鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

マンホールの蓋   北陸編

2022-09-04 19:26:03 | マンホールの蓋
(富山県富山市)(人口約41万人)(市の花 ヒマワリ)


マンホールの蓋には「あざみ」が描かれています、「あざみ」の根は
薬草になるので、富山の薬売りの伝統を意味するのかも知れません。

富山県の県庁所在地でお隣の金沢市に次ぐ人口を誇る工業都市なんですよ。

(富山城 再建された天守閣)




江戸時代には加賀前田家の分家でも10万石とは流石にご立派でおます。

加賀前田家2代藩主前田利常の次男で前田利次が分家として分地されたのは
母親が徳川秀忠公の娘で珠姫さんであったのが大きく影響したのかも?

(富山県富山市)


こちらは富山県の名峰「立山」をデザインしたようですね。

この他にも新しいマンホールの蓋が登場しているそうですが
鉄ちゃん爺や、2014年に訪れたのが最後なのでこの2枚だけ。

(JR富山駅舎 建設中)(2014年10月撮影)


2015年には北陸新幹線が金沢まで延伸し、鉄ちゃん爺やも
2017年に富山駅を通過してるんですが車中なので画像はナシ。

(富山の銘酒 立山)


鉄ちゃん爺やが現役時代に富山市内の化成品メーカーさんに出張した際
担当者と二人で、富山の魚と、このお酒にお世話になったもんです。

(富山県富山市・旧八尾町=やつおまち)




2005年(平成7年)までは八尾町(やつおまち)と呼ぶ
人口約2万人の小さな山村でしたんや。

平成の大合併で現在は富山市に編入されているようでんな。

「越中・おわら風の盆」と言うお祭りで全国に知られてますかな。

今年は3年ぶりに開催されて昨日で無時に終わったそうです。

(八尾町 おわら風の盆) (2009年9月撮影)










毎年9月1日~9月3日まで、揃いの浴衣と菅笠で夕方から
早朝まで3日間町内を練り歩き踊りあかすお祭りでおます。

鉄ちゃん爺やのコンデジではフラッシュ使用禁止で写りが悪くご免なさい。

哀愁を帯びた胡弓と三味線の音色が素朴な中に素晴らしい雰囲気でおます。

この3日間には全国から数十万人が見学に訪れるそうなんだって。

(富山市八尾=やつお 坂の町)




橋を渡って坂道を登ると八尾町(やつおまち)の中心街になりまんねんで。

この橋から先は観光バスなどを含め八尾町以外の車は入れまへんのや。

(富山県高岡市)(人口約16万人)(市の花 かたくり)




高岡市は富山県では人口で富山市に次ぐ第二位の町でおます。

昔は国府が置かれ、富山市よりも大きかったはず、有名な大友家持も
越中の国守として、ここ高岡に4年間滞在されたそうですわ。

マンホールの蓋は、高岡市の北部で富山湾に面した風光明媚な
「雨晴海岸=あまはらしかいがん」の風景をデザイン化したもの。

(雨晴海岸の風景)






冬場の晴れ間に、ここから遠くに見える立山連峰が絶景だとの説。

鉄ちゃん爺やも4度ばかり訪れてますが立山連峰が見えたのは1度だけ。

確かに何度来ても見飽きない風景かもしれませんね。

(前田利長公の銅像)


加賀百万石の初代藩主とされ、父親の前田利家が亡くなった後
豊臣家の五大老の一人とされましたが、父親の遺言で3年間は
大坂城を離れるなの意見を忘れて加賀の国に帰国。

徳川家康の策略に嵌って母親を人質にして軍門に下ったとも。

親子ほど離れた弟の前田利常に家督を譲りここ高岡に隠居とのこと。

元々から年上だった徳川家康ならいざ知らず息子の徳川秀忠に
頭を下げることなど潔しとはせず、前田家の安泰を図るために
弟の前田利常に徳川秀忠の娘を嫁にし百万石を投げ出した形に。

(高岡市 瑞龍寺)




前田利常は100万石を譲られた恩義に兄の死後に高岡市内に
瑞龍寺を建立して兄の御霊をお祀りしたんだそうですよ。

曹洞宗の荘厳なお寺で鉄ちゃん爺やも2度ばかりお参りしました。

回廊を一周するのには約30分ぐらいを要しますかな。

(高岡大仏)


日本三大仏とか言いますが奈良の大仏様と鎌倉の大仏様は当然でおます。

三番目が茨城の牛久大仏とここ高岡の大仏で争われている感じでんな。

高岡市は今でも鋳物の街として有名で、高岡大仏もその象徴として建立か?

(石川県金沢市)(人口約46万人)


北陸3県では最大の都市として空襲にも免れた関係でて古い街並も残り
落ち着いた雰囲気は兼六公園と共に観光客に親しまれる街でしょうね。

説明するまでもなく加賀100万石の城下町として有名ですわな。

市の花が「花菖蒲」「サルビア」「ベゴニア」「ゼラニウム」
「インパチエンス」など 多く指定されこれには困惑する状態。

2011年4月に東日本大震災の後に、ここ金沢市から次の福井市まで
画像を収集したはずが、この前後の画像が行方不明になってますんや。

(福井県福井市)(人口約25万人) (市の花 アジサイ)


福井大空襲に福井地震それと福井大水害と終戦前後に3度もの大被害。

その被害から不死鳥のように蘇ったのが福井市だと言われていますかな。

その不死鳥をデザインにしたマンホールの蓋は北陸三県ではピカいちかも。

金沢市と同じく画像を行方不明にしてますんでこのマンホールの蓋のみ。

(福井県敦賀市) (人口約6万3千人) (市の花 萩)


北陸新幹線が来年の2023年度末に金沢駅からここ敦賀駅まで延伸。

関西や名古屋の人ならご存じの敦賀市も現在は、なに県か知らない人も。

おそらく北陸新幹線の敦賀駅までの開業で全国的に有名になるのかな?

これから先の新大阪駅までの延伸は鉄ちゃん爺やが死んでからの話に。

(敦賀市の市標が描かれた マンホールの蓋)


(越前の国 一の宮 気比神宮=けひじんぐう)




鉄ちゃん爺やは、ここ敦賀市は若狭の国だと信じていたんですわ。

江戸時代にはお隣の小浜市を統治していた酒井家が若狭の国で
ここ敦賀市も領地だったことが間違いの元でしたんですわ。

越前の国一の宮・気比神宮が鎮座する地なので昔から越前の国でした。

ここから西へ約1kmぐらいの海岸に「気比の松原」がおますんや。

(福井県敦賀市 気比の松原)






  

日本三大松原だそうで、最初のマンホールの蓋もここをデザインしてまぁ。

静岡市の三保の松原と九州は佐賀県の虹の松原それにここ気比の松原だとか。

(敦賀の赤レンガ倉庫)


(旧 敦賀港駅の跡地)


明治時代に名古屋駅が出来るよりも早くここ敦賀市には国鉄が出来ました。

知多半島から長浜市を通りここ敦賀港駅が終点だった時代が有ったんだって。

ここからは船でロシアのウラジオストック港と繋がったそうです。

そこからはシベリヤ鉄道でモスクワまでと今では考えられないコース。

(敦賀市 街おこしのモニュメント)




宇宙戦艦ヤマトと、二つ目は銀河鉄道999かしら?

これで北陸三県のマンホールの蓋を終了します。

次回は信州・長野県のマンホールの蓋を紹介しまひょ。

ほんなら、これでお仕舞、さいなら~♪
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4 コメント

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おはようございます (ytakei4)
2022-09-05 11:26:13
マンホール面白いですね。
気比、行ったことがあります。
越前ですか~
返信する
こんにちは (hidebach)
2022-09-05 14:30:33
現役時代、富山県と新潟県を担当させられて、
富山、岡、氷見など良く歩きましたが、
観光名所にはトンと見向きもしませんでした。
母の実家が富山市千石町だったので、
富山城は外観だけ見たような気がします。
高岡の方言で、言葉尻に「ーーっちゃ」が
よく解らなかったことを記憶してます。
返信する
コメントありがとうございました~♪ (ytakei4様へ)
2022-09-18 15:40:48
氣比神宮と気比の松原をご存じとは
私は青春18きっぷが1枚だけ余り
日帰りでたまたま訪れただけなんですけど。

現在は大阪駅から普通電車でいけるのは
ここ敦賀市が一番遠いJR駅になります。

ここから1時間に1本だけ播州赤穂まで
快速が出てまして、全国JRの普通区間では
最長距離の区間でもありますかな。
返信する
コメントありがとうございました~♪ (hide-san様へ)
2022-09-18 15:48:53
お母様の実家が富山市の千石町だとのこと。

お城から少し南へ行った辺りでしたよね。

現役時代には三か月に一度ぐらい1泊で
富山市へ出張をした懐かし街ですけど。
返信する

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