地図を楽しむ

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東電の電力事情を覗いてみました

2011-03-24 | 日記
東京電力の電力事情を覗いてみました

東北地方太平洋沖地震と津波で電力事情が大きく変わりました。
いまや(3/14~)、1都8県では計画停電が行われています。

我々高齢者は戦時中と戦後暫く、同じような経験をしていますので、余り驚きませんが、そんな経験のない若い人たちは不自由でしょう。

そこで、一寸、東京の電力事情を覗いてみました。
下の地図は東電の主な供給拠点です。




背景に帝国書院発行の「新詳高等地図」を使わせていただきました。

東電の資料(2004年の資料)によると、管内での発電量は
火力:26箇所:2,630万kW (50%)
原子力:3箇所:1,730万kW (33%)
水力:160箇所:850万kW (16%)
その他:風力や地熱発電:0.5万kW 
計      5,210万kW

それが、現在は3,750万kWだそうです。

頼みの原子力発電が殆どだめになりました。

原発3箇所のうち、福島第一、第二発電が停止し、柏崎刈羽発電は中越沖地震以来5機のうち3機が休眠中です。稼動しているのは柏崎刈羽の2機のみ。

急遽、火力発電を手当てし、4,300万kWにまで増やし、4月末までに計画停電は解除するそうです。期待しています。

しかし、夏場の最需要期には6,000万kW必要とか。

そこで、「もったいない」精神を復活させて、乗り切りましょう。

余談ですが、東北電力の女川原発も震災後、停止しています。

また、中部電力や、関西電力からは周波数の違いから融通つかないそうですね。
国際化時代だけに、一寸不思議な気がします。

また、東電の発電所の分布図を作っていて、今回の地震が東京湾沖で起きていたらどうなるだろうと冷や汗ものです・・・。

多分、津波で海岸沿いにある火力発電所は大変な被害に会うことでしょう。
それこそ日本経済、世界経済は大混乱になるはずです。

松永安左エ門さん(元・電気事業再編成審議委員長)のような、「ネオ東京プラン」を再構築していただかないと・・・。







福島第一原子力発電所の情況に苦慮しています

2011-03-19 | 日記
福島第一原子力発電所の情況に苦慮しています

日に日に、情況が悪くなっているようです。
「止める」「冷やす」「閉じ込める」の原則が、暫時後退しているようです。

第一発電所の周囲の地図は下の通りです。


6ツある発電機の一つの建屋の大きさが原子力安全研究協会の資料でようやく解りました。

高さ61~68mです。普通のビルですと20階建てくらいでしょうか。
左右は45~48mです。銀座4丁目の和光のビルくらいです。

その建屋の中に、一つのフラスコ状の格納容器が鎮座し、さらにその中に原子炉が格納されているようです。三重に包囲されています。

第一原発の周囲の人は遠くへ避難されたようです。
半径20Km、30Kmというのを実感するために地図を作ってみました。




範囲と期間が心配です。

そして、この地域に住んでいた、牛、馬、豚、鶏などは、それに愛犬や猫たちは・・・?









日本の原子力発電所の分布図をみて

2011-03-15 | 日記
日本の原子力発電所の分布図をみて

日本にも、アメリカのスリーマイル島の事故、ロシアのチェルノブイリ事故に類似した原発事故が発生しました。

日本はアメリカ、フランスに次いで原子力発電機の多い国で、その数はアメリカ104機、フランス59機、日本55機、そして次がロシアの27機です。
ちなみに、・・・韓国20機・・・中国11機、・・・(08年 日本原子力産業協会資料より)

また、日本でのその依存度は、火力70%、原子力23%、水力7%です。

随分水力発電用のダムを造っていたようですが、原子力の威力には遠く及ばないようですね。

その分布状況をまとめてみますと下の図のようになります。




海に面した、比較的人口の少ないところを選んでつくったようですが、それでも地元住民は危険性の高い原子力発電には反対してきました。

それを跳ね返して建設したのは、日本の高い技術力、安全性だったと思います。

もちろんほかに、地方行政に対する財政援助、優遇措置も大きく働いたようですが・・・

その安全性が今回崩れ去ろうとしています。

世界各国の原子力発電に、日本の大企業は大きく貢献してきていましたが、多分その信用もガタ落ちになるのではないでしょうか。

これを機会に、日本は石原知事が「津波をうまく利用して『我欲』を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と云ったように、

“おごり”を捨て、“もったいない”の精神に帰らないといけないのでは・・・?

石原さんも「天罰」と言ってしまって、お詫びしていましたが、これから首都圏も危ないのではないですかねエ~

都知事立候補の覚悟や如何に!


両国界隈を散歩して

2011-03-06 | 日記
両国界隈散歩

お天気も良く、仲間と両国界隈を散策しました。
ルートは下の地図の緑線です。


小生、前々から、平岩弓枝さんの「かわせみ」を本で読んだり、テレビで見たりしていて、是非その面影を訪ねて見たかったのです。

ところが行ってみると、神田川沿いは殆どがビルの裏手で、歩るくどころではありませんでした。
それに、ゼロメートル地帯というのでしょうか、川面が道路の上になることもあるらしく、護岸壁で路上からは見られませんでした。

辛うじて、柳橋の周囲が面影をとどめていました。

江戸時代からの花街で橋のたもとには昔から船宿が多く、いまも日暮れ時から賑わっているようです。冥土への土産にするかな~?

下は今の柳橋の写真です。


その横が隅田川に架かる両国橋です。橋上から東京スカイツリーがくっきり見えましたので写真パチリ!


この度のルートは、全てスカイツリーが見れました。新しい東京の名所ですね。
経済活性化にも役立つことでしょう。

さて、両国駅横には国技館と江戸東京博物館が大きく構えていました。

国技館は、色々物議をかもしているためか、場所前のためか、ひっそり静かにしていました。
垣根の外からの写真が下です。


続いて旧安田庭園。


次が慰霊堂です。


この三重塔には、関東大震災と、東京大空襲などで亡くなった慰霊が納められています。

もともとは、関東大震災で犠牲になった慰霊を安置するために官民の浄財で造られたのですが、第二次大戦でさらに多くの犠牲を出し、その慰霊も合同して「東京都慰霊堂」としたそうです。

荘厳な佇まいだけに痛ましい限りです。合唱


震災の記念館を見ながら隅田川の墨田区側のテラスに出ました。

川面のそよ風を愉しみながら、吾妻橋から今日の終点、神谷バーにたどり着きました。

3階の一寸高級感の味わえる席で、今日もまたゆっくり美味しいビールを味わいました。

その帰りに、同行の方から,浅草名物の「芋ようかん」と「舟和」を土産にくださいました。

重ね重ねに、楽しい想いで多きウオーキングでした。



南高尾山ハイキング

2011-03-05 | 日記
南高尾ハイキングへ


高尾山口からバスで大垂水(おおたるみ)峠まで行き、そこから今日のハイキングをしました。

全長約9Km、上り150m、下り350mの比較的楽なハイキングルートでした。

天気も良く、やや肌寒く、適当に緊張した歩行を愉しみました。

下は、その全体図と経路断面図です。




特に昼食をとった休憩の場所が良かった。

下の写真は昼食の時のベンチの前景です。


津久井湖岸の野尻の河岸段丘です。

ダムのためにその段丘の姿がより鮮明に現れたようです。

前方には、以前登った大山阿夫利神社のある大山(1252m)が、堂々と翼を拡げていました。
そして、この眼下の河岸段丘に支えられた平坦地には、うららかな田園が広がっていました。
少し離れたところは津久井湖CCのゴルフ場です。
天気が良かったので、余計によく見えたのかもしれませんが・・・?

出来たら、こんなところで、静かに、少々の野菜を育てながら猫と一緒に暮らしたいな~!とも思いましたが・・・?

コースは緩やかなアップダウンのあるハイキングコースですが、結構距離がありました。
結局、昼食時間を除いて、4時間のややしんどいハイキングでした。

でも、比較的健脚ぞろいの5人で、スムーズな進行でした。

後は、例のごとく高尾山口近くの蕎麦屋で一杯!

これにて、本日のイベントは終了!
めでたし、めでたし!!