「うつろ庵」の植木鉢に「関東嫁菜」が咲いて、寂しげに揺れていた。
「ヴェルニ-公園のバラ苑」シリーズには相応しくない話題なので、「関東嫁菜」に代わって貰った。
米国に嫁いでいる娘から、一昨日の深夜に電話があって、舅が逝去したと伝えてきた。舅は糖尿病
疾患にて視力を失い、完全看護付きマンションで余生を送って来たが、座椅子でシャワーを浴びさせて頂くうちに、眠るように最期を迎えたとの知らせであった。享年97歳だという。
信心深い真摯な生活を積重ねた舅だったので、まさに天国に召されたのであろうと、娘婿のJeffとも涙ながら電話で話した。婿殿を慰めるまでもなく、父親の最後は苦しみもなく平安で最高の最期であったと告げる、彼であった。
明け方までの慌ただしいやり取りの中で、人生の最期の在りようを深く考えさせられた。
娘の姑は93歳。呼吸器系疾患にて入院中で、酸素吸入のチューブにつながれているので、ご夫妻はこの10年ほどは已むなく別居し、月一回程度、顔を合わせる生活が続けられて来た。終の棲みかでの彼の心を忖度すれば、数多の心の葛藤もあったに違いあるまい。そのような全てを呑み込んで平安の日々を送られ、最期をお迎えになった彼には、深甚なる敬意を捧げたい。
シニア(死near)の身としては、平安に旅立ちたいものと念じているが、粗忽な振る舞いを重ねる虚庵居士では及ぶべくもないことだ。慎ましい生活の中にも、改めて真摯な修行の第一歩を踏み出さねばと、胸に刻んだ次第だ。
向こうの葬儀のしきたりの詳細は不明だが、「親族一人ひとりが故人へ言葉をかけてお別れする」との説明であった。娘の両親として、お別れの言葉を送ろうかとも考えたが、それよりは婿殿へ、心をこめたお悔やみのレターを送るのが相応しかろうと、深夜に
メールを発信した。
娘は結婚に先だって、かなり緊密に先方の両親との交流を重ねていたが、お宅を訪ねた際の舅殿の
言葉が耳に残っている。「彼女は我が家のダイヤモンドです・・・」と。新しい家族を受け容れてくれる彼の温かな思いに、今でも感謝している。
「孫の夏休み」には是非に来てねとの要請で、夙に渡米する予定であったので、病院に姑をお見舞いし、お墓参りをしてくるつもりである。
娘からの深夜の国際電話では
舅の訃報をなみだながらに
とつ国の舅はわが娘を受け容れて
彼女は我が家のダイヤモンドです
見えなくも 嫁の手をとり孫を抱く
彼は逝きにしシャワーを浴びつつ
佳きものを孫に伝えて逝きしかも
孫の手書きのカードをかざして
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