地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

日本百名山 48 剣岳(2998m)

2014-06-29 | 日本百名山

日本百名山 48 剣岳(2998m)

 

「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳(つるぎだけ)であろう。

層々たる岩に鎧われて、その豪宕(ごうとう)、峻烈、高邁の風格は、
この両巨峰に相通ずるものがある。」

と、書き出されている。

 

これらの山の記述には、これっきゃないという、山の “おごそかさ” の文字が書き記されています。

  (仙人山山頂より)
設定: カメラ:PRO、レンズ:35mm、風景:地形図と合成、高さ強調1.5倍。

 

「(前人未踏の)その剱岳の神秘の開かれる日が来た。

明治四十年(1907)七月十三日、陸地測量部の一行によって、ついにその頂上が踏まれた。

ところが、

人跡未踏と思われていたその絶頂に初めて立ったのは彼らではなかった。
彼等より以前にすでに登った者があった。

測量部一行は頂上で槍の穂と錫杖の頭を発見したのである。・・・

 古来登山者絶無と見なされていたこの峻烈な山に、誰か勇猛果敢な坊さんが登っていたのである。
それはいつの頃で、どのコースを採ったのであろうか。・・・」

 

「この発見から二年後に、純粋な登山を目的とする四人のパーティーによって登頂されたが、
それを案内したのは、前の測量隊に同伴した宇治長次郎であった。
そしてその時一行の登路に採った雪渓に長次郎谷という名が与えられた。

 宇治長次郎と並んで、わが国近代登山黎明期の越中の名ガイドと呼ばれた佐伯平蔵は、
やはり剱岳当面の雪渓に平蔵谷の名を遺した。

 そして長次郎谷と平蔵谷を分かつ岩稜は、
やはり名ガイドの一人の名をとって、源次郎尾根と呼ばれている。」

 (新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用) 

 

ここに、その3ルートの地図と経路断面図を並べます。

  (長次郎谷)

  (平蔵谷)

  (源次郎尾根)

 

但し、今はこのルートはあまり使われていないそうです。

 

 さて、数年前、私も 『剱岳』 新田次郎著・文春文庫 を読んだことがあります。

その裏表紙には、こうまとめられていました。

「日露戦争直後、前人未到と云われ、決して登ってはいけない山と恐れられた北アルプス、剱岳山頂に
三角点埋設の至上命令を受けた測量官、柴崎芳太郎。

機材の運搬、悪天候、地元の反感など様々な困難と闘いながら柴崎の一行は山頂を目指して進んでゆく。・・・」

 そして、その本の巻頭には

「点の記とは三角点設定の記録である。

一等三角点の記、二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。

三角点標石埋定の年月日及び人名、覘標(測量用やぐら)建設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊施設、飲料水等の必要事項を収録したものであり、
明治二十一年以来の記録は永久保存資料として国土地理院に保存されている。・・・」

 

この小説には、先ごろ映画にもなりました木村大作カメラマンによる、厳しい山の天候との闘いが記録されています。

私もその映画を見、小説も読みました。

つい先日見た『春を背負って』の映画は、その時のカメラマンが、監督もかねて撮影されたものです。

 

 

われわれの山の会にも、この山に登ったものが数人います。その中には女性も混じっています。

恐ろしい会に入ったものです。
でも、今の私はハイキング・オンリーですが・・・ 


愛宕山・増上寺・東京タワー・麻布十番を散歩

2014-06-26 | 散策

愛宕山・増上寺・東京タワー・麻布十番を散歩

 

この辺りは、割合に足の遠い土地柄です。

現役の頃、狸穴や芝公園あたりには、よく仕事で行きましたが、
麻布十番界隈は全くの未踏の地です。

「麻布十番」「暗闇坂」「一之橋」・・・などの地名も何か由緒ありそう。

 

今日、歩いたコースは次の地図の赤線です。

 

距離は5Kmと、短いのですが、あちこち、きょろきょろしながらの散歩で、
時間は結構かかりました。
一杯飲む時間を入れて、ほぼ四時間弱。

 

先ず、愛宕山。
三等三角点があり、区内随一の自然の山の三角点で、標高25.7m。

三角点は見れませんでしたが、神社に参拝し、登り口や、トンネルを記録しました。

    

裏から登りましたが、念のため表からも登ってみました。

女坂でしょうか、107段、正面の男坂(?)は83段でした。

  

 

説明板で知りましたが、

ここが、『桜田門外の変』で、井伊直弼が暗殺された時の、水戸藩士の集合場所だったそうです。

 

次に、増上寺にお詣りしました。

辺りには、下のような自然や、木々の間からようやく眺められるような東京タワーの姿もありました。

  

そして、広い敷地に、一人黙然と、幼いころの法然上人さんの像が座していました。

 

以前、増上寺さんにお詣りしたときにも、
沢山の風車を持った赤い帽子のお地蔵さんが祀られていましたが、
今日も見る事が出来ました。

水子供養の像だそうです。可哀そうでなりません。

入口の絵馬に次の記事が下がっていました。

『 天国にいる愛する我が子へ
元気にしていますか。
ママは あなたたちのことを一日も忘れたことはありません。
今も・・・これからも一生愛しています。
あの時生んであげられずごめんね。 』

思いやりのある、いいお母さんですね。合唱

  

 

 ところで、以前東京タワーに来た時、南極大陸に置き去りされた秋田犬の痛ましい像が見られましたが、

今は取り払われていました。

近くにおられた管理の人に聞いたのですから、間違いはなさそうです。

可哀そうなことをしますね。誰の差配なのでしょう。

 

そこから、麻布十番の商店街に行きました。
賑やかに栄えている店店です。
シャッターを下ろした店など全くありませんでした。

そこで、おそばと『生』を頂いて、いい気分で、地下鉄に揺られて帰りました。 

 

 

 


六月の緑道の花

2014-06-24 | 散策

六月の緑道の花


何時も散歩する緑道に咲く花をまとめてみました。

コースは下の赤線です。距離約5.5Km

   (緑道  = 玉川上水緑道)

沢山に咲いていますが、そのうちの賑やかに咲いてる花をとりあげました。

この企画、気に入ったら毎月まとめてみます。


先ずは、

    サツキ(五月) ちょっと遅いようですが・・・


   今が盛りのアジサイ(紫陽花)
花言葉は 「辛抱強い愛情、元気な女性」だそうです。

同じ紫陽花でも、下のような花が、あるお家に咲いていました。

  カシワバアジサイ だそうです。


次が、

 キンシバイ

金色の糸のような 雌蕊 か 雄蕊 を付けています。

この花にそっくりなのが

 ミユウヤナギ(未央柳) 葉がちょっと違い、花びらが離れて並んでいるそうです。


   ヤエクチナシ(八重梔子) いい香りがしています。

八重咲きものは実がならないそうです。本来、実の口が開かないところから”口無し”と云ったそうですが・・・。
 
   アベリア  英国から移入された花です。
今を盛りとあちこちに咲いています。
 
  ヒメジョオン(姫女苑)  花言葉は「素朴で清楚」 ぴったしです。
この花も、むやみやたらと、あちこちに咲いています。

  ヤマボウシ(山帽子) 先日、墜落した飛行機と間違えられたとか、
  キダチ(朝鮮朝顔)
  ヒルガオ(昼顔) 五月の花ですが、 

その他、沢山の花が咲いていますが、これで今月はお終い。

この道と少し離れていますが、
毎朝のラジオ体操の広場には、キョウチクトウ(夾竹桃)の赤い花や、ビワ(琵琶)の実がいっぱいついています。
いい環境です。 “日々好日” なり。
 
 
 
 

 

        

 




日本百名山 47、鹿島槍岳(2890m)

2014-06-21 | 日本百名山

日本百名山 47、鹿島槍岳(2890m)

「鹿島槍は私の大好きな山である。

いところに立って北アルプス連峰が見えてくると、
まず私の眼の探すのは、双耳峰を持ったこの山である。

北槍と南槍の両峰がキッとせりあがっていて、その二つをつなぐ、やや傾いだ吊尾根、
その品のいい美しさは見飽きることがない。」

この山を愛していた三好達治氏は、

  “ 昼の雲 舟のさまして動かざる 鹿島槍てふ 藍の山かな ” 

と読まれています。

 

  赤岩尾根の高千穂平から見た鹿島槍岳

(カシバード)
設定: カメラ:PRO、レンズ:35mm、風景:北アルプスの初夏、高さ強調1.5倍。


「鹿島槍岳という名前は明治以後で、山麓の鹿島の名を採ったものである。
このは平家の落武者の住んだ所と伝えられ、
更にその奥の、鹿島槍北面の岸壁の下にはカクネ里と云う地名さえ残っている。
カクネ里はカクレ里の転訛であろうか。」

(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)


そこで、周辺図を示すと、

 

さて、登山者の登る後立山縦走路の一部は次の地図の赤線です。

  

3000m級の山を、テントを担いで4~5日をかけて歩くのですから、

よくやるよと云うのが、私の正直な感想です。

 

先日、仲間に勧められて、映画 『青春を背負いて』 を見に行きました。

素晴らしい自然美と、厳しく立ちはだかる自然の驚異を見せつけられました。

山は若くないと楽しめませんね。

 

 


神宮の花菖蒲苑へ散歩

2014-06-20 | 散策

神宮の花菖蒲苑へ散歩

今年も、花菖蒲を楽しみに行きました。

何時もの事ですが、咲きそろった花菖蒲を見ると、母の笑顔が目に浮かびます。
よく人は、‘マザコン’  のように云いますが、なんと云われようが懐かしい笑顔です。

さて、今日の散歩コースは、ほぼ昨日と同じですが、今日は花菖蒲園に寄りました。

  

歩いた距離は約8Km余り。

参宮橋から入り、神宮にお詣りして、菖蒲園に入りました。

  

先ず、隔雲亭、その前の御釣台を眺め、よく手入れの行き届いてるのに感心。

    

そしてしばらく先へ行くと、菖蒲園が開けています。

今日は、午前中に伺いましたので、人も少なく、十二分に楽しめました。

何時観ても、この紫色の滴るような、鮮やかな色はいいですね。

母の笑顔と重なります。

    

その後、代々木公園を散歩して帰りました。

公園には私の好きなゴンズイが実を膨らまし始めていました。
秋には見事に赤く実ります。 

 

 


小楢山(1713m)へ ハイキング

2014-06-15 | ハイキング 里山歩き

小楢山(1713m)へ  ハイキング

 

例の仲間たち約20人と、山梨県塩山駅裏山の小楢山へハイキングに行きました。

前日までの雨が嘘のような、雲ひとつない、大変いいお天気でした。

 

新宿駅前から何時もの貸し切りバスで賑やかに出発しました。

この会も、他の例のごとく女性が多くなり、約半分は女性です。
従って、おしゃべりやら、食べ物やらで、賑やかです。

 

さて今日のコースは下の地図赤線です。
今回から周辺図(20万分1程度)も添えます。

   
右の周辺図には、以前行ったところに赤い〇印を付けてみました。

  (左は経路断面図です)

 

さて、出発地の焼山峠で簡単な準備体操をして、リーダーの指示に従ってスタートました。

私は、年寄りらしくリーダーのすぐ後です。

登山口ではレンゲツツジの花が迎えてくれました。

 

そこからしばらく行くと、子授地蔵の群れに出くわしました。

赤い帽子を被ったのもありました。

 

今日登る小楢山は山梨百名山の一つで、
道も良く整備されており、急坂もなく、緩いアップダウンを数回繰り返すハイキング道でした。

私にはピッタリの道です。

 

途中には、『的石』や『一杯水』がありましたが、

  


なんといっても、山の緑に垣間見える、レンゲツツジの花が美しく、目を楽しませてくれました。


    

人々は、レンゲツツジとヤマツツジの区別を講釈していましたが、私には同じです

特に、『一杯水』を過ぎてからの、錫杖ケ原一帯のレンゲツツジは見事でした。

                                       

 山頂の掲示板には


   

「・・・此の山は、水楢・小楢が多く俗字をもって小楢山とあてはめたが、
夢窓国師がこの山に命名したのは、古那羅山であった。・・・

また、山頂からは、『富士山』『奥秩父』『南アルプス』『八ケ岳連峰』等が見ることができ、
魅力の山となっています。」とありました。

ところで、突然に夢窓国師(疎石)が顔を出したのは、彼がこの地で修業したと伝えられるからです。
彼は、全国に有名な庭を沢山作っています。
小楢山麓の恵林寺の庭も、京都の西芳寺や天竜寺の庭も彼の作と云われています。 

また、彼は南北朝の争乱の時代には、南朝の後醍醐天皇方と北朝の足利氏方の中を取り持ったとか・・・。

設定:カメラ REX,レンズ 28mm、景色 単色・スケッチ黒、


新宿には4時頃着き、一杯やっていい気分で帰りました。

 

 


日本百名山 46、五竜岳(2814m)

2014-06-13 | 日本百名山

日本百名山 46、五龍岳(2814m)

この辺りから、個々の百名山だけでなく、
その周辺の山々との相互位置関係も探ってみます。

先ずは、北アルプス=飛騨山脈(日本アルプスの中の一つ)の北部地帯から。

五龍岳は、同じ百名山の鹿島槍ヶ岳(2881m)と白馬岳(2932m)の間にある山で、標高はほぼ同じです。

さて、五龍岳ですが

「北安曇から後立山連峰を眺めると、
高さは特別ではないが、山容雄偉、岩稜峻、根ばりのどっしりした山が目につく。

それこそ大地から生えたようなガッチリしていて、ビクとも動かないと云った感じである。
これが五竜(龍)岳だ。・・・

それはまるで岩のコブだらけの、筋骨隆々といった状態を現している。
他の山々のように美しくてスマートではない。
ゴツゴッスした荒々しい男性的な力強さをそなえている。」

 (すぐ東隣の小遠見山より望む)
設定: カメラ:CAN、レンズ:35mm、風景:初春の残雪、高さ強調1.5倍。

「・・・藩政時代の絵図にも後立山という名はあった。
しかしそれは立山(りゅうざん=立山を昔は“りゅうざん”とも呼んだ)から見て、
黒部川の対岸の山を後立山(ごりゅうざん)と称したのである。」

と云う説も紹介しているが、筆者は素直には受け入れていないようです。

(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用) 

さて、筆者の登山ルートは、下の地図のようです。

    (中央のAA0030が五龍岳です。文字変換がうまくいきませんでした。

                         AA0040は白岳、AA0048は大黒岳です。)
 

 「一般に五龍岳だけに登ろうとする人は少なく、多くは後立山縦走中にこの峰を踏む。」そうです。

私とは、大分レベルが違うようです。

ではこの辺で・・・。明日は甲府の裏山へハイキングです。

 


信濃町駅から四谷見附界隈までの散歩へ

2014-06-05 | 散策

信濃町駅から四谷見附界隈までの散歩へ

 

お茶に招かれたのを縁に、信濃町駅から四谷見附までお寺巡りをしました。

地形図で見ると、須賀町から若葉町、左門町あたりは、無暗にお寺のマークが多く、
前から一度訪ねてみようと思っていました。

ある記録によると、
「この地区は、かつて四谷区寺町、南寺町で、
その町の名の通り、新宿区内寺院の25%の寺院がここに集中している。」とあり、 

そのわけは、どうも江戸の火災によるらしいです。

「寛永11年(1634)に江戸城西丸が全焼した際、城の北西の外堀拡張・新設計画に従って、
麹町の寺社が四谷に集団移転してきたもので、
江戸時代に活躍した人士、あるいはその頃の無縁仏の風化した墓石、石仏が多い。」
とありました。

尋ねていると、由緒ある人たちの墓が多く見られます。

例えば、服部半蔵、縞保己一、最後の武士と云われた高松喜六 、それに伊賀の忍者たちの墓です。

それと、無暗に坂道が多く、平坦な道は、むしろ少ないです。

その道を、すでに真夏を思わせる暑さの中を歩き回りました。

歩いたコースは次の赤線です。距離たったの約3Km。

 

先ず、信濃町駅から、慶応病院沿いに北に進み、途中から左の折れました。

途中は寺だらけです。

正覚寺、顕性寺、本性寺、報恩時、永心寺、勝興寺、西応寺、それから坂を下りて左へ、
そして右に観音坂を登って、真成寺、蓮乗院・・・、

真成寺さんは、納骨堂を営まれていました。

そして、途中に、寺町には珍しい神社がありました。須賀神社です。



その境内をうろちょろして、

また、お寺さんです。
真英寺、法蔵寺、円通寺、そしてやっとの思いで甲州街道へ出ました。

確か真英寺には、この戦争で亡くなられた英霊が祀られていました。

 

甲州街道を渡ってしばらく進むと、新宿歴史博物館がありました。

入口には、在りし日の四谷見附橋の古い写真や、元の四谷橋の欄干などが並んでいました。

  

それに添えて次の説明板がありました。

「・・・この橋が架かるまで四谷見附は、
江戸城防備のため甲州街道の要衝として築かれた  の字状の枡形の名残をとどめ、
麹町方面には直進することが出来ませんでした。

そこで東京市は、甲州街道を直行する橋を計画し、
明治四十四年(1911)三月に着工、大正二年十月に完成しました。・・・」

そして、博物館の中には、
昔懐かしい新宿駅前の「高野フルーツパーラー」や、三越や伊勢丹の建物の写真が見れました。


なんたって、都電が走っている頃の写真ですから。
また、ゆっくり別の日に、歴史博物館見学だけにまいりましょう。
 

さて、だいぶ暑さにまいりましたので、
四谷見附までの三栄通りで、手打ちそばと 『生』 を一杯、きこし召しました。
美味かったです。やっと人心地を取り戻しました。

それから、お招きいただいたカフェにまいりました。

後は、よろしいように、ご想像を・・・。


三ツ峠山へハイキング

2014-06-03 | ハイキング 里山歩き

三ツ峠山へハイキング

 

山の仲間達20人と、三ツ峠へハイキングに行きました。

最高にいい天気で、富士山の眺めが見事でした。

私は、多分四度目ですが、今回が最高でした。

  (山頂からの眺め)

 (カシバードでの眺め)

設定:カメラ・PRO,レンズ・28mm、景色・地図との合成、高さ強調・1.5倍

 

歩いたルートは下の赤線です。

  

登山口まで、何時ものバスで乗り付け、
そこから車のワダチも残っているような広い道を辿るのです。

ここは、三ツ峠と云ったり、三ツ峠山と云ったりしていますが、国土地理院では『三ツ峠山』と書いています。

山梨県の案内板によると

「御坂山地の末端にあり、開運山、御巣鷹山、木無山の三山を称して三ツ峠山と呼ばれている。
頂上からは富士山を始め、富士五湖、御坂山地、甲府盆地、南アルプスなど雄大な展望がえられる。」 

とありました。 

 (南アルプスの眺め)

 (木無山あたりから三ツ峠山頂を望む)
 

今回で四度目ですが、年々ハイキングがきつく感じられます。

歳ですかね。もうすぐ80ですから。これで三ツ峠行きも終わりかな・・・?

 

後は、露天風呂でくつろぎ、一杯、『生』を楽しんで、
そして更に、バスの中でワイン等楽しませていただいて、
明るいうちに新宿へ着きました。