谷中・根津界隈の散歩計画
近い内、運動を兼ねて、上野駅を中心に散歩してみようと計画しています。
しばらく、東日本大震災で、のんびり散歩などしておれる情況ではありませんでしたが、対策も長期戦の様子ですし、このままでは体もなまってきますので、ボツボツお金のかからないウオーキングを始めてみようと計画しました。
ルートは下の図の予定ですが、その場その場で変更します。
なお、上の地図はサムネイル方式で掲載しましたので、詳細は地図ををダブルクリックして、大きくして見てください。元に戻すには、左上の矢印をクリックしてください。
さて、①上野駅公園口から出発します。
先ず、②東照宮にお参りしましょう。
多分、上野公園には桜が咲き始めたばかりでしょうが・・・
今年は例年より一週間ばかり遅いようです。
上野東照宮は、家康侯が自分の魂が静かに眠れるようにと祈願して作らせたそうです。
なお、ここは桜より“ぼたん”が見もののようです。これも一寸早いかな?
次は、パンダで騒がれている上野動物園を横目に、③寛永寺へお参りしてみましょう。
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で、古くから皇族が住職を務めていました。
篤姫もここに眠っているそうです。
上野戦争で主な建物は消失し、現存するものは建て替えられたものだとか。
そこから言問通りへ出て、④旧吉田屋酒店をのぞいて見ましょう。
1986年(昭和61年)まで営業していたそうですが、現在は江戸商家の建築物として台東区が記念物として保存しています。
商いに使われた秤や徳利などが展示されているそうです。
そこから、谷中霊園に入ります。
徳川家の霊廟でもあり、上野戦争できづついたり、黒焦げあとの残る墓石もあるとか。
徳川慶喜の墓もここにあります。
そして、⑤本行寺へ出ます。
江戸時代から続く日蓮宗の寺で、お月見に良い寺として知られています。
小林一茶ゆかりの寺で、「月見寺」とも呼ばれています。
そこから⑥谷中銀座を覗いて見ましょう。
もし、腹が減ったらこの辺で昼食でも。“うどん”かな~?
そこから“よみせ通り”へ入ると、⑦大澤鼈甲の店があります。
注文によってメガネのふちを造ってくれるとか。高いだろ~なあ?
くねくね曲がりくねった“へび道”を抜けて、⑦根津神社(権現)にお参りしましょう。
文京学園の島田理事長が尊崇しておられ、毎年続けておられた記念品「首都圏地図」の表紙にこの社(やしろ)の版画絵を使っておられました。
後で⑪文京学園にも寄りますが、今では大学院(埼玉県富士見市)も備えた立派な総合大学になっているようです。
そして、白山上へ。
ここには江戸後期の砲術家⑧高島秋帆の墓があります。
そして、紫陽花で名高い⑨白山神社(権現)が鎮座しています。
「白山権現」はこの辺の地名の起源です。
また、近くの円乗寺には⑩八百屋お七の墓があります。
幼いお七(満16歳とか)の恋慕の余りの放火未遂による罪で死刑になったそうです。
“もったいない!”
そこから、東大裏の⑫菊坂を通って東大⑮赤門前の本郷通りへ出ます。
菊坂は、文字通り、むかし菊畑の広がっていた地帯だそうです。
現在でも菊の植木鉢が、あちこちにあるようですが・・・。
樋口一葉、宮沢賢治、石川啄木らも下宿していた通りです。
若し疲れていたら、この辺でお茶でも一杯の予定にしておきましょうかね~。
春日通を通り⑭湯島天満宮(天神)に向かいます。
梅は終わって、静かに庭園を散策し、女坂か男坂を通って不忍池に向かいましよう。
湖畔には、区立の⑮下町風俗史料館があります。
出来れば、ここでゆっくり江戸の情緒を味わいたいと思います。
何回か行っていますが、結構楽しめる史料館です。
この計画で、あちこちで沢山写真を撮り、パンフレットなど資料を集め、この記事を補筆したいと思っています。
また今度!
近い内、運動を兼ねて、上野駅を中心に散歩してみようと計画しています。
しばらく、東日本大震災で、のんびり散歩などしておれる情況ではありませんでしたが、対策も長期戦の様子ですし、このままでは体もなまってきますので、ボツボツお金のかからないウオーキングを始めてみようと計画しました。
ルートは下の図の予定ですが、その場その場で変更します。
なお、上の地図はサムネイル方式で掲載しましたので、詳細は地図ををダブルクリックして、大きくして見てください。元に戻すには、左上の矢印をクリックしてください。
さて、①上野駅公園口から出発します。
先ず、②東照宮にお参りしましょう。
多分、上野公園には桜が咲き始めたばかりでしょうが・・・
今年は例年より一週間ばかり遅いようです。
上野東照宮は、家康侯が自分の魂が静かに眠れるようにと祈願して作らせたそうです。
なお、ここは桜より“ぼたん”が見もののようです。これも一寸早いかな?
次は、パンダで騒がれている上野動物園を横目に、③寛永寺へお参りしてみましょう。
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で、古くから皇族が住職を務めていました。
篤姫もここに眠っているそうです。
上野戦争で主な建物は消失し、現存するものは建て替えられたものだとか。
そこから言問通りへ出て、④旧吉田屋酒店をのぞいて見ましょう。
1986年(昭和61年)まで営業していたそうですが、現在は江戸商家の建築物として台東区が記念物として保存しています。
商いに使われた秤や徳利などが展示されているそうです。
そこから、谷中霊園に入ります。
徳川家の霊廟でもあり、上野戦争できづついたり、黒焦げあとの残る墓石もあるとか。
徳川慶喜の墓もここにあります。
そして、⑤本行寺へ出ます。
江戸時代から続く日蓮宗の寺で、お月見に良い寺として知られています。
小林一茶ゆかりの寺で、「月見寺」とも呼ばれています。
そこから⑥谷中銀座を覗いて見ましょう。
もし、腹が減ったらこの辺で昼食でも。“うどん”かな~?
そこから“よみせ通り”へ入ると、⑦大澤鼈甲の店があります。
注文によってメガネのふちを造ってくれるとか。高いだろ~なあ?
くねくね曲がりくねった“へび道”を抜けて、⑦根津神社(権現)にお参りしましょう。
文京学園の島田理事長が尊崇しておられ、毎年続けておられた記念品「首都圏地図」の表紙にこの社(やしろ)の版画絵を使っておられました。
後で⑪文京学園にも寄りますが、今では大学院(埼玉県富士見市)も備えた立派な総合大学になっているようです。
そして、白山上へ。
ここには江戸後期の砲術家⑧高島秋帆の墓があります。
そして、紫陽花で名高い⑨白山神社(権現)が鎮座しています。
「白山権現」はこの辺の地名の起源です。
また、近くの円乗寺には⑩八百屋お七の墓があります。
幼いお七(満16歳とか)の恋慕の余りの放火未遂による罪で死刑になったそうです。
“もったいない!”
そこから、東大裏の⑫菊坂を通って東大⑮赤門前の本郷通りへ出ます。
菊坂は、文字通り、むかし菊畑の広がっていた地帯だそうです。
現在でも菊の植木鉢が、あちこちにあるようですが・・・。
樋口一葉、宮沢賢治、石川啄木らも下宿していた通りです。
若し疲れていたら、この辺でお茶でも一杯の予定にしておきましょうかね~。
春日通を通り⑭湯島天満宮(天神)に向かいます。
梅は終わって、静かに庭園を散策し、女坂か男坂を通って不忍池に向かいましよう。
湖畔には、区立の⑮下町風俗史料館があります。
出来れば、ここでゆっくり江戸の情緒を味わいたいと思います。
何回か行っていますが、結構楽しめる史料館です。
この計画で、あちこちで沢山写真を撮り、パンフレットなど資料を集め、この記事を補筆したいと思っています。
また今度!
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