて一つは芽吹けと祈るや


           鬼百合の母の思ひをひたすらに

           零余子は花を咲かせたるかな