地図を楽しむ

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谷中・根津界隈散歩

2011-04-08 | 日記
谷中・根津界隈ウオーキング

仲間数人と上野公園界隈を歩き回ってきました。約18Km?

ルートは下の図です。


なお、上の地図はサムネイル方式で掲載しましたので、詳細は地図ををダブルクリックして、大きくして見みてください。元に戻すには、左上の矢印をクリックしてください。

集合予定より少し早く着いたので、先に寛永寺輪王殿にお参りしました。

9時前で人気もなく、ひっそりと静かな園内を味わうことが出来ました。
丁度、桜も綺麗に咲いていました。


その途中の国立科学博物館横に、ペンシル様の「ラムダ4S型ロケット5号機」と同形のものが展示されていました。高さ16.5m、世界最小のロケットです。



1970年に打ち上げられ、33年間飛び続けて、2003年地球にたどり着いたそうです。
勿論、人工衛星は消滅して、現存しませんが・・・。
それにしても、敗戦国日本が、戦後25年で、ソ連、アメリカ、フランスに続いて4番目に人工衛星打ち上げに成功したとは・・・

さて、その後、仲間たちと一緒に、ウオーキングしました。

先ず、正岡子規記念の野球場を覗いて、東照宮へ。

ところで、文学青年の子規が野球をやってたとは・・・。病に倒れていなければ、活動的な彼は素晴らしい業績を残したことでしょうに。

桜満開の東照宮にお参りしました。ぼたん苑開園はもう少し後のようでした。
家康侯は自分の魂が静かに眠れるようにと祈願して作らせたそうですが、今は
石灯篭、青銅製の灯篭ばかりが沢山並んでいました。

本来、上野公園は元・寛永寺の境内で、最盛期には更に今の公園の2倍の寺領を持っていたそうです。広大な寺領ですね。
それが、維新時の上野戦争で殆どの堂宇は消滅し、更に第二次大戦時の空襲で消失、今は殆どそれら建物は残っていないそうです。

そこから、不忍池のほとりを巡り、弁天堂にお参りしました。
桜の季節だけに、平日ですが結構な人出で、屋台店もズラリ沿道をにぎやかしていました。

そして、東大構内に入りました。
廃屋のようなレンガ造りの建物が沢山あります。もっと上手く活用できないものかな~。

そこから、竹下夢二美術館に寄りました。
入館料900円で、中に入らず、入り口のコーヒー店で一休みしました。
夢二の絵のモデルにふさわしい柳腰(?)の女性に、サービスしていただき、いい気分で休みました。

次は、根津神社(権現)です。
ここに来ると、どうしても文京学園の島田理事長が想い出されます。
毎年続けておられた記念品「首都圏地図」の表紙に、この社の版画絵を使っておられました。
その版画そっくりな門を潜ってお参りしました。
随分と豪壮な構えのお寺です。

その裏門を出て、くねくね露地を歩いて、大名時計記念館に行きました。
こんな記念館があるのかと驚きました。案内してくれて感謝!


特に注目させられたのが、重箱様の線香立てのようなものの灰の上に、太い線香を寝かせて這わせ、それに火をつけて、その消失する進行で時間を計る時計です。
丁度、線香の燃え尽きるまで座禅をするシステムと同じ理屈です。

色々な時計を見て、そこから「へび道」を通って谷中商店街へ向かいました。

この「へび道」は、延々と蛇行した珍しい通りでした。
もと藍染川の流れを暗渠にして出来た道だそうです。
それにしても、区画整理もしないで、よくぞ川の蛇行に沿って家を建てたものと、感心しました。
下の写真はそのごく一部です。


それを過ぎて、谷中商店街へ入りました。
だいぶ、腹がすいてきました。12時半過ぎです。もう、3時間半以上歩いています。
その商店街はずれの寿司屋さんで、ビールを飲みながらお刺身丼をいただきました。大変美味しい店でした。そのためかよくはやっていました。

そして、ゆるゆると本行寺、一名「月見寺」にお参り、一茶が月を愛でて一句造られた寺だとか。


 “青い田の露をさかなやひとり酒”  納得!


日暮里駅を左に見ながら、狭い路地を谷中霊園に登りました。
結構広い霊園です。

徳川慶喜侯の墓がありました。
よくぞ、天命を全うされたなあと、感心します。



ここに眠る徳川将軍は4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家冶、11代家斉、13代家定、15代慶喜だそうですが、ニ度の戦災で殆どが消滅しているそうです。

墓石も弾痕の跡や、戦火で黒くこげたところも見受けられるそうですが、なにも維新の際、故人の墓まで撃つこた~なかろうに!


仲間は慶喜の墓より、“明治の毒婦” といわれる高橋お伝(1850~1879)のほうに注目が集っていたようでした。

その説明板には
「最初の夫、浪之助が悪病にかかり身体の自由を失ったのでこれを毒殺し、他の男のもとに走り、その後、各地を放浪しながら悪事を重ねた。明治九年、浅草蔵前の旅館丸竹で、古着屋後藤吉蔵をだまして殺害、所持金二百両を持って逃走、京橋新富町で捕らえられ、同十二年、三十歳で死刑に処せられる」

疲れて、だらだら歩いていたら、私お目当ての「旧吉田屋酒店」に出ました。現在は区立の「下町風俗資料館」の一つになっています。


1986年(昭和61年)まで営業していたそうですが、現在は江戸商家の建築物として台東区が保存しています。

商いに使われた秤や徳利などが展示されていました。
私には珍しくはないですが、今の若い人には興味があるでしょうね。

そして、最後に上野寛永寺にお参りしました。


特に、篤姫の墓に参りたかったのですが、直接拝めるところまでは入れてくれなかったそうです。

そして、4時に鶯谷駅にたどり着きました。

9時から4時まで歩いたのですから7時間か~。
休憩時間を除いて5~6時間ぶらついたようです。18Km歩いたというのは真実のようです。

そして、例のごとく飲み屋に入りましたが、オープンは5時からとか、飲みながら正式にオープンするのを待ちました。

久し振りの散歩、これにて終了!
















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