Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

勝ち組と負け組(2)

2006-04-27 16:11:58 | 日本
先日アップしたブログにいろいろコメントをいただいたが、自分なりにまた考えてみた。

ホームレスの人たちにはその日の行動を自分で決める自由がある、という意見がある。

表面的な日常の行動だけを考えれてみれば、ホームレスのおっちゃん達のほうが「気楽さ」はあるかも知れない。しかしそれは、「自由」などといえるものなのだろうか?

「気楽さ」と「自由」は同じではない。「自由」というのは「幸せなこと」であると僕は思う。

10年前の新宿ダンボール村を取材したときもそうだったが、おっちゃん達と話をし、少しばかりの時間を共有した僕には、彼らが「自由」を楽しんでいるとはとても思えなかった。

多くの人が誤解、または見落としているのは、ホームレスの人達のほとんどが、そうなりたくてなった訳ではないという根本的な点だ。

ホームレス問題には高度成長期からの日本の経済構造が深く関わっている。ここはブログなのでその仕組みは詳しくは書かないけれど、いまホームレスになっているおっちゃん達の多くは60年代、70年代の建築業界でバリバリ仕事をして、戦後の日本を作り上げてきた職人たちだ。

そういう人達が、いま社会の底辺に貶められてしまっている。そして彼らを否応なくそういう環境に追い詰めたのは、現代の日本の歪んだ経済社会構造に他ならない。

彼らが気ままにみえるのは、どうにもならない現実のなかで、這い上がることを「あきらめて」しまったからだ。あがいても抜け出せないと思い知らされたからには、あとは現状の中でいかに楽に生きるかを考えるしかないだろう。多くのおっちゃん達は、はじめからテントのなかで生活したくてそれを選んだわけではない。

どれだけの人が、問題の原因を深く考えようとしているだろうか。単に自分とは関係のない世界に住んでいる人達という感覚で、現実から眼を背けているのではないだろうか?

「明日は我が身」となる可能性だって、少なくはないと思う。

それに気づいたとき、おっちゃん達の生活を、簡単に「自由に見える」などと言い捨てることができるのか。。。


(1996年新宿ダンボール村の取材についてはジャーナル参照
http://kuniphoto.com/ps_jh_story.htm )