新宿中央公園を散歩
十二社と熊野神社を訪ねて新宿中央公園に行きました。
以前は、新宿へ出るのに電車か自転車でしたが、最近はほとんど歩きです。
それくらい近く、20~30分も歩くと新宿駅に着きます。
さて、今日の歩きのルートは下の図の赤線です。
行きは玉川上水緑道で、帰りは水道道路です。どちらも人の通りが少なく歩きやすい道のりです。
明治13年測量二万分一東京近傍図(陸地測量部)も載せてみました。
旧図によると、十二社は元の位置から東に移築されたようです。十二社通りを作るためでしょうか。
写真は、熊野神社横の今の十二社通り界隈の写真です。
この辺りに元の熊野神社があり、大小二つの池があって、多数の茶屋が賑わった景勝地でした。
パンフレットによると
「十二社の池は、慶長11年(1606)伊丹播磨守が田畑の用水溜として大小2つの池を開発したもので、現在の熊野神社西側、十二社通りをへだてて建つビルのあたりにありました。…水源は湧水であったようです。
池の周囲には享保年間(1716~35)より多数の茶屋ができ景勝地としてにぎわっていました。明治時代以降は、大きな料亭ができ花柳界として知られるようになり、最盛期には料亭・茶屋約100軒、芸妓約300名を擁したほか、ボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われましたが、昭和43年(1968)7月に埋め立てられました。・・・」
以下が、熊野神社正面の鳥居と社殿であり、全体の見取り図です。
そして、そこの掲示板を引用しますと
「十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に…)。・・・この十二所が、昭和45年(1970)までこの地の町名であった十二社と読み変わったものとされますが、別に複数の社をひとつに祀る相(双)殿形式で十二の社を祠った十二相(双)殿からきたという説もあります。江戸時代の文献にはこの他、十二處、十二荘、十二叢、十二層などの記述が見られます。・・・
また、享保年間(1716~35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風景は江戸西部の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。・・・」とあります。
公園に珍しい木がありましたので掲載します。
左はメタセコイア(スギ科)、右はトクサ?
園内には小さな動物を守るためにビオトープ(生物空間)が設けられていました。
金網で厳重に守られていました。
地球はまだまだ大丈夫なのか?