藤沢周平の「小川の辺」を読んで
私の好きな藤沢周平さんの作品です。
タイトルは「海坂(うなさか)藩大全」の一節で、『小川の辺(ほとり)』です。
ところで、海坂藩というのは藤沢周平好みの架空の藩名だそうです。
江戸の頃の下級武士の活きざまをテーマにした舞台です。
大分以前に、この物語を、映画かテレビを見て、ずいぶん感動したことがあります。
下級武士の生活の様子がよく描かれています。
忘れがたい地図がらみの部分を引用すると、
「一刻半ほど前、その家から田鶴が出てきて、丸太橋を渡り、村の方に姿を消した。
田鶴は村の者と同じように質素な身なりをし、手に風呂敷包みを下げていた。
まだ戻ってこないところをみると、
田鶴は多分、ここから一里ほど南にある、新河岸と呼ばれる行徳の船場まで行ったものと思われる。
新河岸は、寛永九年(1632)に行徳船が公許になり、
日本橋小網町から小名木川を通って新河岸に達する、水路三里八丁の船便が開かれると、
安房、常陸に旅する者の駅路として、急に賑やかになった。
商いの店がふえ、旅籠、茶屋が軒を並べ、・・・」
そして、巻末に
「『俺はひと足先に帰る。お前たちは、ゆっくり後のことを相談しろ。
国へ帰るなり、江戸にとどまるなり、どちらでもよいぞ』
お前たちと云った言葉を、少しも不自然に感じなかった。・・・
橋を渡るとき振り返ると、
立ち上がった田鶴が新蔵に肩を抱かれて、隠れ家の方に歩いて行くところだった。
橋の下で豊かな川水が軽やかな音を立てていた。」
落としどころを工夫した、憎らしい作品です。