地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

神楽坂界隈を散歩

2014-05-30 | 散策

神楽坂界隈を散歩

 

今日は、かの有名な神楽坂あたりを逍遥しました。

市ヶ谷駅までは都営地下鉄で、そこから四ツ谷駅までの散歩です

歩いたコースは地図の赤線で、約5Km。

 

先ず、飯田橋駅までは、中央線沿いに外堀公園を歩きました。
今年の春、桜見物に歩いたコースです。

    

今は、緑一色で何も花はないですが、ゆったりとした、静かな、いい散歩道でした。

すぐ横を、電車が走っていました。
通勤にずいぶんお世話になった線です。

 

飯田橋駅から、神楽坂の商店街を登りました。

    
今日、通ったのは、坂下から坂上までの表通りの一部で、
本当の神楽坂らしい芸者街などは、路地を入ってからのようです。

坂の名前の由来は、『若宮八幡の神楽の音がこの坂まで聞こえてきたから』 と云われています。
若宮八幡宮は、今日のコースからは少し離れていたのでパス。

通りのど真ん中に鎮座しておられた毘沙門天様だけお参りしました。

  

また、この辺りには、区画整理前の地名がたくさん残っていて、歩いていても楽しいです。

しかし、実際には名前だけで、それらしいお店は全く見受けられませんでした。

先ずは、箪笥町です。
『タンス』を扱っているお店が一軒でも残っていないかと見て回りましたが、ごく普通の眺めでした。

もっとも、あとでわかったのですが、箪笥町の「箪笥」は、“家具” ではなく、“武器” の事だそうです。
この辺りには、具足奉行や弓矢槍奉行の屋敷があったとか。

その他に、山伏町、二十騎町、細工町、矢来町・・・

「あなたの住所は?」 と聞かれて答えにくい地名ですね。

 

そうした、いわれのある街を、何の変哲もなく過ぎて、防衛省の厳めしい建物の前から四谷駅に抜けました。

今日も、飲まず食わずで家路に急ぎました。

最近、家でゆっくり飲むのが一番いいです。


日本百名山 45、白馬岳(2933m)

2014-05-29 | 日本百名山

日本百名山 45、白馬岳(2933m)

「・・・白馬岳は、槍ヶ岳と共に北アルプスで最も賑わう山である。・・・

私はこの山を東西の横から眺めるよりも、南北の縦から望んだ姿が好きである。
縦から望んだ白馬岳は、横から見たのと、別人の観がある。
東側が鋭く切れ落ち、キッと頭を持ち上げたさまは、怒れる獅子といった感じをいつも私は受ける。
颯爽たる姿である。」

下は、南側の唐松岳から見た白馬岳のカシバードです。


設定: カメラ:STD、レンズ:35mm、風景:初秋の新雪、高さ強調1.5倍。

画面中央が白馬岳、それから右へ、小蓮華岳、乗鞍岳と続いています。


「・・・私は四季を通じて白馬に登った。

積雪期には栂池(つがいけ)の方から登り、頂上で腹匍になって東面岸壁の氷雪の殿堂を覗いた。
新緑の候にはまだ残雪多量の大雪渓を登りながら、両側の尾根のダケカンバのようやく芽ぐんで来た美しい色彩を眺めた。
紅葉を観に行った秋には、小雨に降られて、ただ一人頂上で濛々たる霧に巻かれるに任せた。・・・


スキー大衆といえども、白馬、杓子、鑓の、いわゆる白馬三山が白銀に輝いているのを仰いでは、
その気高い美しさに打たれずにはおられないだろう。」

(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用) 
 

この文章を読んで、積雪期の登山路を探ってみることにしました。

  

筆者は、この行程・往復約11kmを一日で走破したようです。

「当時の元気のよかったことが察せられる。」と、本人も語っています。

 



新宿区の箱根山界隈を散歩

2014-05-25 | 散策

新宿区の箱根山界隈を散歩

新宿区に箱根山があるのを御存知ですか。
私、学生時代から知っていましたが 、登るのは今回が初めてです。

なお、ついでに申しあげますと、大久保駅界隈も穴八幡へのお詣りも始めてです。

散歩コースは次の地図の赤線です。距離約 5 KM

 

  

順序を踏んで解説すると、

先ず、大久保駅界隈です。

駅周辺は若い人で一杯でした。それも、女の子ばかりです。
路地も、大久保通りも韓国や中国料理店で一杯です。
勿論、看板もアチラもの(?)、街に流れているアナウンスまで韓国語らしい。

ここら辺りは、韓国や中国の街なかを歩いている感じです。
午前11時でこうですかあら、夜になったら日本の街そっちのけでしょう。 

歳をとった私には馴染めない街でした。
早々に立ち去り、箱根山に行きました。
登るのは始めてです。

団地街を歩いていると、ゆったりした森に入りました。
どこに箱根山があるのやら、樹が繁っていて解りません。それくらい緑多い公園です。

  

そして、やっとたどり着いたのが、次のような階段の上にある頂上です。
展望は、近くのビルの屋上の方が開けているでしょう。 

    

案内板には、箱根山の標高が44.6mとあり、その他いろいろ注意書きがありました。(省略)

下は園内の掲示案内図です。



周囲の環境は、大変よく、新宿の都心にいる感じがしません。
いい環境の中の団地です。

ただ、余計な事を云うようですが、もうちょっと整理整頓ができていると、いいのですが・・・。

そこから、高齢者たちがゲートボール競技を楽しんでいる運動場横を、だらだら下り、
穴八幡にお詣りしました。

  

こんな立派なお宮でしたかね。
前を通ったことは何回かありましたが、失礼しました。

近くにあった由緒を引用すると

「康平五年(1062)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、
日本武尊命の先蹤にならい、この地に兜と太刀を納めて氏神
八幡宮を勧請し、・・・

平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計図絵を基に御本殿御社殿の造営・・・」
などなどとありました。

最近、建替えたのですね。

さて、そこから懐かしい大隈講堂などを見て回りました。

   

大隈講堂以外は、ずいぶんと変わりましたね。

そして、グランド坂上を通って高田馬場駅まで歩きました。
本屋さんは、あまり変わっていませんでしたが・・・。 

 

以上の文のコピーを、昔習った(高校)国語の先生に送ってみます。
先生は文学部出身でした。

御健在を祈る! 

(後日談: 返事がきました。93才で健在でした。お互い元気で長生きしましょう!)

 

 

 


 


東郷神社へお参りしました

2014-05-20 | 散策

東郷神社へお参りしました

ここも、以前ジョギング仲間と来たことがあります。

大変整理整頓がよく行き届いていて、近くの乃木邸と比べ異様に感じたことがあります。

邸内には立派な幼稚園や記念館もありました。

   


散歩がてらお参りしました。

人はほとんど見掛けませんでした。
すぐ隣の、若い人の群がる竹下通りとは対照的です。

頂いたパンフレットによると、

「御祭神の東郷平八郎命は、弘化4年(1847)…薩摩藩士東郷吉左衛門の4男として鹿児島市・・・で誕生、
昭和9年(1934)・・・88才で…薨去されました。・・・

日露戦争(1904~1905)では連合艦隊司令長官として三笠艦上に

『皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ』

とのZ旗を掲げ、
露国のバルチック艦隊を日本海において撃滅して
世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げられました。

この大勝は、わが国を国難から救っただけではなく、
当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、
大きな喜びと希望を与えました。・・・」 

確かに、日本人の崇敬する軍神でしょう。

神社は見事に掃き清められていて、足を入れにくいぐらいでした。

  


さて、話が前後しますが
今日、歩いたコースは下の赤線で、距離は約10Kmです。

 

 

先に、代々木公園を散策しました。

参宮橋門から入りました。

入口には、大きなユリの木がうす黄色い花をつけていました。

 

そのすぐ横には、ヤマボウシが花の名前通りのキャップを載せて咲いていました。

   


その他に、

(スダジイ)

イタジイともいうそうです。
照葉樹林の代表樹種で、樹皮には縦状の割れ目が出来るそうです。 

 (ゴンズイ) 

別名、ヤクタタズとか。 不名誉な名前を頂いていますが、赤い実が素晴らしくいいですが・・・。

 (ギンヨウアカシヤ)

(カヤ)

葉の先が固く、針のようにとがっています。
カツラの樹と共に、碁盤に重宝されています。 


 


 




 





神宮外苑へ 『ナンジャモンジャ』 の樹を観に行く

2014-05-17 | 散策

神宮外苑へ 『ナンジャモンジャ』 の樹を観に行く


天気もいいし、久し振りに神宮外苑へ「ナンジャモンジャ」の木を観に行きました。

この名前が好きです。
よく見ておかなければ、あちらへ逝けません。

ついでにといっては、他様に失礼ですが、東京は見る所がいっぱいあります。
その一部を記してみました。

今日のコースは地図の赤線です。約 12Kmくらいです。 


先ずは、神宮内苑へ西参道口から入りました。
宝物殿の前を のんびり徘徊しました。人も少なく、広々として気持ちがいい。

 (宝物殿前の広場です)

そして、すぐに代々木駅近くの北参道口から出ました。
 


まず、国立能楽堂に寄りました。

  

建物の中には入れませんが、立派な構えです。

公演中のポスターが貼られていましたので、2,3拾ってみますと、

6月の部に
 狂言 「仏師」、「右近左近」(おこさこ)・・・
 能 「皇帝」、「殺生石」 ・・・

7月の部には
 狂言 「水掛聟」、「磁石」・・・
 能 「芭蕉」、「龍田」・・・などなど

多分、内容をよく知らないと、観てもチンプンカンプンでしょう。
しかし、日本の文化ですから、味わえるようにはなっておきたいものですね。
生きてるうちに・・・


さてその次に訪れたのは、鳩の森八幡宮です。
以前、ジョギングの連中と走ってきたことがあります。 

   

ここには、富士山へ簡単にお参れできる簡略コースがあります。
他には、大橋JCTの前の氷川神社にもありましたが。

ここは、本格的に富士山の溶岩を移して作ったそうです。
高齢者向きの富士登山ですね。 

 

さてお次は、瑞円寺です。


ここでは、ちょっと考えさせられました。

と申しますのは、お寺の入口にある無縁仏の数です。

     (まるいのはお寺さんの墓石です)

「〇〇家之墓」 という墓標が沢山、うずたかく、びっしり並べられていました。
中には、比較的新しい、戦後のものも見かけました。 

古くから続いているお寺さんのようですから、仕方ないと思いますが、
それにしても、人の一生は はかないものですね。
こうして忘れ去られてしまうのです。

墓地の永代使用権が百年と云うのも頷けます。

墓地には、次のような 『お知らせ』が掲示してありました。

「この度、諸般の情勢により当墓地内の無縁と思われる墓石を合祀せざるを得ません。
墓地埋葬法第三条の規定により
平成10年10月14日、15日、16日の日刊紙に法定公示広告を致しますが
縁故者と思われる方が御座いましたら至急 左記迄ご連絡ください。

    平成10年・・・」

 

早足でそこを去り、神宮外苑に向かいました。

国立競技場です。
1965年のオリンピック再現を願う 幔幕が大きく垂れ下がっていました。

  

この7月から工事にかかり、新しい競技場が出来るようですね。

 

そこから、いよいよ今日のメインエベントである 『ナンジャモンジャ』 の樹を観に行きました。
絵画館のすぐ隣です。

  

説明板には
「ひとつばたご(ナンジャモンジャ)  
この木は、・・・昔からこの地内にあった名木です。
五月初めの頃、白い清楚な花が咲き、満開時は雪を被ったように見えます。・・・」

とありましたが、写真のように、今は枯れる寸前のようです。

昔、名前が解らず
“ 「何の木じゃ?」 といわれているうちに
『なんじゃもんじゃ?』 という名前になってしまったとか。” 


そうして、何時ものように外苑のビヤホールに登りました。

いつも相手をしてくださる双子らしい姉妹に面倒を見てもらいながら、

生ビールとポテトフライ(ケチャップ付)を美味しく頂きました。
すぐ横には、大きなユリノキがうす黄色い花を咲かせていました。

いい気分になり、例の銀杏どおりを逍遥しながら、青山通りから原宿を通り、代々木公園に入りました。

園内のバラ園は、盛んに花を咲かせていました。

    

よく歩きました。

 

 

 

 

 



 


生籐山・三国山ハイキング

2014-05-15 | ハイキング 里山歩き

生籐山・三国山ハイキング

 

ブログ三日ほど休みました。
そのわけは、パソコンの故障です。全く入力できないのです。(涙)

ワードもエクセルも文字入力ができないのです。
検索もメールもダメでした。
メールは受け取ることはできるのですが、返信できませんでした。 
僅かに、パンダネットや過去のブログを読取るだけです。(涙、涙・・・)

 

困った困った。パソコンの有難味が、痛いほどよく解りました。
我流であちこち、いじくってみましたが、ダメでした。

とうとう、いつものリモート・サポートセンターへ電話して助けを乞いました。

ところが、最近利用者が多いらしく、対応は翌日の午後でした。
でも、待つしか方法はない。 

いろいろ操作していただいた結果、多分キーボードの電池切れではということになり、
近くへ買いに走りました 。

なんということは無い、単なる電池切れでした。 やれやれです!!

電池の有効期限は 来年のはずでしたが、あまりにも利用頻度が多く、早く種切れになったようです。

暫くは、パソコンをいじらずに過ごしました。年寄りには有難い器械(おもちゃ)で~す。 

 

さて、気を取り直して、標記のハイキングをごく簡単に記録します。


歩いたコースは、次の地図の赤線です。

  

そのうち、私だけは頂上の生藤山(しょうとうさん)には登りませんでした。
ほんの往復3kmの距離ですが、一部に急坂があるそうで、「君子、危うきに近寄らず」です。

リーダーが、私の体を心配してくれたようです。

皆さんを待ってる間、私独り淋しく、富士山(下の写真)を眺めていました。

    

雲ひとつない、快晴の富士でした。

 

ところで、話が前後しましたが、ここに着くまでに、「甘草水」(かんぞうみず)という、日本武尊にちなんだ水場があります。

新編 相模国風土記稿によれば、

「・・・日本武尊、東夷征伐の時、三国峠に軍を憩い給うに、山上に水なく、諸軍勢、渇きにたえず、
爰に於て尊鉾を以て岩頭を穿ち給えば、清泉忽ち湧き出し、・・・ 」もうこの辺にしておきましょう。

その祠が下の写真です。

 では、また・・・。


哲学堂を散歩する

2014-05-08 | 散策

哲学堂を散歩する

 

バスで中野駅まで行き、そこからブロードウエイ商店街を抜けて、哲学堂へ歩きました。

若いころ友人に誘われて、一度来たことがあります。

今回の歩いた距離は約6.5Kmです。

ここは東洋大学の創設者・井上円了さんが造られた道場で、今は区立の公園になっています。

園内にはあちこちに哲学者の考えそうないわれある名前の坂や橋などが点在していました。

77か所あるそうです。

下のような 『七十七場名称案内』 板が掲示してあり、その場所に簡単な説明が載っていました。

  

 

入口からして、学者の好みそうな、閑静なたたずまいで、

私のようなガサツな野人の訪れる所ではなさそうでした。

園内には、老人たちが、一人静かに座っていました。沈思黙考ですか?

写真を2,3載せてみましょう。

(入口です)   

 

さて、立ち上がりに哲学堂を載せましたが、最初に訪れたのは新井薬師さんです。

私は学生の頃 、西武線を利用していたので、毎日のように名前を聞いていて馴染深いのですが、
お詣りするのは初めてです。

  

結構広い佇まいでした。きれいに掃き清められていました。

大体に、どこの神社やお寺さんにお詣りしても、お庭など園内はきれいです。トイレも清潔です。

いい事です。日本はいい国です。

川沿いに歩きましたが、どこもきれいで~す。




 


日本百名山 44、筑波山(876m)

2014-05-05 | 日本百名山

日本百名山 44、筑波山(876m)


「筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満の人があるかもしれない。・・・」

標高わずか876m。百名山の中で千メートルにも達しない山はここと鹿児島の開聞岳(924m)だけです。

この山を選んだのは、その歴史の古いことにあるそうです。

「昔、御祖(みおや)の神が所々の神の許を廻った際、日が暮れて富士山へ着いた。

宿を求めると、富士の神は物忌(ものいみ)のゆえをもって断った。
御祖の神は大変怒って
『今後はお前のいる山は夏を問わず雪や霜に閉じ込めてやるぞ』 と言い残して
東の方に行くと筑波山があった。

そこの神はあたたかく迎え、食事の用意をして歓待した。
御祖の神の喜びはこの上なく、
『そなたのいる山は日月と共に幸あれ。
今後人々が集い登り、飲食の物も豊かに捧げるであろう。・・・』 とことほいだ。・・・

わが国では宗教登山が最初のように言われるが、
筑波山のような大衆の有楽登山も早くから行われていたのである。」

という訳だそうです。

私は、関東平野に悠然とあるこの山の姿にその理由があるように思えますが・・・。

  (東北線の小山駅と間々田駅の間の車窓より)
設定: カメラ:PRO、レンズ:28mm、風景:浅春の山々、高さ強調1.5倍。

スモッグで汚れた東京で、時々見えるのは、この筑波山と富士山くらいなものです。

私も二度登りました。

一度は、彼女の車でケーブル下まで行き、楽々と頂上の男山と女山を徘徊したことがあります。 
往復2Kmぐらいか?

男山の頂上は、岩がごつごつして以外と登り難かったように記憶しています。 
 

もう一度は、サイクリングで行きました。頂上へは登らず、ケーブル下の宿屋で泊りました。

初日は、取手駅から走り、次の日は霞ケ浦駅まで、関東鉄道線路跡の自転車専用道路を走るのです。
向かい風に悩まされたのを覚えています。二日とも相当な距離でした。
なんたって、半プロ の東京サイクリング協会の連中と一緒ですから。

いい思い出の場所です。

 

 


お墓参りへ

2014-05-03 | ハイキング 里山歩き

お墓参りへ

 

ツツジの咲いてる頃、お墓参りをするのは、多分初めてか?

というのは、墓に植えてるツツジが花を咲かせているのを見るのは、初めてのような気がするからです。

 

「ごめんなさいね。きれいに周りを掃除するからね。許してください。

もう間もなくに、私も行くからね。」と、妻にお詫びしました。

伝わったかな~?

  

 

今日は、素晴らしくいい天気でした。

多分、お墓参りの途中、富士山の姿や、小田原あたりの相模湾が眺められると喜んでいきましたが、

富士山のあたりには雲が広がっており、相模湾はもやっていてはっきり見えませんでした。
蜜柑の時期には早いし、暑いだけの道のりでした。トボトボと・・・。

 

以前は、ジョギングで登っていましたが、今頃は歩きです。

歩いたルートは下の地図の赤線です。往復約8kmです。

   

 

出来れば、帰りに駅前のツツジのきれいな吾妻山に登ってみたいと思いましたが、その元気はもうなかったです。

 

家に帰ってから、我慢したビールを楽しみました。
先日送ってくれた、兄からの  “かわはぎ” の干物を肴に、グビグビと・・・。