地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

「変化朝顔」展へジョギング

2011-08-28 | 日記
「変化朝顔」展を観に走りました。

日比谷公園で仲間の参加している朝顔展が開催されているというので、走る仲間3人で見に行きました。

最初はサイクリングでという案もありましたが、大切にしている自転車の置く場所や、帰りに松本楼でビールでもということから走っていくことになりました。

走ったコースは下の図の赤線です。約9Kmとか。
地図は一枚ではデータ量が多く、うまく載せられないので、2枚に分けました。




新宿近くまでは何時ものジョギングコース、新宿駅辺りから新宿御苑横の遊歩道を気持ちよく走り、大木戸を過ぎた辺りから、国道20号線(甲州街道)沿いの歩道を走りました。
この歩道は整備もよく、かつ道幅も広いので非常に快適に走れました。
そして、ジョグリスのある半蔵門から皇居の堀端沿いに日比谷公園に下ります。
いいコースでした。

下の写真が日比谷公園内の朝顔展示場です。
「変化朝顔」展だそうです。


花びらに切れ込みのある不思議な形の朝顔が珍重されていました。
何でも、10粒種を蒔いても、こうした珍しい朝顔は一輪あればいいほうだそうで、江戸時代から続いているのだそうです。
今回の展示品は約800個の種から出来た150鉢だそうです。


花びらに切れ込みのあるのが「采咲」(さいざき)、幅広く裂けた花びらの折れ曲がっているのが「石畳咲」(いしだたみざき)というのだそうです。
山の仲間が展示していたのは「石畳咲」でした。下の写真です。


多くの愛好者が、ものめずらしそうに鑑賞しておられました。

私は、例のごとく、早くビールが味わいたくて、園内にある松本楼に急ぎました。

しかし園内は、松本楼といい、公園内の木々といい、よく整備されていて気持ちのいい環境でした。
屋外のテーブルで頂いたビールも美味かったね。

いい気分の日曜日の朝でした。

帰りはビールのために地下鉄で!


北軽から烏帽子岳へ

2011-08-11 | 日記
北軽から烏帽子岳へ

今日は北軽最後の日。
帰宅の荷物と山行きの荷物を整え、2台の車で烏帽子岳へ向かいました。途中の田園風景は、嬬恋村のキャベツ、またキャベツの畑、畑、畑・・・。
これを東京の人たちがバリバリ食べるのか・・・。スゴイ食欲!桑の葉をむさぼる蚕を連想します。
今日出荷のキャベツは、朝早く、もう出荷済みだそうです。(今、8時ころ)


登山口の地蔵峠Pには予定より30分も早く着きました。ここで、近くに別荘を持っている山の会のKさん、Saさんと合流する予定。

何か、別荘を持ってるのが当たり前のような連中ばかりの山の会で、一寸肩身の狭い気もしますが、・・・私は余り気にしないようにしています。
狭いマンション暮らしに満足しています。余分なことには、頭も手も廻らない老人でもありますし。徒然草や方丈記を楽しみながら、余生を暮らすのがのんきでいいーか?(負け惜しみの気分もあります。)

予定より早く、地蔵峠の駐車場に集る。
ここは、上州と信州の国境の峠で、江戸時代から上信を結ぶ道筋であったようです。一町ごとに百体のお地蔵さんが祀られているそうです。
今日の行程および経路断面は次の地図のコースです。




始めの3Kmくらいは、なだらかなハイキングコース。いろいろな花を愛でつつ、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩きました。途中にかっこいい木陰があり、そこで一休み。ここが今日の目的地・烏帽子岳と湯ノ丸山の鞍部(コル)だとか。


そこから石のごろごろする本格的な山道、坂路を烏帽子岳へ。
尾根まで結構急な坂道つづき。それをやっとクリアーしたら、なんと展望が360°開いた絶景でした。そよ風もあり大変気持ちよい尾根道でした。
そしてその先に見えるのが、今日のフィニッシュの烏帽子岳かと・・・思ったのは初心者の私だけ?
頂上だと思ったところに着いてみると、更にその先に、同じくらいの石ガラ路が続いていました。


そして、漸くの思いで、頂上へつきました。
360°の展望です。展望を遮るものは、時折湧き出す少しばかりのガスだけ。


帰途、お花畑を逍遥し、地蔵峠から車で高峰温泉でひと風呂。


車坂峠→小諸IC経由で東京へ帰りました。
多少の渋滞はありましたが・・・6時頃到着。

北軽から鼻曲山へ

2011-08-10 | 日記
北軽から鼻曲山へ

北軽初日の今日は鼻曲山(1655m)への登山。2台の車に6人が分乗して約10Kmくらい東へドライブ。二度上(にどあげ)峠へ駐車、ここから鼻曲山への登山です。

登山ルート図と経路断面図は下の通りです。




以前、二回ほど、反対側の浅間隠山には登っています。今日のコースはそれよりややきついとか・・・。

途中の氷妻山(1467m)までは、なだらかな登山道で、沿道の花を愛でながらハイキング調で上りました。




皆さん、よく花の名前を知っていて、いろいろ教えてくれるのですが、右から左へすぐ忘れてしまいます。せめてその花名の漢字と名前の由来を説明してくれれば多少は覚えるでしょうが。
でも、この度は、「糊空木(のりうつぎ)」を覚えました。割合大きな木に白い花をつけていて目立ちました。これは、紙を漉くのに使う糊の原料だそうで、茎の中は空洞=空木(うつぎ)になっていることから、名付けられたそうです。


途中の氷妻山までは楽に登れましたが、段々山らしくなり、後は黙々とただひたすら上りました。
上ったり下ったりで、へそ曲がりの山でした。


お天気も良く、頂上からは、すばらしい展望でした。長野県(信州)と群馬県(上州)の境の真上です。「・・・上州側は近くに榛名山と赤城山が、信州側は浅間山が見れます。・・・」とガイドにありました。

上りがきつい分だけ、下りは楽でした。
ところが、下山直後から土砂降りの雨に見舞われ、駐車場までの2,300mくらいの自動車道の間は、すっかりぬれねずみになりました。山の中でなくって良かったです。すれ違った人たちはどうしただろう?

小止みになった通り雨の中を、北軽近くの絹糸の湯に浸かり、生ビール3杯を楽しみました。


そして、別荘では賑やかな夕食とカラオケで、今日も愉快に一日を終えました。


北軽井沢に遊ぶ

2011-08-09 | 日記
北軽井沢に遊ぶ

山の仲間たちと2泊3日の予定で北軽井沢へ行きました。
一寸、生意気に聞こえるかもしれませんが、私はその人の恩恵をこうむっただけのこと・・・云わば他人のふんどしで・・・

車でしたので、米と焼酎も抱えて、朝7時頃、U氏邸(近くのマンション)に向かいました。

そして途中、S夫人の車と同乗者3人も加わり、総勢6人(男5人、女1人)でゆきました。大した渋滞もなく、お昼頃現地に着きました。

自炊なので、途中馬鹿でかいコンビに立ち寄り、食事の材料をどっさり買い込みました。

敷地900㎡の閑静な二階家の広い別荘でした。

この度の同行者にはコーヒー店を経営していた通人も混じっており、早速美味しいコーヒーをご馳走になりました。落ち着いた雰囲気で同行の女性Sさんが準備してくれたお昼ご飯(パン食)を、美味しく、十二分にいただきました。

そして、3時ころから、いつも早朝ジョギングをしている仲間3人で、森林浴を楽しみながら鬼押出し園へ走りました。
コースは下の図です。


しかし、行きはなだらかですが、上り坂続きの3.3Km(往復6.5Km)、結構きつかった。
それもそのはず、後で断面図を作ってみたら130m上るコースでした。


そして、しばし鬼押出し園を、いろいろな花を愛でながら散策。
帰りは逆に下り続きの道のりを楽に走って5時過ぎに帰りました。
いいジョギングでした。

浅間山は十数万年前から活動している火山だそうです。
入場チケットの説明によると鬼押出し園は天明3年(1783)の浅間山噴火の時の名残だそうです。

数万年前の噴火で出来たのが黒斑山、牙山、剣が峰(第一外輪山)、
次に出来たのが、第二外輪山で、西の前掛山と東の前掛山、その間に現在の第三の釜山(中央火口丘)が出来たと言われています。
三重式の成層火山です。


後は、また明日のブログにまとめましょう。

古代ギリシャ展を見に行く

2011-08-05 | 日記
古代ギリシャ展を見に行く


ゆっくり休める日だと、くつろいでいたところ、山の仲間から上野の国立西洋美術館に「古代ギリシャ展」を見に行かないかとお誘いを頂き、喜び勇んで急遽出掛けました。


11時待ち合わせを、1時間半も前に出かけ、上野公園をゆっくり散策しました。
今日も、正岡子規記念球場では小学生たちの元気な野球姿、叫び声が聞こえていました。
ギリシャといえば、最近余り景気のいい話が聞かれませんが、地図帳を開けてみると結構広い面積の国ですね。認識を改めました。トルコの海岸ギリギリまでギリシャなのにビックリ。トルコはよくもこの国境を承認したものとあきれました。またの機会に歴史など紐解いて調べてみましょう。
面積は日本の1/3、人口は1100万人。エーゲ海に浮ぶ島々の数は3000もあるそうで、地中海性気候の住みよい国のようです。


さて、待ち合わせの時間が近くなり、国立西洋美術館に行ってみました。中に入るのは初めてです。




想像以上に入場者が多く、特に若い女性が多いように感じました。
彼女たちは、熱心にメモを取り、イヤホーンで情報をキャッチしながら見ていました。

何時ものように、入り口近くは混んでいますので、中ごろからやや熱心に見はじめました。

男性の肉体美中心の彫刻が多いように思いました。
話題の円盤投げ「ディスコボロス」は特に念入りに見ました。足のつま先までごまかしなく精巧に作られています。
多分解剖学から紐解かないと出来ないはずですが。(レオナルドダビンチのように)
当時、可能だったのでしょうか?

女性像が極めて少ないようでした。
奴隷の上に成り立った社会で、女性もごく一部の美人を除いては殆ど奴隷同様のあつかいだったのでしょうから。

そのためか、エロティックな画像や器物が多く見受けられました。
例えば、杯です。ブドー酒を飲み干すほどに現れるエロティックな女性の肢体、
また、乳房を如実に象った杯、男根を大きく育てるために水をやっている女性の姿・・・

その頃の一般人の日常生活の姿もいろいろ展示されていました。
脂肪分がぶよぶよに垂れ下がった醜い姿の老人、・・・およそ、美的世界から程遠い彫刻がおおく飾られていました。

そして、特に眼を引いたのが、女性を無理やり犯している男性像。若い女性等が熱心に見ていたのには驚きました。私など、みてみぬ振りして(?)汗かきながら早々と通り過ぎましたが。
写真が撮れないのが残念ですが、今から2300年位前、BC300年頃に、今と余り変わらぬ生活が営まれていることに、なにか違和感を感じます。

多分、多くの奴隷の上に成り立っていた社会、武人中心の社会だったからでしょう。

その後、アメ横でビールで一休みし、九段まで佐竹家所蔵の古地図展を見に行きました。

佐竹藩というと旧秋田藩です。
まだ形の整っていない世界地図や江戸後期の赤水図などが集められていたのには驚きました。

カラフトや蝦夷地や北方領土への関心も強かったのでしょうか。