地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

代々木公園のバラ園

2011-05-26 | 日記
バラを愉しみながらジョギング

代々木公園のバラ園が花盛りでした。

今日は、地図なしでバラの写真ばかりを並べてみました。


先ずは、バラ園の全景。


一寸暗いので、少し近景を


続きまして、各花の写真を並べてみます。
ラ・セビリアーナ(仏)


希望(日本)


ダイアナ・プリンセス・オブ・ウエールズ(米)


イエロー・シンプリシティ(米)


紫雲(日本)


かぐや姫(日本)


丹頂(日本)


恋心(日本)


ホワイト・マジック(米)


オリンピック・ファイヤー(独)


ホワイト・マジック(米)


ラベンダー・ドリーム(蘭)


ミンク・メイディランド(仏)


サマーウインド(独)


新雪(日本)


カクテル(仏)


エバーゴールド(独)


バシーノ(独)


ケアフリー・ワンダー(仏)


バルカロール(独)


シャルル・ド・ゴール(仏)


芳純(日本)


ベラローマ(米)

念願の八ヶ岳・硫黄岳(2760m)に登る

2011-05-22 | 日記
念願の八ヶ岳・硫黄岳(2760m)に登る

天候不良のため計画倒れが3年も続いていましたが、この度やっと念願が適い、快晴のもと八ケ岳・硫黄岳に登ることが出来ました。

想像以上に雄大な自然に接することが出来ました。
また、下山の際、雪道との一時間余に亘る悪戦苦闘は全く予期していない事でした。

下がこの度のルート図です。“八ケ岳の登った”といえば、本来ならば硫黄岳から横岳、赤岳、阿弥陀岳または権現岳へ登ることを指すようですが、登山暦の浅い私には硫黄岳に登るだけで十分でした。


下が、その経路断面図です。


今回は山の仲間11人(内女性3人)で登りました。一泊二日の行程です。私を除いては結構なベテランぞろい。いろいろ技術指導を受けながらの登山でした。

先ず、初日は山小屋のある夏沢鉱泉までの行程です。
新宿から「スーパーあずさ」で茅野駅へ、そこで宿からの迎えの車が来るまで、蕎麦屋で昼飯をとりました。
ところで、山小屋まで約20Kmくらいの道のりを四輪駆動車で送迎をしてくれるんですからねエ。サービスの行き届いた山小屋です。
そして、迎えの車が来るまでの間に食事した“そば”の美味しかったこと。さすが、そばの本場、「日本一のそばの郷」を目指してるだけのことはありました。

そしてその後、2台の車に分乗し、そよ風に吹かれながら、清らかな田園風景を愉しみつつ、夏沢鉱泉へ向かいました。
途中、尖石考古館の横を通りました。
国宝の「縄文ビーナス」や縄文土器が沢山展示されているそうです。一度覗いてみたいものです。

途中からガタガタの山道に入りました。車が真二つになるのではと思うほど揺れながら登ってゆきました。
そして、桜平で降り、明日の登山の足慣らしのため、約30分ほど歩きました。
下の写真が、我々の泊まった山小屋です。

山小屋といっても、4人ぐらい入れる木の風呂にゆったり入れるし、食事の内容もまあまあですし、世話してくれた人たちも感じのいい若者たちでした。それに、なんと水洗トイレ!驚いたな~。


そして、ここは完全な自然エネルギーのハウスでした。水力や、太陽熱、風車などで発電しているそうです。ですから送電線もありません。“進んでる~”という感じでした。

下が、夕食時に窓から見えた夕日です。

さて、翌日は6:30朝食をとり、7:15頃小屋を出ました。
今日も快晴です。気温約4度。

約1時間、だらだらと山道を登って、写真のオーレン小屋の着きました。
ここも設備の完備した山小屋のようでした。
リーダーの話では、八ヶ岳の山小屋はよく出来ていて、“小屋が岳”とも呼ぶそうです。


さて、そこから夏沢峠へ。段々山登りらしくなってきました。
峠の頂上から今日の見所“爆裂火口壁” が見れました。爆発でなく爆裂と呼ばれるわけが納得できました。




その、爆裂を左手に見ながら、約1時間、硫黄岳への斜面を、えっちらおっちら登りました。途中ケルンが4つ(?)ありました。


そして、2760mの頂上にたどり着きました。素晴らしい展望でした。
多くを語らず、写真を並べましょう。
横岳と赤岳


赤岳


下山途中から見た赤岳と阿弥陀岳


帰りは、いつものように、小走りに坂を下っていきました。登りに較べれば楽なものです。
そして、オーレン小屋への分岐点からアイゼンを着けて雪道に入りました。
最初の頃は、軽快に、むしろ雪があるために、より軽快にザクザク降りていましたが、途中から積雪が深くなり、かつ足跡を辿らないと、ズブリと足をとられ、ひざ下までもぐる有様で、それも降りるに従いひどく、かつ深くなり、私はとうとうお尻のほうまで潜り、自力では足が抜けない様でした。仲間たちに前後を掘ってもらい、足を左右にひねりながら、漸くの思いで脱出しました。そのような雪道を1時間余り歩きました。疲れました。


2.3の人も私と同じような難儀にあっていました。
シンガリを勤めていた仲間から、雪道の下り方や、ストックの持ち方など、くどいほど教えてくれました。特に、雪道の足裁きは、「踵から、踵から!」「また、もとに戻ってる!踵から・・・」何回も繰り返し、いやになるほど叱咤され指導されました。
お陰さまでいい勉強になりました。また早く雪道に出会いたいね~。サンキュー!

さて、漸くにして雪道を脱出し、もとのオーレン小屋につき、今朝歩いた道を辿って夏沢鉱泉に帰り着きました。

そして、お昼の風呂に入り、カレーで一杯!
めでたし!めでたし! 
後は、送迎の車と、「あずさ」で新宿に無事帰還しました。








葉山・仙元山と海岸ウオーク

2011-05-17 | 日記
葉山・仙元山と海岸ウオーク

快晴でした。仲間13人(内女性6人)で華やかなハイキングを愉しみました。

ルートは下の地図の通りです。
赤色がハイキングで、黄色はバスルートです。


新宿から湘南ライナー戸塚駅経由で逗子駅へ、そこからバスで仙元山ハイキング入り口に着きました。

新緑を味わいながら、初めは舗装道路ですがやや勾配のきつい道でした。それもつかの間のこと、後は下の写真のような緩やかな途を、おしゃべりしながら登りました。


最初の休憩は、地図にも載せた仙元山(118m)です。見晴らしのいい山で、相模湾を一望にしながら、遠くには富士山が一寸霞んで見えました。海にはあちこちにヨットが浮かんでいました。うららかな初夏の展望でした。


そこから、今日の最高地点、188mのピーク(サミット)へ登りました。
木製の段々がよく整備されていましたが、ほとんどのハイカーはその横を歩くらしく、段々の途は全く空いていました。一考を要しますね。
下の写真がその路の一部です。頂上手前の段々途は200段以上あるようで、結構きつい坂路です。



そこでもう昼食です。我々だけで、にぎにぎ、がやがや、美味しくおにぎりを食べました。
今日は、先にも書きましたように半分は裏(?)若き女性たちです。散ってしまった桜の新緑を愛でながら(?)楽しい食事でした。
何故か?「シングル連の合コン」の企画も出ていました。

さてそこからは、だらだら坂の帰り道です。
葉山町役場でトイレ休憩。
その前の泉水に菖蒲が黄色い花を咲かせていました。
子供の頃、屋根に飾った後、風呂に入れてもらって、はしやいだのを思い出しました。



そこからは、一般の車道で、海際にある森戸神社にお参りしました。


頼朝公が三島神社を勧請したのが起源だそうですから、もう800年以上の歴史を刻んでいます。
その由来緒によると、森戸大明神は
「永暦元年(1160) 伊豆の蛭ケ小島に配流された源頼朝公は三嶋神社を深く信仰し、源氏の再興を祈願した。治承4年(1180) その神助を得て旗揚げに成功して、天下を治めた頼朝公は自らが信奉する三嶋神社の御分霊を、鎌倉に近き元山王の社地であった此の景勝の地に勧請して、永く謝恩の誠を捧げたと伝えられる。(中略)
特に境内より富士、箱根、伊豆、江ノ島を望む光景は絶景で、“森戸の夕映”としてかながわの景勝50選に選定されている。」
(何故か写真なし・・・撮影ミス)

砂浜を逍遥し、葉山ヨットハーバー(鐙摺港)でいったん解散。

そこからは男ども5人で開成学園に立ち寄り、1910年の遭難の碑

♪ 真白き富士の根 緑の江の島
   仰ぎ見るも 今は涙
   帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に
   捧げまつる 胸と心 ♪ 

 の物語を話し合いながら逗子駅に向かいました。

下は石原裕次郎記念の灯台です。


そこから勿論、真直ぐ駅には参りませんでした。

3:30頃で、開店には早い時間、殆どの店は“準備中”。
そこで、呑兵衛たちは、“一杯だけ”といいながら、強引に入り込み、
ユックリ、バッチシ飲ませてもらいました。
めでたし、めでたし!








旧芝離宮恩賜庭園を散策

2011-05-09 | 日記
旧芝離宮恩賜庭園を散策しました

今日は高校同期の展示する書道展が銀座鳩居堂で開かれているので、見に行きましたが、只単に書道展だけではとの思いから、浜松町の旧芝離宮庭園を覗いてみました。

都営地下鉄の大門駅で降りればいいものを、その先の汐留駅で下車したため、旧浜離宮恩賜庭園横を随分歩き旧芝離宮庭園へ行きました。しかも、小雨のちらつく中を。


しかし、素晴らしい庭園でした。小雨が降っていたためか、かえって人も少なく、静かに、時間をかけて散策できましたので、余計にいい感じでした。




下は園内に掲示してありました案内図です。


そして、下は昔の絵葉書の一こまです。(「江戸古地図散歩」より)


ここ旧芝離宮庭園は、江戸初期に作られ、余り改造を受けていない江戸最古の庭園の一つだそうです。大名庭園の特徴である回遊式泉水庭園で、泉水は海水を取り入れた汐入りでした。その取入れ口が下の写真です。
今はその名残をとどめているだけですが・・・。


また、ここの見晴台「九尺台」(高さ九尺=30*9=2.7m)からは、東京湾や房総半島のほうまで眺められたそうで、汐入であると同時にその広々とした眺めが楽しめたそうです。
今は、取り巻くビルしか見れませんが・・・。
その展望台が下の写真です。


こうしてみると、東京にはこうした素晴らしい庭園があちこちに残っていますね。

財・東京都公園協会発行のパンフレット「都立庭園案内」によると

浜離宮恩賜庭園・・・徳川将軍の庭園
旧芝離宮恩賜庭園・・・江戸最古の大名庭園
小石川後楽園・・・水戸黄門ゆかりの庭園
旧岩崎邸庭園・・・和洋の建築文化の粋を示す庭園
六義園・・・和歌を基調とした江戸の大名庭園
向島百花園・・・四季・日本の花が咲く庭園
清澄庭園・・・全国から名石が集った庭園
旧古河庭園・・・洋館とバラの庭園
殿ヶ谷戸庭園・・・武蔵野の山野草と湧水の庭園

2,3は未だ見ていないようですが、この際、もう一度片っ端から全てを見に行きましょう。

こりゃまた、忙しくなったよ!

さて、そこから芝浦ふ頭を見て、劇団四季と自由劇場の前、旧浜離宮恩賜公園の長い側壁を通り、鳩居堂に行きました。もう、仲間たちは集っていました。

「第28回 日本書鏡院選抜展」です。下が仲間の書です。






日暮里・舎人ライナーに乗ってみました

2011-05-06 | 日記
都営の日暮里・舎人ライナーに乗ってみました

以前からこの妙な路線に乗ってみたいと思っていました。
一つにはシルバー定期で只(無料)で乗れることもありますが・・・。
ゴールデンウィークで天気の良い今日の「こどもの日」に、急に思い立ちました。

いつものジョギングを終え、11時頃家を出発、山手線日暮里駅に向かいました。
JR日暮里駅では、このライナーに乗り換えるのに、ちょっと戸惑いました。

JR線,京成線、日暮里・舎人ライナー(東京都交通局)と経営が違うからでしょうが、初めて乗る人には一寸乗り継ぎ案内が不親切なように感じました。

その路線のルートは下の案内図です。


この路線は「新交通システム」と言われる新しいタイプの交通機関です。

その代表的なものに、新橋から臨海副都心を経て豊洲に至る「ゆりかもめ」があります。

ここの日暮里・舎人ライナーはそれと比較すると短い(総延長9.8Km)ですが、構造は「新交通システム」です。

従来の路線とどう違うかというと、
先ず、その支柱にあります。
軌道を支えるための支柱一本は、6~8本の杭が地盤に届くまで深く打ち込まれ、極めて頑丈に出来ています。
深いところでは杭の長さが40mもあるそうです。しかもその杭の太さは1.2mとか。
その上を専用軌道が敷かれいますから耐震強度満点?
そうした安心・安全な、しかも、バスと鉄道の中間をゆく、のんびりした交通機関なのです。
まさに、東日本大震災後に造るべき新交通システムです。

さて今日は、先ず終点の見沼代親水公園駅まで直行しました。所要時間約20分。

そこからUターンして2,3の駅に途中下車しながら探訪することにしました。

この用水路は、利根川の水を江戸に引き、農業用水や水運の便に利用されていました。米や炭などを運搬していたようです。
川口市には見ごたえのある閘門式の通船掘り跡もあります。

現在は、この沿線には家やマンションがギッシリ立ち並んでいますが、元は見渡す限り青々とした稲穂の棚引く田園地帯だったようです。

この水路が毛無川とクロスしたあたりが、見沼代親水公園です。

駅周辺の整備された毛長緑道を少し散策しました。下の写真です。




しかし、今は未だ他に見るべき所もないので、次の舎人公園駅に向かいました。

舎人公園駅の周りは、広い広い緑地帯が広がっていました。100ha余り(約1Km
四方)あるそうです。

公園内を散策していると、ゴールデンウィークで、かつ「こどもの日」のためか、多くの子供連れファミリーが愉しんでいました。


少子化を心配していますが、“結構、子供さん沢山いるじゃない”という感じ。
そこへゆくと、年寄りは極めて少ない。
居ても独り淋しく釣り糸をたれて暇つぶし(?)している老人がちらりほらり・・・。


“日本も、まんざら捨てたもんじゃないなー”というのが今日の感想。
(しかし、今日の新聞によると、日本は15歳未満の子供さんが13.2%だそうです。30年連続して減少しているとか・・・。)

ここはもともと、過密都市東京を緩和しようとして計画した土地だそうですが、戦時中は防空避難場所に、そして現在は震災の場合の広域避難場所に考えられているそうです。

今回の東日本大震災を先取りした施設です。多分より整備されるでしょう。

そして次は、西新井大師西駅です。
大師様へは歩いて15分程度。大した距離ではないと歩きましたが、腹も空いていたせいか、いやに距離を感じました。途中、道を間違えたかな~?と心配しましたが、初めての道のりは遠く感じるものですね。

西新井大師さんは、地方からのバスツアーの年寄りも多く、盛況でした。
その参道の賑わいと、本殿をパチリ




関東三大師さんの一つだそうです。川崎大師、新井薬師、そして西新井大師。
東にあるのに何故「西・・・?」、境内にある井戸(弘法大師によってもたらされたとか)が本堂の西にあるからだとか。

本殿では、ちゃんとお賽銭をあげて拝みました。
そして、漸く食事にありつきました。2:30・・・

参道のお店に入りビールとお刺身丼・・・ビールはジョッキ2杯。
いい気分になり、前の店で名物の蓬団子を買いました。

土産のつもりで買ったのですが、粒あんのこってりついた蓬団子。
余りに美味そうなのでついパクリ!これにて一巻の終わりなりです。