地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

京王沿線ウオーク・野川周辺

2015-04-26 | ハイキング 里山歩き

京王沿線ウオーク・野川周辺

 

4月18日(土)、京王線飛田給駅周辺を10Km歩きました。

コースは地図の赤線です。約10Kmあります。

例のごとく、9時に集合し、バラバラで歩くのです。
今日も多くの高齢者が、配られた地図を片手に、自由勝手に歩きました。

しかし、速足です。元気な老人たちです。いい企画です。

 

まず、味の素スタジアム前に行きました。飛田給駅というとこの球場です。

多目的スタジアムで、特にサッカー場として使われています。

前は「東京スタジアム」といわれていましたが・・・

 

さて、そこから歩道を延々と歩いて、多磨霊園正門前に出ました。

独身の頃の下宿のおばさんが眠っておられる墓地です。

近いうち、お参りに行かないと・・・

 

それから、今日のメインである野川に出ました。

散歩には欠かせない道です。
川に沿って緑道が設けられ、タンポポやレンゲが生い茂っていました。
櫻も、枝垂桜の花が少し残っていました。

川ではお父さんに連れられた子供たちが、魚採りを楽しんでいました。 
うららかな、光景です。
原発も自衛隊の海外派遣もいらないか・・・ 

     

沿線ウオークのパンフレットによると、

「野川は国分寺をみなもとに、
小金井、府中、三鷹、調布、狛江、世田谷と流れて多摩川に注ぐ約20Kmの河川です。
その流域には国分寺崖線と呼ばれる多摩川の河岸段丘崖(ハケ)が連なり、
その崖下からは清らかな湧水が湧き出ています。・・・」

と、あります。
地図を辿ると、下の図のようになります。

 

国分寺の旧国鉄研究所の池から流れ出た清らかな湧水です。
東京には、このような湧水を源にした川(ハケ)がいっぱいあります。

そして、このような流れが、農業用水に利用され、一部は水車を回していました。

私どもが訪れたのは写真のような水車経営農家で、東京都の有形民俗文化財です。

そのパンフによると、

「・・・160年間まわり続けてきた水車は直径約4.6m、幅約1mの水輪で、
杵14本、挽き臼2台、やっこ篩(ふるい)2台、せり上げ2台を動かす大がかりの装置です。」

大きなものでした。このような規模の水車は初めてです。

最後に、調布飛行場の横を通り、元の飛田給駅に戻りました。

結構疲れました。皆さん、お元気です。

最後に、近くで一杯!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


府中の大国魂神社あたりを散歩して

2015-04-19 | 散策

府中の大国魂神社あたりを散歩して

 

京王線府中駅から、南北へ真直ぐ立派なケヤキ並木が通っています。

大国魂神社への参道です。

      

今日は京王線の府中駅から南へ歩きました。

歩いたコースは、地図の赤線です。多分3kmくらいか。

その、ケヤキ並木の途中に「ふるさと府中歴史館」があり、寄ってみました。

 4月18日から5月6日の間、『くらやみ祭』が行われるようで、その準備の様子が垣間見られました。
なんでも、府中最大の祭りで、中でも5月5日の神輿渡御は、都の無形民俗文化財で、
古くから伝えられている武蔵国の祭りだそうです。

パンフレットの写真を転載すると、

 暗闇の中で神輿が暴れたそうで、ときにはけが人も出たそうです。

 

また、府中市は甲州街道の4番目の宿場町で、
府中宿は大国魂神社を中心に、東側が新宿、西が番場、南北に本町があり、その角に高札場(札の辻)があったそうです。
この高札場は五街道でも、ここだけが現状を保っているそうで、貴重な存在です。
この度は見ることができませんでしたが、次回は是非伺います。 

「歴史館」のパンフレットによると、

「・・・宿場には旅人と荷物の人馬による継ぎ送り業務を担う問屋場が置かれ、
要人のための公用宿泊施設として本陣、脇本陣が用意されていました。

また、・・・府中宿には旅籠屋が大小合わせて29軒、
一膳飯屋、茶屋、菓子屋、髪結い、湯屋、質屋、荒物賞等々58業種142軒の商家があったことが記録されていて、
三町の人口は2,762人となっています。
旅籠屋の数でいえば甲州街道では八王子の横山宿に次いで2番目に多い軒数です。・・・」 

 

そして、更に歴史館には、古銭に入った甕やその説明パンフがありました。

パンフ『常滑焼大甕に入れられた多量出土銭』によると、

「・・・(ケヤキ並木通り西側あの宮西町で発掘された)2基の大甕は
地面に穴を掘って甕を正位に据え、多量の銭を満杯に収めた上に
片岩を丸く加工して作られた蓋石が被せられた状態で見つかったもので、
2基は約4.5m離れていました。

この甕の中には総数60,026枚の古銭が納められていたもので、
もう1基の甕から出土した90,427枚を合計すると総数15万枚という膨大な量です。
納められた銭種は永楽通宝などのいわゆる渡来銭で、その大半が中国で作られたものですが・・・
この銭と甕が15世紀前半以降に埋められたことがわかります。 ・・・」

さて、今のお金にすると、いくらぐらいなのでしょうか。
よく解らないが、3~4000枚で1両らしい。
すると、15万枚は30~40両くらいか? 鬼平で読む金高では大した金額ではなさそうだが・・・
そのうち、調べておきましょう。

さて、ようやく歴史館から出て、すぐ前の大国魂神社にお詣りしました。
お参りするのは、始めてです。 

    

左側には鼓楼がありました。太鼓をたたいて時を知らせたようです。

大変珍しいものです。

本殿横には、東京の地酒がズラリと奉納されていました。今日は見ただけです。

それから、東京競馬場の方へ参りました。

途中、馬霊塔があり、歴年の王者らしき名馬の墓が並んでいました。
私には無縁で、それらの生前の様子は解りませんが・・・ 

  

そして、安養寺にお参りして、東京競馬場前に出ました。

    

立派な建物です。競馬場正門前駅から、真直ぐの歩道橋も出来ていました。
駅前には、金色に輝いた馬の像が建っていました。

今日は、競馬はお休みらしく、超閑散でした。 

 

 


神田川沿いに高井戸まで散歩

2015-04-13 | 散策

神田川沿いに高井戸まで散歩

 

高井戸の温泉に入りたくて、神田川沿いに往復歩きました。

結構な距離でした。往復16Km でした。

コースは下の赤線です。

以前、ジョギングしていた道ですが、歩くとなると、ちょっとしんどいです。

でも、あちこちの色々な花を愛でながらの、いい散歩道です。

桜の花も、盛りが過ぎたのもありますが、遅咲きの花も結構ありました。

      

しだれている櫻が、結構見ごたえありました。

その他に、

      

レンギョウ、山吹、はなみずき、シャガ

写真には納めていませんが、ほかに

アシビ、アカメガシ(レッドロビン)、白い花のマンサク、小柄なタンポポ、ピンク色の海棠等々、

 

そして、神田川には、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいました。

天候も良く、絶好の散歩日和でした。

 

高井戸駅近くで温泉を楽しみ、後はそこのビールを頂いて、歩いて帰りました。

ビール等は全部セルフサービスです。
そこで働いている奥さんたち、仲間とおしゃべりばかり・・・・。

多分、家でも亭主、セルフサービスなのでしょう。


築地中央卸売市場の散策

2015-04-05 | 散策

築地中央卸売市場の散策

 

4/2(木)、元の会社のOBたち8人(うち女性1人)で、築地市場界隈を散歩しました。
来年11月ごろには、豊洲に移転するそうなので、その名残の見物です。 

いい天気でした。
 

私も含め、みんな年をとりました。
昔の元気さは、口だけです。足はよろよろ、ドタドタ・・・?!

 

築地市場駅前で落ち合い、ぞろぞろ市場の方へ移動しました。

今日の散策場所は下の図です。歩いたコースはよく覚えていません。

あちこち歩き回りました。

感心したのは、忙しく作業している人たちは、
『邪魔だ、邪魔だ、どいた、どいた~!』と、怒鳴りたいところを、
我慢してか、皆さん、いやに静かで、親切でした。 
 (午前9時まで一般参加者は入場禁止)

場内は手狭で、ごちゃごちゃ立て込んでいました。
市場としては、もう限界のようです。
天井も、雨が降ったら、濡れるだろうと思います。 
豊洲に引っ越すのは、潮時のようです。

 

それにしても、発泡スチロールの箱が多いこと。
以前は、それらが全部木製だったかと思うと、世の移り変わりの激しさに驚きます。

 

場内を、恐る恐る歩いていると、マグロ等の魚のの解体があちこちで見られました。

    


以前から、築地市場はなぜ円弧を描いた建物なんだろうと、不思議に思っていました。

それが、今回すこーし解りました。

江戸時代から続いた日本橋魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅し、

今の土地に臨時の東京市設魚市場を開いたのが、、築地市場の始まりだそうです。

そして、市場の建物が弧を描いているのは、貨物列車を中心にした市場だったからのようです。
これらの建物に線路が平行し、それを利用して鮮魚貨物列車が出入りしていたそうです。

それが、現在はトラック輸送になり、建物だけが従来通り残ったそうです。

ネットには、
「市場の青果門付近から朝日新聞社の脇を通って旧汐留駅跡へと伸びる細い歩道が残っています。
その歩道には踏切の警報機も残っています。」

とありましたので、3日後に、見に行きました。

ところが、汐留駅跡から朝日新聞社の辺りは、道路などの大工事で、
そんな形跡は全く見られませんでした。
僅かに、それらしき跡を撮影してきました。

  

 

場内には、古い場所らしく、いわれある神社が祀られていました。
 波除(なみよけ)稲荷神社です。 

  

中央区教育委員会の説明板によると、
「・・・創建は万治年間(1658~1661)と伝えられています。
築地一帯の埋立てが進められた万治年間、波浪により工事が難航を極めた際、
海中に漂う稲荷明神の像を祀ったところ波浪が治まり、埋立工事が無事完了したと云われています。
『波除』という尊称はこの故事に由来するもので、
江戸時代以来、航海安全や災難除け・厄除けなどの神として人々に厚く信仰されてきました。

波除稲荷神社の祭りは、江戸時代から獅子祭りとして知られ、
祭りの際には数多くの獅子頭が街を練り歩きました。・・・」
と、ありました。

そうして、一応場内を一巡りして、近くの築地本願寺にお参りしました。

この建物だけは、和風ではなく異国風です。

説明板によると、
「・・・江戸浅草御坊と称された当寺院は、明暦三年(1657)の大火で焼失した後、現在地に移転・再建されました。
特に本堂の大屋根は、江戸湊に入る船の目印であり 、江戸市民によく知られた名所の一つでした。

江戸時代から明治期にかけて何度か再建された木造の本堂は、
大正十二年(1923)の関東大震災で焼失した後、昭和九年(1934)に現在の本堂となりました。

・・・設計者の建築家・伊藤忠太は、日本の伝統的な寺院様式ではなく、
仏教の発祥地であるインドの建築様式を独自の解釈で外観に取り入れ、
特異な雰囲気をもつ伽藍を創出しました。・・・」

道理で、他では見られない外観です。

 

そして、その後は、長年の旧交を温めあいながら、銀座で一杯!!

 

 

 

 


高尾山スミレハイキング

2015-04-04 | ハイキング 里山歩き

高尾山スミレハイキング


高尾山ハイクを軽く考えていました。
コースは、高低差400m、距離は往復で8.7Km、疲れました。

コース断面図は、行きは左図、帰りは右図です。

  

今日の参加者は多く、総勢23人でした。
三班に分かれ、私は最後尾の年寄り組で、第三班でした。

リーダーは、ゆっくり歩いてくれましたが、それでも大変疲れました。
ボツボツ、ハイキングも終わりかな~?
後は、街中のウオーキングだけか。そんな感じでした。

さて、今日の、主眼はスミレ観察です。
結構、あちこちに沢山花を咲かせていました。

   

そして、最後の頃に、シャガが咲き始めていました。

白い、清らかな花です。
まだ少し早いらしく、殆どは葉っぱだけ繁らしていました。


帰りは、1号路を歩きました。


薬王院を通り、杉の巨木並木を歩きました。
大きいのだと、樹齢400年ぐらいだとか。織田、秀吉、徳川の頃からのものですか。

    

薬王院は、神仏混淆のようです。
仲良くやって下さいという感じです。私には何の抵抗もありません。


話は変わりますが、

イスラム教も、シーア派だ、スンニ派だに 分かれて、争っていますが、
それに、イスラエルやイスラム過激派「ISIS]も加わって、我々にはよく解りません。

『 殴られれば、殴り返えしたくなる 』、 われわれは傍観するほかないようです。

うっかり、良かれと手出しなどすると、えらいことになるようです。

 平穏な国に生きていて、幸せです。

今日も、あとで一杯呑んで、電車に揺られて帰りました。