末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

デュッセルドルの思い出 1 初めてのヨーロッパ

2011-09-29 19:04:51 | 海外旅行
ktemple初のヨーロッパに張り切っています。いい男でしょう!

アメリカが続きましたので、今度は少しヨーロッパに移りましょう。

最初にヨーロッパに行ったのは40余年前の出張で
先ずデュッセルドルフに行きました。

デュッセルドルフには、少なくともその後3度は行っていますが
全て会社時代の一人の出張で、多分カメラは持たずに行ったのか
写真は一枚も残っていません。
今の様に小型コンデジがあれば、写真も撮れたのではと残念です。

デュッセドルフには会社のヨーロッパ事務所があったので
顔を出したのですが、仕事はしませんでした。
そのお陰か仕事以外の記憶は結構残っています。


海外での最初で最後の民宿

始めてデュッセルドルフに行った時、事務所長Kさんは
貴方は若いのだから面白い経験をしてはと
ホテルでなく個人の家に泊まるよう手配して下さいました。

そのお宅ご主人は入院中で、奥さん、高校生の息子さん
お勤めの娘さん、そして入隊中の息子さんの5人家族でした。

写真が少ないので咲き出した四季咲きのバラ。
余り歩けないので1ケ月振りの我が家の花写真です。

子供さん達は流暢な英語をしゃべられるのですが
奥さん英語は余り分からず、ドイツ語でしゃべるだけです。

小生は辞書を使ってドイツ語の本は何とか読めますが
ドイツ語で会話をした経験はありません。

子供さんがいない時に、奥様はドイツ語、小生は英語で
必要に応じて持参した英独辞典を利用しましたが
特に困ったことはなかった様に記憶しますから
言葉というのは不思議なものです。

事件?

小生一人家で留守番をしていた時に、電話がかかってきたのです。

受話器をとって冷や汗をかきながら
「イッヒ、シュプレッヘン ニヒト ドイッチェ」

「私はドイツ語しゃべれません」とドイツ語で叫んだのですから
相手の方はさぞびっくりされたことでしょう。
忘れられない思い出です。

家族との思い出

滞在中に日曜があり、入隊中の息子さんも帰宅され
皆と庭で語り合いました。
高校の息子さんオートバイを持っており
休みには英国まで出掛かけていると聞いてびっくりしました。

この自転車では英国は無理

日曜というので
高校生の息子さんが小生を教会連れて行ってくれました。
其の帰りにビヤホ-ルに寄りました。


ドイツではこんな風景をよく見かけます(借物写真)

多分日本的考えで飲まずに帰ったと思います。

ただその後ドイツのミュンヘンにある工場に伺った時
廊下にビール缶が一杯入った箱が置いてあったので聞くと

「休憩時間に飲むのです」と説明され
ビールは水代わりかとびっくりした覚えもあります。


この時の仕事

この時の仕事は、アンモニア合成などに使う綺麗な水素を作るために必要な、
原料ガスから炭酸ガスを除くプロセスの実施権をうるための交渉でした。

実は今日まで、行った先はベニスに近いどこかの島で
帰りに少しベニス見学をしたと思っていました。

そこでどこの島に行ったのかインターネットで調べようとしたのですが
会社の名前が思い出せません。

ただプロセスの名前はベトロコークプロセスという事は覚えていましたので
それを手掛かりに調べた所

幸運にも会社の名前はGiammarco-Vetrocokeという会社で現在も存続しており
所在地はベニスの真ん中にあった事がわかりました。
どおりでベニス見物が出来たわけです。

">マンデビラ花が増えましたが、目下手入れができぬため綺麗になっていません

ベニスについては、10年程前に家内と観光旅行に行きましたので
また別の機会に報告します。

この会社での思い出があります。
昼食をご馳走になったのですが、小生アルコールに弱いため
食事の時のワインは少しだけにしていました。



観光旅行でベニスで購入したグラス

ところがデザートに出たいちごは、ワインにたっぷり漬かっており
それがまた美味しかったため皆頂きました。

すると午後の打ち合わせの最中に
何となくほろ酔い気分になってしまいました。
幸い交渉は順調に纏まりホットしました。
div>


シンシナティーの思い出

2011-09-27 18:53:23 | 海外旅行
オハイオ川と丘に囲まれたシンシナティーの街

27日の午前のAWWAの行事が終わった後
午後フィラデルフィアから内陸に向かって飛行機で1時間弱の
シンシナティーに行きました。

そこへ行った目的は
日本の環境省に当たる米国環境保護庁EPAに属する研究所の訪問で

訪問は28日に、29日朝には帰国のためロスに向かいましたから
見学できたのは、オハイオ川近くのホテル周辺の僅かな所の様です。

写真もホテルの周辺のものが少し残っていますが
一番時間をかけた研究所にはカメラを持っていかなかったのか
写真が一枚もないのが残念です。

残っている写真に写っているものも、それがどういうものか
今迄よく分かっていませんでしたが、今回調べて分かりました。


シンシナティー(Cincinnati)について

シンシナティーは、オハイオ州の最南部のオハイオ川中流に位置しており

ダウンタウンからオハイオ川を越えるとそこはケンタッキー州で
シンシナティ国際空港もケンタッキー州の中にあります。

シンシナティーを中心とする都市圏の人口は200万人で
古くから河港の交易都市として知られていました。

写真に見る様にオハイオ川が南にゆったりと流れ、丘に囲まれた自然豊かなこの町は
別名「The Queen City」と呼ばれています。

遊覧船も見えるオハイオ川

現在は工業都市として
機械、鉄鋼、化学、食品工業を始め、更にIT産業や出版・印刷業も発達しており

本社を置く主な企業には
お馴染みのプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)などがあります。


ダウンタウン

外国籍企業の進出も多く
中でもトヨタや自動車部品メーカーをはじめ日系企業の進出が
他の国よりも多い様です。


ホテルの窓から見たビル建設が行なわれている風景

シンシナティは、アメリカで最初のプロ野球チームThe Red Stockingsが
1870年に生まれたため、メジャーリーグ発祥の地とも言われています。


現在のナショナルリーグ中地区所属のシンシナティ・レッズの前身がThe Red Stockingsです


Riverfront Stadium

Riverfront Stadium

小生が訪れた頃あった写真のRiverfront Stadium (1970–1995)は
シンシナティ・レッズのホームで、1970年のこの球場オープニングに
Hank Aaronが球場最初のホームランを打ったとの事です。

その頃の内側の様子(借物写真)

その後Cinergy Field (1996–2002)と名前を変えましたが
2002年には老朽化で、37秒で爆破解体されて撤去されてしまいました。


解体爆破の時の様子(借物写真)

現在そのすぐ隣に新しい球場の建設が進んでおり
Great American Ball Parkの名前で2003年から使用される予定です。



サスペンション・ブリッジ(The Suspension Bridge)

ホテルから眺めたサスペンション・ブリッジ全景

John Roeblingにより設計されたこのレンガ造りのこのつり橋は
1866年に完成し、この街の一つのシンボルとなってり
約322米の長さは完成当時としては世界一長い橋でした。

その後修理が行なわれて現在でも多くの車が行き来しています

なお1883年に作られたニューヨークのブルックリン橋は
同じ人の設計で、この橋が原型になりました

近くから見た橋
上の写真のある場所の現在の様子をGoogle Mapの空からの写真で見てみました

オハイオ川の上部がダウンタウンで、
写真はそちらから撮ったものです。中央に球場が見えます.
川の下側はケンタッキー州です。

その他の写真

オハイオ川クルージングが盛んです


ちょっと素敵なホテルの天井画


ロビーに置かれた船模型


上と同じ様な場所の現在の景色(借物写真)
小生が見た建物の幾つかが残っていますし
スタジアムも大分出来上がっています

写真がないEPAの研究所の現在をGoogle Mapの写真から












フィラデルフィアの思い出 その6

2011-09-26 16:34:04 | 海外旅行
フィラデルフィア美術館と前の階段

ワシントン像を過ぎると、そこにはフィラデルフィア美術館手前の
72段の正面玄関石段があります。

小生が行った時には、石段の右側にある池で
子供達が水浴びをしているのが見られました。


池で遊ぶ子供達

ロッキー・ステップ(The Rocky Steps)

ところが今回美術館について調べていると
この階段はロッキー・ステップと呼ばれていることが分かりました。

皆さんもご存知の映画ロッキーおよびその続編2, 3, 5の中で
ロッキーが、テーマ音楽に合わせてこの階段を駈け上がる場面が
あることから、この名がつけられたという事です。

そこでロッキー・ステップについて更に調べると
次の事が分かりました。

ロッキー3(1982)が制作される前に
脚本製作者で主演のスタローンは、ロッキーのブロンズ像を3つ制作し

その一つをロッキー3の撮影のために、最初は階段の頂上に
最終的には下に置き撮影しました。

現在階段下横に置かれているロッキー(借り物写真)

撮影終了後に、美術館や市職員の間でロッキー像が
芸術品かどうかの議論が行なわれましたが

結局は映画の小道具に過ぎないという事で
南フィラデルフィアの別の場所に移されました。

ロッキー5撮影の時に、また美術館に戻されましたが
撮影が終わって再び南フィラデルフィアに移されました。

然し2008年9月再び美術館右側の台座の上に移されました。

階段下の右側に現在置かれているロッキー像(借り物写真)

その除幕式では、ロッキー映画の上映その他の行事が行なわれ
其の時フィラデルフィア市長は

「この階段はフィラデルフィアの最大の観光名所の一つである」と述べたように
その頃には、ロッキーの真似をして階段をのぼる地元の住民や旅行者の姿が
数多く見られるようになっていた様です。

そしてこの像は、格好の記念写真の撮影場所になっている様です。

小生が行った時は、丁度ロッキー像は南フィラデルフィアに
置かれていた時で、見る事が出来なかったわけです。


さて美術館に至るまでが大分長くなりましたが
次に美術館について触れたいと思います。

フィラデルフィア美術館(The Philadelphia Museum of Art)


正面入り口

正面入り口はパルテノン神殿を模した造りに
ローマ建築のスタイルが加味された素敵な建物です。

この面白い像が並んでいる場所は?

さて面白い彫刻が沢山ついている写真はどこの所か
正面入り口の写真をみると、違う場所のものかもしれません。

フィラデルフィア美術館は、世界有数の規模をもつ美術館で
1876年アメリカ建国百周年を記念して開かれた
万国博覧会の際に建設されたメモリアルホールがその起源です。

その1年後から美術館として公開され
古代から現代までのあらゆる時代、地域、分野に亘っての
40万点におよぶ美術品を所蔵しています。

日本の茶室や庭もあったように記憶し、規模の大きさに驚かされました。

美術館で頂いたパンフレット

なお2007年に東京都美術館で
フィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」が開催され
其れを観た為か、そちらの印象が強く、美術館を訪れた時の記憶は薄れています。

東京都美術館で開催の時のカタログ 

ただ都美術館の展覧会には展示されなかったセザンヌの「大水浴」と
展示されたルソー「陽気な道化達」の大きな絵2点が強く印象に残っています。

セザンヌ:大水浴


ルソー:陽気な道化達

美術館で頂いたパンフレットの表紙を飾っているのは上の写真の様に
ルノアールの「ルグラン嬢の肖像」で、この絵は都美術館で展示されました。

展示品について書くと切りがありませんので、止めておきます


フィラデルフィアのその他の写真

インターネットで調査しても何処の写真かはっきり分からなかったものを
最後に掲載します。

観光馬車が見えるダウンタウン


ここは確か自由の鐘を見た近所と記憶しており
多分ダウンタウンの景色と思われます。

今でもこの種の観光馬車は見られる様です。

行った時は丁度差開発が行なわれており
再開発前のビルが見えました。


再開発が行なわれるビル

不明の像達

中々いい像がありますが、調べても分かりませんでした。

素敵な噴水と像


子供が上っている像

これ何の像?

フィラデルフィアの思い出大変長くなりましたが
これで終わりとします。

お蔭様で、何処を見たのかもはっきりしていなかったものが
ここに書くために調べて分かり
読んで下さった皆様に感謝です。

フィラデルフィアの思い出 その5

2011-09-24 18:26:41 | 海外旅行
南北戦争戦士の石塔と遥かに望むフィラデルフィア美術館

フランクリン記念博物館を出て直ぐ先では
上の写真にみられるように

前方に一番行きたかった場所フィラデルフィア美術館が見え
手前には美術館の入り口を飾っている様な二つの石碑が見えます。

今調べてみると、この石碑は博物館とは直接関係はなく
南北戦争に従事した陸海軍の兵士を記念したものでした。


アメリカ南北戦争の陸海軍人の記念碑

この二本の記念碑は1921年に建てられましたが
美術館近くの高速地下道建設のため
1955年に美術館に対し前より少し離れた現在地に移されました。

南側石塔(借り物写真)

記念碑の基礎は御影石、其の上はテネシー大理石で出来ており
高さは約12米です。

二つの長方形の石塔の下部には、大砲の周囲に軍服を着た
九人の兵士達がいる高さ3米前後の像が飾られています。

南の石塔は水兵の像が、北の石塔は陸軍兵士の像で
石塔の頭部には羽根を広げた鷲の盾がついています。

南の水兵の像(借り物写真)


北の陸軍兵士の像(借り物写真)

南北戦争と言えば、当時34州からなる合衆国で
奴隷制存続を主張する南部の11州が合衆国を脱退
結成したアメリカ連合国の南軍と

合衆国にとどまった北部23州の北軍との間で
1861~65年にかけて争った内戦で

当時フィラデルフィアは、北軍の主要な武器・弾薬、食料
その他の主要な供給者であったことから建てられたのでしょうか?


ロダン美術館

記念碑から少し進むと右側の並木の脇に
こじんまりとたたずむロダン美術館があります。

ロダン美術館入り口には「考える人」が

この美術館は現在フィラデルフィア美術館管轄下にあり
美術館とその敷地にある庭は、市民の憩いの場となっています。

フィラデルフィア屈指の事業家で、ロダン作品を多数収集すると共に
ロダンを色々と援助したフィラデルフィア屈指の事業家
Jules Masterbaumによって創設されたものですが
ロダン美術館の開館は、彼の死3年後の1929年でした。

ロダン美術館には東京の国立西洋美術館の前庭でお馴染みの
地獄の門やカレーの市民をはじめ約130点の作品が保管されており
パリのロダン美術館に次ぐ規模のようです。

なお現在は内装の改造と作品保護のため、来年春まで休館ですが
鳥獣保護区となっている素敵な庭は開放しています。

色々書きましたが、小生ここは前で写真を撮っただけでした。


ロダン美術館から少し進むと
フィラデルフィア美術館の前にあるエーキンズ広場に到達します。

フィラデルフィアの写実主義の画家Thomas Eakinsが
名付けたエーキンズ広場には
三つの噴水があり、中央がワシントン記念碑です。

ワシントン記念碑全景

ワシントン記念碑

彫刻家Rudolf Siemeringによって制作されたこの碑は
1897年に近くの別の場所に設置されましたが
1928年に現在の場所に移されました。

1997年には、100年という長い年月を経たために
基礎のゆがみや、噴水が十分機能しなくなったため
修復工事が行なわれ同年に完成しました。

ワシントンと彼の馬は青銅と花崗岩で出来ており
フィラデルフィア市庁舎を向いています。


市庁舎に向くワシントン

軍服を着たワシントン像


記念碑の下部には、アメリカ原住民や
アメリアカ原産の動植物を配しており

それらは、ミシシッピ、ポトマック、デラウェア、およびハドソンの
アメリカの4つの大きな川を表しています。


原住民や動物の像

原住民少女像

別の角度から見た全体(借り物写真)

Washington Monument fountainという名前もありますが
左右に小さな池はありますが、水はみかけませんでした。









フィラデルフィアの思い出 その4

2011-09-22 16:07:02 | 海外旅行
ローガン広場とスワン噴水


ローガン広場(Logan Circle)とスワン噴水(Swann Fountain)

ローガン広場

ローガン広場はベンジャミンフランクリン通りの中央にあります。



ローガン広場は今では想像できないのですが
当初はNorthwest Squareと呼ばれ
18世紀の初めまでは、墓地や公開の絞首刑場でした。

1825年にはLogan Squareの名前に変えられ
展示会場等に使用されていました。

現在の広場は、ベンジャミンフランクリンロードの一部として
フランス人の造園家により、パリのコンコルド広場を真似て
1920年に円形広場として造られ
現在はフィラデルフィアでも最も美しい場所になっています。

円形の広場には、優美な水のバレエを見せるスワン噴水があります。

スワン記念噴水

スワン噴水

スワン記念噴水は別名「3本の川の泉」と呼ばれており
写真に見られるような彫刻のある噴水です。

噴水彫刻の作者Alexander Stirling Calderは
「川神」彫刻の伝統を踏まえて

この地域の三つの川Delaware, Schuylkill, Wissahickonを象徴する
大きなアメリカ先住民の像を造りました。

三つの像が見えるスワン噴水

上の写真で右がWissahickon川を象徴する若い女性像
真中はDelaware川を象徴する男性像
よく見えない左はSchuylkill川を象徴する熟女像です。

よく分かる様に個々の像の写真を掲載します。

白鳥によりかかる若い女性像(借り物写真)

白鳥の首を掴む熟女(借り物写真)

頭の上に手を伸ばす男性像(借り物写真)

写真に見られる様に中央の各像に寄り添う白鳥や
その周囲の池の中の蛙や亀の像から
15米の高さに間歇的に水を噴出しています

蛙の像から噴出しているのがよくみえます(借り物写真)

丁度小生が見ることが出来た噴水での水泳は
長年フィラデルフィア伝統の様で
1960年からカトリック系女子高校の生徒達が学年の終了を祝って
池に飛び込み、新聞種になっているとの事です。

その後2006年夏にフィラデルフィア市は
安全性の観点から水泳禁止を実施しましたが
其の規制も段々に薄れ、2009年には完全に自由に戻りました。



ローガン広場の直ぐ側に
フランクリン協会科学博物館の建物があります。

21日の夜AWWA研究財団のパーティーが行われた場所で
その後のAWWA総会等もここで行なわれたものと
今日まで思っていました(報告書には開催場所が書いてありませんので)。

所が今日探しものをしていた所、雑誌にこの時の事を書いた抜刷りが出てきて
AWWA総会等は、市のコンベンションセンターで
行なわれたと書いてありびっくりした次第です

この博物館のサイトを見ると
「博物館マニュアにとっては天国の様な場所」と書いてあり
昨日少し調べましたので簡単にご紹介します。

残念ながら小生夜以外は行っていません。


フランクリン協会科学博物館
The Franklin Institute Science Museum



フランクリン協会科学博物館正面(借り物写真)

アメリカ最初の科学博物館として1934年に設立されました。

フランクリンの名前がついている様に
ベンジャミン・フランクリンの思想に基いて

人々が従来および新しい科学と技術に接することで
それらを理解し、更に興味を増すのに役立つ施設として
身の回りの物から宇宙までの広範な展示物を公開しています。

またここでは多くの科学者が画期的新技術の発表をしたり
国際的な科学関連展示会が開催されたり

青少年や、地域住民に現代科学を理解させる教育等も行なっています。
(これを見てここでAWWA行事も行なわれたと勘違い)

館内のベンジャミン・フランクリン像。高さ6米の大理石像(借り物写真)

プラネタリウムや大劇場もあり
しかも手で触ることが出来る体験型展示がある博物館として有名です。

一例として67mの血管や心臓の中を通り抜けれるGiant Heartは
あたかも鼓動しているかの様な大きな心臓や血管を囲んで
例えば実際の大きさの手術室があり、心臓手術の様子がビデオで紹介される等
関連機器が周囲に並ぶ展示で、最も人気があるアトラクションの1つです。

其のほか飛行機、動く列車、人工衛星の展示もあります。


巨大心臓模型(借り物写真)


AWWA研究財団創立20周年記念パーティー

AWWA研究財団は小生が勤めていた財団と
同じ性格の財団で、本拠はデンバーにあるのですが

多分関係者が今回の会に多く集まるためでしょうか
記念パーティーが博物館の建物の中で21日夜開かれました。

AWWA研究財団のM専務理事さんとは
1899年に日本で開かれた日米政府間の会議で初めてお会いして意気統合。

その際我が家へ招待をしたり、その後小生が米国調査に出掛ける時は
色々とアレンジをお願いする間柄になっていました。

今回フィラデルフィアに来ることを事前に連絡した所
本来小生は招待される立場ではないのですが、招かれたわけです。

日本人では、大先輩で小生の財団の幾つかの委員会の委員長をして頂き
色々とお世話になっていたG教授が、奥様と一緒に招待されていました。

米国、英国からの招待客の中には知人も出席されており、
旧交を温めることが出来ました。

アメリカ民営水道会社副社長のMさんと奥さん(頂貴写真)
この方も1889年の会議に来日された方

この会の事も殆ど忘れているのですが
発言者がジョークを飛ばして皆さんがお笑いになる時に
小生はちんぷんかんで、英語力の拙さを感じた事は覚えています。


AWWA関連行事について

一万人が参加の大きな会でしたので
この会について少し書かせて頂きます。

開会式

この種の日本の会の開会式では見られないことが
抜刷りに書いてありましたので長くなりますが引用します。

「24日の開会式には数千人が参加して行なわれた。
混声黒人ボーカルグループによる歌で雰囲気を盛り上げた所で開会宣言。

先ず海軍の女性牧師さんのお祈りから始まり
昔の衣装を身につけた鼓笛隊を先頭に
AWWA構成国の米、カナダ、メキシコ3ケ国の国旗の入場。

ついで市長、AWWA会長挨拶、功労者の表彰式
最後にユーモアに富む基調講演が行なわれた。

全ての行事がいかにもアメリカ的と言えるものであった。」


研究発表会等

研究発表
24日から27日まで43セッションに分かれて行なわれました。

予稿集もなく、短い発表時間のため
発表者は早口でしゃべり理解するのに苦労しました。
ただスライドの使用方当時の日本より遥かに上手で感心させられました。


日曜セミナー
23日に行なわれたこのセミナーは、11のセッションがあり

各セッション参加には、夫々にエントリーフィーを支払う方式でしたが
特定テーマについて一日をかけて発表があるため、中味が濃いものでした。

Early Bird(早起きの人)
25日から27日の朝8時から9時までの
早起き勉強家参加のセッションで
大学教授が最新研究データーを紹介しながらのお話で有益でした。

また夜5時からも、夜のセッションが行なわれるなど
予想以上に勤勉なスケジュールになっていました。


展示会
300余の団体・企業が参加しての大規模の展示会でした。

AWWA研究財団のブースで(頂き写真)


皆さんには興味がないことを長々と書いて失礼しました。

最後になりましたが
今回の台風で皆様の被害が無かった事を祈りつつ
お見舞いを申し上げます。