2004年の湖柳会
諏訪のホテルで
この時は、諏訪に住んでおられるAさんご夫妻の案内で
マイクロバスに乗って、住んでいた湖柳町、通っていた小・中学校、
更に御柱で有名な諏訪神昔懐かしい諏訪の各所を巡りました。
そこで先ず自分史の一環として、寅と申の年に行われます御柱は
申年で諏訪に14歳までいた小生、2度経験しているはずですが
御柱を動かす綱を曳いたことは何となく思い出すものの、御柱についての手持ち写真はなく
また御柱そのもにおついても余り詳しくないので
この際出来るだけ正確な情報を集めて纏めてみました。
ご興味があればご覧頂ければ幸いです。
資料作成に当たっては主として下記のサイトの文章・写真を
ご許可も得ないまま利用させて頂き誠に申し訳けありません。
御柱祭
1 概要
御柱(おんばしら)または御柱祭(-さい、-まつり)は、7年目毎、寅と申の年に行われます。
正式名称は「式年造営御柱大祭」といい、宝殿の造り替えと、
社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樅の巨木を曳建てる諏訪大社の最大の神事です。
諏訪大社については追って詳細を掲載しますが、諏訪大社には上社と下社があり、
上社は本宮と前宮に、下社は秋宮と春宮に分かれています。
御柱祭では、山中から御柱として樹齢200年程の直径約1m、長さ約17m、
重さ10t以上にもなる樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し
諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで
上社では約20km、下社では約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き
社殿の四方に建て神木とする勇壮な大祭です。
その途中には、丸太の上に人が乗ったまま、急坂を落とす「木落し」、川の中を渡る「川越し」は
怪我人が出ないのが不思議と言われる程荒々しく勇壮な行事です。
マイクロバスに乗って、住んでいた湖柳町、通っていた小・中学校、
更に御柱で有名な諏訪神昔懐かしい諏訪の各所を巡りました。
諏訪神社上社で懐かしい御柱を眺めるお仲間
そこで先ず自分史の一環として、寅と申の年に行われます御柱は
申年で諏訪に14歳までいた小生、2度経験しているはずですが
御柱を動かす綱を曳いたことは何となく思い出すものの、御柱についての手持ち写真はなく
また御柱そのもにおついても余り詳しくないので
この際出来るだけ正確な情報を集めて纏めてみました。
ご興味があればご覧頂ければ幸いです。
資料作成に当たっては主として下記のサイトの文章・写真を
ご許可も得ないまま利用させて頂き誠に申し訳けありません。
1 諏訪大社 ホームページ http://suwataisha.or.jp/index.html
2 天下の大祭…信濃国一之宮「諏訪大社」・御柱祭のご案内
ちのステーションホテルのサイト http://www.cs-h.co.jp/mihasira.htm
3 御柱祭いくぞやい
諏訪市観光サイト 諏訪deすわ https://www.city.suwa.lg.jp/kanko/common/sitemap.jsp
4 ONBASHIRA SEWA IN SHINSHU
諏訪地方観光連盟 御柱祭観光情報センターhttp://www.onbashira.jp/faq/
5 諏訪大社御柱情報
BeautySalonMayの情報 http://www.maybs.jp/onbashira/honmiya_keidai.htm
6 諏訪探訪 諏訪大社を知る http://homepage2.nifty.com/pms_music_info/suwa.htm
2 天下の大祭…信濃国一之宮「諏訪大社」・御柱祭のご案内
ちのステーションホテルのサイト http://www.cs-h.co.jp/mihasira.htm
3 御柱祭いくぞやい
諏訪市観光サイト 諏訪deすわ https://www.city.suwa.lg.jp/kanko/common/sitemap.jsp
4 ONBASHIRA SEWA IN SHINSHU
諏訪地方観光連盟 御柱祭観光情報センターhttp://www.onbashira.jp/faq/
5 諏訪大社御柱情報
BeautySalonMayの情報 http://www.maybs.jp/onbashira/honmiya_keidai.htm
6 諏訪探訪 諏訪大社を知る http://homepage2.nifty.com/pms_music_info/suwa.htm
御柱祭
1 概要
御柱(おんばしら)または御柱祭(-さい、-まつり)は、7年目毎、寅と申の年に行われます。
正式名称は「式年造営御柱大祭」といい、宝殿の造り替えと、
社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樅の巨木を曳建てる諏訪大社の最大の神事です。
諏訪大社については追って詳細を掲載しますが、諏訪大社には上社と下社があり、
上社は本宮と前宮に、下社は秋宮と春宮に分かれています。
諏訪大社のある場所
御柱祭では、山中から御柱として樹齢200年程の直径約1m、長さ約17m、
重さ10t以上にもなる樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し
山で切り出された御柱
諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで
上社では約20km、下社では約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き
社殿の四方に建て神木とする勇壮な大祭です。
上社御柱で,御柱の先頭につけられたメデトコに乗って木遣りを歌う木遣り衆
その途中には、丸太の上に人が乗ったまま、急坂を落とす「木落し」、川の中を渡る「川越し」は
怪我人が出ないのが不思議と言われる程荒々しく勇壮な行事です。
木落しの風景・坂を落ちていく木の上に人が乗っています
川越し風景
里曳きでは、長持ち、騎馬行列など時代絵巻が見ものです。
御柱里曳き風景
そして祭りのフィナーレとして、各宮の四方に柱を立てる建御柱が行われます。
勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られており、
古くは804年桓武天皇の御代から信濃国一国をあげて奉仕がなされ
盛大に行われる様になり、現在でも諏訪地方の氏子20万人以上と、
訪れる観光客等がこぞって参加し熱中するお祭です。
なお上社御柱と下社御柱には後述する違いがあります。
諏訪大社の御柱がすむと、諏訪地方の神社では御柱祭が行われます(小宮祭と言う)。
この年は諏訪大社の御柱祭から始まり小宮の御柱祭で一年が終わります。
2 今年の御柱祭り日程
申年の今年は、次の様な日程で御柱が行われ、下社は上社の一週後に行われます。
上社御柱祭 山出し 4月2日(土)、3日(日)、4日(月)
里曳き 5月3日(火)、4日(水)、5日(木)
宝殿遷座祭 6月15日(水)
下社御柱祭 山出し 4月8日(金)、9日(土)、10日(日)
里曳き 5月14日(土)、15日(日)、16日(月)
宝殿遷座祭 5月13日(金)
3 御柱を建てる理由
宗教的な流れや建築的な立場などから諸説があり、広大な社殿を造営する遺風を尊重して、
その代わりに四本の御柱だけを建て替えてきているという説、神域を示すという説
神霊の依代であるとする説など20種類以上あるようです。
代表的な説に下記があります。
1)四無量四抄説・・・御柱に関する最古の文献「諏訪効験」(鎌倉時代)によると、
「四の御柱片柏も内証四無量四抄かとよ」とあり
諏訪明神の神徳を四無量(慈・悲・喜・捨の心・・・仏教の教え)と解釈して、
これを四本の御柱に当てはめたという説
2)四王擁護説・・・持国天(東方)・広目天(西方)・増長天(南方)・多聞天(北方)の
4守護神を四王とし、御柱に置き換えた説。
この思想に基き、四王が諏訪大明神を中心として国家を護る意味としました。
3)四菩薩説・・・普賢・文殊・観音・弥勒の四菩薩を御柱に置き換えた説。
前途の四王説よりもより仏教色が強い説です。
4)四神祭説・・・江戸時代の文献「信濃国昔姿」によると、
「御柱四本を建替へるの儀にて大事の神式のよし、世俗の伝説には
青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(北)の4神に象(かたちど)り
東西南北四方の国堅めなり」とあり、この四神に御柱を当てはめ、四方を守るという説。
易学からみて、陰暦で寅は1月、申は7月にあたり、春と秋の初めになるといわれています。
また、寅と申には「動く」「うごめく」といった意味があり、
草木の芽吹きや作物の熟成に通じ縁起がよいということで、
暦を重んじた古代に7年ごととされたという説もあります。
5 古い御柱は
かつては、橋の架け替えなどで使われていましたが、現在は、その他に友好都市などに寄贈され、
観光スポットとなったり、地元の観光協会や駅などに払い下げたり、諏訪大社のお守りや表札、
お箸などにしています。
建御柱風景
勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られており、
古くは804年桓武天皇の御代から信濃国一国をあげて奉仕がなされ
盛大に行われる様になり、現在でも諏訪地方の氏子20万人以上と、
訪れる観光客等がこぞって参加し熱中するお祭です。
なお上社御柱と下社御柱には後述する違いがあります。
諏訪大社の御柱がすむと、諏訪地方の神社では御柱祭が行われます(小宮祭と言う)。
この年は諏訪大社の御柱祭から始まり小宮の御柱祭で一年が終わります。
2 今年の御柱祭り日程
申年の今年は、次の様な日程で御柱が行われ、下社は上社の一週後に行われます。
上社御柱祭 山出し 4月2日(土)、3日(日)、4日(月)
里曳き 5月3日(火)、4日(水)、5日(木)
宝殿遷座祭 6月15日(水)
下社御柱祭 山出し 4月8日(金)、9日(土)、10日(日)
里曳き 5月14日(土)、15日(日)、16日(月)
宝殿遷座祭 5月13日(金)
3 御柱を建てる理由
宗教的な流れや建築的な立場などから諸説があり、広大な社殿を造営する遺風を尊重して、
その代わりに四本の御柱だけを建て替えてきているという説、神域を示すという説
神霊の依代であるとする説など20種類以上あるようです。
代表的な説に下記があります。
1)四無量四抄説・・・御柱に関する最古の文献「諏訪効験」(鎌倉時代)によると、
「四の御柱片柏も内証四無量四抄かとよ」とあり
諏訪明神の神徳を四無量(慈・悲・喜・捨の心・・・仏教の教え)と解釈して、
これを四本の御柱に当てはめたという説
2)四王擁護説・・・持国天(東方)・広目天(西方)・増長天(南方)・多聞天(北方)の
4守護神を四王とし、御柱に置き換えた説。
この思想に基き、四王が諏訪大明神を中心として国家を護る意味としました。
3)四菩薩説・・・普賢・文殊・観音・弥勒の四菩薩を御柱に置き換えた説。
前途の四王説よりもより仏教色が強い説です。
4)四神祭説・・・江戸時代の文献「信濃国昔姿」によると、
「御柱四本を建替へるの儀にて大事の神式のよし、世俗の伝説には
青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(北)の4神に象(かたちど)り
東西南北四方の国堅めなり」とあり、この四神に御柱を当てはめ、四方を守るという説。
4 なぜ7年ごと
易学からみて、陰暦で寅は1月、申は7月にあたり、春と秋の初めになるといわれています。
また、寅と申には「動く」「うごめく」といった意味があり、
草木の芽吹きや作物の熟成に通じ縁起がよいということで、
暦を重んじた古代に7年ごととされたという説もあります。
5 古い御柱は
かつては、橋の架け替えなどで使われていましたが、現在は、その他に友好都市などに寄贈され、
観光スポットとなったり、地元の観光協会や駅などに払い下げたり、諏訪大社のお守りや表札、
お箸などにしています。