鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

大阪歌舞伎座 & 上方歌舞伎の 今昔物語

2018-02-11 15:26:27 | 大阪
初代・中村鴈治郎という歌舞伎役者をご存知かしら?

大阪が一番輝いていた大正年代~昭和10年まで。

関西で歌舞伎と言えば「鴈治郎ハン~」だったとも。

大阪では目上の方を「ハン~」と呼びまんねんで。

上方歌舞伎が全盛期を迎えることになりましたんや。

その当時に造られたのが大阪歌舞伎座でおます。

当時は7階建ての付近で一番高い建物だったとか。

現在は千日前に有るビッグカメラさんのビルになりまぁ。

(大阪歌舞伎座) (昭和7年完成)


なにせ観客席が3000席もある立派な劇場でしたで。

鉄ちゃん爺やが歌舞伎を観たのもここが初めてでした。

もう初代・中村鴈治郎さんは亡くなっておられました。

二代目・中村鴈治郎さんは健在でしたが、それよりも
息子さんである中村扇雀さんの方が映画で有名でしたかな。

興行元の松竹さんが市川壽海さんと坂東壽三郎さんを
中心にして、初代・中村鴈治郎の夢を追ったとか?

二代目・中村鴈治郎さんは、当時まだ歳が若くて
初代の域に芸が達してなかったこともあったとか。

東京からやって来た市川壽海さんを柱にすることを嫌う
関西の歌舞伎役者が、映画に流れていきましたんや。

松竹さんが戦前の初代・中村鴈治郎を追い求めた結果が
誰も、初代・中村鴈治郎を超えられなかったようでんな。

東京へ新天地を求めて動く方もおられたそうですわ。

関西の歌舞伎から長谷川一夫さんを見習って続々と
流失し市川雷蔵さんや中村扇雀さんらが移られました。

最後は二代目・中村鴈治郎さんまでが移籍でしたがな。

そんな訳で、上方歌舞伎が衰退することになったんですわ。

老朽化した大阪歌舞伎座を建て直すことになりました。

名目は老朽化ですが本音は3000人も観客は入らない。

小型化して江戸歌舞伎との合同公演を考えたようでんな。

(新歌舞伎座 初代) (昭和33年完成)


完成した頃は1835席に縮小されていたとか。

この頃の経営は松竹系の千土地興行さんでしたかな。

何処で江戸歌舞伎との合同公演が狂ってしまったのか
新歌舞伎座は殆ど、歌舞伎の公演がされまへんでしたわ。

昭和35年以降は短期に歌舞伎が公演されるのみでした。

そして1995年(平成7年)の市川猿之助さんの
歌舞伎を最後に、歌舞伎公演は大阪では松竹座へ。

名前は新歌舞伎座でおますが歌舞伎をやらない劇場に。

上方歌舞伎が単独の歌舞伎をやらないとの密約が松竹さんと
東京歌舞伎の関係者で執り行われたとの説がおます。

松竹も当時は映画や歌謡曲の時代だと悟ったようでんな

映画スターや歌手を座長にする「座長芝居」に切り替え
歌謡ショーと芝居を演ずることにしたようですわ。

三波春夫さんや杉良太郎さんなどが人気になりましたかな。

現在では東京でも同じような「座長芝居」や歌謡ショーが
流行っているようで、時代の流れって皮肉なもんですわ。

松竹さんから日本ドリーム観光に経営も変わりましたんや。

(京都 南座)


(大阪 松竹座)


関西では京都の南座と大阪の松竹座で歌舞伎が演じられますが
戦前戦後の一時代を築いた歌舞伎の時代は終ったようでんな。

歌舞伎と言えが江戸歌舞伎である東京が中心になりましたわ。

鉄ちゃん爺やが若いころに映画で銀幕を飾った映画スターの
中村扇雀さんも、三代目・中村鴈治郎さんを経て現在は
坂田藤十郎の名跡を継がれたようで、人間国宝さんですな。

まもなく88歳の米寿だとか、ご老体になられたようですけど。

(京都鴨川に立つ 歌舞伎の元祖 出雲の阿国の像)


蛇足ながら映画の大スターだった長谷川一夫さんは戦前には
初代・中村鴈治郎さんの門下で、奥さんも鴈治郎さんの六女。

上方歌舞伎では「女形」を演じる、片岡仁左衛門さんや
初代・中村鴈治郎さんの相方をされた中村梅玉さんなどを経て
東京に「女形」の芸が伝えられて現在に至っているんだとか。

中村扇雀さんも坂田藤十郎になられましたがやはり「女形」

この新歌舞伎座も2009年(平成21年)に閉館になりました。

最後の上演は五木ひろし・コロッケさんの特別公演でしたわ。

(閉館後の新歌舞伎座) (平成26年に撮影)


右側のナンバマルイさんが邪魔して全景が写ってませんな。

ダイエー系の日本ドリーム観光はこの一等地を売却。

5~6年ぐらい買主が決まらなかったようですけど。

この建物も昨年には解体されてしまいましたんや。

(建設中のホテル 新歌舞伎座跡の現場)


なんでも冠婚葬祭のベルコさんが買い取って2019年には
ホテル・ロイヤルクラシック大阪に生まれ変わるそうですわ。

一方で二代目の新歌舞伎座が上本町6丁目にできてまぁ。

(2代目新歌舞伎座) (別名・上本町YUFURA)


こちらは1453席だそうで最初の大阪歌舞伎座と比較したら
約半分の大きさになり、名前だけ新歌舞伎座を受け継いでまぁ。

ダイエー系の日本ドリーム観光から今度はリサ・パートナーへ
経営の形態も変わってしまいましたけど。

やはり歌舞伎は殆ど公演されることがない劇場ですわ。

「成駒屋」の名前で関西に親しまれた中村鴈治郎さんも
現在は四代目さんですが、影が薄くなってしまいましたな。

(道頓堀の通りに 竹本座跡の碑)


道頓堀の賑わいに忘れられたように置かれている竹本座跡の碑。

竹本義太夫と近松門左衛門の二人が盛り上げた江戸時代の竹本座。

鉄ちゃん爺やには戦後の「浪花座」と呼ぶ映画館だった記憶のみ。

(昔の中座跡 現在は くいだおれビル)


ここも上方歌舞伎から戦後の松竹新喜劇を経て劇場は閉館。

食堂ビルに変わり、インバウンドの客でにぎわってまぁ。

現在は「中座」があったことも忘れられようとしてますわ。

くいだおれ太郎の方が、現在では有名になってまっしゃろ。

江戸時代には道頓堀通りの南側に芝居小屋が並んでまして

「浪花座」「中座」「角座」「朝日座」「弁天座」の五つ

道頓堀五座と呼んだとか、道頓堀通りの南側には芝居茶屋が。

そのなごりが現在も残ってまぁ、芝居小屋の跡は娯楽業が
反対側の芝居茶屋の跡には飲食店が賑わってまんねんで。

現在も細々と歌舞伎を演じる「松竹座」は道頓堀五座には
含まれない、大正時代にできた松竹さんの劇場でおます。

表の部分だけを昔の儘に残してリニューアルされてますんや。

(松竹座の 正面玄関)


江戸時代からの「道頓堀五座」は現在は全てが消滅してまぁ。

「中座」が最後まで残っていた一つでしたが平成15年に解体。

本日はこれで、お仕舞にしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵



















コメント (16)
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