地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

先島諸島について

2015-09-28 | 読書

先島諸島について

 

天気予報でよく云われる先島諸島などがよく解らないので、整理してみました。

下の図は、帝国書院刊行の「新詳高等地図」の一部です。

わからない点は、

琉球諸島ですが、諸説あり、一番解りやすいのを引用すると、

 「九州から台湾に連なる琉球列島(正しく諸島)の中の南半にあたる島々の総称。
なお、北半の島々は薩南諸島とよぶ。・・・」

また、琉球諸島は、

「沖縄本島を中心とした沖縄諸島と、先島(さきしま)諸島に二分され、
先島諸島はさらに宮古列島と八重山列島とに区分される。」
とあります。 (「日本大百科全書」より要約)
 
 
 
 
そして、尖閣諸島の位置づけですが、
古くから琉球王国や中国歴代王朝では、その存在は知られていましたが、
航路の標識として利用する程度で、人は住んでおりませんでした。

しかし、「1872年の内務省地理局発行の『大日本府県管轄図』に魚釣島が記載されるなど、
日本国内で発行される地図には尖閣諸島は琉球諸島に含められて記載されていた。」
そうです。
もちろん、先島諸島とは別扱いです。 (領土問題には触れません。)

なお、広辞苑(昭和39年8月刊行版)には、先島諸島も尖閣諸島も載っていませんでした。

 

ところで、諸島と列島との違いですが、

広辞苑によると、
諸島は「二つ以上の島の集団をいい、列状をなすものをとくに列島という。例、伊豆諸島。」
また、列島は 「列状をなしている諸島。例、五島列島。」だそうです。

この辺で、納得と致しましょう。

 

 

 

 



駒場公園辺りを散策して

2015-09-25 | 散策

駒場公園辺りを散策して

久し振りに遠出しました。
いつもは近くの緑道ウオークですが、今日は遠出しました。
コースは次の地図赤線です。約8Km

やはり、遠出はいい。「犬も歩けば 棒に当たる」 です。
今日の「棒」は、農学発祥の地・駒場です。東京大学教養学部の隣です。

入口には、「先端科学技術研究センター」とありました。
その横を、恐る恐る通過して、そして東門から 外へ出ました。ホットしました。
やはり、私には敷居の高い処です。 

   

そこから、ぶらぶら静かな住宅街を散歩して、京王・井の頭線の駒場東大前駅に出てました。
今日の目的地は駒場農場です。
入口は「区立駒場野公園 」とありました。

 

入口の掲示板をメモすると、

「この駒場は、日本近代農学発祥の地である。
明治11年(1878)農学校が誕生、ドイツ農法に範を求めた駒場農学校は、
優秀な農業技術者を次々と世に送り出した。

この学校の日本人教師で、後に『明治三老農の一人』と云われたのが船津伝次平。
彼は自ら実習田を作り汗を流すなど、体当たりで農業近代化に努めた。

ドイツ人教師ケルネルも異色の存在。
(札幌農学校がクラーク先生指導のアメリカ式農業であるのに対して)

わが国で初めて化学肥料の使用を試みた彼は、実験水田で研究に取り組んだ。
この水田は、『ケルネル田圃』として今も残る。

駒場農学校はその後、大学農学部などに発展的解消。
記念の駒場農学碑が東大教育学部の構内にある。」

と、ありました。

  

今も、水田が残っています。
筑波大付属中・高の生徒さんたちが面倒を見ているそうです。

稲の生育の過程も描かれていました。

「田んぼの草取り」の絵も画かれています。
これが大変な作業なのですね。
中腰姿で腰は痛くなるし、蒸れた暑さと稲穂の先で顔は炒められるしで・・・

最近は、田んぼに人一人見つけるのが難しいくらいですが、
当時は大変賑やか(?)でした。 

庭園には、もう曼珠沙華の花が群らがって咲いていました。
もう、秋です。(今日は秋分の日)


日本の領土(4) 最西端

2015-09-10 | 読書
日本の領土(4) 最西端
 
与那国島・西崎(いりざき) 沖縄県与那国町 日本の最西端です。
西表島の西隣です。
 
 
 
西崎を拡大して見ると、下のようになります。
 
さて、沖縄では、「西」を「いり}と読みます。
「西表島」は「いりおもてじま」、「西崎」は「いりざき」と、
猫ちゃんも、「西表山猫」を「いりおもて…」と呼びます。
 
これは、 沖縄固有の言葉に、あとから同じ意味の漢字を宛てたからです。
 
「西」のことを「イリ」、「北」のことを「ニシ」、「東」のことを「アガリ」、「南」のことを「フウェ」と云うそうです。

ちなみに、那覇市の首里城の北側には「北原」と書いて「ニシハラ」と読む地名がありました。
いまでは「西原」と書くようですが・・・

しかし、それが鹿児島になると、種子島の「西之表町」は「にしのおもて・・・」と発音します。
 
同じようなことは、全国各地にありますよね。

 
この島は、北緯24°26′ 東経122°56′ に位置し、
東端の南鳥島が東経153°59′ですから、
経度差約31° 即ち、約2000Km離れています。

南北には3700Km離れていますから、広い海洋国ですね。
自覚しましょう! 
 
 
さて、東京から沖縄本島までも遠いのに、さらに沖縄本島からフェリーで9時間も離れています。
 
この島の岬の突端には西崎灯台があり、『日本最西端の地』の碑が設けられています。

天気のよい日には約110km先の台湾を見ることができるそうです。
 
ところで、今話題の尖閣諸島ですが、
諸島西端の魚釣島は 北緯25°44′、東経123°28.′で、
与那国島が東経122℃ですから、
日本の西端が与那国島であることには変わりません。
 
西表島、石垣島などからも約170 km北に離れているそうです。
 
 
 
 
 
 
 

日本の領土(3) 最東端 

2015-09-08 | 読書

日本の領土(3) 最東端 

 

入間基地から飛行機で4時間、1800Km離れた、三角形の小さな島です。

東経 153度59分,北緯24度17分で、最東端に位置しています。

周囲はサンゴ礁に囲まれていて、良港といえるようなものはありません。

ここが、日本最東端の『南鳥島』です。
「南」となっていますが日本の最東端です。

面積は1­・5平方㌔、周囲約6㌔です。
沖ノ鳥島よりやや狭いですが、完全な島です。

常時、所轄の職員や隊員が数十名住んでいます。
一般人は住んでいませんし、自由に行き来できないそうです。
と、云われると、行ってみたいですね。温かそうですし・・・ 

 
サンゴ礁のため、港はないですが、飛行場はあります。
自衛隊や気象庁の施設もあります。

小さな波止場はありますが、サンゴ礁に取り囲まれて、大型船は接岸できないそうです。
従って、荷物は飛行機や沖合いに停泊した大型船から、小型ボートで運ぶのだそうです。

 

国土は、領土・領海・領空から成り立っています。

領土は国の主権の及ぶ土地です。
領海は領土の周りの水域です。
そして領空は領土と領海の上空です。

そして、領海には、低潮時(潮が引いて、海水面が最も低くなるとき)の海岸線から
12海里(約22km)の範囲と定められています。

また、領海の基線から200海里(約370km)以内を排他的経済水域と云っています。

 

ところで、『排他的経済水域』ですが、ネットによると、

「天然資源及び自然エネルギーに関する『主権的権利』、並びに
人工島・施設の設置、環境保護・保全、海洋科学調査に関する『管轄権』がおよぶ水域のことを指す。」
とあります。

日本は、沖ノ鳥島や小さな島々のおかげで、広い排他的経済水域をもっています。
レアメタル、自然エネルギー然り、人工島、科学調査等、上手く活用しなければね。 

太平洋戦争の時の戦車や大砲の残骸が今もなお残っているそうです。

それら犠牲者のためにも・・・


日本の領土(2) その最南端

2015-09-07 | 読書

日本の領土(2) その最南端

最南端は沖ノ鳥島(東京都小笠原村)と云われています。
位置は北緯20度25分、東経136度4分です。

 赤丸の所です。

最北端が45°33′ですから、緯度差約25度、これは距離にすると3700km余りになります。
日本は小さくないですね。海洋開発をもっと熱心にやらなくっちゃネ。


東京からは1,740kmはなれ、 太平洋の絶海に孤立しています。
大きさは、南北約1.7km、東西約4.5km、周囲約11kmほどのコメ粒形のサンゴ礁です。
外周は、渋谷区の約1/3の面積です。

そして、 すぐ南隣が、東京大空襲でB29が飛び立っていたマリアナ諸島です。

 

さて、この島々は、干潮時には大部分が海上に姿を現していますが
満潮時には東小島と北小島を除いては海の下に隠れてしまいます。
それでも、沖ノ鳥島のうちの東小島には、一等三角点が設置されているのです。

また、灯台もあり、太陽電池で発光ダイオードが光でるそうです。

なかなかやるね!


日本の領土(1) その北限

2015-09-01 | 読書

日本の領土 (1) その北限

北は 択捉島 北緯45°33′。東経148°45′ 
沖縄本島の約2.7倍の面積でで、わが国最大の島です。



現在は、ソ連が日ソ平和中立条約を一方的に破り、実効支配していますが、
これは国際法違反で、不法占拠です。日本は領有権を主張しています。
続けて、末永く主張してください。 

とくろで、日ソ平和中立条約とは、ネットで調べると

正しくは、「 大日本帝国及ソヴイエト社会主義共和国連邦間中立条約」
であり 1941年(昭和16年)に締結しています。

「相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の
他方の中立などを定めた全4条の条約本文、および、
満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵を謳った声明書から成る。

有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、
さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。」 とあります。

従って、有効期間内でもあります。

ネットに掲載されている元島民の文章を見ていると、
ソ連軍人の非人道的な行為に憤りを感じます。
 


択捉島の最北端はカモイワッカ岬です。

5万分一地図で表すと次のようになります。


この地図は、旧帝国陸軍の作成したものです。

そして、我々が通常行ける宗谷岬とは 3分(約5km)ぐらいしか離れていません。

それだけに、領有権は主張しつけて欲しいです。