日本橋人形町を散策する
向田邦子さんの全集を読んでいましたら、人形町散策のエッセイに出くわしました。
彼女は10年くらい日本橋で仕事をしていて、夜は銀座や六本木ばかりで遊んでいて、すぐ隣の人形町へ行ったことがなく、今回訪ねてみてこんなに老舗の多い、歴史豊かな街があったのかと驚き、かつ残念がっていた内容でした。
私も、約半世紀も日本橋に通っていたのに人形町の記憶がなく、慌てて訪ねて見ました。
人形町探訪のルートは下の地図の赤線です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/bf/4f4c95de5084ba3c6ee1ca3d579e28ee.jpg)
夕方4:30頃から、独りでブラブラ徘徊しました。
街角にある看板地図で大体の行程を定めて歩きました。
気がかりなのは、地図屋は常に北を上に見るのが普通ですが、街の地図は現在地と合わせて位置関係を示しているので、時々まごつきます。
ここの地図も南が上を向いていました。
先ず、人形町三丁目の風呂敷専門店の「唐草屋」を覗いてみました。
京都、名古屋、東京の3店舗あるそうです。
金ね回りがよければ、いろいろ買い集めて楽しんでみたい風呂敷がありました。
風呂敷文化を伝え続けている素晴らしいお店でした。
そこのパンフレットに、次のような文章が載っていました。
「『包』という漢字の源字は、胎児が母親の胎内にやさしく包まれ、守られている様を表しています。風呂敷を通じて、モノを慈しみ大切にする気持ちを皆様に感じて頂ければうれしいです。・・・」
日頃、忘れかけていた大切な心を、取り戻したような気分で、何も買わずに出ました。
女性同伴で訪ねたいお店です。
電気の輝き始めた人形町交差点界隈には、帰りに立寄って一杯飲みたいお店がたくさんありました。また、向田さんのエッセイに書かれていた老舗も目に付きます。
先ず、交差点すぐ近くの大観音寺に寄ってみました。商売繁盛を願う街だけに、大事に祭られていました。もともと鎌倉に在って、廃仏毀釈の難に会われた仏像をこの地の人が持ち帰って祀られたのだそうです。
水天宮さんの方へ向かう途中に、今半のコロッケのお店がありました。
老舗でもあり、夕飯のおかずの足しにと、2個ほど買いました。
「あったか惣菜・精肉水天宮駅前店」です。
おばあさんも買っておられました。
第三者から見れば私もおじいさんでしょうが・・・
その先の路地に、「快生軒」というコーヒーのお店がありました。
向田さんのエッセイにも載っていました。
今日は、時間もお金も少ないので、また今度!
この人形町商店街には写真のような「からくり櫓」が2箇所設けられています。
刻限になったらからくり人形が歌に併せて踊るのでしょうが、その時刻を知らなかったので通り過ごしました。また今度ね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/30/f2e7b2460d72cf5cfa62b2e3bc35c976.jpg)
水天宮交差点を渡ると、角に“重盛の人形焼”の「重盛永信堂」の店が賑わっていました。“ゼイタク煎餅総本店”です。砂糖と卵をふんだんに使った固焼き煎餅です。
少し買って食べてみたら、確かにやさしい甘みが漂ってお茶うけにもってこいですね。
次には人形焼も食べてみましょう。
下はそこのパンフレットの地図を拝借しました。よく出来ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c7/853247e2a6853f64c9dca21a00e0c7d5.jpg)
元の方へ少し帰ると、土地柄を残す瀬戸物屋さんがありました。「紅とも」さんです。
有田焼や伊万里焼が並んでいましたが、私には手が出ません。一寸値がはります。
魅力的な酒徳利がありましたが・・・
元の人形町交差点近くの「浜の院」に魚の切り身の粕漬がありました。
晩のおかずに一番安いのを一つ買ってきました。
酒の肴に一杯。今夜が楽しみです。
時計は既に6時を過ぎていました。
楽しみにしてきた飲み屋を懐具合と相談しながら物色、「すし三崎丸」で秋刀魚を肴に一杯、いやニ杯楽しみました。
また近い内に来たい街でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/b_face2_full_m.gif)
向田邦子さんの全集を読んでいましたら、人形町散策のエッセイに出くわしました。
彼女は10年くらい日本橋で仕事をしていて、夜は銀座や六本木ばかりで遊んでいて、すぐ隣の人形町へ行ったことがなく、今回訪ねてみてこんなに老舗の多い、歴史豊かな街があったのかと驚き、かつ残念がっていた内容でした。
私も、約半世紀も日本橋に通っていたのに人形町の記憶がなく、慌てて訪ねて見ました。
人形町探訪のルートは下の地図の赤線です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/bf/4f4c95de5084ba3c6ee1ca3d579e28ee.jpg)
夕方4:30頃から、独りでブラブラ徘徊しました。
街角にある看板地図で大体の行程を定めて歩きました。
気がかりなのは、地図屋は常に北を上に見るのが普通ですが、街の地図は現在地と合わせて位置関係を示しているので、時々まごつきます。
ここの地図も南が上を向いていました。
先ず、人形町三丁目の風呂敷専門店の「唐草屋」を覗いてみました。
京都、名古屋、東京の3店舗あるそうです。
金ね回りがよければ、いろいろ買い集めて楽しんでみたい風呂敷がありました。
風呂敷文化を伝え続けている素晴らしいお店でした。
そこのパンフレットに、次のような文章が載っていました。
「『包』という漢字の源字は、胎児が母親の胎内にやさしく包まれ、守られている様を表しています。風呂敷を通じて、モノを慈しみ大切にする気持ちを皆様に感じて頂ければうれしいです。・・・」
日頃、忘れかけていた大切な心を、取り戻したような気分で、何も買わずに出ました。
女性同伴で訪ねたいお店です。
電気の輝き始めた人形町交差点界隈には、帰りに立寄って一杯飲みたいお店がたくさんありました。また、向田さんのエッセイに書かれていた老舗も目に付きます。
先ず、交差点すぐ近くの大観音寺に寄ってみました。商売繁盛を願う街だけに、大事に祭られていました。もともと鎌倉に在って、廃仏毀釈の難に会われた仏像をこの地の人が持ち帰って祀られたのだそうです。
水天宮さんの方へ向かう途中に、今半のコロッケのお店がありました。
老舗でもあり、夕飯のおかずの足しにと、2個ほど買いました。
「あったか惣菜・精肉水天宮駅前店」です。
おばあさんも買っておられました。
第三者から見れば私もおじいさんでしょうが・・・
その先の路地に、「快生軒」というコーヒーのお店がありました。
向田さんのエッセイにも載っていました。
今日は、時間もお金も少ないので、また今度!
この人形町商店街には写真のような「からくり櫓」が2箇所設けられています。
刻限になったらからくり人形が歌に併せて踊るのでしょうが、その時刻を知らなかったので通り過ごしました。また今度ね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/30/f2e7b2460d72cf5cfa62b2e3bc35c976.jpg)
水天宮交差点を渡ると、角に“重盛の人形焼”の「重盛永信堂」の店が賑わっていました。“ゼイタク煎餅総本店”です。砂糖と卵をふんだんに使った固焼き煎餅です。
少し買って食べてみたら、確かにやさしい甘みが漂ってお茶うけにもってこいですね。
次には人形焼も食べてみましょう。
下はそこのパンフレットの地図を拝借しました。よく出来ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c7/853247e2a6853f64c9dca21a00e0c7d5.jpg)
元の方へ少し帰ると、土地柄を残す瀬戸物屋さんがありました。「紅とも」さんです。
有田焼や伊万里焼が並んでいましたが、私には手が出ません。一寸値がはります。
魅力的な酒徳利がありましたが・・・
元の人形町交差点近くの「浜の院」に魚の切り身の粕漬がありました。
晩のおかずに一番安いのを一つ買ってきました。
酒の肴に一杯。今夜が楽しみです。
時計は既に6時を過ぎていました。
楽しみにしてきた飲み屋を懐具合と相談しながら物色、「すし三崎丸」で秋刀魚を肴に一杯、いやニ杯楽しみました。
また近い内に来たい街でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/b_face2_full_m.gif)