京都散策
京都散策
2泊3日で、昔の仕事仲間たち6人で京都見物に出かけました。
腰の状態を心配して私は新幹線で往復しましたが、大方は車で往復しました。
ひかり号で、二時間四十分。料金はジパングで片道一万円を切ります。
京都市内の行動は、下の地図の通りです。
初日は赤、二日目は青、三日目は緑色です。
【11月25日】
学生時代から広島―東京間の列車の窓から、東寺の五重塔を眺めていましたが、ゆっくり見るのは今日が初めてです。結構駅から離れていて、徒歩約20分?
平安京の正門に当たる羅城門の東西に東寺と西寺があり平安京を守っていたそうだから、現在の京都中心とは大分西に寄っていたようです。
796年創建、平安京遷都が794年ですから、遷都後、間もなくの創建です。
真言宗宗祖である空海(弘法大師)の根本道場だそうです。
「・・・朝食を捧げる『生身供』の儀式は今日も毎朝6時から・・・おこなわれている」そうです。
そのそばに、小野道風ゆかりの池と柳の木が植えられていました。
道風は花札でも知られています。
道風は、ある雨の日散歩に出かけていて、柳に蛙が飛びつこうと、何度も挑戦している姿を見て
「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに」とバカにしていた時、
偶然にも強い風が吹き、柳がしなり、見事に飛び移れた。
これを見た道風は「バカは自分だ。蛙は一生懸命努力をして偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力をしていない」と目が覚めるような思いをして、血を滲むほどの努力をするきっかけになったそうです。
そこから歩いて東本願寺に行きました。
途中で女の人に道を尋ねたら、『お東さんは・・・』と、京都らしい発音で丁寧に教えてくれました。いいムードでした。
西が先にでき、遅れて江戸時代初めに東本願寺ができました。
東西に分かれているのは、家督相続争いのようです。
幕末には新選組の屯所になっていました。
大きな建物です。木造建築物としては世界一大規模なものだそうです。
そこから更に北へ約1Km歩き、今日の宿にたどり着き、皆さんと合流しました。
そこからは,一緒に車に同乗し、二条城、上七軒の観光、夕食などを楽しみました。
ます、二条城。
徳川幕府の立ち上がりと終焉の地です。
「1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年完成・・・1867年(慶応3年)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)離宮となりました。・・・」
ですから、建物の最上段には菊の御紋が掲げられています。
もう、5時に近くになり、外も中も薄暗くはっきり見えませんでしたが、豪壮なものでした。
特に天井が高く、普通の民家の倍はあり、さらに床の間の広いこと。これぞ、床の間です。
そして次に、花街『上七軒』(かみひちけん)に行きました。
室町時代に北野天満宮の社殿を再建する際に、余った材料を使って建てた七軒の茶店から命名されたそうです。
我々も、先に北野天満宮にお参りしました。
ここは菅原道真公をお祀りした学問の神様で、『天神様』とも呼ばれています。
暗くなっていて、写真も写せませんでした。下はティケットの写真です。
同じ敷地内に、太閤が京都の整備事業として築いた『御土居』が保存されていました。
どうも、その目的がはっきりしていないようで、秀吉のみが知る不思議な構築物だそうです。
ですが、その中にある紅葉は“素晴らしい”の一語に尽きました。
御土居の周りに植えられていた竹藪ともよくマッチしていました。
その後に、上七軒で贅沢な広東料理を食べ、スナックによって一杯頂き、カラオケをうなり、大(?)散財して宿に帰りました。
【11月26日】
宿を7:30発 まず保津峡へ。
今日は天気予報通り雨。結構降っていましたが、その予定でしたので準備OK。
ただ、予定していたトロッコ列車が満員で亀岡までは車で溯上しました。
亀岡乗船場から嵐山下船場(渡月橋)までの保津川下りは約2時間、16Km。
雨で多少流れは荒れていましたが、その分スリルを楽しめました。
紅葉真っ盛り。船頭さんの話では、3日前が最高だったようですが。
この舟下りの始まりは、江戸時代初期、木材、薪炭等丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として角倉了以(1554~1614)が開いたものだそうです。
了以はこのほかにも富士川、天竜川、高瀬川など多くの河川改修工事を行っています。
下船後、亀山公園を一回りして、ゆったりした船宿で、窓外に屋形船を見ながら、湯豆腐でぬる燗と天ぷらおそばを頂きました。おいしい昼飯でした。
亀山公園も紅葉真っ盛り。雨のためか人出も少なく、ゆったりと紅葉を楽しみながらの逍遥でした。
途中に、周恩来首相の歌碑が建っていました。建国の父でしょう。
さて、腹支度もでき、そこから、高尾山・神護寺、仁和寺を訪ねました。
ただ、どこの寺も、同じような作りと紅葉で、段々感慨が薄くなりました。
ただ、仁和寺へは、私が行きたがっているとかで、足を延ばしてくれました。
徒然草に面白い話が載っていたためです。仁和寺での出来事です。
徒然草53段
「・・・酔いて興に入る余り、牓なる足鼎(あしがなえ)を取りて、頭に被きたれば、詰まるようにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞い出たるに、万座興に入る事限りなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。とかくすれば、頸の廻り欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪え難かりければ、かなはで、すべようなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手を引き、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける。、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。・・・」
徒然草は、「万物は留まることなく移りゆく」という仏教的な無常観を前提にしたエッセイです。
私の愛読書の一つです。
そこから、市バスで祇園まで行きました。
先ず、八坂神社にお参りしました。普通『祇園さん』と言って親しまれています。
正月は大変な参詣人で賑わうそうです。
そして次に、先斗町まで歩きました。
三条通から四条通まで(約300m?)の石畳の細長い、長い通りです。
飲食店が多く、それでいてなかなか一元のお客は入れないとか。
(いまどきそんなこと言ってていいのだろうか?)
私どもは、身を固くして、ただただ下を向いてひたすら歩きました。
次に、祇園の街へ『おばんざい』を食べに行きました。
酒のおいしい、いいお店でした。ゆっくり “おばんざい” を頂きました。
また行きたい店です。
【11月27日】
最終日です。お昼ごろ新幹線で帰る予定で行動してもらいました。
朝6:30スタート。先ずは大原三千院へ。
このお寺の階段は400段あまりもあり、大変標高差のあるお寺さんでした。
そして、その沿道は見事な紅葉、黄葉でした。
チケットの裏に、伝教大師聖語が載っていました。
「一隅を照らす これ則ち国宝なり。 国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり。
悪事を己に向え 幸事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極なり。」
こんなこと、現実にできるのかな~?
最後に、「秋はもみじの永観堂」に寄りました。
最後まで、紅葉に迎えられました。
そして京都駅から新幹線で、眠りながら帰りました。