地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

“2011東京シティサイクリング”の下見へ

2011-07-26 | 日記
“2011東京シティサイクリング”の下見と
若洲海浜公園のバーベキューに参加して


山の仲間と二人、9/13の“東京シティサイクリング大会”の下見に参加しました。
集合地点の神宮外苑サイクリングセンターまでは、各々で自宅から自転車で行きました。
参加者は約50名。昔、仕事でお世話になっていた懐かしい仲間たちも参加していて、しばし話が弾みました。

会長の発声で準備体操をし 9:00過ぎに神宮外苑を半周して出発。
コースは下の図の通りですが、一応、地点を並べますと、
外苑→ 青山墓地→ ミッドタウン(六本木)→ 溜池→ 米国大使館(日本サイクリング協会)→ 東京タワー→ 汐留→ 辰巳→ しおかぜ橋→ 若洲海浜公園
約30Kmです。前後の距離を入れて40Kmですか。(フルマラソンの距離ですね。)


何時ものように一列に連なって自動車道を走ります。普通は自動車道を走るのは一寸怖いのですが、今日は“みんなで走れば怖くない”で、ドンドン走りました。
前半は何時も走っていて慣れていますが、後半ははじめて渡る橋もあり、結構しんどかったですね。特に、晴海大橋、辰巳桜橋、曙橋、若洲橋・・・橋は難物です。取付けまでバックし、きつい勾配を延々と登るのです。私は殆ど手押しで歩きましたが、他の参加者はみんな(?)ギアチェンジして走っていました。

そうそう、今日の参加者約50人の中には、うら若き女性も3人混じっていました。彼女たちはベテランらしく、脚力も抜群のようでした。

脚力の弱い私も、皆さんに大して遅れることもなく、ついて走れたのは交差点ごとにある信号機のお陰です。ここで、大体待ってくれていますので、追いつけるわけです。

とやこうして、12時一寸過ぎに、終点の若洲海浜公園にたどり着きました。
そして、まずは美味しい缶ビールを一杯いただきました。

なお、その後は、バーベキュー大会です。
昨晩から泊り込みで準備をしてくれてた人たちも居られたそうで、感謝!感謝!です。

焼肉のほかに、流し冷ソーメン、焼きそば、豚汁、・・・炎天下でしたが、ビールを味わいながら沢山に頂きました。役員の皆さん、ありがとうございました。

我々二人は、一段落したところで、早めに引き上げました。

途中、若洲海浜公園横に写真のような巨大な橋が架かっていました。まるで怪獣の姿です。夢のような橋です。そのコースも全く解りません。
後で調べたら「東京港臨海大橋(仮称)」で、現在建設中とのこと。驚きました。


私は、ほんの少しビールをいただいていましたので近くの新木場駅から電車で帰りました。

今日も、いい一日でした。



草津温泉旅行(4)

2011-07-17 | 日記
草津温泉旅行(4)

(4)7/15(金):
今日は草津温泉旅行最後の日。
6人の内、Kさんを含む4人は、朝4時出発で鎌倉に向かいました。
後に残った2人は、午後3時頃、別々のバスで出発予定なので、ゆっくりお湯に浸かったり、朝酒を楽しんだり、近くを散歩したり、まさに小原庄助さんの気分でした。

この日の散歩地図を下に示しました。街の観光地図をお借りしました。


先ず、散歩。近くの天狗山レストハウス辺りを・・・、
朝早いので(午前6時頃)、人通りも少なく、店も未だ開いていません。わずかに早朝ランを楽しんでいる若者が2,3いただけです。

青々とした木々に囲まれ、ひんやりとした清らかな空気を満喫しながら、ゆったりと草津の自然を味わいました。

その後、西の河原(さいのかわら)公園に足を伸ばし、湯煙の立ち上る広い園内を歩き回りました。

一緒に歩いたランの仲間と歩きながら話した中に、私の遠い親戚の叔父の名前が出てきたのには驚きました。彼が都立高校に通っていた頃の図工の先生です。私も慣れない東京住まいを始めたばかりなので、よくその叔父を訪ねていました。しかも、その叔父の所に下宿していたのが、この度、お墓参りで訪ねた従姉です。奇遇でした。

とやこうして、朝飯の話になり、ここらで一つ朝酒とゆこうと意見一致、近くのコンビニで日本酒の小瓶を2本買い求めて、マンションに急ぎ帰りました。

最後の日なので、お借りしたマンションの掃除を、隅から隅まで念入りにやり、朝風呂を満喫し、準備万端整えて、やおら“ぬる燗”の日本酒をチビチビ味わいました。
実にいい気分!! 思わず二人は顔を見合わせ、ニヤリ!ニヤリ!!

さて、出発にはまだ間があるので、この度の草津旅行をまとめてみました。
草津白根山の掲示板をお借りしました。

Q1:草津白根山の噴火の特徴?
草津白根山は1882(明治15年)年以降、度々噴火を繰り返している活火山です。
明治以降の噴火ではマグマに由来する火砕流や溶岩流は発生していません。また、現在の噴火位置は湯釜を中心とした半径600m以内に限られています。おもに水蒸気爆発により火山灰や噴石を飛ばすタイプの噴火で、人頭大の噴石が火口から約3Km程度の場所まで落下することがあります。・・・」

Q2:火山ガスの危険性は?
火山ガスは地下の深いところにあるマグマの中の蒸発しやすい成分が地表に達したものです。火山ガスの成分は水蒸気が大部分を占めていますが、有毒ガスが含まれることもあります。草津白根山の周辺には火山ガスが自然噴気している所がいくつかあり、それらの中に有毒な硫化水素が含まれています。硫化水素(H2S 、無色、腐卵臭を持つ。比重は1.1905)は空気より重く、凹地や谷底に滞留しやすいため注意が必要です。過去には何件かの中毒事故もおこりました。このため、県や草津町、嬬恋村では危険箇所の立ち入りを規制するとともに硫化水素の検知器を設置し、ガスの濃度が安全基準を超えると警報装置が鳴るように設定しました。このような対策がとられてから、火山ガスによる事故は一件も起こっていません。」

Q3:噴火は予知できる?
・・・・現在、草津白根山では、気象庁、東京工業大学草津白根山観測所、東大地震研究所が常時観測を行っています。噴火活動が近づくと火山の地下で地震活動が活発になることが知られています。ですから、このような火山性地震の頻発を観測することにより、噴火が近づいていることを予測することができると考えられています。
また、火山活動が活発になると火山ガスの成分や温度、噴出量が変化することが知られています。草津白根山ではこの火山ガス成分の変化と温度の関係を利用して火山活動の活発度を推定し、火山活動の予測を行うことが試みられており、1976年と1982年の噴火では成功しています。」
など、など、

と言うことは、新燃岳の噴火も予知できたはず!?


草津温泉旅行(3)

2011-07-17 | 日記
草津温泉旅行(3)

(3) 7/14(木):
今日は全員でフル稼働です。

今回の草津旅行はKさんのリハビリが主目的です。
彼は3ヶ月前に交通事故で九死に一生を得て、2ヶ月入院、その後1ヶ月自宅でリハビリに励んでいましたが、漸く動けるようになり、今回の旅行になったわけです。
本人の話では、「死ぬところを紙一重の差で助かった」ようです。

その彼が、行動をともにしたいと言うので、少々危ぶみながら渋峠近くの横手山、本白根山を訪れました。
今日のルートは下の地図です。
オレンジの線がジョギング、赤い線が登山ルート、緑の線がドライブです。


昨日と同じルートを弓池までドライブ、更に渋峠まで延ばして横手山の麓で駐車。その駐車場前の渋峠ヒュッテが下の写真です。長野県と群馬県の境です。


そこから、長野県側を往復約5Kmぐらいジョギング。
「のぞき」と言うヒュッテ=横手山西側リフト前まで走りました。雲ひとつない快晴、眼下に万座温泉街が望まれ、素晴らしい山並みが眺められました。
勿論、リハビリ中のKさんは走りません。3人だけで走りました。

ジョギングの後は、6人全員で横手山へ。Kさんも一緒に登りました。
「調子がいい、登ってみる」と言うので、リフトは使わず、自分の足だけで登りました。大丈夫でした。元々が私などのレベル以上のランナーですから・・・

頂上は、今朝の快晴が嘘のようにもやっていて、視界ゼロ!
早めに下山して、今度は本白根山へ。
途中、「日本国道最高地点・標高2,172m」の石碑で写真パチリ。


もやっていなければ、ここから芳ケ平の湿原が見れるのですが・・・その近くもパチリ!


さて、弓池から元白根山へ登りました。
経路断面図は下の図の通りです。


ここでも、Kさんは一緒に登りました。この分だと、年内には走り出すのでは?

登山道と言っても木道がよく整備されていて、我々はジョギングスタイルで、マラソンシューズ姿。
しかし、今にも降り出しそうな空様子になり、途中から折り返しました。

でも、今を盛りと咲いていた「コマクサ」は十二分に堪能しました。写真もバッチリ!


そして、折り返した地点のカール状のくぼ地もバッチリ!


雨に降られることもなく、車でマンションへ帰りました。

草津の街中のバスターミナルから、街を探訪する意味もあり、私だけ走ろうとしましたら、仲間のベテラン先生も道案内をかねて走ってくれました。
ところが、近道をするので登り急勾配の連続、私の体力検査のためらしいですが、参った!
でも、一応休まず付いては行きました。まだまだですぞ!・・・

明日は合宿最後の日です。
車の連中4人は仕事の関係もあり、朝4時出発とか、遅くまで騒ぐわけにも行かず、草津の湯と、焼酎を楽しんで早々と就寝しました。



草津温泉旅行(2)

2011-07-17 | 日記
草津温泉旅行(2)

(2) 7/13(水):
今日の行動は下の地図です。
私だけ途中から親戚のお墓参りに出かけました。
赤の線がウオーキング、緑の線がドライブコースです。


簡単な食事の後、仲間の立派な車で、4人だけで白根山に向かいました。
空は晴れているのですが、山頂に向かうに従い、もやってきてあまり視界は開けませんでした。でも、途中の山肌は岩ゴツゴツと、まともに岩肌を見せた断崖で、硫黄の匂いとともに、草津白根山を味わうことができました。


まだ朝6時頃なので殆ど車もなく、弓池から湯釜まで急な坂をウオーキングしました。
観光用に大変手を掛けた道で、セメントで小石を固めた確りしたものでしたが、転ぶと只では済まない感じ。特に下りは用心しました。


この湯釜は現在、「500m規制」で立ち入りが制限されていました。
直径300m、水深30m、水温18℃の火口湖で、pHが1.0前後(pHはアルカリ0~1.4酸性で、中性が0.7)、世界有数の酸性度の高い湖です。
少し離れた水釜の色とは全く違い、エメラルド・グリーンに見えるのは塩酸や硫酸のためだそうです。


ゆっくり楽しんで、車でマンションに帰り朝食をいただきました。
確か、朝風呂にも入りました。
草津温泉だけあって、マンションの中の共同浴場も贅沢のきわみでした。

さて、その後、草津のバスターミナルまでみんなと散歩し、そこから私だけ単独で親戚のおうちに墓参りしました。

バスで長野原駅へ、そこからJRで中之条駅へ、そして街中をぶらついて、途中、従兄弟夫婦の車でお墓参りをしました。

よく可愛がってくれた叔母さんご夫妻の墓参りができ、永年気がかりの重荷を下ろして、ホットしました。

その後、下の写真の道の駅(わら屋根の涼しい佇まいの家)で実に美味しい“そば”とビールをご馳走になり、とやこうして別れました。
感謝!感謝!


草津のマンションでは、6人で大いに飲み、かつ歌い、ぐっすり休みました。

草津温泉旅行(1)

2011-07-16 | 日記
草津温泉旅行(1)

3泊4日で草津旅行を楽しみました。
(都合で、私は一日遅れで参加しました。他の人たちは4泊5日です。)
記録が長~くなるので、一日毎、4回に分けて記録しました。

(1)7/12(火):先ず初日ですが、
10:00 新宿住友ビル前発のスパ・リゾート・ライナーで草津に向かいました。
片道¥2000-と格安なので、あまり乗り物のサービスには期待していませんでしたが、どっこい!立派な大型バスで、ゆったり気分で15:00ナウ・リゾート・ホテル前に着きました。
どうも、このホテルへの送迎を兼ねた乗り物のようです。

我々の宿もこれにくっついたナウ・リゾート・マンション(下の写真)で500部屋くらいの大きな立派なマンションでした。


元、私も所属していたマラソンクラブの紹介で借りたようで、格安で寝泊りできました。勿論、自炊です(私の腕を振るう暇のないくらい皆さんでいろいろ作ってくれました。)。男ばかり6人で泊まりました。

私の草津での行動軌跡を地図にしてみました。下の図は初日分です。


ゆっくり一休みする間もなく、仲間の一人がジョギングしようと言うので、以前走ったことのある「栗生楽泉園」まで走ってみました。
ここは、もとらい病患者の隔離病棟のあったところですが、今は「隔離」と言う陰気さはなく、明るい雰囲気の場所になっていました。
往復、約8Kmくらいです。途中、下校途中の小学生たちと戯れながら走りました。
行きは楽に走れましたが、帰りはホテルに近づくに従い登り勾配がきつく、少々草臥れました。でも、いい汗かいて草津温泉にドブン!

ついでに、草津温泉のシンボル=湯畑の写真を一つ!


その後は、一杯気分で、お休みなさい。



木場公園をウオーキング

2011-07-10 | 日記
木場公園をウオーキング

仲間からの誘いで東陽町の江東区産業会館に行く用事ができ、一寸早めに出かけて木場公園(都立)を散歩しました。
面積は代々木公園の半分くらいですが、広ろ~く芝生が広がっていました。

ウオーキングのコースは下の地図の赤線です。


ところが、一寸のんびり散歩どころか、暑くて暑くて・・・、
木陰を拾って歩きましたが、汗びっしょり!




そして、北の端にある東京都の現代美術館の中に逃げ込んで一休みしました。
幸い?この電力不足の折なのにクーラーは比較的利いており、洒落て落ち着いたレストランで、ベトナム料理が味わえました。
ビールも向こうのもので、結構楽しめました。小瓶一本60000ドンとか、日本円で550




さて、木場といえば、貯木場を思い出しますが、今は3Kmぐらい海よりの新木場に移動してしまい、元の木場のここは防災用も兼ねた公園に生まれ変わりました。

そして、暑い盛りを(12時頃)、親水公園を辿りながら東陽町の駅にたどり着きました。
夏ですから、暑いのは当たり前!ですが・・・


光が丘公園と石神井・三宝寺池公園をウオーキング

2011-07-05 | 日記
光が丘公園と石神井・三宝寺池公園をウオーキング

いつものジョギング仲間がお休みなので、今日は独り年相応のウオーキングを楽しみました。
新宿からシルバー定期で、光が丘公園とその近くの石神井公園に行ってきました。
ルートは下の図です。




赤線がウオーキング、緑線がジョギングです。

光が丘公園は始めてです。都営大江戸線の終点です。地図で見ると整然と区画整理がされ、いかにも新しい街づくりが出来ているようでした。
そして、地図と実態は全く同じでした。ごみ一つない整然とした文化都市でした。整然と整いすぎていて、魚も住み難いのではと心配するほどでした。


公園の名前も「秋の陽公園」、「夏の雲公園」、「春の風公園」、「四季の香公園」など、それに倣って小学校も「秋の陽小学校」、団地も緑多いなかにゆったりと並んだ「春の風公園団地」など・・・




ここは元、成増飛行場で、戦後は米軍のグラントハイツがあった跡だそうです。
公園内の説明板をお借りすると、
「・・・昭和15年(1940)紀元二千六百年記念事業として、東京府の『大東京緑地計画』のひとつにあげられました。しかし、太平洋戦争が始まったため、・・・旧陸軍の成増飛行場として使用され、戦後は、昭和48年9月の全面返還までの間、米軍の住宅地『グラントハイツ』として使用されました。・・・」とあります。
それでも、今の公園面積は60haと広大です。それでも、元の『グラントハイツ』の1/3だそうです。

園内を、ゆっくりウオーキングしました。
ここの公園も、代々木公園と同じように、「見えない貯水池」が公園下にあるそうです。
激しい雨の際は雨水を一時この地下に貯水し、一段落してから、ゆっくり近くの田柄川→石神井川に流すそうです。
下の写真がその公園の一コマです。代々木公園の面積が54haですから、ここのほうがやや広いのでしょうか。


一回りした後、一寸物足りなくて、今度はジョギングしました。20分ぐらいかかりました。
朝早かったためか(8時頃)、人も少なく、ゆったり公園を楽しみました。

そして、ここから、谷原三丁目の交差点を越え約20Km、富士街道を石神井公園へ歩きました。
この公園は、学生時代、下宿していた兄の家の近くなので、よく散歩に来ていました。懐かしい公園です。
石神井公園から西隣に三宝寺池公園が続いています。
よく整備された散歩道(木道)でした。ジョギングは禁止されていたようです。





そして、石神井城跡を時間をかけて見学しました。
東京都が案内板を立てていましたので、これも一部掲載しておきます。
「石神井城は平安時代末期から室町時代中期まで、現在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などやその周辺地域に勢力を持っていた豊島氏の居城の一つです。城の築城は、鎌倉時代後期と考えられ、文明九年(1477)・・・太田道灌に攻められ落城し、廃城になりました。・・・城は、石神井川と三宝寺池に挟まれた台地に築づかれており全体で九ヘクタール前後の規模であったと推定されています。・・・」
また練馬区教育委員会の説明板には「・・・落城によって照姫が水中に身を投げたという伝説など数々の哀れな物語を秘めています。」とあります。
その城跡の記念碑をパチリ!


その後、バスを乗り継いで我が家にお昼前に帰りました。
ビールは家でゆっくり味わいました。
これまた楽しい一日でした。