Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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アラブ人の金の使い方

2007-11-07 03:15:50 | 中東
昨日またバグダッドに戻ってきた。前回に続き同じ部隊のプロジェクトの一環で、今年3度目のイラク入りになる。なんだか最近やたら忙しくて、シカゴにいたのはここ3ヶ月のうち2週間ほどだ。なんだかアパートの家賃が無駄だなあ、なんて思っている。

話は変るが、5ヶ月ほど前から、僕は自宅から空港に向かうときに毎度同じタクシードライバーに乗せてもらうようになった。

ジョーという名のそのドライバーは、ヨルダン生まれのパレスチナ人。6月にイラクに行くとき、あらかじめ電話しておいたタクシー会社からドライバーが来ずに慌てていたところ、たまたまアパートの前を通りがかったのが彼だった。

僕が彼の故郷であるヨルダンを経由してイラクに入るということで話がはずみ、ジョーとはそれ以来の付き合いになった。

彼はアラブ人とはいえ、毎日モスクに通うような敬虔なイスラム教徒というわけではないし、シカゴにもう30年近く住んでいるので、考え方もかなりリベラルだ。 

今回も彼の車で空港まで行ったのだが、そんなジョーが、常にイスラエルびいきのアメリカの外交政策には飽き飽きしているとめずらしく車中で愚痴をこぼしはじめた。

「アメリカがイスラエル寄りなのは仕方がないよ。なんといってもユダヤ人は金権と政治力でアメリカの政界と財界にぎっちり食い込んでいるからね」

僕がなだめると、彼はこう言った。

「いや、アラブ人も金は十分に持っているんだ。ただその使い方を知らないんだよな。アラブ人たちが気にかけるのは大邸宅や高級車といった個人の贅沢ばかりだから。。。」

自身がアラブである彼のこの言葉を聞いて、なるほどそうかもなあ、と感心。

中東、特にクウェートやアラブ首長国連合のような産油国(サウジは行ったことがないが恐らく同じだろう)を訪れて気がつくのは、街を走る高級車の多さや、乱立する高級ホテルの豪華さだ。

昨年クウェートで友人に連れられて富豪の昼食会に顔を出したことがあったが、その豪華さに舌を巻いたことを憶えている。大理石の敷き詰められたリビングには噴水まであり、たった5人の昼食だというのに、給仕が3人、7-8種類ほどの前菜がでたあと、メインコースとしてプールサイドに魚や肉など6種類ほどのバッフェが設置された。恥ずかしながら僕は前菜がメインだと勘違いしてしまい、それだけでお腹を一杯にしてしまったほどだった。

もちろん石油ビジネスで富をなしたこの富豪、ベンツを3台、BMWを2台所持し、さらにこのような豪華な家をドバイとロンドンかパリだったか忘れたがヨーロッパのどこかに一件ずつ持っているといっていた。

クウェートではこの程度の金持ちは珍しくない。僕など恐らく一生関わることのないような大富豪を含めて、産油国には金持ちがごろごろしているのだ。

パレスチナの例もあるし、勿論アラブ人全部がそうであるというつもりは毛頭ない。ただ、産油国に関しては自分の経験からも、ジョーが言うように、個人の物質的贅沢さを追及するということにアラブ人はかなりの執着があるように思えるのだ。

非難を覚悟で極端な言い方をすれば、ユダヤは自分のビジネスによって「稼いだ」金、アラブは石油資源によって「与えられた」金ということで、その利用法に対するメンタリティーにも差が出てくるのかもしれない。

いずれにしても言える事は、もし産油国の富豪たちが個人の贅沢に金を費やすだけではなく、アメリカ、ヨーロッパやさらにはアフリカなどとの建設的なビジネスとネットワークにつぎ込んでいたなら、現在の国際情勢もかなり変っていたのではないだろうか、ということだ。