地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

お墓参りに行きました

2012-07-28 | 散策

お墓参りに行きました

 

お盆でもあり、お寺も新しく出来上がったので、久しぶりにお墓参りに行きました。

何時もは、二宮駅からジョギングで往復するのですが、今は自重してウオーキングで往復しました。


 

往復約8km、気温35度、やや勾配のある道なので、少々くたびれました。それも、暑い盛りのお昼前後です。

タクシーでお参りしたのでは、故人も特別喜ばないだろうと、一人合点して、よたよた歩きで苦行しました。

 ミカン畑の広がるあたりから、富士山の絶景や相模湾が眺められるのですが、今日はもやっていて、晴天ですが見れませんでした。
 

近くのゴルフ場は良く観れましたが・・・。
 

途中の富士見平バス停で、「愛の地蔵尊」を眺めながら、木陰で一休みしました。
 
「愛の地蔵尊」の説明板を紹介します。

「今から三百余年前、水盃を交わしてお伊勢参り旅立った数人の村人達は、無事に参詣を済ませて大井川まで戻ったが、川止めにあい、この村人たちの中の一人の若者は、結婚後三か月もたたない若妻が家で待っているので、帰路を急ぐあまり川止めの禁を敢えて犯し、濁流に呑みこまれてしまった。村人たちは村に戻り、この若妻に『夫は、川止めと聞いて、幾日も待っておれないと川舟で伊豆を廻ってこゆるぎの浜へ帰るといっていた。』と嘘を言った。若妻はこの話を信じ、展望の台地(湘南富士見平)へ迷い出て相模灘を覗きこむように夫の帰りを待ったが、ついに歌うが如く、泣くが如く、夫の名を呼び続けてこの台地をさまよう身となった。

後に、この話に感激した一女性が私費を投じて地蔵を建立し、厚くこの若妻を供養した。これが『愛の地蔵尊』である。」 と、

 

 11:00頃、お寺にたどり着き、草ぼうぼうの墓を掃除し、お花を供え、線香を燻らして、お詣りしました。

  

やるべきことをやったと、いい気分になりました。
後は、駅前まで歩いてビールを飲もうと・・・。
意欲が湧いてきました。

もう間もなく私もここへ納められ、時には子供たちも墓掃除に来てくれるだろうかと、
淡い期待をしていますが・・・、そのうち無縁仏になるでしょう。

               ☆

 最近、少々おかしな思いを巡らすことがあります。

シャワーで汗を流しているとき、
この体は親からもらったもの。大事に使わなくっちゃね。
すると、この体は、私の心の仮の居所ではないのかと。
最近、心臓や肝臓など、体のあちこちを他の人から移植しているようですが、
心の移植は聞いたことがない。
体は何時か朽ち果てるだろうが、心は別の宇宙をさ迷い歩くのではと・・・。

都合のいい解釈をしながら、老後を楽しんでいます。


第64回 毎日書道展を観る

2012-07-13 | 散策

第64回 毎日書道展を観る

 

今日も、2時間早めに、国立新美術館へ出かけました。

コースは、いつものジョギングコースですが、例のごとく歩いて目的地に向かいました。

距離は7km。
まず、水道道路から明治神宮に寄り、原宿通りを高野長英ゆかりの善光寺に向かい、 

青山霊園の中を通り、美術館に向かいました。

2時間あれば十分と予定しましたが、
歩行がまだ不自由の為か、途中から時計を見ながら急ぎ足で向かいました。
暑い日で、少々疲れました。

水道道路では トチノ木が大きな実をつけていました。
沢山植えてあるのに、実を着けているのはこの木だけでした。丸い大きな実でした。

 

別名 マロニエ。栃木県の県木だそうです。
大きな木で家具にも適し、以前は芯をくり抜いて木臼に したそうです。

東京新美術館が見えてきました。
材料運び込みの裏門から入りました。

立派な建物です。
こんなところで高校時代の女友達は出品するようになったのかと、少々驚いています。
いや、尊敬しています。 

友人たちと一緒に会場に入りました。
 

書には審美眼の全くない私ですが、この書道展は更に困惑させられます。
友人の書がありました。

 

「開眼」と書いているんだそうです。どうにかそれらしくは読めますが、
もっと素直に書けばいいじゃないのかな~ この世界は分からん!

「熊谷恒子の世界」展も同時に開催されていました。
現皇后陛下に書道を進講した人だそうです。
かな文字の第一人者で
その書は「平安期の古筆を究め、流麗で格調高い書で・・・」

また、毎日書道展の「毎」のデザインのルーツについては
中国・唐の玄宗皇帝時代の人・顔真卿の書からの抜粋だそうです。 

どうも、書のルーツを尋ねることに、意味があるのかな^?
しかし、前衛書部では「可読性を超えた文字性、非文字性の作品」
だそうですし、より一層、この世界が解らなくなりました。 

 

 

 

 

 

 

 

 


浅草観音界隈を散策

2012-07-12 | 散策

浅草観音界隈を散策

 

仲間と10:30雷門で落ち合う約束があり、これを機会に私は一人早出をして、その界隈を散策しました。

先ず、隅田川沿いに、吾妻橋手前から日本堤通りをぶらぶらしました。
江戸時代には、遊び人が船(猪牙船)で吉原通いを楽しんだコースです。

(地図)

隅田川(大川)沿いには緑豊かな隅田公園が広がっており、一時期多かったテント村は全く姿を消していました。
どちらへ行ったのでしょうか。

暫く北上し、桜橋手前から、日本堤通りへ入りました。

今は、流れは暗渠になり、一部山谷堀公園に生まれ変わっていました。

少し前までは、大阪の釜ヶ崎と並び称されていた山谷も
下の写真のように整理され、昔の面影は全く見られません。

 

 

吉原を覘いてみようかと思いましたが、早朝から徘徊するのもどうかと思い、
その手前から馬道通りを南下し、浅草寺のほうに向かいました。

江戸時代の地図を見ますと、この辺りは畑の広がる地帯だったようです。
遠くに見える吉原や浅草寺の明かりを見ながら、畦道を歩いてみたいものですが、今はその面影もなし。

 

浅草寺病院の横から花やしき遊園地のほうに進み、
まだ寝静まったように静かな「花やしき通り」をお寺の裏に進みました。

今日は失礼しましたが、お隣には有名な浅草六区で、今でもにぎわっているようです。

学生時代、フランス座のストリップや映画や喜劇が栄えた地帯です。懐かしいな~。

 

今日、7月10日は、観音さまのご縁日で、「四万六千日」と呼ばれ、
今日お参りすると46,000日分(約126年分)のご利益があるとか。

このいわれは「米一升の米粒が46,000粒あり、一升と一生をかけた」ですが・・・。

 

遠くに完成直後のスカイツリーが望めます。
 

 また、この日には「ほおずき市」も開かれていました。 

ほおずきもいいが、威勢の良い娘さんたちの掛け声がいいですね。

 

10:30 雷門の近くで仲間たちと会い、総勢9人で賑やかに、仲見世などを散策、本堂や浅草神社(三社権現様)にお参りし、
どやどやと駒形ドジョウを楽しみにまいりました。
これが今日の最大のイベント。

めでたし、めでたし!


旧岩崎邸庭園を拝見

2012-07-01 | 散策

旧岩崎邸庭園を拝見

 

今日は上野の東京都美術館へ「第53回 日本書鏡院展」を仲間たちと見に行きました。

丁度同じ会場(入口は違いますが)で、今話題の フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を開いており、結構混んでいました。

 

さて、小生は「書」はチンプンカンプンなのですが、高校時代の仲間が出展しているので、交流を温める意味もあり、

その方を観に行きました。

 

どうせ、上野まで出かけるのならと、早めに出かけ、いまだに訪れたことのなかった旧岩崎邸を先に観に行きました。
たった一人で、孤独な散策を楽しみました。 

 

 

旧岩崎邸は三菱創設者・岩崎家本邸として、明治29(1896)年に建てられたもので、
ニコライ堂、鹿鳴館などを設計した英国人コンコルドのものだそうです。

洋館と憧球室(ビリヤード場)は重要文化財で、写真は撮れないし、建物には手を触れるなということでした。

特に目を引いたのは、和紙で加工した壁紙で、中でもご婦人用応接間のピンク色の壁紙は絶品でした。

和室から庭に出て、ほとんど人のいない広大な芝庭を散策しました。
芝園の周りには日本式庭園が取り囲んでおり、しばし心の洗濯をさせていただきました。

庭園からの写真は許可されていましたので、次に掲示します。

特に、和室の前のモッコクの大樹と、

憧球室横のヒマラヤスギの巨木に目を見張りました。