鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  住吉公園と高燈籠を巡る

2015-10-11 09:39:15 | デジカメ散歩
「すみよっさん」から西へ延びる参道がおますんや。

江戸時代から「汐掛け道」と呼ばれてまんねん。

当時は「汐掛け道」の先は大阪湾だったようですわ。

それじゃ「汐掛け道」を散歩してみまひょ。

まずは有名な住友燈籠が目に入ってきまっせ。

住友財閥の礎を築いた住友本家が豫州(現在の愛媛県)の
別子銅山から大坂の北浜へ、銅の鉱石を海上輸送するに際し
海上安全と家業繁栄を祈願して住吉大社に石燈籠を奉納。

5代目当主の住友友昌が1727年(享保12年)に初めて
石燈籠を「汐掛け道」に一対(2基)を奉納したんだって。

(住友燈籠 南海本線の高架下)



(住友燈籠の 説明板)



(豫州別子銅山 住友氏 石燈籠の銘)



(享保12年12月 石燈籠の銘)







以降は住友家の当主が代わるごとに石燈籠を奉納したそうで
住友本家の繁栄にはこの別子銅山が大きく寄与したんだとか。

16代目の当主が1929年(昭和4年)に奉納したのが最後で
現在判明している一対14基(合計28基)が残存してるんだって。

同時に江戸時代の後半になり大坂商人をはじめ全国の商工仲間が
武士に代わって台頭すると住吉大社に石燈籠を奉納するという
ブームが続き、その結果が約600基にも成ったようでっせ。

南海本線の高架下に住友燈籠が纏めて並べられているとは
鉄ちゃん爺やも、訪れて初めて知りましたがな。

元々は「汐掛け道」のあちこちに奉納されていた燈籠を
住吉名勝保存会が、道路整備や南海電車の高架工事に合わせて
年代順に並べ、この地に纏めたとパンフレットに載ってまぁ。

住吉大社へは5年前にも訪れてまっけど、西側の参道になる
「汐掛け道」や住吉公園には久しぶりの訪問なんですわ。

(南海本線 住吉大社駅舎)





鉄ちゃん爺やが独身時代まで南海電車は地上を走ってましたんや。

駅名も住吉公園と言ってましたが住吉大社に変わり高架工事も完了し
高架下はレストランやミニスーパーなどが出来てるようでっせ。

何せ45年ぶりに訪れたので付近一帯は様変わりしてまんがな。

そりゃ~ 浦島太郎のような感覚を覚えるのは当然でっしゃろ。

この高架下までが住吉区で越えると住之江区になりまんねんで。

鉄ちゃん爺やが育った街も、当時は住吉区でしたんやけど
現在では住之江区と言うことに成ってますんや。

でも~ 鉄ちゃん爺やらは住吉区と呼ぶ方が懐かしいでんな。

(住吉区長狭町 町名表示)



この長狭町(ながおちょう)と言う地名は昔々のそのまた昔
住吉大社辺り一帯を意味する由緒ある地名のようでっせ。

(住之江区浜口東1丁目 町名表示)



こちらは住之江区でっけど昔ながらの住吉公園の名前でんな。

住之江公園と言うのは南西約2kmぐらいの処に別におますんや。

住吉公園は1873年(明治6年)に大阪府で初めて造られた
公園で堺市に在る浜寺公園と共に歴史のある公園なんでっせ。

鉄ちゃん爺やが小学校1年生の最初の遠足がここでしたんや。

(住吉公園)







三枚目の画像の場所でブランコと砂場で遊んだような記憶。

でも~ すっかり変わってしまって昔の面影はおまへんわ。

(せんだんの木)





昔は松の木が多かったんでっけど、枯れてしまったようでんな。

江戸時代には「汐掛け道」から出見の浜まで白砂青松の風景が続き
この住吉公園も住吉大社の馬場として境内の一部だったんだって。

(国道26号線)





国道26号線も辿ると江戸時代は住吉大社の敷地だったんでっせ。

明治時代になり出来た、大阪府と和歌山市を結ぶ幹線道路でんな。

この先も今は住宅地や商業地に変わってしまってますわ。

(住吉 高燈籠)





1974年(昭和49年)に復元されたのは知ってましたんやけど
第1と第3の日曜日しか内部に入れないんだそうですわ。

鉄ちゃん爺やが学生時代には、現在地から200mぐらい海側に
残ってたんでっけど、昭和25年のジェーン台風で破損しましたんや。

(台風で破損した 当時の高燈籠)



鎌倉時代の末に出来た日本初の灯台だとの説もおますんや。

元々は住吉大社の常夜燈だったようでっけど、大阪湾に入ってくる
各地の船の目標になったのも、当然のお話やなと思いまぁ。

数年前に訪れた金比羅さんの高燈籠も同じような事が記されてましたわ。

(住吉 高燈籠 絵図)





江戸時代にはこの高燈籠の側が「出見の浜」と呼ぶ海岸だったとか。

当時の大坂名所を描いた絵図にも良く登場したそうでっせ。

この「出見の浜」で住吉大社のお神輿を海水で清めるのが習わしで
「汐掛け道」の名前もそこから始まったんだと思われますんや。

現在は埋め立てられて海岸は約6kmぐらい先になりましたけど。

平成の現在でも大阪湾の海水を汲んで来て住吉公園の中で
住吉大社のお神輿を、夏祭りの前には清めの神事をやるそうでっせ。

住吉大社の夏祭りは7月30日~8月1日で大阪三大祭の一つ
それと共に、大阪の夏祭りの最終を飾る神事なんですわ。

(住吉 高燈籠 復元ミニチュア)



長くなりますんで、今回はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は大阪人のジョークで有名になった住吉公園駅や
松尾芭蕉の句碑などを紹介させてもらいまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪









コメント (15)
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