末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

フィラデルフィアの思い出  その2

2011-09-18 19:44:54 | 海外旅行
                    独立記念館(借り物写真)
        多分近くまで行ったと思われますが入りませんでしたし、写真もありません

2回目のフィラデルフィア滞在は、研究財団勤務の時
ニューヨーク、フィラデルフィア、シンシナティー3都市への出張で

フィラデルフィアには1991年6月21日から28日朝まで1週間と
一つの都市としては最長の滞在でした。

出張報告書のコピーが我が家に残っているため仕事関係のことは
克明に分かりますし、街を撮った写真も若干あります。
それでは先ずフィラデルフィアの紹介から。

フィラデルフィア(Philadelphia)について

フィラデルフィアは、ペンシルベニア州南東部にある州最大の都市で
人口は約150万人で全米5番目になります。

独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で独立宣言の起草が行われたり
1790年には合衆国の首都がニューヨーク市から移り
その後1800年にワシントンに移るまでの10年間
合衆国連邦政府の首都でした。

独立記念館や自由の鐘がある等合衆国建国ゆかりの地です。


フィラデルフィアでの日程

ここに来た主目的は、米国水道協会(AWWA)年次総会、
研究発表会等に出席するためでした。
                21日(金) 夜 米国水道協会研究財団(AWWARF)
                       創立20周年記念パーティー出席
                22日(土) 街の見学
                23日 (日) 日曜セミナー出席
                24日(月)~27日(木)
年次総会、研究発表会、展示会、海外参加者招待晩餐会等に出席

撮った写真についている日付が全て22日ですので
其の日に観光をした事が分かりました。

折角の日曜日の23日には日曜セミナーがあり
滞在中の大半は専ら勉強?に励んだ様です。


インターネットで撮った写真の場所の調査

写真を見ても、フィラデルフィアの何処を見たのか殆ど分かりません。

そこでインターネットで調べてみると、
米国のサイトに写真入で観光場所を紹介したのが見つかり
写真の70%の場所が分かり
インターネットの威力を改めて感じました。

歩いた場所はフィラデルフィアのダウンタウン中心部にある
ベンジャミンフランクリンパークウェイとその近くで、

AWWA総会等が行なわれた場所は、次の地図でご覧頂ける
真中付近のFuranklin Instituteでした。


泊まったホテルはどこか記憶も記録もありませんが
主催者がアレンジしたホテルだったのでしょうか
バスで会場に通った記憶だけがあります。


ベンジャミンフランクリンパークウェイとは

ベンジャミンフランクリンパークウェイは、
フィラデルフィアのシャンゼリゼと呼ばれています。

地図でご覧いただける様に 道に沿って一番左端にフィラデルフィア美術館
其の側にはワシントン記念碑、ついでロダン美術館

中央に噴水のあるローガンサークル
その少し手前に会場のフランクリン科学博物館
更に右端に進むとLOVE Parkがあります。

地図からはみ出してしまいますが
其の更に右側にはCity Hallがあります。

City Hall側の高い所から見たパークウエイ(借り物写真)
一番奥はフィラデルフィア美術館


フィラデルフィア美術館から見たワシントン記念碑と、一番奥はCity Hall
 

手前南北戦争戦士記念碑と一番奥フィラデルフィア美術館

さらにCity Hallから歩いて数分の所には
インデペンデンスパーク、独立記念館 自由の鐘などがあります。

そして通りには噴水、小さな公園、彫像、および記念碑等がいくつかあります。

残っている写真に、インターネットで見つけた写真を加えて
主として見た場所の紹介を順次してみます。

自由の鐘(Liberty Bell)

1776年7月8日、独立宣言の朗読が行なわれた際
自由の鐘が鳴らされる等

自由の鐘はアメリカの独立、並びに独立戦争を連想する上での
シンボルの一つになっています。

この鐘について調べると小生の知らぬ事が多くありましたので
長くなりますがご紹介します。

小生が見た時の鐘。鐘にも触りました
大きなひびがあります

現在の自由の鐘は3代目、そしてひび割れ

初代の自由の鐘は1752年ペンシルベニア州議事堂での
使用を目的として作られました。

この初代の鐘は初めて鐘が鳴らされた際に
鐘にひびが入ってしまいました。

そのため2代目がつくられましたが、鐘の音が悪く
3代目が1753年につくられ、議事堂の尖塔につけられました。

そして何時かは明確でないようですが
鐘にまたひびが入りました。

さらに1846年ジョージ・ワシントンの誕生日を祝って
独立記念館の尖塔で数時間に渡って鳴らされた所

修復された割れ目部分の上部から鐘の冠の部分まで
亀裂が広がって使用不能になってしまい
修復が行なわれたのが、写真の鐘です。


流浪した自由の鐘

議事堂の尖塔につけられた鐘は
1777年アメリカ独立戦争が激しさを増し
イギリス軍がフィラデルフィアを襲撃しようとした時

鐘はペンシルベニア州の村移され
1778年にイギリス軍が撤退するまで隠されていました。

尖塔に戻された鐘ですが
1852年に尖塔から移動され、独立記念館内に展示され
記念館の尖塔にはレプリカが取り付けられました。

1885年から1915年まで
自由の鐘は数多くの都市を訪れ、国際博覧会でも展示されました。

1976年、アメリカ独立200周年に対応するため
鐘は独立記念館から1ブロック北側に位置するガラス・パビリオンに
移されました。(小生が見た写真の鐘)

しかしこの小さな質素なパビリオンは人気が無く
2003年に近くに建設されたリバティ・ベル・センターへ移されました。


独立記念館

当初は州議会議事堂

一番最初の写真の高い木の尖塔を持った
レンガのジョージ王朝風の独立記念館の建物は
1756年にペンシルベニア州の議事堂として建設されたものです。

その後何度か修復が行なわれ、当初の姿は大分変わりましたが
1951年に当初の姿に修復されました。

横から見た独立記念館(借り物写真)



記念館内部(借り物写真)