地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

烏山川緑道をサイクリング

2010-03-31 | 日記
烏山川緑道をサイクリングしました。

先日、目黒川緑道から北沢川緑道へウオーキングしたのが大変良かったので、
今日は、北沢川緑道と別れて、烏山川緑道を、サイクリングしてみました。

3/28完成したばかりの大橋JCTから緑道へ入りました。(下の図)


北沢川緑道と烏山川緑道の分岐点には、下の写真のような、可愛いらしい像が案内してくれています。
これらを含めて、世田谷区が整備してくれた、憩いの道です。感謝!感謝!


烏山川緑道も北沢川緑道と同じようによく整備されていました。
下の写真は、携帯カメラのためか、暗くてイメージはよくありませんが、実際は快適な自転車・歩行者専用道路です。


国士舘大学の大きな建物の横を過ぎた辺りから、下の西部の地図に移ります。


サイクリングしにくくなるのは、宮の坂駅を過ぎてからです。

道幅も狭くなり、歩行者優先の道になります。歩行者にはいい道ですが・・・。

自転車は、歩行者専用道路と並行して走る車道を走ることになります。
車が多いときは走りにくいでしょうが、幸い今日は時間的(11時頃)にも、比較的車の少ない時で、あまり苦労はしませんでしたが・・・。

下の写真は、経堂五丁目のスーパー・LIFの前の道です。



全長7Kmとか。快適にサイクリングできました。

この先の環状八号線から芦花公園の横を走り、上高井戸交差点から、甲州街道を新宿方面に飛ばして、我が家に帰りました。

走行時間は、我が家を出てから約3時間でした。

東京って、電車やバスにばかり乗ってるから、広く感じますが、自転車で走ると、“ちょっと”ですね~!

陣馬山ハイキングの下見

2010-03-29 | 日記
陣馬山ハイキングの下見に行って来ました。

行くだけの価値は十分ありました。

乗り物の連絡は、殆ど問題はありませんでした。

高尾駅では、バスを待っている間に、上品な老夫婦と温かい会話ができました。
今朝6時出発で静岡から、「夕焼け小焼けの里」を訪ねてこられたそうです。
人柄の実に温かい、綺麗な奥さんでした。バスを降りられてからも、発車まで暫く待って、手を振ってお別れしてくださいました。

おかげで、今日は、あまり天気は良くなさそうですが、気分爽快な朝でした。

バスでの途中、山の仲間の眠ってる墓地にも遠くから拝ませていただきました。

さて、終点の「陣馬高原下」へは予定より10分早く着き、下のパネル地図を眺めながら5分休んで出発しました。新ハイキングのルートもちゃんと描かれていました。


このバス停で降りたのは3人。そのうち1人は地元の奥さんらしい人でした。
とやこうしているうちに、私一人になり、のんびりハイキングを始めました。
一人もまた、実にいいもんですな~。

さて、本日のメインの陣馬街道は、八王子から和田峠を越えて藤野へ下る、甲州街道のわき道で、別名、甲州脇街道とも呼ばれていた道です。

下の図が、今日のルート図です。




下の写真①が、本日の陣馬街道入口です。


それを、さらに近道をしようというのが、今回のハイキングルートです。

下の写真、がその分かれ道です。
小さな表示板に、新・ハイキングルートと書いてありました。





先月の雪で、下の写真②、のように落石や、倒木があちこちに見られました。


でもま~、歩く分にはたいしたことはなさそうで、前後に全く人影の無い、一人世界を楽しみながら、どんどん進んでいきました。

当日はお汁粉の準備のため、鍋釜も持参するそうですから、別ルートの登山者が着くまでには、準備万端整えて・・・、11:30頃には着いててやろう、などと思いをめぐらせながら・・・

ところが、杉の倒木が多く、それを潜ったり、乗り越えたりしている内に、なんだか道らしいところから遠く離れてしまったようでした。

案内図では峰伝いに登るはずなのですが、私の歩いてるところは、ちょろちょろ水の流れている沢伝いです。
周りを眺めても、道らしいものは見当たりません。

え~い、ままよ。たいした山ではない。上へ上へと行けば、陣馬山の白い馬に出くわすはずだと、苦労しながら登りました。

ちょろちょろ流れてた水も無くなり、石ころと、倒木と闘いながら、ただ只管に登って行きました。

そこで、気がついたのですが、沢というやつは、初めはそれほどの勾配を感じないのですが、上に行くに従い、どんどん急坂に成り、頂上近くではもう60度以上で、四つんばいで木から木へ渡り歩く様でした。
危ないのは、丈夫そうな大木が腐ってもろくなっていることです。細いけど、青々としてるやつは、棘があって掴めませんし・・・。

やっとの思いで、明るい小道にたどり着きました。
1時間で登ってやろうと思っていたところを、2時間かかりました。
下見しておいて良かったですね。

帰ってから、八王子市観光協会へ電話で問い合わせてみましたが、実情は把握しておられないようでした。
あるいは、私が進むべき道を間違えたのでしょうか・・・?多分!

やっとの思いで、山頂に着きましたが、どんより曇っていて、展望は皆無。
人も10人もいませんでした。ちょっと寒かったです。
一応、記念に白馬は撮っておきました。写真③
富士山のほうに向かって、いなないてるのだそうです。


さて、食欲も大してないし、仲間もいないし、陣馬の湯で一人寂しく、お風呂に入るより、藤野の駅近くで熱燗を頂いたほうが、よさそうと、早々に下山することにいたしました。

落合目指して下れば、一本道で間違えることはないと、すたこら、すたこら道を急ぎました。いい道です。途中、和田への分岐点がありました。

そこでようやく、落合へ行くには、栃谷尾根ルートと一の尾根ルートがあることに気がつきました。幸い、温泉には寄らないつもりでしたから良いようなものの、これではリーダーは務まらないなーと、反省すること、しきり。

バスも、2時頃は全くなさそうなので、健脚(?)に物を言わせて、藤野駅まで歩きました。

この、藤野の地には、大きな立派なお家が多いですね。昔の豪農を思わせる門構えや、お庭が方々に見られます。
これも歩いたおかげですか。“犬も歩けば 棒にあたる”

藤野駅では、お酒を飲む暇も無く、1分後に立川行きが到着しました。
有意義な一日でした。


映画「アイガー北壁」を観て

2010-03-27 | 日記
映画「アイガー北壁」を観て



昨日、山の仲間と「アイガー北壁」を観に行きました。

1930年代、「ヨーロッパ最後の難所」として伝説化されていたスイスの名峰アイガー北壁登攀に挑み、命を失った悲劇の物語です。

ナチス政権下での登攀物語です。
国の名誉をかけての登攀です。

場所は、下の図の、アルプスです。



名峰アイガーは、ベルナーアルプス地域の一峰で、
ユングフラウ(4,158m)、メンヒ(4、102m)と並ぶ、三山の一つです。(下の図)



驚いたことに、当時(1930年=昭和5年)、既に、ユングフラウ鉄道が走っていたことです。富士山より高い、この山の下を、ユングフラウの近くまでトンネルで鉄道が走っていたのです。


やはり、ここでも、
こんな危険な山に、なぜ“命がけ”で登ったのかという疑問が生まれます。

答えは、
無名な、便所掃除人2人が、現状から抜け出て、一躍有名人に躍り出るために、“無謀な”冒険を挑んだと、云っているように思いましたが・・・。


そして、もう一つ。
その冒険が失敗したとき、もう、その挑戦の価値はゼロになり、人は見向きもしないことを付け足していました。世間は無情ですからね。

山登りとは、そんな意味しかないのでしょうか?
サーカスのアクロバットのような・・・
考えさせられた映画でした。














普天間基地周辺の地図

2010-03-25 | 日記
普天間基地代替施設移設先候補地の地図

先の自民党政権と米国が同意した「キャンプシュワブ沿岸部への移設」案を、今の民主党政権は修正しようとしています。

それは、地元住民が反対しているからとしていますが、多分、鳩山さん自身が、安保条約見直しを目論んでいるからなのではないでしょうか。
アメリカも海外の基地見直しを検討し始めている時期だけに、ゼロベースに立ち返って見直すことは賛成です。

下の図は、現在の普天間飛行場周辺の地図です。



上の図や下の航空写真に見られるように、基地のすぐ近くまで市役所や国際大学を含め、多くの民家が建ち並んでいます。
危険でもあり、騒音が大変でしょう。

米軍は基地の賃借料として年間61億円(一所帯平均16万円?)を土地所有者に払っているようですが、それでも、市として返還を求めています。




                     (宣野湾市のホームページより転載)


政府は、普天間飛行場周辺の、住民の危険性を取り除くために、

宣野湾市の米海兵隊普天間飛行場を、
1)、他へ移転するか、または全面廃止するか、
2)、移転するとなると、何処にするか
3)、最近は、普天間基地の継続使用案もちらほら・・・

下の図は、3/23の移設先の政府案の地図です。


(日経Web版より)

① キャンプシュワブ陸上案
② ホワイトビーチ沖合案
③ 徳之島の自衛隊基地使用案・・・県外案として一つはという意味か?
④ 普天間基地の継続使用案・・・これは、苦肉の策で
米軍部隊を普天間に残したまま、(臨戦時のために)
1) 訓練は自衛隊基地に移動(訓練移動)
2)  プラス+ 米軍ヘリ拠点も自衛隊基地に移動(機能移動)
3) そして、有事には普天間基地の使用を許可する。

しかし、いずれにしても、2014年には普天間基地返還完了の約束を日米政府は設けています。
宣野湾市の広報誌を見ても、跡地利用計画を検討しています。

さて、この問題は、鳩山政権の山場ですね。
これを何とかクリアーすると、
人気も持ち直し、夏の参議院選挙も上手くいくのでは・・・

そして、次に控えるのが
社会保障の全面改革と、北方領土問題では?
このブログでも、北方領土問題を遡って調べてみたいと思っていますが・・・




目黒川ジョギング下調べ

2010-03-20 | 日記
桜のまだ咲いていない目黒川沿いを散策しました。

近くジョギングするための下調べです。
独り寂しく(?)、のんびりウオーキング=6.5Km=約3時間半。

大体のコースは、東西2枚の図面に納めました。

下が目黒川桜道本命の約3,5Km。
雅叙園横の太鼓橋から玉川通りの大橋までです。

目黒川両脇にはギッシリ桜が植えられ,歩行者自転車専用道路が完備されていますが、ただ一箇所、川の資料館から船入場、中目黒駅の間の約500mが工事中で、左側のみ歩行できます。

コースは下の図の赤線です。



さて、順を追ってメモしますと、

目黒駅から雅叙園に向かって、凄い勾配の行人坂を下ると、途中に「大円寺」という立派なお寺があります。



このお寺は、江戸三大火災の一つ、1772年の 明和の大火(行人坂の火事)の火元でもあります。写真のお地蔵さんは当時の死者を祭ったものといわれています。

他は1657年の明暦の大火(振袖火事)、1806年文化の火事です。

下に降りると、太鼓橋に出ます。川沿いに雅叙園がそびえ建っています。

ここが、ジョギングのスタート地点です。
歩行者自転車専用道で、車は通行禁止です。大変よく整備されています。



次が、中目黒公園です。
丁度、保育園児らが賑やかに遊んでいました。広くて見晴らしの良い公園です。周りにマンションが立ち並んでいましたが、私も引っ越して来たくなりました。

再び、桜道に帰り暫くすると、「目黒川船入場」に出ます。
レンガ造りの広い、古いスペースですが、廃屋利用のようです。

本来は、水上交通目的に作られたようですが、車社会になって無用の長物になったそうです。早く取り壊して、もっと有効活用したほうがいいですね。川の資料館も開店休業のようでした。
すぐ横の元積荷処理場らしきところでは、3/27(土)、28(日)、ジャズ&ワインの「目黒川さくらフェスタ2010」が開催されるようです。(18:30までです)

そして、次に立寄ったのが、菅刈(すげかり)公園と西郷山公園です。起伏もあり、結構広い公園です。
よく晴れた日には富士山も見えるらしく、「この方角に富士山が・・・」見える旨の石碑が立っていました。
西郷山公園は西郷隆盛さんではなく、弟の西郷従道(じゅうどう)さんの屋敷跡だそうです。(下の写真)



そうして、沿道のもうすぐ咲き始めるであろう桜並木を眺めながら、本日の一応の終点である玉川通りの大橋にたどり着きました。

ここが、3/28オープンの大橋JCTの場所です。
巨大なJCTの追い込み工事が賑やかに行われていました。
街の様相にそぐわない感じですが・・・


ここから、第二ラウンドへ続きます。目黒川緑道と北沢川緑道です。
地図は下の図の通りです。




こちら側も、よく整備されていました。大橋~梅ヶ丘駅までの約3Kmです。





流れには、鴨も泳いでいるし、鯉(?)も泳いでいました。
この川の水は、落合下水処理場から引いた水だそうです。
飲み水にはならないそうですが、絶えず流れる、澄み切った清らかな小川のせせらぎでした。






「魚と野鳥のすむ目黒川」をテーマに行政担当者たちが頑張ってくれているそうです。

本日の全ウオーキング完了しました。日を改めて、烏山川緑道へも参りましょう。
では、一杯!

ルノワール展を観て

2010-03-17 | 日記
ルノワール展を観てきました。

新しくできた、国立新美術館です。




勿論、独りではなく、友人(ルノワール展を観るのにピッタリの女性)と一緒ですが・・・

「地図を楽しむ」テーマですので、チケット裏面の案内図(下の図)を載せました。



乃木坂駅から外へ出ることもなく、そのまま館内に入ることができました。

シンプルに整理された、一見簡単な略図のようですが、案内は的確で、無駄がありません。これぞ、「案内図」です。

初めて館内を訪れました。下の写真はそのパンフレットの表紙です。



展示は、
①、 ルノワールの旅・・・「団扇を持つ若い女」(漢字の入った日本の団扇。たぶん、黒田清輝の「湖畔」が参考になったのでは?)、「アルゼリアの娘」「麦藁帽子を被った女」・・・

②、 身体表現・・・ふくよかな肢体の魅力が、如何なく表現されていました。これぞ、ルノワール!! 「岩の上に座る浴女」「椅子に座る女」「麦わら帽子の少女」「浴女」「水の中の裸婦」「水浴する女」「横たわる裸婦」「花飾りの女」「帽子の娘」「泉」「泉による女」「勝利のブイーナス」「勝利のビイーナスのソルト」「可愛い洗濯女」「ヴェールをまとう踊り子」「裸婦」の19点。一番印象に残った絵は「水の中の裸婦」でした。

③、 花と装飾画・・・「縫い物をする若い女」以外は印象に残っていません。もう大分疲れていたためでしょう。

④、 ファッションとロココの伝統・・・「りんご売り」「野原で花を摘む娘たち」「花飾りのある帽子」「赤い服の女」・・・

もう一度、今度は独り寂しく見に行きましょう。

ルノワールの絵は、圧倒的に豊満な体つきの若い女性が多いですね。
それと、輪郭が鋭利な線でなく、ぼんやりと、やわらかい線です。
背景はなお更です。

大変、楽しい絵画展でした。ちょっとジョギングして観にいけるところにあるのは幸せです。
これからも、チョクチョク覗き見に行きましょう。

先に、このブログで、「全国に、五つも国立美術館を造るとは、函物だらけで、けしからん」という感想を書きましたが、取り消します。


陣馬山ハイキング計画

2010-03-16 | 日記


陣馬山(標高857m)のハイキングを担当することになりました。

先導するとなると、一度は下見に行って来ないと、どんなトラブルが待っているかしれません。

乗車は何番ホームか、どの辺りが座りやすいか、バスの乗り場や発着時刻は、トイレの所在地は、それに道路分岐点の確認、危険な場所等・・・いろいろあります。必ず下調べは必要です。

その為にも、陣馬山についての一般的な情報もかき集めておきましょう。

例えば、山頂には白馬の像があるとか、晴れた日には、どちらの方角に富士山が見え、筑波山、奥多摩も見えるとか・・・

さて、今回は、陣馬山の山頂で、登山組みとハイキング組みが別々のルートから登って、合流する計画です。
計画通りの時間で行動しないと、他のメンバーに迷惑をかけます。それだけに慎重です。

時によっては、三方向から登って、ドッキングする計画もあるそうです。

上の地図の赤線が、私の先導するハイキングルートです。緑線が登山ルートの一部です。

山頂までは別々のルートで登り、山頂での昼食後は、一緒に藤野駅へ下山する計画です。そのときは登山組みにくっついて、楽な気分で帰りましょう。

ただし、例によって希望者は、途中、陣馬の湯(日帰り温泉)に寄って、ゆったり休み、一杯いただいて、電車に揺られて帰ろうという、贅沢な企画です。


山の名前が「陣馬山」だけに、そうとうの戦乱の歴史があるのだろうと想像していましたが、むかし(16世紀・戦国時代)、甲斐の武田氏が八王子北部の北条氏の滝山城を攻めたとき、この山に陣を敷いたことから、陣馬山と言われるようになったとか・・・。
あまり激しい戦ではなかったようです。

山名も、本来は「陣場山」でしたが、かっこ良く「陣馬山」に変えたとか・・・。

結果はまた後日、ブログにて

奥多摩むかし道をハキングして

2010-03-15 | 日記
仲間と「奥多摩むかし道」のハイキングに行ってきました。

いい天気でした。

沿道には、青梅市の近くだからでしょうか、梅があちこちに咲いていました。
蕗の芽も、見れました。
フライにして、お酒のつまみにすると、ちょっと苦味があって、美味しいのですが・・・。やはり野に置け! ですか。
もう、春ですね。



今日のハイキング・ルートは、奥多摩町が力を入れているらしく、真新しい「奥多摩むかし道」の案内板があちこちに建てられていました。

ルートは下の地図の赤い線です。




10:00丁度に奥多摩駅を出発し、途中、昼食をとり、14:00頃、小河内ダムに着きました。
歩行距離約9Km、昼食時間を除いた歩行時間は約3時間半でした。

ところが、帰りは旧青梅街道と並行して走っている新青梅街道(国道411号線)をバスで帰りましたが、乗車時間20分。これが文明の利器です。

こんな便利なものがあるのに、わざわざ苦労して、歩いたり、走ったりするのは何故なんでしょう。
いい汗かいて、体を鍛え、健康な体を作るためであり、自然に直接触れて、浩然の気を味わうためですか・・・。

帰りに駅近くの“もえぎの湯” に浸かり、一杯呑んで、いい日、いいハイキングでした。


リーダーが心配していた、先の3/9の雪は、殆ど消えていました。

下は小河内ダム・奥多摩湖の全景です。




さて、この旧街道は、徳川家康公が江戸城築城の際、青梅の石灰を運ぶのに作った道だそうです。

新宿追分から甲州街道と分かれて、青梅、大菩薩峠、塩山、甲府で再び甲州街道と合流する、歴史ある道で、甲州裏街道ともいわれています。
甲州街道より8Kmは短く、関所も少ないので、庶民に親しまれた道だそうです。

沿道の不動明王は、成田山からの勧請だそうですが、同時に巨大な石灰岩を背景にし、見ごたえのある神社でした。
家康は、この辺の石を、江戸城築城の際、使ったのでしょうか。

説明版には
「・・・(この巨岩は)秩父古成層のうち石灰岩層の断層が露頭したもの。層脈は多摩川をはさんで対岸へもつづいている。 奥多摩町教育委員会」
とありました。



補足ですが、
現在の青梅街道は、街道最大の難所といわれている大菩薩峠越えではなく、その北側を迂回する、柳沢峠越えに変わっています。

目黒川の桜見物

2010-03-12 | 日記
目黒川沿いの桜見物(ジョギング)

ボツボツ、桜の花を楽しむ季節になりましたね。
そこで、今年は都内の主な桜名所をサイクリングやジョギングで探訪しようと思っています。

先ず手始めに、目黒川の桜を見に行きましょう。
ただし、勿論、ちょっと早すぎますかね~。


しかし、昨日(3/11)、別用で上野公園に参りましたら、
ごらんのように、もう、一部咲いていました。(上の写真)

後が支えているので、来週は、満開の桜をイメージしながら、ジョギングしてみましょう。
そして、別の日に、満開の夜桜見物にでも参りましょうか・・・?




先ず、最初に、目黒区の区名にもなっている目黒不動を尋ねよう。

東京にはこの他に目白不動など、五つの「五色不動」があります。
目黒不動 - 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田) 
目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)
目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂) 
目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪) - 最勝寺(東京都江戸川区平井)

次に、川の資料館。
ここは小中学生中心ですから、一般の人は、土、日、祝日しか入館できないそうです。

そして、朝倉邸、旧山手通り、西郷山公園、菅刈公園、
そして、目黒川沿いの桜を見て、大橋へ。

さらに、今月28日開通予定の大橋JCTの異様(威容?)を見物しましょう。

ループ式の構造で、 地上約35m、地下約36m、周囲約400m の4層構造 。


都心部の、この巨大なJCTは、私には ???ですが。

日本橋の高速道路と同じように不人気になるのでは?



「氷河後退 予想固まらず」(日経)を読んで

2010-03-07 | 日記
「氷河後退 予想固まらず」(日経)を読んで

氷河(glacier)は、圧力によって流動する、巨大な氷の塊だそうです。
その広さは、南極やグリーンランドなどの所謂「氷床」を加えると、1,633万km²あり、陸地面積の約11%を占めているそうです。

気候が寒くなると厚みを増して前進し、暖かくなると薄くなって後退します。
地球温暖化のバロメーターのようなものです。

最近、前進しているものもあるが、全体としては後退しているそうです。
特に20世紀後半から、そのペースが速くなっているそうです。
地球温暖化の影響でしょうか。

その様子がこの日経の写真に現れています。



上から、1978年、1998年、2008年の写真です。ネパールから撮影したもので、名大氷河圏研究室提供と記されていました。

地球が暖かくなって、なぜ悪いのか?といった話を聞いたこともありますが・・・

もし、グリーンランドの氷が融けたら6m海水面が上昇するそうですし、南極だと65mも上昇するといわれています。
東京だと、23区は全て水没してしまいますよ。

しかし、今日の記事では、「氷河後退は必ずしも今後、継続するものではない」という、ややホットさせる内容でした。確証はつかめてないようですが・・・
モルディブなどの国の人たちのことを思うと・・・?


下の写真は カトマンズ山脈のK2周辺の航空写真です。
谷に沿った帯状の筋が氷河のようです。



ヒマラヤ山脈やカトマンズ山脈は、ガンジス川、インダス川、揚子江の源流になっていて、中国やインド、パキスタンの貴重な水源地になっています。

この地帯は、夏季のモンスーン(季節風)による、降水・降雪の影響を強く受けていて、その降る雨が、雪になるか雨のままなのかで、氷河は大きく変わるそうです。

やはり、この辺で地球温暖化を真剣に考えて、対策を打たないといかんですな~
 
アメリカや中国などの大国が自己利益の追求に走り、国際交渉が纏まらないままだと
人類が生存できる地球ではなくなるかも・・・?