地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

ニュージーランドの地震で思うこと

2011-02-27 | 日記
ニュージーランドの地震で思うこと

2/22 朝、 ニュージーランドのクライストチャーチでM6.3の地震がありました。
場所は下の地図の赤★印のところです。

(掲載した地図は、帝国書院発行の「最詳高等地図」を背景画像にしました)

また、プレートテクトニクス画像で見ると、太平洋プレートとオーストラリアプレートの丁度接点上のようです。

上の地図のオレンジ線がその境界線です。

直下型で震源の深さは5Kmというから、阪神淡路大震災(震源地は明石海峡沖、深さ16Km)と同じような地震でしょう。


日本と同じように地震の多い国だそうですが、それでも日本の約1/10だとか、
日本近海には、太平洋プレートとユーラシアプレートのほかに、フィリピン海プレートと北アメリカプレイとが入り組んでいます。


以前、耐震強度を偽った設計の建造物が世間を騒がせましたが、私は素人目に、「どうして、耐震強度だけを問題にするのか、なぜ、同時に、活断層の存在を問題にしないのか」と疑問に感じました。

阪神淡路大震災の場合にも、活断層に沿って建物が倒壊している様子がはっきり見えました。

多分、地価への影響が大きく作用したのでしょうが、隠しとおせる事ではなかろうと思いますが・・・

同時にやはり、耐震強度も問題にはなりますね。
両面から地震対策を考えないとダメでは?

今日、地元の文化祭で油絵を愉しんでおられるグループ「渋谷油絵サークル」の絵の展示を見ましたら、在りし日のクライストチャーチの教会の建物が描かれていました。

(石川蓉子様の描かれた「思い出の大聖堂」です。)

この度の地震で無残に倒壊している様子がテレビで見れました。

歴史ある、ユニークな建物で目を引きますが、レンガ造りで耐震強度は低いでしょう。

都心部には、こうした古い遺産が沢山あるはずです。
対策を考える必要がありますね。

人命救助のためには、約72時間(3日間)以内の救出が必要のようですが・・・




中央アジアとは

2011-02-18 | 日記
中央アジアのこと


中央アジアは一般には、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5ヶ国のことです。

いずれの国名も「スタン」 で終わっています。
「スタン」は「国」を意味しています。

地図で見ると、下の黄色線で示した地域です。

(背景の地図は 帝国書院発行:「新詳高等地図」より掲載しました。)

このたび中央アジアを取り上げたのは、
小生が世界地図に疎い(国内も同じですが)のと、
今回、ウズベギスタンのカリモフ大統領が来日し、日本政府と資源外交を展開した、特にレアメタルの開拓に留意したというニュースに接したので、
これを機会に、残り少ない日々を使って、色々な国を覗いてみようと思ったからです。

さて、順を追って概略を眺めると、

○ カザフスタン共和国
ソ連崩壊の1991年の後、カザフスタン共和国として独立しました。
これら、5カ国は、全て旧ソ連に属していました。

この国は中央アジアの中で最も面積の広く、世界でもインド、アルゼンチンについで第9位です。日本の約7倍。

同時に世界最大の内陸国です。海に面していない国です。

もっとも、この5カ国はみな、海に面していない内陸国です。
(カスピ海には面していますが、これは世界最大ですが、湖です。)

面積は広いのですが、その大部分は砂漠やステップで、人が住めるところは首都と一部の地域に限られています。

人口は1700万人とか。

日本の約7倍の面積に、1/7の人口が住んでいるわけですから、人口密度は約1/50ですか・・・。

○ ウズベギスタン共和国
この国も、ソ連崩壊によって独立しました。

独立後は、ずーと現在まで20年間も、このたび来日したカリモフ大統領が権力を握っており、ほぼ独裁政権を維持しています。
反政府暴動で多くの死者を出し、非難されましたが・・・

この国も、80%が砂漠で、あとは乾いて荒れた土地、農地は僅か10%ほどしかないそうです。

ソ連時代に、雨の少ないこの地域に、アラル海の水を引いた灌漑で、綿花栽培が強制されたため、塩害や湖そのものの縮小で、食料自給率が落ちて苦しんでいるそうです。

アラル海は塩湖ですから、灌漑用水には不向きです。
それに、流入だけで、この湖から流出する河川はありません。ですから塩分濃度は増すばかり。普通の6倍だとか。
その上、先にもふれたように、水量が年々減っているようです。今に干からびてしまうのではとさえ言われています。

さて、面積の割には人口が多く、この5カ国で一番多いそうです。
2400万人とか。面積は日本よりやや広い程度で・・・。

最近は、鉱物資源の開発で、少し日の目を見るようになったそうです。
レアメタルで悩んでいるわが国も、この点に注目しているようですが。

○ トルクメニスタン

面積は日本よりやや広いが、人口は400万人強。人口密度は日本の1/30程度。

独立後も経済的・軍事的には未だにロシアの影響下にある始末です。

○ キルギ共和国(キルギスタン)

面積は日本の約半分。人口は500万人弱。

国土の40%が標高3000mを超える山国だそうです。
国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びています。

ただ、ここは他の国々と違い、砂漠がなく、気候にも恵まれています。
ローマやサンフランシスコと同じくらいだとか・・・

ソ連時代に大規模な灌漑工事が行われたため、綿花などの栽培にも向いているようです。

○、タジギスタン共和国

面積は日本の40%ぐらい。人口は600万人とか。
中央アジア5カ国の中で最も貧しい国のように言われていますが・・・。

もともと資源・産業が乏しく、大多数の人は年収350ドル(3万円)足らずの生活だそうです。

欧米や日本からの経済援助もあり、順調に発展していたのですが、

国土のほとんどは山岳地帯で、
中国との国境には世界の屋根と称されているパミール高原があります。





新燃岳(しんもえだけ)噴火

2011-02-11 | 日記
新燃岳(しんもえだけ)噴火が騒がれています

下の写真は、鹿児島空港辺りから展望した噴火前の霧島連山の画像です。


日本列島には108の活火山があります。
108ケとは・・・正に四苦八苦(=4*9+8*9)を取り払う除夜の鐘にあやかりたいですね。

そして、世界の活火山の7%が、面積で0.25%の日本にあるそうです。
ということは、平均して28倍も多い火山大国ということになります。

今年、1月19日以来噴火している新燃岳もその活火山の一つです。

噴煙は3000mものぼり、火山灰や小さな噴石が降り注いだそうです。

気象庁の定義によると、
活火山とは「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」だそうです。
 
今回の噴火は、江戸中期の享保の噴火以来だそうで、約300年ぶりです。

その時は一年半も続いたそうですが、同じ轍を踏まないで簡単に済むことを祈ります。

下の地図でもわかるように、新燃岳(1421m)は、韓国岳(1700m)と高千穂峰(1574m)の中間付近にあり、山頂には直径750メートルの円形火口があり、その中央には湖もありました。


鹿児島県と宮崎県境を辿って断面図を作ってみると、


いずれも、月の表面のように噴火の跡が生々しい、険しい山々とのようです。

国土地理院の「電子基準点におけるGPS観測結果によれば、・・・」
下の図にある三角形の基線の距離は、1月26日の噴火直後から縮む傾向にありましたが、2月1日以降、ほとんど変動が無いそうです。


素人目には、山塊全体が火口に向かって絞り込まれていたようですが、噴火で息抜きが出来た直後は落ち着いてきたようです。
大自然の一寸した鼻息も、人様にとっては大変なトラブルになりますネ~!

一寸おかしい! 
絞り込まれたために噴火したのではなく、噴火したからしぼんだのでは?
そうでないと、噴火の予知は簡単に出来るはず。訂正します。


 昨年は、口蹄疫で苦労し、ようやく牛を出荷できるまでになったと思ったら、今度は噴火と鳥インフルだそうですが、ついていませんね。
同情いたします。

二次災害も怖いそうです。

軽くて治まることを祈るのみです。







岩戸山から十国峠への登山

2011-02-07 | 日記
岩戸山から十国峠に行ってきました。

2年ぐらい前、熱海駅から伊豆山神社、岩戸山、十国峠、それから東光寺から湯河原駅へ下るコースを歩いたことがありますが、今日はそれより短く、十国峠からケーブルとバスで熱海来宮に降り、来宮神宮と梅園を楽しむコースでした。

総勢14人(内・女性4人)。天気は晴れのち曇りで、温かでしたが視界開けず、十国峠からの展望はゼロに近かったです。

しかし、そこは女性も混じっており、賑やかなハイキングムードでした。

コースは下の地図です。


下の経路断面図でも解る通り、殆ど0m(千歳橋)から、十国峠の774mへの標高差を登るわけですから、殆ど登り一本で、余り楽ではありませんでした。


先ず、岩戸山を背に、逆方向に千歳橋へ歩きました。

遠くに見える岩戸山は綺麗な陣笠様の山でしたが、あすこを越えてその先へ行くのかと、少々うんざり!


千歳橋からは、急な坂を延々と上りました。
簡易舗装の道で歩きにくくはありませんでしたが、結構長い道のりでした。

本来ならば、相模湾が垣間見えるはずですが、今日はもやっていて、殆どその姿は見れませんでした。

ただ、我々の歩いている下を、東海道線や東海道新幹線が走っているのかと思うと、人間はたいしたことをやるものだなあと、感心いたします。


そして、お昼過ぎに第一の目的地、岩戸山(734m)に着きました。
約3時間の歩行でした。

そこから、本来ならば、富士山や箱根や、相模湾が眺められるのでしょうが、本日は、全く眺められませんでした。

ただ、これから歩いていく十国峠の展望台が、下の写真のように遠く、小さく霞んで見えました。


昼食の後、また元気に十国峠に向かいました。

途中、東光寺さんがあり、二人ほど鐘を撞いて楽しんで(?)いました。


そうして、ゴルフ場のような広場に出ました。
遠くに展望台がデ~ンと構えていました。本日の登山の終点です。

やはり展望はゼロ。一応、近くが望める写真を掲載しておきます。


そこからは、ケーブルとバスでスイスイ!来宮駅へ。

途中、先ず、来宮神社にお参りしました。

いつものつもりでお参りしましたら、どっこい!ビックリ!!
凄い楠が鎮座ましましていました。
「大楠」で文部省指定のご神木だそうです。
樹齢二千年、周囲23.9m、高さ約20m、本州一位の巨樹だそうです。

(一寸待った!木の高さより、その周囲のほうが長いとは?・・・)
いろいろ調べてみましたが、間違いありませんでした。写真を撮り忘れたのが残念ですが・・・。

説明文によると
「古代の日本民族は、大きな木、岩、滝など巨大な自然創造物に神々が宿っていると信じ、其の自然創造物の前で祭祀を行い、感謝し祈りを捧げる神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)信仰を持っておりました。時が流れ、建物の文化が進み、それらを中心に社殿、鳥居が建立され神社が形成されたといえます。・・・」

また、来宮神社はもと「木宮」神社と言われていたそうです。

そして、そこから少々歩いて、熱海梅園に行きました。
ただ、梅が沢山花をつけてるだけだろうと軽く考えていましたら、いろいろ趣向が凝らされていて、結構楽しく見て廻りました。


幹事さん、いろいろ有難う。

後は、電車内にて例のごとく・・・

乃木神社界隈へジョギング

2011-02-05 | 日記
乃木神社界隈へジョギングしました

通常のジョギングコースでは飽き足らないらしく、ドンドンエスカレートしたコースになってきました。

今朝は、乃木神社まで足を伸ばそうということになり、走り始めましたが、そのあと、豊川稲荷、東宮御所一周へとエスカレートし、結局、ハーフマラソン並みの距離になりました。途中の神宮内苑は走れないので歩きましたが、3時間の行程でした。

老兵は、程ほどにしないと、近いうちばててしまうかも・・・?

さて、その今日のコースの概要は下の地図の赤線です。


朝7時頃スタート。
いつもの代々木八幡横から代々木公園を通り抜け、原宿駅から表参道へと走ります。

昔、同潤会アパートが立ち並んでいたケヤキ並木です。今は、しゃれた「表参道ヒルズ」になっています。

今日は土曜日なのと、朝早いので人通りは未だ少なく、みんな(といっても3人ですが)快調に走り抜けました。

そして、青山霊園を抜けて目的地の乃木邸跡に着きました。

開苑は9時からなので、塀の外から垣間見るのみでした。
この地で、乃木さんご夫妻は自害されたのです。
「・・・大正元年9月明治天皇のあとを追い、夫人静子とともに自害して果てた。・・・」と説明板にありました。


大変馬を可愛がっておられたそうで、自分の家より馬小屋のほうが立派なつくりとか、今も道路際に赤レンガ建ての馬小屋が残っています。

さて、その下に乃木神社が鎮座しています。
結婚式場としても賑わっているようです。
満開の白梅を入れてパチリ!


そこからUターンして帰るつもりでいましたら、仲間は張り切っていまして、豊川稲荷を廻って帰ろうということになり、途中の高橋是清翁の記念公園を経由して豊川稲荷へ向かいました。

高橋是清大蔵大臣はニ・ニ六事件の際、この地で凶弾に倒れられました。83歳。
NHKテレビ「坂の上の雲」では西田敏行さんが是清翁役を演じていましたが、「だるま」の異名をもつ人間味ある新進の文化人であったようです。


また、この地は、最初の赤坂区役所があった場所でもあります。

そして、豊川稲荷には、“おきつねさん”の石像とお稲荷さんの旗が一杯ありました。
商売繁盛を祈願してお参りしました。(年金暮らしには関係ないか・・・?)






さらに、迎賓館の正面入り口を見物し、明治神宮外苑を突っ切って、原宿駅前に帰りました。

神宮内苑はジョギング禁止ですので、一休みを兼ねてウオーキング。
多分、埃が舞うのと砂利が乱されるためでしょうか・・・?

結婚式後の記念撮影の姿に見とれながら、帰路につきました。

確か、地元のいつものコーヒー店に着いたのは10時頃でしたか。

いい汗かいて、スッキリ!






東京スカイツリーを見ながらウオーキング

2011-02-03 | 日記
東京スカイツリーを見ながら隅田川沿いをウオーキング

部屋の中で本など読んでいると眠くなるので、今日は久し振りにウオーキングとしゃれ込みました。

東京スカイツリーも完成(今年12月予定)間もなくになりましたので、その見物と花見の頃のジョギングコースの下見を兼ね、本所吾妻橋駅から白髭橋経由、都営地下鉄浅草駅まで、総延長約5~6Kmをウオーキングしました。

おおよそのコースは次の地図赤線です。


都営地下鉄本所吾妻橋駅で降り、アサヒビールの「○○○ビル」(黄金の雲のようにも見えますが・・・)を目安に隅田川河畔に出ました。
ここから川沿いに上流へ歩こうというのが本日の経路です。


吾妻橋横には隅田川沿いに作られたテラスに下りる石段がありますが,今日はジョギングルートの下見でもあり、途切れることもなく走れる高速道路下の歩道を歩きました。

墨田区役所横から墨田公園横に出る源森橋上から見る東京スカイツリーは絶品のようですので写真をパチリ、


このタワーも今年中には完成し、来春から本格稼動のようです。
高さ634m、「ムサシ=武蔵の国」にちなんだ高さとか。ちょっとくだらない拘りのように思いますが・・・?

まあ、そんなことはたいした問題でもないので先を急ぎましょう。

墨田公園に入りました。
以前来たときは暗くなりかけていましたが、今日はまだ3時過ぎ。ゆっくり園内を探訪しました。

本格的な日本庭園です。その横を高速道路が走り、少し目を転ずると世界第二の高さを誇る東京スカイツリーがまともに見られます。

水戸のご隠居(列公)はなんといわれるでしょうか・・・?


水戸藩の下屋敷跡です。
最後の将軍といわれる徳川慶喜公も良く来られたそうです。

紅白の梅を見ながら突き当たったところが牛嶋神社です。


今日は、明るいので、ゆっくり牛塚・包丁塚を眺めました。
牛の顔をアップに撮リましたが、確りしたいい顔をしています。


そこから、隅田川の流れを愛でながら、ゆっくり歩いて桜橋に着きました。

この橋は歩行者専用の橋で車は通れません。
台東区と墨田区が仲良く金を出し合って造ったものだそうです。完成は昭和60(1985)。


そのとき、先にワシントンのポトマック河畔に贈った桜並木のお礼にと、その子孫の木が贈られてきたものだそうです。
心温まる話です。是非、桜の頃ジョギングしたいものです。

橋の袂に「常夜燈」(高さ465cm)が残っていました。



この説明板の一部を掲載すると
「・・・この付近にはかって『竹屋の渡し』が設けられ、春の花見や夏の花火見物、明治に入ってからは向島の花柳界へと遊興客が数多く運んできました。まだ照明が発達していないこの時代にはこの常夜燈の明かりが非情に重要な役割を果たしていました。・・・」

そこを過ぎて、一路白髭橋を目指しましたが、その通路は余りジョギングには向いていませんでした。対岸の台東区側もほぼ同じです。
ジョギングコースは桜橋を渡り台東区側を折り返すことにしましょう。

一応、白髭橋より東京スカイツリーを臨む眺めの写真を掲載します。


そして、夕日に反射して輝く朝日ビールのビルを見ながら、東武浅草駅に着きました。
出来れば、そのビルのシンボルに夕日がきらめく光景を見たかったが・・・


そして、浅草雷門へは寄らず、真直ぐ神谷バーに入りました。


下町らしく、一人で入っても、独り静かに飲むことはなく、廻りの人たちと十年来の友人のように語り合いながらビールを飲み、コロッケを食べました。

今日も、いい一日でした。