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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ある違法移民の悲しい話

2009-02-22 14:33:42 | 中南米
新しいプロジェクトにとりかかったところで、ここ数日忙しくててんてこ舞いだ。

プロジェクトは、ある違法移民の悲しいストーリー。

30歳になるマリア(ストーリーの内容上、原段階では仮名)はイリノイ州西部に住むにメキシコからの違法移民だ。メキシコでの夫は彼女に対して非常に暴力的で、そのうえギャングと関わりだしてから銃などを家に持ち込んでくるようになった。そんな生活に耐えられなくなり家を出た彼女は3人の子供たちを叔母にあずけ、2年前アメリカに違法入国してきた。アメリカで稼ぎ、子供たちに仕送りをするためだ。

しかし昨年、子宮がんを発症。違法移民であるために、保険もなく、メディカル・カードもない彼女に高価な治療をほどこしてくれる病院などみつからない。やむなくあるルートから他人の名義をつかってメディカル・カードを作成し、12月にある病院に入院することができたが、すでに診断から半年近くが経っていた。

すでに末期となっていた彼女は、残り数ヶ月の命。せめて死ぬ前にメキシコに戻り子供の顔がみたいというのがマリアの最後の願いだ。

事情を汲んだメキシコ領事館が彼女のパスポートを作成し、飛行機代を負担することで彼女をメキシコに送り返すことになった。もう後がないということで、同情した医者がマリアに最後の抗がん剤を投与。少しばかりだが体力を取り戻したマリアにとって、今週末が旅をできる最後のチャンスとなった。この機会を逃せば、もう身体が弱りすぎて飛行機には乗れないだろうというのが医師の判断だ。

実際の話はもっと複雑なのだが、簡単に言えばこんなところだ。

そんな訳で、昨日から2日間、病院でマリアと彼女のアメリカでの新しい夫(彼もまた違法移民)と共に時間を過ごしながら撮影を続けている。明日は彼女と、道中彼女の世話をするソーシャルワーカーと共に僕もメキシコに発つ予定だ。

しかし、今回の取材は僕にとってもなかなかストレスがたまるものになっている。

やはり重度の病人が被写体だから、気を使うべきことが多い。そのうえ彼女たちはほとんど英語を解さないので、僕の片言のスペイン語ではなかなか意思の疎通が難しい。しかし一番頭を痛めたのが、病院の極端な官僚主義だ。

取材の意図を汲んで、撮影許可をおろしてくれたにも関わらず、エスコートの問題とか撮影時間にやたら制限をつけてくる。今日もその調整のために数時間も無駄な時間を費やす羽目になった。恐らくメキシコについても、撮影に関してはあちらの病院でいろいろ問題がでてくるだろう。言葉の問題もあるので、それを考えるといまから先が思いやられる。

しかし、マリアのケースは、現在のアメリカの抱えている違法移民問題と、ヘルスケア問題の両方を含む、非常に重要なストーリだ。

メキシコから戻ったところでまた報告を続けたいと思う。



シテ・ソレイユ

2007-05-10 17:29:11 | 中南米
ハイチから戻ってはきたが、そのまま休みなしで写真の整理とスライドショーの作成に追われている。今回は10日間で4つのテーマという強行取材をしてきたので、しばらくは忙しいのが続きそうだ。。。

とりあえずは最初のストーリーのスライドショーがアップされたので、報告まで。
http://www.chicagotribune.com/soleil

ストーリーの概要はこんなところだ。

ハイチの首都ポルトープランスには、シテ・ソレイユという長年にわたってギャングの統治してきたスラムがあるのだが、ブラジル軍を中心とした国連軍が、昨年終わりから今年2月にかけて大規模な作戦を遂行してスラムからほぼギャングを一掃した。

ギャング・バイオレンスがなくなり、平和を取り戻しつつあるシテ・ソレイユ。ストリート・マーケットも活気づき、住民たちも将来に希望を見出し始めているかのようにも見えるが、その反面貧困に喘ぐ人々の暮らしは依然として変わっていない。。。国連軍がこの先いつまで進駐するかも未定だし、ギャングがまた巻き返してこないという保証もない。
これからシテ・ソレイルがどうかわっていくかに注目していきたいと思う。

ハイチ取材あと1日

2007-05-07 06:26:57 | 中南米
忙しくしているうちにハイチ取材もあと1日となってしまった。

ここでは午前7時には太陽が随分高くまで昇ってしまうので、朝のやわらかい光を求めるカメラマンとしてはつらいところだ。午前5時にはホテルをでて、夜食事を済ませる頃にはもう9時過ぎ。その日の写真の整理をするともう疲れてバタンキュー。

。。。というわけでブログの更新など全然できませんでした。

石原都知事の件では嬉しいことにいろいろ意見をいただいているようなので、またあらためて書く必要がありそうかな。

アレックスとの別れ

2006-02-14 09:32:01 | 中南米
このところすっかり、筆無精になっていた。というより移動が多くて忙しかったのだけれど。。。

ベネズエラからシカゴに戻ってきた。

カラカスを発つ前日、スクータータクシーのドライバー、アレックスにダウンタウンまで乗せてもらい、最後の用事を済ませた。ベネズエラに着いたその日から、カラカス滞在中は毎日のようにお世話になったドライバーだ。実際は僕が金を払って雇っているのだが、そういう雇用関係や、言葉の壁を超えて彼とは友人のようになっていた。

僕の通訳を乗せていたやたらに陽気なドライバー、アビマエルに比べて、やや寡黙なアレックスだったが、それでもラテン気質はそのままで、2つのスピーカーを搭載した彼のスクーターからはいつもガンガンとメレンゲやサルサが鳴り響いていたものだ。

僕は取材にいく先々で、自分用のお土産としてその土地の音楽CDやテープを買ってくることが多い。滞在中によく耳にしていたものがあれば必ずそれを購入してくることにしている。音楽と思い出が強く結びつくから、家に帰ってきてからも、それを聴くたびに取材中におこった出来事や出会った人々が心に蘇ってくる。そういう感覚が好きなのだ。

この日、ダウンタウンで買い物を済ませた僕に、アレックスは2枚のCDを差し出してきた。「君へのギフトだよ。。。」

僕は今回もベネズエラのCDを買って帰ろうと思い、いつもスクータに乗りながら聞いていたやつを2、3枚欲しいとアレックスに頼んでおいたのだ。

「親愛なるクニへ、アレックスより」

明らかに海賊版とわかる、コピーされたそのジャケットの裏にはボールペンでこう走り書きされていた。

「今度はいつカラカスに戻ってくるんだ?」

「。。。わからないなあ。。。」

尋ねるアレックスに、特に近いうちこの国に戻ってくる理由のない僕は、下手な口約束などできるわけもなく、ただ言葉を濁すことしかできなかった。

滞在しているホテルの前で僕を降ろし握手を交わすと、急にしんみりし、うつむいて半べそになりかけたアレックス。そんな彼を見送りながら、僕も心なしか寂しくなる。

「いい滞在になった。。。」そう思った。

(写真:右端がアレックス)

チャベズ集会にて

2006-02-06 07:48:35 | 中南米
カラカスに戻ってきてすぐさまの土曜日、チャベズ大統領支持の集会を撮影した。

各地からバスで乗り付けた人々も含め、ダウンタウンのストリートは何十万(政府発表では2百万人だが、これはちょっと眉唾ものだと思う)という人で埋め尽くされた。報道者用のステージからのその眺めはなかなか壮観であったが、そこに集まった全ての人が必ずしもみなチャベズ支持者とはいえなかったようだ。

アナコの近くにある村を取材しているとき、このチャベズ支持の集会にいくという男達に出会った。貸し切りバスで村の人々がカラカスに駆けつけるそうだ。その村からカラカスまでは6時間程かかる。村から多くの人達が行くのかと尋ねると、これはもうほとんど義務のようになっているので行かない訳にはいかないという。

この集会に参加しないと、将来いろいろ不都合がでてくるらしい。例えば家を建てるとか、車や作業機械を買うためにお金を借りたいというときに、「君は集会に行かなかっただろう」という理由で、政府機関からの援助が受けられなくなるというのだ。

さらにバスに乗るときに一人当たり50000Bs(2000円ほど)が支給されるという。(これは地域や村によって様々らしい)ここではビール一瓶が70円、軽食ならば2-300円ほどの値段なので、2000円といえども馬鹿にできない。

こんな具合なので、チャベズ勢力の強いコミュニティーに住み、自分の家族を養えるような仕事を持っていない彼等のような人達にとっては、チャベズが好きであろうがなかろうが、集会参加は必然になってくるわけだ。政府からの援助抜きでは生活できなるからだ。

勿論、心からのチャベズ信望者も少なくない。チャベズはこれまで無視されてきた貧困階級の救済もある程度おこなっているので、特にその利益を得られる人々のなかには熱心なチャベズ支持派が多数存在することは事実だ。

ただ、集会でチャベズがステージに登場しスピーチを始めた途端、これで役目は終わった、かとでもいうように、ぞろぞろと帰っていく人々の姿がみえたのもまた印象的だった。

大統領支持者といえども、一筋縄ではいかない国である。




不便な数日間

2006-02-05 14:25:29 | 中南米
首都カラカスから南東に車でおよそ5時間のところにあるアナコという町を数日間取材してきた。

アナコの一帯は石油と天然ガスの産地になっており、ここから算出された天然ガスが僕らの石油プロジェクトの出発点となっているシカゴのガソリンスタンドにも運ばれてくるためだ。

この町では通信手段で少々面倒な目にあった。

町のどのホテルにもインターネットの回線がはいっていないのだ。そのため忙しい取材の合間を縫っていちいちインターネットカフェまで行かなくてはならないのだが、それも夜8時くらいには閉店してしまうので、朝から夜まで取材が続くときなどはメールチェックもままならない。おまけにカフェのコンピュータには日本語など入っていないので、日本からのメールの読み書きもできなかった。普段なら衛星電話と自分のラップトップをつないでインターネットを使うのだが、今回のベネズエラ滞在はそれほど長くはないし、ニュースの取材ではないので重くてかさばる衛星電話は持参してこなかったのだ。おかげで不便な思いをすることになってしまった。。。

さらに悪いことに、カラカスで使っていた携帯電話がアナコでは全然使えなくなってしまった。この地域では、カラカスとは違うネットワークが使われており、政府の政策でローミングができなくなっている。一体どういう訳でこんな政策をとっているのか理解しかねるが、とにかく不自由極まりない。ローカル以外の長距離電話をかけるためには、これまたインターネットカフェにいって公衆電話を使わなくてはならないのだ。

メールチェックができない、携帯電話がかけられない、というだけで、随分心細い思いをしたが、いかに普段の生活でインターネットや携帯電話といったコミュニケーションの手段に頼っているかということを思い知らされた数日間であった。






爆走スクータータクシー

2006-01-31 21:13:13 | 中南米
毎日朝から晩までの取材で、なかなか時間がとれずに、ブログの更新もままならない。
おまけに泊まっているホテルのインターネットの接続がやたら悪く、電話回線より遅いのでメールの返信をするので精一杯だ。

ベネズエラに着いてから取材の移動にはすべてバイクタクシーを使っている。日本でいう原チャリよりも排気量の大きいスクーター(尋ね忘れたがおそらく125ccだと思う)に運転手と二人乗りして移動するのだが、交通量が多く渋滞だらけの首都カラカスではもってこいの交通手段だ。

しかし、なかなか際どい乗り物でもある。渋滞のときは車線など関係なく、車と車の間の膝すれすれの狭い隙間を縫うように走っていくし、よほど交通量の多い交差点でない限り、赤信号などおかまいなしにつっきっていく。全くこの国には交通法規など存在しないのかと思ってしまう程で、これまでの3日間で事故を目撃していないのが不思議なくらいだ。このスリル満点の乗り心地は、しょぼい遊園地のジェットコースターなんかよりよっぽど面白い。

ドライバー達も皆陽気で楽しい連中達だ。毎日おなじメンバーを雇っているので、もうお互い随分親しくなってジョークもぽんぽん飛び出すようになった。もちろん僕のスペイン語能力ではほんの片言しか解せないのだが、それでも彼等とは気があうし、実に楽しくやっている。

中東などとは全く違って、やはりラテン気質の国なので人々も取っ付きやすいし、取材もしやすい。ミス・ユニバース(世界美女コンテストのグランプリ)を世界で最も多く輩出している国だけあって、街中べっぴんで溢れている。気候も暖かいし楽しい国だ。ただ、取材が忙しくて、ゆっくり楽しむ暇などないのが残念だけれど。。。

(写真/陽気なドライバーのアビマエル)


ベネズエラ到着

2006-01-29 07:53:50 | 中南米
3日間のルイジアナでの取材を終えて、昨夜ベネズエラに到着した。

飛行機が首都カラカスに着いたのが午後10時過ぎ。そこからタクシーでダウンタウンまで来たのだが、空港と町を結ぶ橋が老朽化のために壊れ封鎖されているため、大きく迂回してくねくねと細い山道を走らなくてはならなかった。

普段なら30分足らずのところを、ホテルまでなんと3時間もかかった。深夜だったので交通量が少なくこの程度ですんだが、これが日中だったら、7-8時間かかることもあるらしい。橋が壊れてから、こんな状態がもう3週間以上続いているという。

空港で働く職員達の通勤時間は一気に10倍にもなってしまうし、この橋は主要幹線道路にもなっているので、経済に与える影響も大きい。新しい橋を造るには1年以上かかるといわれるが、運転手の話では、いずれにせよ早急に対策を打ち出せない政府に市民の不満が高まってきているようだ。

午前1時過ぎにホテルについてから、なんだかんだ荷物の整理をしていたら寝るのが3時になってしまった。7時に起きて朝食をすます。今朝はこれから地元のカメラマンと会うことになっている。初めて(実際には1989年に数日間訪れているのだが、ほとんど憶えていない)の土地での撮影ポイントのアドバイスをもらうためだ。