「魔女の一撃」は、妖精の密かな囁き?

2017年06月22日 | ドイツの暮らし




ルターの聖書で知られた、旧東独のアイゼナッハという昔からの
古い街に向かう西ドイツからの特急、夜10時、北国の夏の夕暮れは、
水彩画のような青い闇がいつまでも続く世界です。

シャーロック・ホームズの小説の中のような、少し時代がかった食堂
車にたった一人。
木のテーブルの上には辛口の白ワインの小さなボトルが一本。





そしてヨーロッパの雑穀を上手くアレンジしたお豆のサラダには、緑色
の若いオリーブを刻み込んだボッカチアのサイドディッシュ。一人だけ
の贅沢な夕食です。





 

自分の心のおもむくまま、自分の行く末を考えたり、自らの雑念のおも
むくままに、僕の他愛ない考えも、いつもの毎日の日常から離れていく
不思議な時間です。

さて、今日の本題。
ドイツ語には「魔女の一撃」(Hexenschuss)と言う、昔からの、庶民に
も誰にも馴染み深い一つの言葉、一つの表現が有ります。

居ても立っても居られない。
腰を一ミリでも曲げられないような痛み。そうして過ごした最初の週末。
その後の10日間、
筋肉注射をしても、温湿布をしても、痛み止めを飲んでも、ベットに寝転
んでも、起き上がること自体が一大事になるような毎日。それでも毎日、
仕事をしたり、無理して泊りがけの出張に行ったり。あまり楽しくない、
憂鬱な気持の日々でした
そうしてようやく数日前から、ほぼ滞りなく日常生活が送れるようになり
ました。

昨日、今日はまたゆっくりと走り始め、村の屋外プールでも300メートル、
800メートルとまた泳げるようになりました。
自分の体が自由に動くこと、走ったり、泳いだり、しっかり汗をかけること、
それがどんなに素敵なことか、自分にとって大切なことか。
今日、久し振りに水の中で年老いた魚のように体を動かし、プールサイドで
四肢を伸ばし、初夏の燦々たる太陽の光を浴びて、今回はつくづく思い知り
ました。

「僕は生涯の仕事とか、人生の意味とかそんなことを、ずっと昔から、若い
時から日本で二十歳になる前から、何十年もずっとずっと考えて、今だにそ
れに悩まされているけれど、一体それは何の意味があるのだろう?」



 

今回の魔女の一撃は、「貴方の一回限りの人生、もう、いろいろな幻想や子
供の時からの固定観念、社会化の縛りの中から離れたらどうなの?」という、
僕の心の中に近づいては離れていく、知れど知らざる、僕の人生の導き手、
忘れてはならない、小さな妖精の密かな囁きだったのかもしれません。 


 


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