貧困プロジェクトがトリビューンに掲載された。
http://www.chicagotribune.com/poverty
「イリノイ州の貧困率が増加している。。。」今年3月、運転中に聞いていたラジオの短いニュースがこのプロジェクトを始めるきっかけだった。
アフリカや中東など紛争地の国際ニュースばかりに写欲のある僕は、自身が生活の基盤としているアメリカや地元のシカゴでこれまでまとまった写真ストーリーを撮っていなかった。国際ニュースに比べて興味が薄かったことは確かだが、単に仕事としてではなく、自分が心を寄せて撮れるような題材を見つけることができなかったからだ。
「これなら撮り続けてみたい。。。」ニュースを聞いたときそう思った僕は、その日から資料集めにかかり、貧困問題に関わる組織、団体にコンタクトをとってこのプロジェクトにとりかかった。
その後5月からハイチ、イラクに3回、ソマリア、と出ずっぱりの状態が続き、思うようにこのプロジェクトに時間を割くことができなかったが、なんとか海外取材の合間を縫って撮影を続け、ようやく掲載までにこぎつけた。
一番大変だったのはやはり取材対象探しだった。
貧困がテーマだから、取材されるほうも誇れるものではない。貧しい自らの生活をカメラの前にさらけ出すのには恥じや抵抗がある。取材を拒否されることなど何度もあったし、逆に途中から金を要求されてこちらから引かなくてはならなくなったこともあった。プロジェクトの意図を理解して取材に協力してくれる人々を見つけるのは楽なことではなかったのだ。
シングルマザー、一人暮らしの老女、ホームレス、メキシコからの移民、障害者。。。それでもなんとか取材対象を探し出し、いろいろなかたちで貧困層として社会に存在する人々と写真を通して関わりあうことができた。
取材対象者のなかには、僕が何度も足を運び、話を聞き、撮影しながら多くの時間をともにしてきた人々も少なくない。友人とまではいかなくても、ある程度気心のわかる関係を築けたと思っているし、僕自身、前回ブログにとりあげたジムを含めた彼らの将来には興味がある。
プロジェクトは新聞に掲載されたことによって一段落したわけだが、貧困増加は依然として大きな社会問題だ。これからも息の長いスパンでこの問題を撮り続けていければと思う。
(写真:一人暮らしの老女ロザリー。生活保護と食料配給に頼るぎりぎりの生活だ)
http://www.chicagotribune.com/poverty
「イリノイ州の貧困率が増加している。。。」今年3月、運転中に聞いていたラジオの短いニュースがこのプロジェクトを始めるきっかけだった。
アフリカや中東など紛争地の国際ニュースばかりに写欲のある僕は、自身が生活の基盤としているアメリカや地元のシカゴでこれまでまとまった写真ストーリーを撮っていなかった。国際ニュースに比べて興味が薄かったことは確かだが、単に仕事としてではなく、自分が心を寄せて撮れるような題材を見つけることができなかったからだ。
「これなら撮り続けてみたい。。。」ニュースを聞いたときそう思った僕は、その日から資料集めにかかり、貧困問題に関わる組織、団体にコンタクトをとってこのプロジェクトにとりかかった。
その後5月からハイチ、イラクに3回、ソマリア、と出ずっぱりの状態が続き、思うようにこのプロジェクトに時間を割くことができなかったが、なんとか海外取材の合間を縫って撮影を続け、ようやく掲載までにこぎつけた。
一番大変だったのはやはり取材対象探しだった。
貧困がテーマだから、取材されるほうも誇れるものではない。貧しい自らの生活をカメラの前にさらけ出すのには恥じや抵抗がある。取材を拒否されることなど何度もあったし、逆に途中から金を要求されてこちらから引かなくてはならなくなったこともあった。プロジェクトの意図を理解して取材に協力してくれる人々を見つけるのは楽なことではなかったのだ。
シングルマザー、一人暮らしの老女、ホームレス、メキシコからの移民、障害者。。。それでもなんとか取材対象を探し出し、いろいろなかたちで貧困層として社会に存在する人々と写真を通して関わりあうことができた。
取材対象者のなかには、僕が何度も足を運び、話を聞き、撮影しながら多くの時間をともにしてきた人々も少なくない。友人とまではいかなくても、ある程度気心のわかる関係を築けたと思っているし、僕自身、前回ブログにとりあげたジムを含めた彼らの将来には興味がある。
プロジェクトは新聞に掲載されたことによって一段落したわけだが、貧困増加は依然として大きな社会問題だ。これからも息の長いスパンでこの問題を撮り続けていければと思う。
(写真:一人暮らしの老女ロザリー。生活保護と食料配給に頼るぎりぎりの生活だ)