地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

六義園を散策

2012-09-27 | 散策

六義園を散策

 

数年前に一度訪ねて事があり、再度の訪問です。

今日の主たる目的は、萩の花です。
藤沢に住んでいたころ、団地の土手に盛りだくさんに咲いていました。その再現を願って行きました。

 

今日のコースは、下の地図の赤線です。

六義園内は、ゆっくり、くまなく散策しました。

  

 

東京都の特別名勝地だそうです。

文科省の指定した名勝地は全国で35か所ですが、そのうち関東地方には3つしかありません。
小石川植物園、旧浜離宮庭園、そしてこの六義園です。

そこへ今日は散策しました。

 

例のごとく案内板を紹介しますと

「本園は元禄十四年(1702)武州川越藩主柳沢出羽守吉保が築造した庭園で、江戸の大名庭園中現存する日本で屈指の名園です。・・・
昭和二十八年四月特別名勝となり、日本でも特に優れた名園として大切に保存されています。
庭園の形式は江戸時代の庭園に見る所謂回遊式築山山水庭と呼ばれます。園の中央に池を設け、中島を置き島に妹背山があり、東南部に平坦な芝生・・・
また今次大戦により焼失したものもあります。・・・

『六義園』の名は、中国の古い書物である毛詩に配されている 賦・比・興・風・雅・頌 の六義に由来する和歌の六体によるもので、吉保自身 『むくさのその』 と呼ばせ、館を 『六義園』 と書いて 『むくさのたち』 と読ませています。

このような庭園も吉保が没した後は荒れる一方であったが、文化七年にいたり漸く整備され、明治十年頃付近の藤堂・安藤・前田の各氏邸とともに、岩崎弥太郎氏の別邸の一部となるに及んで再び昔の美しさを取り戻し、昭和十三年一月岩崎氏から庭園を中心とした三万余坪を市民の鑑賞・休養の地として、東京市に寄贈され同年十月東京市の管理のもとに公開され今日に至っています。東京都 」

 

ちょっと長くなりましたが、先日訪ねた旧岩崎邸といい、これらを莫大な私財を投じて自分のものにした結果が、
今日こうして観ることができるのは、有難いことです。感謝すべきでしょう。

 

さて、まず訪ねたのが つつじ茶屋。この茶屋はツツジの木で作られているそうで、戦災もまぬかれ大変珍しい建物です。

ツツジの木は成長が遅く、柱として使えるような木は大変珍しいそうです。
銀閣寺の南天の木の床柱もおなじです。横道にそれました。

ただ、先日の東日本大震災で柱がずれ、現在修復中で、中には入れませんでした。

 

次に訪ねたのが吹き上げ茶屋。
ここでまず、甘酒を頂きました。写真の女性が運んでくれました。
余計においしく頂きました。

 

ほとんど人もなく、静かに庭園を堪能できました。

自分の庭でしたら、維持管理が大変でしょうが、入園料150円で好きな時に見れるのはちょっと申し訳ないような気が致します。

 

この辺りを「吹上浜」といい、このあたりの松を「吹上松」というそうです。

和歌山市の「吹上」にちなんだそうです。
松がこの庭園の主な木だそうですが、今は大分少なくなってます。
ただ、下の写真の松は昔からのものだそうです。

 

 

そして、あちこっちを堪能して歩きながら、渡月橋から藤代峠に登ってみました。
登るといっても幼稚園児達が登る山ぐらいですが、

そこからの池の眺めを写真に納めました。
 

 

そして、今日の鑑賞目的の萩を見に行きました。結構路に迷いました。
それらしい群生が見られないのです。
横道の奥にささやかに群がっていました。まだ少々早すぎたようでした。

 

しかし、群生もいいが、こうしたささやかな咲ぶりもいいものですね。
奥ゆかしい感じでした。

 

そうして、園を後にして本郷通りを散歩しながら、南北線の本郷駒込駅に出ました。

 

途中、吉祥寺という、すごく整然とした大きなお寺さんがありました。
二宮尊徳さんが祀られていました。有名なあの銅像(石像)もお祀りしてありました。


東京駅舎を見に行く

2012-09-21 | 散策

東京駅舎を見に行く

 

先日、東京駅舎が復旧したと聞いていたので、見に行きました。

丁度、御茶ノ水駅近くの眼科医へ行く用事がありましたので、兼ねて出かけました。

 

眼科医から東京駅までは散歩がてら、歩いていきました。約4Kmです。

 

途中、将門の首塚にも立ち寄りました。
すぐ近くは何回も歩いていましたが、立ち寄ってゆっくりお参りしたのは、初めてです。
定年退職者の特権ですね。

ここは、神田明神保存会の方たちで維持管理されているようです。

説明板によると

「神田明神のご祭神である東国の英雄・平将門公の御首(みしるし)をお祀りしております。
平将門公は、承平天慶年間(931~946)に活躍され、武士の先駆けとしいて関東地方の政治改革を行いました。弱きを助け強きを挫くその性格から民衆より篤い信望を受けました。
またこの地は神田明神創建の地でもあります。・・・将門塚保存会神輿も神田祭の時に同保存会の方々により担がれます。・・・」

また、皇居の堀際を歩いていましたら、東京最初の並木に出会いました。

確かに、日本文化の中には、道路際に木を並べて植える文化はないようです。

これも説明板を引用しますと、

「明治八年(1875)『ニセアカシア』を、この道路に植えた。
蘭学者津田仙翁が明治六年ウイーン万国博覧会の際に種を持ち帰り育成したもので、
外来種による東京市最初の街路樹である。

尚、現在この通りの街路樹は『エンジュ』である。  東京都 」とありました。

「外来種による・・・」とありますが、浮世絵などにも、それらしい景観にはお目にかかっていません。

エンジュとニセアカシアは、いずれも街路樹に植えられ、私の目には区別がつきにくいです。

エンジュは中国原産で古くから我が国でも植えられていましたが、ニセアカシアは個々の説明の通り明治の初めに移入されたもののようです。葉がよく似ています。

 

さて、皇居の広場を堪能しながら、今日の目的地「東京駅」に着きました。

 

大正3年(1914)に辰野金吾により設計され、創建されたました。

そして、昭和20年(1945)戦災により焼失し、3階建ての駅舎は2階建て駅舎で、現在まで維持されました。

よくぞ、永らえたものです。周りがどんどん変化したのに、この建物だけは、旧態依然として、昔の面影を残して、耐えてきました。駅長さんたち、ご苦労さんでした。

この度の工事は、外観を創建時の姿に忠実に再現すると同時に、さらに、地下躯体を新設したそうです。
そしてさらに、巨大地震にも耐えうる建築にしたそうです。

目出度し、目出度し!!

落ち着いたら、中も観に行きたいです。そして、そこで一杯!!


早稲田大学周辺を散策

2012-09-18 | 散策

早稲田大学周辺を散策

久し振りに昔の学び舎周辺を散策しました。
卒業して半世紀余りを経過しています。

通学には高田馬場駅からスクールバスの時もありましたが、ほとんどは歩いて通っていました。

今日は、そのコースを歩いてみました。
あちこっちで寄り道していましたので、約30分はかかりました。

駅横の寿司屋さんが今もそのままの規模で頑張っていました。

その横の路地を下ってダンスを習いに行っていましたが、それはもうなくなっていました。

友達と、かき鍋を囲って呑んでいたお店は、火事でなくなったとか。

時々観に行った映画館は、昔の姿で今も営業していました。
 

そして、その先のコーヒー店が、まったく昔の姿で残っていました。

クラシック音楽を聞かせてくれたお店です。懐かしいね!

次は、インド大使館邸です。大使のお住まいです。これも昔の儘です。

古書店はほとんどなくなっていましたが、

グランド坂への入り口のお店は残っていました。

こんなに狭い道でしたかね~!

そのさきの大学への裏口が理工科の建物です。大分様変わりしていました。

でも、大隈候の銅像を背景にした大隈講堂の景観はまったく昔の儘でした。

今日は、早稲田地球感謝祭とかで、お店やお客でにぎわっていました。

大隈講堂の前では、かわゆい女の子が、青春を謳歌して賑やかの踊っていました。

 

一巡後、甘泉苑に立ち寄りました。結構探し回りました。

昔、弓道場があったのですが、今は全くその面影はありません。

 

そして、路面電車沿いに、途中から神田川に沿って、高田馬場駅に帰り着きました。

お昼になっていました。2時間は歩いたようです。
しかし、何時までも暑いですね~。

 


代々木公園散策

2012-09-16 | 散策

代々木公園散策

 

自転車で代々木公園へ行き、ゆっくり公園を散策しました。

自転車のコースは次の地図の緑線です。

はじめ、自転車で代々木上原経由で公園へ行き、公園を一回りしてのち、入り口近くの駐輪場に止めました。

帰りは、表参道経由、緑道を走って我が家へ。自転車の走行距離15Kmくらいか。

涼しくなったとはいえ、3時ころは まだまだ暑く、30度以上はあったでしょう。


駐輪場から、カメラを片手に 散策をはじめました。

散策のコースは下の図の通りです。

 

まず目についたのが、ギンヨウアカシアです。

葉が銀色にひかり、重みを感じさせる素晴らしい木です。

 

日本ではミモザといわれるそうです。オーストラリア原産だそうです。

3月頃、房状の黄色の花をつけるそうです。知って見たことはありません。

 

お次は、オリーブの木です。

いつか道端で貧弱な木を見つけたことがありましたが、今日のは確り茂った素晴らしい木でした。

地中海原産で、日本では小豆島によく植わっているそうです。

 

そして、しばらく行くと、赤い実をつけたユニークな木がありました。

 

ゴンズイ(權萃)です。

薪以外に使い道がなく、「役立たず」の木だそうですが?!

魚のゴンズイは「屑魚」だそうですが、植物のゴンズイはユニークな楽しい木です。

 

次は、暑いほど美しく咲くという、サルスベリの並木がありました。

 

そして、次は桐の木の実です。

 

たわわに実をつけていました。

花札の桐と同じイメージです。

その下に、ムラサキシキブが今を盛りと咲き誇っていました。

 

最後に、龍爪槐(リュウノツメエンジュ)が見事な枝ぶりを披露してくれていました。

 

日本名はシダレエンジュというそうです。

 

久し振りに、代々木公園を堪能しました。

ゆったりといい気分でした。

 

 

 

 

 

 


鎌倉の龍口寺を訪ねる

2012-09-13 | 散策

鎌倉の龍口寺を訪ねる

 

今日はかって鎌倉に住んでいたころのマラソン仲間達が、飲み会に招いてくれたので、湘南ライナーで、のこのこ出かけて行きました。

例によって、ついでに江の島の近くの龍口寺へお参りによりました。

当時のジョギングコースの途中にあるお寺です。

 

 

ここは、鎌倉時代の刑場であったようで、日蓮もここで処刑されそうになったとか。

 

 

さて、境内に入ると、屋台のお店が沢山並んでいて、参詣者よりもお店の人たちで混んでいました。
従って、厳かな雰囲気はなく、そそくさと裏山のほうへ登りました。

その下り道の途中に、大変立派な五重塔がありました。

説明板によると、
「仏教の開祖であるお釈迦さまが亡くなられた時、その御遺体は荼毘(火葬)に付され、その遺骨(御仏舎利という)は八つに分骨されて、その当時、インドで主流の八部族に渡された。そして、八つの部族は塔を建立し、それぞれに頂いた御仏舎利を、その中に安置してお祀りした。

この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストウーパ」という。
このストウーパが五重塔の起源であり、法要で供養する卒塔婆の語源である。・・・

龍口寺の五重塔は明治四十三年(1910)竣工、欅造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。・・・」
とありました。

 

木造りの本体も、屋根の青銅色も穏やかに調和して、素晴らしい佇まいでした。

特に、裏山への途中からの眺めがよかったです。(右の写真)

 

そこから、例のごとく、暑い盛りを片瀬山駅のほうへ、曲がりくねった道を登って行き、
駅で仲間と合流して、さらに登って、お呼ばれしたお家へたどり着きました。

お後は、例のごとく、昔の仲間たち10人ぐらいで、にぎにぎがやがや、ぐびぐびぴちゃぴちゃ・・・


新宿御苑を散歩

2012-09-05 | 散策

新宿御苑を散歩

 

健康の為、新宿御苑をウオークしました。

新宿までは、行きは歩き、帰りは暑さに参って、電車で帰りました。

 

新宿入口には、2,30台の駐輪場がありました。

これからはサイクリングを兼ねて行きましょう。

 

9月の見どころは少なく、

パンフにも 「9月の見どころ(スズキや木の実。“秋”を見~つけた!)」 とありました。

ちょっと淋しいね!

 

今日は、普通の逆回り。甲州街道沿いに大木戸門へのほうから散歩しました。時計回りです。

 

先ずは、「ギンヨウアカシア」  別名はハナアカシアだそうです。

 

なぜか、私の好きな木です。

今は花も実もなく、標識さえ立っていませんが、「そんなことには、われ関せず」と、銀色の葉を輝かせて堂々と聳え立っていました。

 

しばらく進むと、ユリノキ(百合の木)の大木が聳えていました。


この公園のイギリス庭園には、特別に大きくなったユリノキも紹介されていました。
二番目の写真がそうです。

初夏にはチューリップのようなうす黄色い見事な花が咲きます。

ある人の話では、毎年ではないそうですが?

   

 

いつも気になっていた木がありました。イヌマキ(犬槇)だそうです。

今日の大収穫です。“犬も歩けば、・・・!?”ですか。

 

 

松の葉のように先端まで細長くとがっていますが、松ほどではありません。

生け垣などによく見かけます。

そろばんの玉にもなるそうです。きめの細かい木なのでしょう。

 

 

そして、暑いので苑内唯一のレストラン“ゆりのき”でビールを一杯。

暑いときはこれに限るね。 うまい!

 

最後に、コムラサキ(小紫)を楽しみました。

ムラサキシキブ(紫式部)の一種だそうです。小式部ともいうそうです。