鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

インバウンドで賑わう  戎橋筋 & なんば駅前

2018-02-04 17:04:14 | 大阪のミナミ 食の町
大阪のミナミって何処から何処までなんですか?

他府県から来られた方から、こんな質問を受けますんや。

大阪の「キタ」と「ミナミ」を少しだけ説明して置きまひょ。

(大阪城の天守閣)


(地下鉄・御堂筋線 梅田駅名標)


江戸時代から戦前まで大阪市の中心は「船場」でしたんや。

「船場」から見て北側になる梅田や曽根崎辺りをキタと呼び。

逆に南側になる道頓堀や心斎橋や難波をミナミと言いまんねん。

「船場」の旦那衆がその昔に遊んだ色街がルーツのようでっけど。

(大阪市の 市章)


最近はミナミが少しだけ膨らんで堀江地区(西区)や
日本橋筋から新世界地区(浪速区)まで含める感じもしまぁ。

新世界地区は本来なら「あべの・天王寺」になりますんやけど。

少しだけ話が脱線しましたが、ミナミの戎橋筋に向かいまひょ。

(大阪のメインルート 御堂筋) (船場地区)


(大阪のメインルート 御堂筋) (難波地区)


戎橋筋とは前回に紹介しました道頓堀の戎橋から南へ約700m

なんば駅前の高島屋さんまで、南北の賑やかな通りを言いますんや。

大阪では戎橋筋と、同じ道が道頓堀川を越えて北へと延びる
心斎橋筋と合わせ、昔から一番の繁華街だと呼ばれてましたかな。

(戎橋筋商店街の 垂れ幕)


(戎橋筋商店街の 賑わい)




鉄ちゃん爺やは学生時代から独身時代まで大阪市内でも南部になる
住吉区に住んでましたので、ミナミは生活圏だと考えてましたんや。

内の奥さんと初めてデートをして食事をしたのが下の画像のお店。

(お好み焼き ぼてぢゅう本店)


お店は改装されてますが、場所は今も同じところに健在でっせ。

大阪ミナミでお好み焼きと言えば「ぼてぢゅう」と「千房」
それに「鶴橋風月」と「福太郎」などが最近では有名かも?

最近は中国人や韓国人が行列して食べられなくなった
鉄ちゃん爺やの、お気に入りのお好み焼き店を下の画像で。

(お好み焼き 美津の 千日前店)


何時も行列で1~2時間待ちとか、食べる気がしまへんがな。

インバウンドが始まる前まで、鉄ちゃん爺やのお馴染みでした。

かれこれ~ もう10年ぐらい食べてないような感じですわ。

(551蓬莱 豚まん! の看板)


大阪きたら とりあえず! 豚まん

関東では「肉まん」と言うらしいでっけど、大阪では「豚まん!」

関西では「肉」と言えば牛でっさかいに、肉まんとは言いまへんで。

確かに関東で食べた「肉じゃが」は豚肉でしたわ~

関西では「肉じゃが」は牛肉を使いますんで味が異なりますんや。

話を「豚まん」に戻しまひょ。

(551 蓬莱 本店)


(551の 豚まん!)


宣伝をするつもりはおまへんけど、大阪人なら知らぬ人は無し。

テレビのCMまでやってる、豚まんと言えば551となりまぁ。

実はスーパーの冷凍品で売ってる「蓬莱」さんとは別会社で
551を強調しているのが、「551蓬莱」さんなんですわ。

だから同じ「蓬莱」のマークは付いてまっけど、スーパーの
「豚まん」と「551蓬莱」のとは味が異なりますんや。

同じルーツを持つようですが「551蓬莱」さんは店頭で
蒸して仕上がり品を、その場で販売するのがメインなんでっせ。

(551蓬莱 本店)


(551蓬莱 本店前の行列)


551の豚まんは冷凍品を販売しているのは新大阪駅構内と
ここ本店だけで、他では売ってないのをご存知かしら?

しかも~ 東京や名古屋にも店を出さないというこだわり。

京都や奈良や和歌山には店舗は数多くおますんやけどな。

味の分かる、関西人にだけ食べて欲しいとの意気込みかも?

我が娘も広島に来るなら「551豚まん」を買って来て~

昔は豚まんの臭いがしてヒンショクを買ったことも有ったけど
最近は申し出れば、二重包装にしてビニールで包んでくれまぁ。

これなら新幹線や高速バスに乗っても大丈夫ですわ。

大阪に来られた際には、騙されたと思ってご賞味くださいね。

「551蓬莱」さんから宣伝代を頂いてませんので念のため。

(戎橋筋商店街の垂れ幕)


(大寅さん 本店)


関西では天ぷらと言えば練り物と普通の天ぷらの二つがおます。

魚のすり身を油で揚げた方の、天ぷらの有名店なんでっせ。

我が家ではお正月の「かまぼこ」は昔からこのお店で買いまんねん。

(大寅さんの 天ぷら)


支店がアベノの近鉄百貨店地下におますんで、鉄ちゃん爺やは
大阪市内へ出かけた際には、そちらで良く買って帰りまっせ。

鉄ちゃん爺やにはお酒のアテに、内の奥さんにはご飯のおかず。

練り物の「天ぷら」は関東では、あまり聞きまへんでしたけど。

「さつま揚げ」はおましたが、それよりもこちらは美味しいでっせ。

(南海ビルデイングの 全景)


(国指定 登録有形文化財の銘板)


1932年(昭和7年)に南海電鉄がターミナルビルとして建設。

テラコッタタイルを張り付けたコリント様式の当時は珍しい建物で
テナントとして百貨店の高島屋さんが当初から入居したんですわ。

だから南海ビルデイングという正式名称は一般には知られて無く
高島屋ナンバ店として、大阪人には認識されていたような感じ。

(オオサカ高島屋さん 正面玄関)


鉄ちゃん爺やが幼い頃は南海タカシマヤとか呼んでましたで。

ビルの3階部分に南海電鉄の難波駅があり、通路で高島屋とも
つながり冷暖房が完備された初めてのデパートでしたんや。

現在の難波駅は改装されて約200mほど南へ移動したようで
鉄ちゃん爺やが通勤に使用していた風景とは違いがおますけど。

高島屋側の外装は殆ど当時と変わってないように思いまんねん。

(南海ビルデイング 構内の彫刻)


「羽根車」の文様は鉄ちゃん爺やが知ってる頃の南海電鉄の
社章なんで、懐かしくてデジカメで写しましたんや。

当時の南海電車にはこの「羽根車」が描かれてましたで。

最近の若い方には、何の意味なのかご存知もないでしょうな。

(NAMBAなんなん 地下への入口)




大阪で初めて地下街が出来たのは、ここ高島屋と南街劇場に
挟まれた道路の地下に完成したのが1957年(昭和32年)
クリスマスの頃に悪友と遊んだを今でも覚えてますんや。

鉄ちゃん爺やはまだ高校生だった頃で、暗いイメージだった
地下道が一変し、ショッピング街になったとは驚きでしたな。

昨年に60周年を迎え当時よりもリニューアルもされてまぁ。

(NAMMBAなんなん 60周年の垂れ幕)


(NAMBAなんなん 地下街の通り)


昔は地下道と言うのは階段の昇り降りに難点はあるんだけど
安全に道路を横断する為に、作られた道にすぎまへんでした。

大阪でも御堂筋の地下を潜る順慶町や清水町におましたで。

堺筋の西側から三越百貨店の高麗橋店の地下と結んだような
地下道も出来てましたが、店舗などは出来てまへんでした。

それが地下道を全面的に利用した地下街はここが日本初かも?

(NAMBAなんなん 地下街の通り)




名古屋駅前の地下道が日本一古い地下街だとかネット上では
書き込まれてますが、全面がショッピング街ではなかったはず。

一部に店舗はあったが地下道の感じが強かったような記憶が。

対して現在の「NAMBAなんなん」は当時は確か名前は
「ナンバ地下センター」と呼ばれ、昭和49年頃だったか?

「ナンバなんなんタウン」と変わり平成18年の全面改装を経て
現在は「NAMBAなんなん」と名前を三度変更したんだって。

(NAMBAなんなん 地下通路)


大阪には梅田に「ホワイティうめだ」がアベノに「あべちか」
千日前通りの地下に「なんばウオーク」が京阪京橋駅前に
「コムズガーデン」などがあり、全てが大阪地下街㈱という
大阪市の第三セクターの会社が管理してますんや。

今年4月に大阪市営地下鉄が民営化される際にこの大阪地下街㈱も
大阪メトロと名称を変える地下鉄事業会社の系列に移管するとか。

大阪地下街㈱って年間で5億円ぐらいの利益を計上する優良企業で
大阪メトロと合わせて大阪市には多額の配当が入るんだとの話。

(NAMBAなんなん 喫茶店で小休止)




長くなりますんで今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は大阪ミナミの新歌舞伎座や上方芸能の今昔を
画像を交えて紹介させてもらいまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵



















コメント (12)
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