地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

京都散策

2012-11-29 | 散策

京都散策

 

2泊3日で、昔の仕事仲間たち6人で京都見物に出かけました。

腰の状態を心配して私は新幹線で往復しましたが、大方は車で往復しました。

ひかり号で、二時間四十分。料金はジパングで片道一万円を切ります。

 

京都市内の行動は、下の地図の通りです。

初日は赤、二日目は青、三日目は緑色です。

 

【11月25日】
学生時代から広島―東京間の列車の窓から、東寺の五重塔を眺めていましたが、ゆっくり見るのは今日が初めてです。結構駅から離れていて、徒歩約20分?

 

平安京の正門に当たる羅城門の東西に東寺と西寺があり平安京を守っていたそうだから、現在の京都中心とは大分西に寄っていたようです。

 

796年創建、平安京遷都が794年ですから、遷都後、間もなくの創建です。
真言宗宗祖である空海(弘法大師)の根本道場だそうです。
「・・・朝食を捧げる『生身供』の儀式は今日も毎朝6時から・・・おこなわれている」そうです。

 

そのそばに、小野道風ゆかりの池と柳の木が植えられていました。

道風は花札でも知られています。
道風は、あるの日散歩に出かけていて、柳に蛙が飛びつこうと、何度も挑戦している姿を見て
「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに」とバカにしていた時、
偶然にも強いが吹き、柳がしなり、見事に飛び移れた。
これを見た道風は「バカは自分だ。蛙は一生懸命努力をして偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力をしていない」と目が覚めるような思いをして、血を滲むほどの努力をするきっかけになったそうです。

   

 

そこから歩いて東本願寺に行きました。

途中で女の人に道を尋ねたら、『お東さんは・・・』と、京都らしい発音で丁寧に教えてくれました。いいムードでした。

西が先にでき、遅れて江戸時代初めに東本願寺ができました。
東西に分かれているのは、家督相続争いのようです。
幕末には新選組の屯所になっていました。

大きな建物です。木造建築物としては世界一大規模なものだそうです。

 

そこから更に北へ約1Km歩き、今日の宿にたどり着き、皆さんと合流しました。

そこからは,一緒に車に同乗し、二条城、上七軒の観光、夕食などを楽しみました。

 

ます、二条城。

徳川幕府の立ち上がりと終焉の地です。

 

「1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年完成・・・1867年(慶応3年)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となりました。・・・」

ですから、建物の最上段には菊の御紋が掲げられています。

もう、5時に近くになり、外も中も薄暗くはっきり見えませんでしたが、豪壮なものでした。
特に天井が高く、普通の民家の倍はあり、さらに床の間の広いこと。これぞ、床の間です。

 

そして次に、花街『上七軒』(かみひちけん)に行きました。

室町時代に北野天満宮の社殿を再建する際に、余った材料を使って建てた七軒の茶店から命名されたそうです。

我々も、先に北野天満宮にお参りしました。
ここは菅原道真公をお祀りした学問の神様で、『天神様』とも呼ばれています。

暗くなっていて、写真も写せませんでした。下はティケットの写真です。

 

同じ敷地内に、太閤が京都の整備事業として築いた『御土居』が保存されていました。

どうも、その目的がはっきりしていないようで、秀吉のみが知る不思議な構築物だそうです。

ですが、その中にある紅葉は“素晴らしい”の一語に尽きました。
御土居の周りに植えられていた竹藪ともよくマッチしていました。

その後に、上七軒で贅沢な広東料理を食べ、スナックによって一杯頂き、カラオケをうなり、大(?)散財して宿に帰りました。

 

【11月26日】

宿を7:30発 まず保津峡へ。

今日は天気予報通り雨。結構降っていましたが、その予定でしたので準備OK。

ただ、予定していたトロッコ列車が満員で亀岡までは車で溯上しました。

亀岡乗船場から嵐山下船場(渡月橋)までの保津川下りは約2時間、16Km。

雨で多少流れは荒れていましたが、その分スリルを楽しめました。
紅葉真っ盛り。船頭さんの話では、3日前が最高だったようですが。

 

この舟下りの始まりは、江戸時代初期、木材、薪炭等丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として角倉了以(1554~1614)が開いたものだそうです。

了以はこのほかにも富士川、天竜川、高瀬川など多くの河川改修工事を行っています。

 

下船後、亀山公園を一回りして、ゆったりした船宿で、窓外に屋形船を見ながら、湯豆腐でぬる燗と天ぷらおそばを頂きました。おいしい昼飯でした。

 

亀山公園も紅葉真っ盛り。雨のためか人出も少なく、ゆったりと紅葉を楽しみながらの逍遥でした。
途中に、周恩来首相の歌碑が建っていました。建国の父でしょう。

 

さて、腹支度もでき、そこから、高尾山・神護寺、仁和寺を訪ねました。

ただ、どこの寺も、同じような作りと紅葉で、段々感慨が薄くなりました。

 

ただ、仁和寺へは、私が行きたがっているとかで、足を延ばしてくれました。
徒然草に面白い話が載っていたためです。仁和寺での出来事です。

 

徒然草53段

「・・・酔いて興に入る余り、牓なる足鼎(あしがなえ)を取りて、頭に被きたれば、詰まるようにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞い出たるに、万座興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。とかくすれば、頸の廻り欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪え難かりければ、かなはで、すべようなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手を引き、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける。、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。・・・」

 

徒然草は、「万物は留まることなく移りゆく」という仏教的な無常観を前提にしたエッセイです。
私の愛読書の一つです。

 

そこから、市バスで祇園まで行きました。

先ず、八坂神社にお参りしました。普通『祇園さん』と言って親しまれています。

正月は大変な参詣人で賑わうそうです。

そして次に、先斗町まで歩きました。

 

三条通から四条通まで(約300m?)の石畳の細長い、長い通りです。

飲食店が多く、それでいてなかなか一元のお客は入れないとか。
(いまどきそんなこと言ってていいのだろうか?)

私どもは、身を固くして、ただただ下を向いてひたすら歩きました。

 

次に、祇園の街へ『おばんざい』を食べに行きました。

酒のおいしい、いいお店でした。ゆっくり “おばんざい” を頂きました。

また行きたい店です。

 

【11月27日】

最終日です。お昼ごろ新幹線で帰る予定で行動してもらいました。

朝6:30スタート。先ずは大原三千院へ。

 

このお寺の階段は400段あまりもあり、大変標高差のあるお寺さんでした。

そして、その沿道は見事な紅葉、黄葉でした。

 

チケットの裏に、伝教大師聖語が載っていました。

「一隅を照らす これ則ち国宝なり。 国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり。

悪事を己に向え 幸事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極なり。」

こんなこと、現実にできるのかな~?

 

最後に、「秋はもみじの永観堂」に寄りました。

最後まで、紅葉に迎えられました。

そして京都駅から新幹線で、眠りながら帰りました。

 


代々木公園を散策

2012-11-20 | 散策

代々木公園を散策

久し振りに代々木公園まで出かけました。

コースは下の図の赤線の通りです。約8km?

やっと、イラストレーターのソフトを、大枚を払って購入したので、
これからは少しは情報を記入できるようになりました。

 

今日の主たる目的は、代々木公園の銀杏林です。多分黄葉真っ盛りではないかと期待して行きましたが、写真のようにちょっと早かったようです。

    

でも、良いお天気でもあり、幼稚園児たちも賑やかにはしゃぎまわっていたし、いい散歩になりました。

バラ園も見事に花を咲かせていました。

  

 

神宮内苑は、参道を外れて歩くと、結構緑も多く、人も少なく、いい散歩道になります。

  

 

私の好きなゴンズイも、赤い実の中に黒い種を宿しており、一見一つ目小僧の印象です。

そして、だれかの戯れでしょうが、銀杏の木にリスのぬいぐるみが戯れていました。

ほほえましい光景です。

  

帰りは、代々木八幡の横を通り、歩いて帰りました。途中で一杯と思いましたが、家でテレビを見ながらビールでも飲むほうが安上がりで、美味しいです。

そういう歳になりました。トホホ・・・。


都立神代植物園を徘徊

2012-11-08 | 散策

都立神代植物園を徘徊

 

秋晴れの良いお天気なので、久しぶりに神代植物園を遊びました。

ずーと前に一度、行ったことはありますが、結婚前の二十代でしたから、半世紀前で、アパートの連中と一緒でした。

 

京王線で調布駅まで電車で行き、そこから行きは歩き、帰りは駅までバスにしました。

行きの歩きは赤線です。

 

あまり調べもせず、ぶらり行きましたので、道に迷い、親切なおばさんに案内してもらいました。

深大寺と深大寺植物園は大分離れているのですね。

 

正面入り口を入ると、菊花大会を開催していました。
素人の私には甲乙つけがたい同じような花が並んでいましたが、それぞれに金銀の表彰札がついていました。
 

 

ウイークデイでしたが、結構人で賑わっていました。
ただし、若い人は皆無に近く、ほとんどは盛りを過ぎた(?)おばさんたちでした。
入園者5000万人を超えたようです。いつからでしょうか。

植物園の出来たのは、今から72年前で、昭和15年(1940)です。

 

さて、公園内は下の案内図を見ながら歩きました。

 

先ずはダリア園から。

   

そして、今日のメイン、バラ園です。見事でした。

   

 

沢山の人たちが、高級カメラで写したり、一部には絵筆を揮っているご婦人もいらっしゃいました。
それぞれに自分の趣味を楽しまれることは結構、結構!

私は、ブログにまとめるのが趣味といったら趣味ですが・・・?

 

園内の木々には親切な名札が掲げられていましたが、私にはほとんどがチンプンカンプン。
この道も奥が深いようです。

でも、気に入った馴染の植物を紹介すると、

 

十月桜

 

コウヤマキ 松葉のような細い葉をした植物です。他ではイヌマキ(犬槇)とも書いてありました。
 

 

マメツゲ モミの木科です。
 

 

そして、芝生広場にススキの親玉が群生していました。
パンパスグラス だそうです。今がシーズンとか。
 

 

そして、秋ですね。一部に、紅葉が見られました。

 

 『神代花だより』の記事を引用すると、

「・・・夜間が冷え込み、一日の温度差が大きくなると、落葉樹の葉が色づき始め紅葉の季節を迎えます。・・・落葉樹などは根からの水分吸収力が弱まるため、葉を落として水分が失われるのを防ぎます。・・・葉柄(葉の根元)と枝の間に離層というコルク質の物質ができて、それまで根から葉に吸い上げられていた水や、葉で光合成された糖やでんぷん粉が葉の中にたまった状態になり、この糖から赤や黄色の色素が作られ、同時に葉の中の葉緑素が分解され緑が失われるため、赤や黄色に色づくのです。・・・」

と、難しい解説が掲載されていました。

 

お昼時になったあので、神代蕎麦でもと探したが、園内にはなく、出口脇に一軒だけありました。ざるそば一杯750円。植物園の入園料が年寄り@250-ですから、丁度千円になるよう設定したのでしょうか。うまかったけど、ちょっと高かったね。

 

帰りはバスにしました。途中、深大寺の前を通りました。ここには結構多くの蕎麦屋さんが並んでしました。次回は深大寺へお参りしましょう。