地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

京王沿線ウオーキングに参加して

2015-01-21 | 散策

京王沿線ウオーキングに参加して

友人に誘われ、1/17(土) 『ぐるり新宿新都心』(笹塚駅~新宿西口)9.5Kmに参加しました。

私は、その前後も歩いたので、総距離は14Kmになりましたが、ウオーキングの距離は9.5Kmです。

コースは次の赤線です。

笹塚駅に集合。受付を済ませ、勝手に歩き始めるのですが、参加者は皆、ジジ、ババばかり。

着ているものは、地味で、赤や黄色やオレンジなどの色物は全く見当たりません。

もうちょっと、面白く歩いたらと思いますが、本人たちは、それで大真面目。

それに、歩行の早いこと早いこと!わき見もせず、ただひたすら黙って歩くのです。

孫でも連れてれば、賑やかになるのでしょうが、その光景一切なし。

土曜日だというのに。 孫たちにも疎外されてるのかな~?

そう云ってる本人も、また同じ。 ま~、黙って歩くことにしましょう。


さてと、パンフによると、笹塚駅は甲州街道沿いの駅で、内藤新宿から丁度一里の距離にあたるそうです。
従って、街道の両脇には一里塚があり(今は痕跡もないが)、
その上に笹が生い茂っていたから『笹塚』と呼ばれていたそうです。

納得、ひとついいことを覚えました。

さて、井の頭通りを東へ進んでいると、右手の大きなモスクが聳えていました。


『東京ジャーミイ』(Tokyo Camii)です。 スペルはこれでよさそうです。
1日5回の礼拝が行われ、「人の集まる場所」の意味のアラビア語だそうです。

以前、私はその中に入ったことがありますが、だだっ広い床が拡がっていたのが、記憶にあります。

さてその近くのガードをくぐると代々木上原駅、

そして、その向かいが古賀正男音楽博物館です。
もと彼のお家があった場所だそうです。
近いのにまだ入ったことがありません。近いうちに!

そして、デング熱で名をはせた代々木公園横を通り、
懐かしい 『 春の小川 ♪ 』(今はない)を口ずさみながら、(ほんとかや?)

参宮橋駅に着きました。

その後は、一路都庁方向へ歩きますが、大きく西に迂回して青梅街道から都庁に向かいました。
結構な距離でした。それに皆さん早足で、疲れました。 

パンフにも、『お疲れ様でした。本日のコースはいかがでしたか・・・』 などなど

そして、仲間たちと一杯飲んで(ビヤー飲んだのは私だけ)、一人歩いて帰りました。

いい、半日でしたよ。



 


佃島を歩く

2015-01-15 | 散策

佃島を歩く

 

明治17年測量の5000分一の参謀本部陸軍部測量局の地図があったので、今の佃島と比較したくて出かけました。

 

旧図は左図です。現在は右図です。

  

 

隅田川の砂州も、ずいぶん大きくなったものです。

住吉大社が 昔の位置にありました。

 

社務所発行の『住之江』によると、今年は

「御祭神の徳川家康公(東照御神命)が元和二年(1616)に没してより四百年、また正保三年(1646)当社がこの佃の地に鎮座してから三百七十年の節目の年となります。・・・」 

そうです。

確か、この大社は家康公とともに、大阪の住吉大社が移住してきたものと云われていましたが・・・。

 

さてと、世の中、いくら科学的に解明されても、いざというときは神仏頼みですね。

若い人達も、神仏にお参りしています。合格祈願、平癒祈願、結婚祈願等々・・・
人間とは弱いものですね。

 

さて、今日の散歩コースは次の赤線です。

短いようでも、7Kmありました。

 

先ず、都営大江戸線で勝どき駅に行きました。


地下から出てみると、こんな ‘のっぽビル’ が建っていました。
多分30階ぐらいはあるでしょう。
埋立地にこんなビルを建てても大丈夫なのかな~。

「今後三十年以内に70%の確率で首都圏直下型地震がある」 と、いわれていますが。

私も80年生きてきたのだから、ま~いいか。(他人ごと)

 

清澄通りを南へ暫く行くと、橋のたもとに東陽院というお寺がありました。

もともと浅草にあったそうですが、関東大震災でこの地に引っ越したそうです。

そして、その際、十辺舎一九の墓も移ってきたそうです。

  

中央区教育委員会の説明板によると

「十辺舎一九は本姓を重田といい、明和二年(1765)駿河に生まれました。
その後、江戸に出て、日本橋の出版業者、蔦屋重三郎付の作家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。
なかでも、『東海道中膝栗毛』はよく知られ、
主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、
伊勢参宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語であり、
続編に続編を重ね、一九の代表作となった。(それで一九というのかな~?)
天保二年(1832)に没し、・・・

墓石には次の辞世が刻んである。

  此世をば どりゃお暇(おいとま)に 線香の

  煙と共に はい左様なら

・・・」


そして、さらに南へ行くと、ビル群がニョキニョキ、
眺めはいいでしょうが、よく住めるもんだな~ と感心します。

      

 

レインボウブリッジ、スカイツリー、等々  これが新しい東京かと、暫く驚いて見ていました。

 ただ、付近は漁業関係の倉庫や車が多く、魚の生臭い匂いで一杯でした。

 

暫く佇んだのち、昼時でもあり、郵便局の前の小料理屋へ “まぐろ定食” を食べに入りました。

お昼には少し早かったのか、まだ誰もいませんでした。

店の棚には酒瓶がずらりと並んでいました。

私が我慢できるはずがありません。

ばかでかいコップで焼酎のお湯割りを頂き、マグロ刺身でチビチビやっていました。

それが、お店のお神さん話し上手で、ついつい二杯になりました。

 

いい気分で、もと来た道を帰り、勝どき交差点で写真撮影。

 

 

さらに北へ移動して、月島交差点から佃大橋の方へ廻り、住吉大社へ出ました。

町の案内図も載せます。

        

 

この辺りは、元・石川島監獄署で、更生施設がありました。

その建物の様子が、旧図には出ていました。

 

そして、中央大橋、相生橋を経て、清澄通りへ出ました。

      

川沿いには、立派な遊歩道が巡らされ、傍らには高層ビルがニョキニョキ・・・。

この辺は、元、石川島の造船所があった所です。

 

そして、門前仲町駅に出て、ちょっと深川不動様にお参りして、都営大江戸線で帰りました。

今日も、いい一日でした。


駒沢オリンピック公園を散歩する

2015-01-06 | 散策

駒沢オリンピック公園を散歩する

 

今日は、先日訪れた長谷川町子美術館下車駅(新町駅)の一つ手前の駅(駒沢大学駅)で下車しました。

 

最近、この東急田園都市線をよく利用します。

長らく路面電車として利用されており、途中の三軒茶屋駅は何かなつかしい名前です。
近いうちに、この先の砧公園や二子橋公園へも、寄ってみましょう。

 

歩いたコースは下の地図の赤線です。約6.5km。

ここは名前が示すように、昭和39年(1964)のオリンピックの時出来たもので、もとはゴルフ場だったり、東急フライヤーズのプロ野球場でした。

今は、広々としたいい公園です。

次のような案内図が、要所要所に備えられいて、方向音痴の私でも園内で迷うことはありません。
よくできています。
(多分、方向音痴の人が計画したのでしょう。)

 

さて、駒澤大学駅から歩いて5分くらいで、公園に着きました。

 

天気は良好、人も少なく、気持ちのいい散歩でした.

  

特に、取り立てて書くようなイベントはありませんでしたが、よく整備されていました。

私のように、ただ歩いている人は少なく、多くはサイクリングやジョギングを楽しんでおられました。

 

ゆっくり一周して、いい気分で駒澤大学駅に帰りました。

駅前で、一杯やりました。

いい半日でした。


初詣

2015-01-01 | 散策

初詣

 

代々木八幡へ初詣に行きました。

明治神宮は毎年、参拝者が多く混雑するので、すぐ隣の代々木八幡にしました。

シャワーを浴び、お雑煮を頂いて、やおら落ち着いた雰囲気でお詣りしました。

 

初詣の様子は、次の写真の如しです。

  

 

    

 

御神籤は『吉』でした。

  春浅きうめの園にもうぐいすの ささ鳴く声を今朝は聞きたり

 

今年も、黙々と、にこにこ朗らかにやって行こう。

帰りに、“ふなくち” 菊水おひとつ!買って帰る。