「生きる価値のある未来」を求めた社会 ー 3・11後に脱原発を決めたドイツ

2012年08月21日 | 脱原発

今年6月、日本のNGO月刊誌「Actio」に、僕達「アトムフリー・ヤーパン」の
活動背景に関するインタビュー記事が掲載されましたので、下記にご紹介します。

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以下、上記記事の本文内容です。

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 3・11後に脱原発を決めたドイツ
「生きる価値のある未来」を求めた社会 

昨年3月の東電福島原発事故から4か月後、ドイツ連邦議会は2022年末までに原発を全廃すると決定した。一方、事故当事国の日本では、拙速な「安全審査」で福井県・大飯原発を再稼働させようとしている。この違いは何か。ドイツと日本の脱原発運動の橋渡しを行なう「アトムフリー・ヤーパン」代表の高田知行さん(ドイツ在住)に話を聞いた。

 

■原発事故は戦後日本の終着点・分岐点

 今回の原発事故は、戦後日本の硬直的な社会システムがたどり着いた一つの終着点ではないかと思います。

 私は東京浅草の下町出身です。地方を全く知らずに、子どもの頃から恐らく『東京=日本』のような感覚で生まれ育ったのだと思います。本来の日本の風土から切り離されつつ、一方では戦後日本の発展を体現化する東京。その中で経済成長一辺倒の暮し方や価値観、あるいはそれを支える社会のあり方に大きな違和感を持ち、大学に入学する頃から「こんな中で自分の人生を送りたくはない」との気持ちが強まっていきました。それが独文学を専攻するきっかけともなったのだと思います。1983年からドイツへ留学、そして大学院卒業後の1988年、すぐにドイツに渡り、デュッセルドルフで翻訳事務所と小さなドイツ語学校を始めました。28歳のことです。

 それ以来、日本の社会に直接関わることはなるべくなしにしようと思ってきたのですが、今回の原発事故で大きく気持ちが変わりました。このままでは、日本の社会どころか、この国、私たちの風土全てが喪われてしまう。自分にとってかけがえのない日本の「食」や工芸、自然の風景、故郷としての日本全てが失われてしまうという切迫した思いにかられました。そこで去年の3月17日、日独二カ国語のウェブサイトを立ち上げ、浜岡原発STOPの日独署名を集め始めました。

 原発に関しては、2010年の夏頃から上関原発の建設問題に関心を持っていました。父の出身が山口県柳井市だったこともあり、実際に祝島へ行き、山戸貞夫さんと会って話を聞き、建設予定の浜辺にも行きました。

 その埋め立ての動きが激しくなった時、日本の市民団体が抗議の共同宣言を発表しましたが、それをドイツ語に訳してウェブに掲載し、ドイツの環境団体にも連絡をとりました。

 祝島だけでなく、行政と電力会社は一体となって反対運動を色々な形で分裂させ、非常に陰湿なやり方で潰そうとします。原発建設の合理性はなく、深刻な環境破壊が起きても、マスメディアは全く報道しません。このような構図は、今回の東電福島原発事故でもはっきりと現れています。


■飯館村の子どもたちへの支援

 昨年3月当初は個人的に活動を始めたのですが、今年4月からはドイツの公認市民団体「アトムフリー・ヤーパン」として活動を行っています。その活動の柱の一つが福島の子どもたちへの支援です。特に飯舘村への支援活動を中心にしています。

 去年のクリスマスと今年のイースターの計2回、飯舘村の避難先小学校にドイツからのプレゼントを送りました。オーガニックや手作りの贈り物、ドイツで自然エネルギー教材として使われている小さな風力発電のミニキット、ソーラーパネルと手回し発電のついたLED懐中電灯、ドイツ・シェーナウで出版している『原発をやめる100の理由』の和訳本などです。これらを、脱原発のシンボルが描かれた麻のバッグに入れて渡しました。絵や写真が添えられたドイツの支援者の人たちの手紙も一緒に。

 飯舘村の子どもたちへの支援を行うことで、ドイツ人にも日本の原発災害の問題が具体的な形で伝わっていきます。特に飯舘の子どもたちは事故後1、2カ月間、無防備のまま高い放射線量にさらされたので、今後も継続して支援する必要があります。

 ただ村役場、教育委員会を通してのつながりなので、その交流が制限される面がなきにしもあらずです。お母さんたちに会って、子どもたちの健康障害について不安や心配はないか直接聞きたいのですが難しい。今回訪問する際には飯舘村のお母さんたちと直接コンタクトをとり、今夏以降はより実質的な支援を行なおうと考えています。


■ドイツから脱原発のメッセージ

 私たちのもう一つの役割は、日本とドイツの脱原発の動きを連携させること、人と情報を結びつけることだと思っています。そのためにドイツで声を上げるだけでなく、日本の原子力村への批判や、原発再稼動に対して具体的な直接抗議のアクションを行うことにしました。

 今年3月26日、大飯原発3、4号機再稼働に反対するドイツの反原発・環境団体の共同要請文を、福井県庁と大飯町役場に届けてきました。これはアウスゲシュトラールト(ドイツ反原発運動ネットワーク)、BUND(ドイツ環境・自然保護連盟)、グリーンピース、IPPNW(核戦争防止医師会議)、NABU(ドイツ自然保護連盟)などドイツで最有力の反原発・環境団体の連名の要請文です。

 私が発案し、FoEジャパンの吉田さん、ドイツ人の友人と一緒になって一つ一つの団体に声をかけてまとめあげました。BUNDだけで約40万人の会員がいますので、ドイツ市民何百万人を代表した脱原発の声、大飯再稼動反対への思いが込められた文書だといえます。

 ドイツの脱原発運動40年の中でも、海外の原発政策に対しこのような形で直接意見したのは初めてのことだと思います。内政干渉になるのではとの懸念もありました。しかし、福島原発事故にも関わらず日本が原発推進政策を続けることは、ナショナルな問題ではなくインターナショナル、国際的な問題だということをはっきりさせることが必要でした。日本だけの問題ではありません。放射能汚染は国境を、時代を超えるからです。

 しかし、このドイツからの共同要請文に対して今日まで福井県庁からも大飯町からも一切回答がありません。当日はFoEジャパン、大阪美浜の会、ストップもんじゅの会の人たちと一緒に、県庁内で各団体の要請を文書で渡しましたが、県側は課長クラスの対応で、25分しか時間をとらず、質疑応答も基本的に認めない態度でした。

 かろうじて3人が質問しましたが、一般市民の傍聴はなく、報道陣のみが入室を許されただけ。あまりに市民を無視しており、民主主義の国とはとても思えません。

 ドイツの緑の党が立ち上がっていく時には「議会外民主主義」が中心概念でした。議会内が機能しないなら議会外で市民が対抗勢力としてものを言い、正当な力を行使する。それは暴力を用いることではありません。今回のように要請文や抗議文を渡して回答を迫ったり、街でデモをすることです。

 民主主義は基本的に利害の対立を前提としています。市民団体は行政に対して影響力を及ぼす、行政と対等な勢力であるとの意識をしっかり持つべきだと思います。日本では県庁や国に抗議する時も、上下の感覚で「お願いいたします」と「申入れ」をし、あまりにもペコペコしています。もし行政がこちら側の問いに回答せずに退室しようとするなら、ドアの前に立ちはだかってでも回答を求めるぐらいはするべきでしょう。


■連邦制・地域分散型のドイツ

 脱原発をめぐるドイツと日本の違いについて、たくさんの方が発言していると思いますが、私個人としては二つ、大事な側面があると思います。一つは政治の方向性及びシステムの違いです。

 国の基本的方向、政策の側面から見れば、戦後の復興において日本は自民党政権の下で国力の発展を追求し、追いつき追い越せ的な発想で、ジャパン・アズ・ナンバーワンを目指しました。

 一方、ドイツの70年代は社会民主党(SPD)が連立政権内にあり、労働組合寄りの政策を行っていました。経済発展の利益は一般の労働者に還元されることが厳しく求められ、基本的な社会インフラへの投資が利権の奪い合いベースではなくそれなりに計画的に行われていました。国民の生活の安定、暮らしの豊かさにつながる政策のウェイトがずっと大きかったように思います。

 さらに根本的な違いがあります。日本は政治・行政が極端な中央集権型ですが、ドイツは連邦共和国であることです。各州の独立性は高く、連邦と同様に一つの国として運営されています。 消費税などの分配も州へ直接入る部分が確保されています。

 ドイツの国会は二院制ですが、上院にあたる連邦参議院は、州の意思を連邦の立法・行政に反映させるために州政府の代表で構成されています。下院の連邦議会で議案を通しても、上院で過半数を採れなければ戻されてしまう。このシステムは民主主義を養う上で非常に重要だと思います。日本の参議院と異なり、ドイツの場合には各州の意向がきちんと国政に反映され、検証されるシステムになっているわけです。

 政治だけでなく国自体も地域分散型モデルです。文化、産業、学術研究の拠点が分散しており、労働市場も各地にあります。連邦共和制であり、かつ地域分散型であること。それが現代ドイツ社会の基本的強みだと思います。

 今回、大飯再稼動の問題で日本に行く前、16歳の娘と18歳の息子と3人で外で食事をしました。その際ふと思いつき、ドイツのどこが好きで誇りに思っているのか尋ねたところ、娘は「ドイツはパンがとてもおいしい」と言った後、「自分の国の民主主義は機能している、良いと思う」と答えました。家では特に政治的な話をしていないのでびっくりしました。続いて息子が「僕もそう思うけど、学校のシステムも悪くないよね」と。自分の子ども達ながら若い人達がこういうことを普通に感じるのか、ドイツはなかなかの国になったのだなと改めて思いました。


■ベースにある「オルタナティブ」

 もうひとつ重要なのは70年代以降のオルタナティブ(Alternativ)、ドイツ語でアルタナティーフの動きが、過去40年間、ドイツの社会や生活にもたらした影響です。オルタナティブとは、当時主流であった既存の政治枠や社会のシステムに依存しない、別の生き方、暮らし方を求めるあり方の総称です。物質主義、権威主義、環境破壊主義からの価値転換を目指した、日常生活に直結した動きでした。

 ドイツでは68年以降、政治運動が極端、暴力化し挫折しました。その後、暴力や政治主体で上部構造を変えるのではなく、ソフトな、日常生活の中での価値の転換を求め、暮らしを足下から変えていく試みが学生運動以降の世代の若者達から始まりました。

 私が80年に初めてドイツに渡った時は、ちょうどそうした運動が盛り上がってきた時期でした。彼・彼女らが始めたのは、男女が生活の中で対等に話をし、質素に暮らすこと。当時、政治的にしっかり物事を考えている女性たちは、大学の中で編み物をしていました。それは自分の着るものをつくる、時間をゆっくり過ごすというシンボリックなことだったのです。

 そうした人たちは、原発反対や東西ドイツ国境地帯への中距離核ミサイル配備反対などの行動を担っていました。この世代はその後、次第に保守化したり、家庭を持ったりして、既存社会の一員となっていくのですが、当時抱いた根本的な価値は心の中の芯として保っていた。それがドイツのオーガニックの運動や「緑の党」の盛り上がりを支えた原動力になったと思います。

 つまり「緑の党」のベースには、それ以前の70年代頃からはじまったオルタナティブという動き、若い世代の生活変革、そのような意識に支えられた幅広い勢力が存在したのです。この社会的・文化的な変革のポテンシャルを見逃してはいけないと思います。日本でもこの「オルタナティブ」な価値、生き方が意識的な若者世代、特に女性達の間には世代を超えて確実に広がっていると思います。脱原発だけでなく、日本の社会を変えられるのはこのような女性達が中心となった力ではないかと想像します。


■エネルギーデモクラシーを

 10年くらいのスパンで見れば、今後日本は確実に再生エネルギー、自然エネルギーへシフトすると思います。しかしこのままではエネルギーの上部構造が原発から自然エネルギーにとって代わるだけで、これまでの社会システムはそのまま残されるのではないかと危惧しています。

 今回の原発事故は不幸なことですが、これをきっかけにエネルギー政策の主導権を各地域に取り戻していくチャンスです。その際、行政主導ではない市民参加による決定ができるか、エネルギーデモクラシーを実現できるかが重要です。まずは市町村レベルで小水力発電や風力発電を導入し、コツコツと実績を積み上げていくのが具体的な方法ではないでしょうか。

 そして言うまでもなく原発再稼働問題は、電力供給の問題ではありません。民主主義の基本には地方分権がありますが、日本でそれが成り立つかどうかの瀬戸際なのです。福井・滋賀・京都・大阪の関西圏が再稼働を認めないことで、中央政権を跳ね返す動きが起きています。特に滋賀県の嘉田由紀子知事の存在は大切だと思います。市民の声に支えられて、その意思を貫くことができれば、地方レベルで国政に待ったをかけることとなります。

 また今回は市民による反対の力が大きく、政府の圧力を相当押し戻しています。今夏に向けて再稼働をストップできるかどうかはまさに大きな正念場で、日本の市民運動、草の根民主主義発展の一つの分岐点です。大きなリスクとチャンスが共存しています。

 私は、日本の各地で原発立地自治体と周辺地域が結びつき、脱原発・脱行政主導・市民主体の地域再生をテーマとした研究プロジェクト、プランニングが必要だと思います。そのために市民団体が中心となったスタディ・ワーキング・グループを作り、そこに日独の専門家や民間の研究所が加わり、日独相互の交流の中で、自然エネルギーと市民自治を中心とした地域再生ビジョンや実践的なモデルケースが生まれてくればと願っています。具体的には40年を越える老朽原発を抱え、脱原発・廃炉プロセスを目の前にした福井県美浜町が、その一候補になると思います。微力ながら、今、このテーマを追いかけようとしています。

 皮肉なことに、中央集権の大好きな日本の原発推進側は、本来、ナショナルに議論されるべき原発立地や再稼動の問題を、ローカルなもの、地方の問題として矮小化し、立地自治体の既存枠組みの中だけで扱おうと必死になっています。

 こうした流れに対抗して、原発問題こそ必ずナショナルな規模で捉え議論することが必要です。たとえば、それは福島県や飯舘村の人たちが当事者・被害者の立場から、大飯原発や伊方原発の再稼動阻止反対運動に積極的に関わっていくことでもあります。

 まずはナショナルなレベルで市民が結びつき、原発問題を議論する。さらには一国にとどまらないインターナショナルな問題だと捉えていく。今こそ日本とドイツの市民が手を取り合って、原発推進派に具体的に対抗していくこと。そして、より良い未来、生きがいのある暮らし方を具体的な将来ビジョンの中で求めていくことが大切だと思います。

【プロフィール】高田知行(たかだ・ともゆき)
東京浅草生まれ。「アトムフリー・ヤーパン」代表。ドイツ連邦共和国公認通訳翻訳士。早稲田大学卒、東京大学大学院修士課程修了。在独30年。ドイツ人の奥さんと3人の子供たちと暮らしている。日本の「食」の紹介がライフワーク。

(Actio 6月号より)
 

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