地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

江戸三山縦走路を廻る

2016-10-30 | 散策

江戸三山縦走路を廻る

 

毎朝のラジオ体操のメンバーで江戸三山を縦走(歩く)しました。

確かに散歩コースですが、後半バテて、私にはついて行くのがやっと、石段を登るのが辛かった。

独りでのんびり歩くのがよさそうです。

また一つ、後退しましたか・・・。

 

歩いたコースは下の赤線です。多分10kmはあるでしょうか。

江戸三山縦走路というのは、飛鳥山、道灌山、上野山の縦走路だそうですが、

この度は、上野山を省き、古河庭園、六義園を加えて縦走しました。

上野公園までは、ちょっと距離がありすぎるからでしょうか。
幹事さんに聞いてみないと・・・

 

さて、最初の飛鳥山には、色々なミュウジアムや遊園地も広がり、桜の名所です。

同行者(女性)の意向もあり、王子駅からは無料のケーブルカ―をちょっとだけ楽しみました。

ここはもと、徳川吉宗公が、庶民の娯楽地として、桜を植林させ開放した処だそうです。

ところでなんと、私達を迎えるためか、時期外れの寒桜(十月桜)が咲いていました。

次は、飛鳥山から本郷通りを下り、古河庭園を尋ねました。

西洋庭園のバラが所狭しと咲いていました。

下の日本庭園もゆっくり楽しみました。

そして、待ちかねた昼食です。

八芳園前の焼売専門店で、生ビールと一緒に楽しみました。美味かったね。

 

そして、ゆっくり六義園を堪能しました。

私は、つい1週間前に来ていますので、特に珍しい処は無いのですが、

何回来ても、ゆったり逍遥できていいですね。

下は、仙水庭園の眺望です。こんなところで一杯頂きたいものです。

さて、そこを後にして、西日暮里駅近くの道灌山に登りました。

さっきも、書いたように、仲間の健脚には、もうついて行けません。頑張って終点までは行きましたが・・・

今日は、これにてお終い。あとは電車で・・・

 


平川門界隈を歩く

2016-10-25 | 散策

平川門界隈を歩く


如水会館で開かれた県立上下校同窓会東京支部会に参加する前に、

ちょっと早出して、一つ手前の九段下駅で下車し、田安門から平川門までを散歩しました。

歩いたルートは下の赤線です。

先ずは、桜の名所・田安門から。

    

この門は江戸城創建の頃(嘉永13年・1636)からのもので、国の重要文化財に指定されています。

 

入ってすぐの武道館では、民謡大会があるらしく、各グループからの三味線が鳴り響いていました。

それらを望見しながら、静かに緑濃い庭園を廻りました。

清々しいいい気分です。

 

いつも思うのですが、これらを自分で管理するとなたら、大変なものいりです。

只で、静かに、そして気ままに 廻れる自分が、贅沢で、有難いです。

 

そこから、国立公文書館の前を通り、竹橋駅から如水会館へ・・・


然し、ちょっと開館までには時間が早過ぎるので、

平川門を覘いてみることにしました。

ここは、初めての訪問です。

入口の説明板によると、

「平川門は、竹橋門より侵入した敵を撃退できるよう平川濠に伸びた細長い城郭(=帯曲輪<おびくるわ>)

を持つのが特徴です。

また城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので、不浄門とも呼ばれました。」

とありました。

浅野匠守も、ここからひそかに退出したのでしょうか・・・

そして、そこから奥へさまよい行くと、意味ありげな坂道に出ました。

私も、もう一度歩いてみたい・・・が (若けりゃなァ~)

 

そして、頃合いを見て如水会館に向かいました。

今日も、年寄りの ”うだばなし” に耳をかたむけましょう。

 

しかし、配布された同窓会新聞の中には、

われらが母校「上下農学校」の創立者の銅像が掲載されていました。

岡田畔十郎翁の肖像です。

  

新聞によると、

「畔十郎翁は嘉永6(1853)年に、上下町で金穀貸付業を営なんでいた佐倉吉郎右衛門の次男として生まれた。

佐倉屋はもともと甲奴郡佐倉村(現・府中市上下町清岳)出身。」

 と、ありました。

大変な人物であったようです。今の上下町が嘆かわしい・・・(涙)

 

 


六義園を散策

2016-10-09 | 散策

六義園を散策


久し振りに六義園まで遠出しました。

やはり、ちょっとした散歩はいいですね。開放感が味わえます。

帰りは新宿駅から歩きました。歩いた距離は、たったの5~6kmぐらいでしょう。ヨチヨチ歩きです。

先ず、山手線で駒込駅へ。

駅前からの入り口は工事で入れないので、公園外側を逆時計にグルリ回ることにしました。

歩いたコースは地図の赤線です。

仕事で地図帳を納めていた文京学園女子高前を通り、

閑静な住宅街を廻って正面玄関口に出ました。

何回も来ているので、勝手はよく知っていますが

先ずは、『特別名勝 六義園』の案内板を紹介しましょう。

「本園は元禄十五年(1705年)武州川越藩主柳沢出羽守吉保が築造した庭園で、
江戸の大名庭園中現存する日本で屈指の名園です。(中略)


庭園の形式は江戸時代の庭園にみる所謂回遊式築山泉水と呼ばれます。(中略)

明治十年頃付近の藤堂・安藤・前田の各氏邸とともに、

岩崎弥太郎氏の別邸の一部となるに及んで(後略)   東京市」

そして、内庭大門をくぐり、

広々とした庭園に出ました。

そこは、妹山・背山(いものやま・せのやま)を眺めるのに絶好のポイントでした。


そして、吹上茶屋を横目に、吹上峰や藤代峠に登りました。

藤代峠への路は結構な急坂の石段でした。

これくらいの石段を登るのがやっとです。ずいぶん老人らしくなったものです。

 

さて、お次はつつじ茶屋。戦災を免れた希少な休み処です。

ツツジやサルスベリの古木材が使われていて、大変風流な建物です。

下が、その写真です。  

 

   

確か、京都銀閣寺の茶室の床柱も、サルスベリの古材が使われていたように記憶しています。

大変、風流なものです。長持ちするようです。

出口近くで、細長い馬場を眺めました。

以前来た時はその全体を歩いた記憶があります。鎌倉の鶴岡と同じです。

そして最後に、駅前の中華料理屋で、ビールと焼売で一杯。

うららかな一日でした。





中央公を散歩

2016-09-07 | 散策

中央公園を散歩


久し振りにブログを書いてみました。

元気を出して、これから毎日、投稿してみますかね。何時まで続くことやら・・・

 

さて、我が家からウオーキングで新宿の中央公園まで散歩しました。

往復の歩きを入れて2:30くらいかな?


途中、そば屋により、かけそばと生ビールを頂きました。

やはり、私にはビールは欠かせませんね。特に生ビールは・・・

 

公園入口で、未就学児童達のプール遊びに会いました。

色々な帽子を被った子供たちがかわいいね。無心に遊ぶ姿は平和を感じます。

近くの樹から噴煙が立ち上がっていました。(右の写真)

初め熱中症予防のための水蒸気かと思いましたが、どうも蚊の駆除のためらしいです。

蚊も大変だね!

  

園内をぶらぶらして、新宿の滝に出くわせました。

ナイヤガラの滝とか、涼しさを呼んで、いいですね。

  

これも、朝早すぎると流れてないようです。人工の滝ですね。

近くが新宿駅近くの繁華街で、ビルがニョキニョキ建ち並んでいました。

その中に都庁もあります。

いい天気で、いい散歩でした。

それでは、また・・・

 

 


ポケモンGO  解らない!

2016-07-27 | 散策

ポケモンGO  解らない!


ポケモンGO” なるもの、解らない!

どこが面白いのやら、何故熱中できるのか、全く理解できない。

年なのだろうな~

 今日は、久し振りに代々木公園に行ってきました。

やはり、若者たちはポケモンに夢中です。

  

世界中の若者たちが熱中するのだから、それだけの意味はあるのだろうな~

のんびり景色を楽しんでいる人なんて、いやしない。

私だけが蚊帳の外!

行き帰りと、公園のなかを散歩して帰る。

  

結構距離はありましたが、何か物足りない感じ。

早々と家路につきました。散歩時間2:30くらい也。

 


浅草界隈を散歩

2016-07-10 | 散策

浅草界隈を散歩

久し振りに遠出しました。 と、云っても浅草界隈ですが。

今日は “ほうづき市” で、大変なにぎわいようでした。

一鉢、2500円程度のものが、よく売れていました。

やはり買うのは日本人ばかりのようですが。

 

カメラを忘れて来て、人中を歩くだけにしましたが・・・

それにしても暑いですね~。

朝早く(8:00頃)出ましたが、それでも30度は過ぎてたようです。真夏です!

 

言問橋のたもとで、東京大空襲の記念碑に手を合わせてる年寄りがいました。

隅田川の死体の渦が、今もちらつくそうです。

アメリカ人には、その実態は解らないでしょう。

日本の人だって、若い人達には、話には聞いていても、実感は無理でしょう。

そういう私にも無理です。

今、82才ですが、広島の片田舎に住んで居ましたから。

 

そうして、“のど元過ぎて、暑さを忘れ” また戦争を始めるのでしょう。

今度は、人類滅亡ですか・・・

ボツボツ、あちらへ逝きますかねえ・・・

さて、浅草で一杯やって、家路につきました。

今日は、選挙です。投票日です!

 


姫女苑 (ひめじょおん)を楽しむ

2016-06-16 | 散策

姫女苑 (ひめじょおん)を楽しむ

最近、注目するようになりました。
雑草と一緒に、むやみやたらと、沢山咲いています。
  
最初、見向きもしませんでしたが、
あまりにもあちこちで見かけるものですから、
花の名前をデジブックで探しました。
なかなか見つかりませんでした。
どうも、「姫女苑」(ひめじょおん)というらしい。
 
デジで見ると、
「姫女苑(ひめじょおん) 菊(きく)科。  
学名:Erigeron(エリゲロン)
開花時期は、 6/ 1 ~ 8/20頃。
道端でよく見かける。
よく似た花に、「春紫苑」、「春女苑」がある・・・」
 
わたくしにはサッパリ、見分けがつきません。
やや、赤みを帯びたのもあるし、
少し早くから咲いてるのもあります。
 
いずれにしても、たくさん咲いています。
来年から、懸命に写真撮りましょう。懸命に!
 

明治神宮を散歩して

2016-06-12 | 散策

明治神宮を散歩して


テレビで内苑の菖蒲がきれいに咲いてるのを見て、

ありし日の母を想いだし、見に行くことにしました。

(母も菖蒲の花が好きでした)

今日はカメラの携帯を忘れたので、パンフの写真を載せることにしました。

朝早かったので、比較的ゆっくり鑑賞できました。

パンフによると

「明治神宮が鎮座する代々木の地は、
明治時代には皇室の直轄地(御料地)でした。

・・・
明治二十年代後半、
皇后の散策地として代々木御料地の整備が進みました。

明治天皇は
『一本路では散策にならぬ故、なるべくうねうねと曲折を多くするがよい』 

と細かく指示を出されたほか、
清正井(きよまさのいど)から水路を引いて菖蒲田を作り、橋を架け、池に魚を放ち、
皇后が休憩する建物を設けて隔雲亭と命名されています。・・・

三十年代になると、皇后はたびたび当地を訪れて、
魚釣りや花菖蒲を楽しみ、隔雲亭で軽食を召されました。・・・」

上の写真が、隔雲亭から見た南池(なんち)の様子です。


石神井公園界隈を散策する

2016-06-04 | 散策

石神井公園界隈を散策する


久し振りに遠出してみました。一ヶ月ぶりです。

5月初めに体調を崩し、一時は早く迎えが来ないかな~ と思うほどでした。
咳がひどく、微熱も出るし、食欲も、何をする意欲もなく、 
ただ、一日をぼ~んやりと過ごしていました。

もちろん、医者にも診てもらい、薬も “馬に食わせる” くらい 飲まされていました。

でも、なかなかよくなりませんでした!

一か月もすぎ、漸く酒が飲めるくらいになりました。
美味しく飲めました。 万々歳で~す。 

そして、用事もあり石神井公園に出かけました。大丈夫でした。

歩いたコースは以下の赤線です。

新宿、池袋、石神井公園と電車で行き、そこから散歩しました。

天気も良く、広々とした公園でした。

石神井川と三宝寺池を廻る、ゆったりした散歩道でした。

途中に、石神井城跡がありました。

その説明板を抜き書きして、今日は終わりといたします。

「石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。

豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父流平氏で、
鎌倉時代の末には、石神井郷を領有していました。・・・

石神井城は、中世の平城の一つで、
三宝寺池の谷と石神井川の低地とに挟まれた小高い丘陵の上にあって、
その周囲は空堀や土囲で巡らされていました。・・・ 」

と、ありました。

今日はこの辺で・・・


染井吉野をぶらり散歩

2016-05-02 | 散策

染井吉野をぶらり散歩

久し振りにブログを書いてみました。

最初は、染井吉野から六義園に回る予定でしたが、

途中でダウン、染井吉野だけにしました。すぐにダウン?

歩いたコースは下の地図の通り。

巣鴨駅からの通りは、人の多い賑やかな通りでした。

貰ったマップによると、

「江戸時代には中山道の立場(休憩所)として、『江戸名所図会』にもその賑わいが描かれている・・・」

とあり、現在は曹洞宗高岩寺の「とげぬき地蔵」を中心に、賑わっています。

そして、

「巣鴨地蔵通り商店街は、長さ約800mにわたる商店街で、商店数約170、
とげぬき地蔵尊縁日(4の日)には200店舗の露店が立ち並ぶという賑わい。・・・」

とありました。

道理で賑やかなはずだ。今度は4の日に行ってみいましょう。

さて、そこから白山通りを横断して、染井霊園に辿りつきました。

結構広い墓地です。都営だとか。

桜の『染井吉野』の発祥の地です。

桜満杯の地だろうと想像していましたが、意外と少なかったです。

桜も終わっていましたからね。

  

江戸の頃から、ここ染井村の造園師や植木職人達が育てた品種だそうで、

今では、桜といえば『染井吉野』ですが・・・

どの木も巨木ですね。どうしてこんなに大きくなるのでしょう。

これらに比べ、奈良県の吉野山に咲くヤマザクラは、静かにひっそり(?)と咲いているようです。

下・中・上・奥の4箇所に密集しており、
”一目に千本見える豪華さ” という意味で「一目千本」ともいわれています。

どちらも甲乙つけがたい豪華さらしいです。

 

霊園のなかには、高村光太郎ご夫妻の墓や、岡倉天心、二葉亭四迷、らの墓もあります。
   

地図には芥川龍之介の墓もあるように書いてありましたが、解りませんでした。

 

最近霊園を見て回ることが多いですが、どうもいま一つしっくりしません。

本人を中心に考えると、「生きてる内が花よ」 かな~・・・

元気に長生きするのが、何より “得” なのでは??

帰り際に、新築されたばかりの青果市場を見ました。
大きなものです。

そして、駅前で グビリ!!