イタリアの山から戻って ー 食卓の上の空っぽになった漆の器

2016年01月11日 | ドイツ・ヨーロッパの「旅」

昨日の夜、真夜中の12時半頃にイタリアの山から約1000㎞離れた
ドイツの自宅に到着しました。



まずは五分搗きの御飯にカブのお味噌汁、ぬか漬けのお新香で夜食。
体も気持ちもほっとしました。「ああ、うちに帰ってきたなあ~」



その日のお昼には北イタリアの山の村で、スイスの名物料理とは
また違った、アオスタ地方の高山の山のチーズで作った香りも味も
強烈な、小鍋ふうのクルトン入りのフォンデューを息子達と一緒に
なって「美味しい、美味しい」と食べていました。
みんな違って美味しい、面白い、僕にはいつになっても興味の
尽きないのが「食」の文化です。

とはいえ、日本では異なった文化圏との関わり方は野次馬本位の
興味が殆どで、異国、異文化の中で暮らすようになった流浪の民の
哀しみなどは、映画や小説の中だけの遠い、遠い世界です。
異文化との関わりが表面的なエピゴーネン、歴史的時間を知らない
模倣者、或いは自らの優越を目指すデマゴーグの枠を超えて行くことは
まずありません。

戦後70年の日本では、異邦との深層での関わり、斬り結びは実に
稀なことで、実際にはほぼ不可能なことだったのだと思います。
一方で自らのふるさとの文化と伝統も急速に失っていきました。

 

食卓の上の空っぽになった漆の器を見ながら、昨夜はそんなこと
をぼんやりと考えました。そして、このことは、自分の和食との
関わり方や、ドイツの人達への伝え方にも関わることだろうと
思うのです。


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