末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

TT会に出席とボケが進行しているか心配

2017-09-29 14:35:47 | 
TT会

昨日は東京で開かれたTT会に出席しました。

TT会については前に書いたかもしれませんが、小生が現役時代に在籍した

当時の日立製作所化学プラント事業部のある時期の部課長のOB会です。

TTというのは最初の頃、既にお亡くなりになったお二人の高木さんがおられて付けられた名前です。

平成13年当時の名簿を見ると、20人中9人がお亡くなりになってしまいました。

出席されると思っていた最年長の90歳のTさんは、腰を痛められて車椅子の生活になられ欠席。

小生より2つ年上のNさんは、鼻に腫瘍ができて手術されて欠席。メンバーが少なくなって

3年ほど前に若い3人に加わって頂いたのですが、そのお一人は目が見えにくくなって欠席と

結局昨日の出席者は6人でした。そして小生は年齢では上から3番目になっていました。

ボケ振り

地下鉄の大手町で降りて会場に行くのですが、大手町の駅には地下道が幾つかあり

オリンピックのための工事が行われて、以前と大分変わってきています。

それに未だ案内板が殆どつけられていません。多分この地下道と思って進んでいったのですが

どうも何時もと違う場所の様で、地上に出るとやはり違う場所です。

そこで通りがかりの人に神田橋への行き方を伺い、神田橋に着くと、ここもどうも何時もと違う場所。

そこで会場に電話をかけると、神田橋でなく鎌倉橋という事で、鎌倉橋に行くと幹事さんが待っていて下さいました。

実は会場の名前は「鎌倉橋別館」ですから、何故最初神田橋と思ったのかも、今考えると不思議。

通常だと大手町から15分で会場に着くのですが、50分ほど歩きまわっており、開始時間に30分遅れたり

幹事さんにご迷惑をお掛けしたりしてしまいました。

幹事さんが無事帰宅したか心配されているかもしれないと、無事帰宅のメールを送りました。

こんな事は初めての事。やはり歳でボケが進行している様で心配です。

                                          終わり

大相撲 取り組み写真

2017-09-28 09:26:52 | 東京散歩
前回大相撲は終わりと書きましたが

肝心の、横綱土俵入りと取り組み写真が未掲載でしたので、今回掲載させて頂きます。

横綱土俵入り

横綱土俵入り1

横綱土俵入り2

三役取り組み

栃煌山 対 逸の城

栃煌山 対 逸の城

押し出し 栃煌山

御嶽海 対 正代

御嶽海 対 正代

叩き込み 御嶽海

嘉風 対 貴景勝

嘉風

叩き込み 嘉風 でしたが、良い写真がありません。

豪栄道 対 松鳳山

豪栄道 対 松鳳山

叩き込み 松鳳山

日馬富士 対 玉鷲

日馬富士 対 玉鷲

寄り切り 日馬富士

                                                       終わり





栃煌山 対 逸の城


押し出し 栃煌山




大相撲幕内土俵入り

2017-09-26 14:53:24 | 東京散歩
三日連続しての外出で疲れが出てしまい、一昨日、昨日、今日と殆ど横になっており

やはり歳は争えないと、少しがっくりしています。

さて大相撲9月場所も一昨日千秋楽。豪栄道フアンにはお気の毒でしたが

一人横綱で頑張った日馬富士が4敗という成績は余り感心できませんが、優勝したのは良かったのではないでしょうか。

幕内土俵入り

今日は幕内土俵入りの写真を掲載させて頂きます。皆さんのご贔屓のお相撲さんが写っていると良いのですが。

この時点では一敗の豪栄道、その前に嘉風・琴奨菊・北勝富士が

琴奨菊のファンは多く声援が飛んでいました。

徳勝龍・女性に人気の遠藤・そして魁聖


松鳳山・千代大龍?・人気の阿武咲・栃の心

輝・逸ノ城・貴景勝・正代?

栃ノ心、玉鷲、御嶽海

御嶽海は、小生の郷里長野県の出身のため、一番の贔屓力士。

実は長野県出身の大相撲力士は、今までのすべての力士を合計しても僅か16人。

ただその中には雷電 爲右エ門(1767-1825)がいます。

雷電は現役生活21年で、江戸本場所在籍36場所中(大関在位27場所)の通算成は、254勝10敗2分14預5無勝負で

通算黒星が僅か10と勝率9割6分2厘で大相撲史上未曾有の最強力士とされています。

それ以外では3役力士は僅か2人で、関脇髙登(1908― 1962年)と現在活躍中の関脇御嶽海ですから

小生としては御嶽海を応援しているわけで、次の写真の応援タオルを購入しました。


御嶽海と書かれたタオル

場所中、御嶽海の勝負が終わると、必ずこのタオルを振っている所がTVで放映されているのをご記憶でしょうか。

熱心な御嶽海ファンの何人かが、毎日応援に来ていました。


土俵上に揃いました

                                 これで大相撲報告は終わりです。









暫く振りのブログ 家内の従妹訪問と大相撲見物

2017-09-23 15:41:59 | 
暫くブログをお休みしていましたが、お蔭様でご本人は少々疲れているものの元気です。

実は家内の実家にいる妹の次女が、是非大相撲を見たいという希望が以前にあり

何ケ月か前に申し込んだ所、運よく一昨日の券が当たっていたため

次女は,19日に三女夫妻が丁度長野の留守にしている実家の管理に出かけた帰りの車に乗って上京し

19日には我が家から車で30分程の三女のお宅に泊まり、20日に三女夫婦と一緒に我が家に来られ

その後直ぐ次女のご希望で、皆で我が家から車で40分程の場所に住んでいる従妹を訪問。

そして21日は大相撲を見学し、夜は麻雀を楽しみました。

今日は、三女夫妻はご主人が野球の試合があるのでと朝早くに、次女は今日の午後の列車で長野に帰られました。

従妹訪問

前述した様に、次女、三女夫妻、わが夫婦と5人で、何時もの様に三女のご主人の運転する車で出かけました。

小生はこの従妹には30年位前にお会いしたことがある程度でしたので

家内よりお若い従妹ですが、病気をされたとかで腰が曲がり白髪になっており歩くのも大変の様子にびっくりしました。

そして3時間近くお話をして帰りました。

大相撲見学

太鼓櫓

21日は三女のご主人が国技館まで車で送って下さり大相撲見学。

幟が立両国国技館前

国技館での相撲見物は小生約60年振り。

後ろには放送席がある向こう正面の前から10番目の席ですから、見物には良い場所ですが

思ったより土俵からは離れていました。午後の早い時間に入館したため、次の写真の様に未だ観客も疎らでした。

席から眺めた土俵と観客も疎らな席

また4人席の桟敷は大変狭く、3人で丁度という感じ。

お茶一つ出るわけでなく、飲み物・食べ物は買ってくる必要があります。

国技館の雰囲気を感じるにはよいかも知れませんが、取り組みの状況はTVで観る方がより詳細に見れますから

国技館での相撲見物は小生にとっては余り魅力のあるものではありませんでした。

折角ですから、館内を少し歩きまわって写真を撮りましたので、まずそれをご披露させて頂きます。

入口正面に飾られた各種入賞トロフィー等その1

優勝旗と天皇賜杯

内閣総理大臣杯

左より殊勲・敢闘・技能の三賞


                                                             終わり









化学プラント事業部での仕事 その2 ヨーロッパへの初出張

2017-09-19 19:01:53 | 病気
今度は技術提携交渉のため、ヨーロッパに初出張した時の色々について書かせて頂きます。

当時小生の持っていたカメラはキャノンの大きなカメラで海外出張には不向きであり

カメラ持って行かなかったため、写真が残っておらず残念です。

海外での最初で最後の民宿

多分1973年に、後述するイタリアの会社との技術提携交渉でヨーロッパに初めて出かけました。

先ず当社のヨーロッパ事務所のあるデュッセルドルフの事務所長さんにご挨拶に伺うと

事務所長さんは「貴方は若いのだから面白い経験をしては」と、ホテルでなく個人の家に泊まるよう手配して下さいました。

そのお宅に伺うとご主人は入院中で、奥さん、高校生の息子さん、お勤めの娘さん、そして入隊中の息子さんの5人家族でした。

滞在中に日曜があったので、入隊中の息子さんも帰宅され皆さんとお話ができました。

子供さん達は流暢な英語をしゃべるのですが、奥さん英語は余り分からず、ドイツ語でしゃべるだけですし

小生は辞書を使ってドイツ語の本は何とか読めますが、ドイツ語で会話をした経験はありません。 

子供さんがいない時に、奥様はドイツ語で小生は英語、必要に応じて持参した英独辞典を利用しましたが

特に困ったことはなかった様に記憶しますから会話というのは不思議なものです。

日曜には高校生の息子さんが小生を教会へ連れて行ってくれ、其の帰りにビヤホ-ルに寄りました。

ビールを楽しむ人々(借用写真)

下戸の小生ですから飲まずに帰りましたが、息子さんはもしかしたら飲みたくて連れていったのかも?

というのは、その後ドイツのミュンヘンにある工場に伺った時、廊下にビール缶が一杯入った箱が置いてあったので聞くと

「休憩時間に飲むのです」と説明され、ビールは水代わりかとびっくりした覚えがあります。

事 件 

小生一人家で留守番をしていた時に、電話がかかってきたのです。受話器をとって冷や汗をかきながら

「イッヒ、シュプレッヘン ニヒト ドイッチェ(私はドイツ語しゃべれません)」と

ドイツ語で叫んだのですから、相手の方はさぞびっくりされたことでしょう。忘れられない思い出です。

この時の仕事と思い出


この時は、アンモニア合成などに使う綺麗な水素を作るために、メタン等を分解してできた原料ガスから

炭酸ガスを除くプロセスの実施権を得るため、そのプロセスを保有するイタリアの会社に行きました。

会社の所在地はなんとベニスの真中に位置していたため、会社へ行く途中ベニス見物が出来ました。

ゴンドラには乗りませんでしたが、実物を初めてみました。

なおゴンドラには、その後家内とイタリア旅行に行った時に乗りました。

訪れた会社での思い出があります。昼食をご馳走になったのですが、

小生アルコールに弱いため、食事の時のワインは少しだけ頂きました。

ところがデザートに出たいちごはワインにたっぷり漬かっており、それがまた美味しかったため皆頂きました。

すると午後の打ち合わせの最中に何となくほろ酔い気分になってしまいましたが、幸い交渉は順調に纏まりホットしました。

                                        終わり