「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「梅花空木・ばいかうつぎ」

2010-06-16 13:46:35 | 和歌

 梅雨入り直前の晴れ間に、うつろ庵の「梅花空木」の花をカメラに収めた。

 虚庵夫人が友人宅の小枝を頂いて、挿し木にしてから何年を経たであろうか。彼女は、徒長気味の若枝を大胆に剪定したにも拘わらず、見事な花を咲かせて呉れた。挿し木を慈しんで育ててきた者にとっては、若枝を大胆に切り詰めるのは、身を切る思いに違いあるまいが、時には「バッサリ」と剪定しても、結果的にそれがことごとく「吉」なのには愕かされる。彼女には植木の心が理解できるのであろうか?

 自ら挿し木した植木との毎日のご対面では、ときどき人間に話しかけるかのような口ぶりで、ひと言ふた言、声を掛けているのを見かけるが、そのような「お付き合い」を重ねると、彼・彼女らの思いが手に取るように理解できるのかもしれない。

 話は変わるが、50・60名、或いは更に200名を超える大勢の皆さんに向けて講演する時など、聴衆の皆さんがどの様に話を受け止めて下さっているのかが、大いに気懸りだ。しかしながらよく観察すると、講演を聞いて下さっている皆さんは、それぞれに様々な反応をしているのに気付かされる。判りやすいお話には口元に笑みが現れ、思いを共有した時にはごく僅かだが、頭が揺れて「頷き」のサインを示して呉れる。

 ごく拙い経験ではあるが、更には目と目のコンタクトなどが重なると、目の僅かな表情の変化などから、理解の程度などかなり読み取れる。そのような僅かな変化に応じた講演が続けられれば、「丁々発止」とまではいかないまでも、無言の聴衆と講師とのかなりな意思の疎通が可能になる。
双方向のコミュニケーションがとれた講演では、質疑応答や聴衆の皆さんとの活発な意見交換もできて、皆さんから 「ありがとう」 とのご挨拶を頂戴する。

 植木との毎日の会話を重ねている虚庵夫人は、想像だが多分同じような手応えを得ているに違いあるまい。





            挿し木して初めて咲くかも梅花空木の

            香を聞かむとて妹(いも)は抱きぬ


            朝な夕な聲かけ来れば梅花空木は

            妹に応えて咲きにけるかも


            八重ならず一重ぞよけれ梅花空木は

            花白妙に匂い立つかな


            白妙の梅花空木の花咲きて

            梅雨来にけらし無垢を保てと