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末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

最後の湖柳会のマージャン会に出席

2020-01-20 21:34:50 | 仲間の会

山茶花

玄関横の山茶花が2輪咲き出しました。

咲き出した山茶花

  2輪の花をつけた玄関横の山茶花

 

 湖柳会最後の麻雀と食事会

昨日は東京の波多野家で行われていた湖柳会の最後の麻雀と食事会に出席しました。

昨日の出席者は、波多野夫人と3夫婦の7人。

以前食事は各自が持ちよったものを食べましたが、この頃は波多野夫人の手作りのお料理で

昨日も大変お洒落な美味しいお料理をご馳走になりました。

麻雀も楽しみ、何と我が夫婦は二人とも勝ってしまいました。

以前は夕方から開始されていた会が、今は11時集合の昼の会になってはいますが

家に帰ると7時半になり、やはり今日も疲れが残っています。

長い間楽しませて頂いた麻雀と食事会で一緒に楽しんだお仲間と

特にご自宅を会場として提供され、ご馳走までして下さった波多野夫人に感謝です。

前にも書いた様に、一昨年から昨年にかけてこの会のお仲間の5人が亡くなった上

お互い歳を取りましたので、この会を終わらせるのは丁度良いタイミングと感じています。

なお3月27日には、A君が一年前に予約して下さった如水会館でのお花見食事会が行われます。

 

終り


水道技術研究センターのOB会に出席 その2 センターと小生

2019-09-10 13:25:16 | 仲間の会

実は小生センターの一期生です。

一期生の皆さんは水道のベテランばかりでしたが

小生は水道施設を初めて見学したのがセンターに入ってからの出張で

カリフォルニア水道の施設であったという全くの水道の素人。

そんな素人がセンターに何故入ったかというと

小生が勤めていた日立製作所にセンタ-から「人を出さないか」というお話があった時は

小生50代に入った時で、当時会社の定年は55歳

定年になると管理職の大半は系列の子会社に移るのが一般的でした。

後述するように日立では、小生開発に関連した仕事を主として行ってきましたので

水道の事は分からなくても「研究機関」ならよかろうという自分勝手な考えでセンターに入らせて頂きました。

幸いベテランの一期生の皆さんに色々教えて頂いたことと

センターでは大学、水道事業体、企業から参加頂いた委員さんから構成された委員会により

水道に関する色々の開発課題を検討して頂いていましたが

それらの委員会の委員長からなる「技術委員会」の事務を小生が担当することになり

技術委員会の最初の仕事が水道管路に関する研究課題の洗い出しで

その成果として「水道管路調査研究・技術開発長期計画」が纏められ刊行されました。

その作成過程で水道に関する色々を小生勉強させて頂けました。

さてセンターでは自治体の水道局や企業から出向していた多くの方は2年交代でしたが

小生はずるずると勤めを続け、有難い事に会社は定年を7年延長して下さったため

62歳までは出向者として、その後はプロパーとして勤務しました。

67歳になった時、厚生省からこられた役員を除き小生最長期勤務で且つ最高齢者になっていたためか

つい色々の会議でも勝手な気炎を上げている自分に気付きました。

これではセンターに老害を及ぼしているに違いないと思い、退職を願い出た所快く受け入れて下さった上に

「非常勤で75歳までは手伝ってもらいたい」という有難い辞令を頂きました。

そこで例えばお役所で開かれる会議に代理出席する等出来る限りのお手伝いをさせて頂いた結果

結局センター在職は24年に及んだという有難い経験をさせて頂きました。


プ開会 その1 旧岩崎邸庭園見学の その1 概要 

2019-06-11 07:31:00 | 仲間の会

前回のブログで少し触れたプ開会は5月29日に開催され

集まったのは女性4人、男性3人の7人で先ず旧岩崎邸庭園を見学し

その後上野東天紅で美味しい昼食を楽しみました。

先ず旧岩崎邸庭園見学について何回に分けて書きたいと思っています。

 

旧岩崎邸庭園について

東京都台東区にある旧岩崎邸庭園は、三菱第3代社長の岩崎久彌の邸宅として1896年に建てられたもので

洋館・撞球室(ビリヤード場)・和館の3棟が残っており、建物とその庭園を公園として2001年に開園された都立庭園です。

                                    当初および現在の敷地と建物図

 

洋館・撞球室は「鹿鳴館」の建築家であるジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築であり

洋館、和館、撞球室の3棟ならびに宅地は、「旧岩崎家住宅」として1969年に国の重要文化財に指定

また洋館北面袖壁、煉瓦塀、実測図1枚が重要文化財の附として指定されました。

 

 

洋 館

大正12年の関東大震災でも建物は健在で、被災した近隣住民に避難所として開放されました。

戦時中の空襲も免れ、戦後はGHQに接収されましたが昭和28年に日本政府に返還され

現在所有は文部科学省で管理は東京都によって行われています。 

往時の本邸は550坪に達する大邸宅でしたが、和館の大部分が取り壊されてしまった結果

現存する和室は大広間、次の間、三の間の3室と、茶室(待合室)、渡り廊下、便所のみとなりました。

   

     和   室

  以下今回の見学順に紹介します。

入り口

入り口

更に進むと邸宅を囲む塀があり、これも重要文化財の一部を構成しています。 

文化財に指定されている塀

洋館・和館見学

洋館・和館・撞球室は次の図の様な間取りのなっています。

なお洋館は撞球室(ビリヤードルーム、木造一階建地下室附)と地下道でつながれています。

 

 

 

先ず洋館を見学しました。

洋館の概要

洋館は、明治期の上層階級の邸宅建築を知る上で貴重な遺構となっています。 

北面を正面とし、正面玄関部分は平面四角形の塔屋となっています(上記洋館写真参照)。

反対側の南面には1階、2階とも列柱のある大きなベランダがあります。

洋館南側ベランダ

内外装とも全体のスタイルや装飾は英国17世紀のジャコビアン様式

(イギリスのジェームズ1世時代(1603~25年)の建築・工芸様式。垂直線を強調した中世ゴシック様式と

古典古代の規則的な構成の装飾表現が混在しており、家具ではねじり棒型や丸型の脚が特徴であり

建築ではロンドン郊外のクイーンズハウスが代表例)を基調としながら

南面のベランダにはコンドルが得意としたコロニアル様式も表れています。

一方、客室の天井装飾、床のタイル、暖炉などの細部にはイスラム風のデザインを施すなど様々な様式を織り交ぜています。

なお、東側のサンルームは後年(1910年頃)の増築です。

木造2 階建・地下室付の建物の内部は

階段ホールを中心に、1階には岩崎久弥が用いた書斎、客室、大食堂などがあり

2階には内向きの客室や集会室などがあります。

建設当時は多くの部屋や廊下の壁面に金唐革紙が貼られていましたが 

現在は当時の壁紙は失われており、平成の修復に際して、2階の2部屋だけ金唐革紙が復元されました。

金唐革紙

 

                                                    終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


29技懇

2017-09-13 21:00:50 | 仲間の会
前書き

小生のブログを読まれて、この男少し頭がおかしくなってきているかと

心配して下さっている方もおられるかと思いますが

来年1月には86歳とボケも始まっておりますので、ご寛容頂ければ幸いです。

さて今日書かせて頂く29技懇は、小生の仕事人生の出発点と関係があります。

出発点を書きますと、ブログで交流させて頂いている方の中には

ktempleはその後どんな仕事人生を送ってきたのか、ご興味を持って下さる方もあるかも知れないと思い

これから暫くやや赤裸々にそれをご披露させて頂く積りですので、ご興味があったらお付き合い頂ければ幸いです。

29技懇

一昨日東京虎ノ門で開催された29技懇の会に出席しました。29技懇とは何かを先ず説明させて頂きます。

実は小生の最初の就職先は、虎ノ門にある現在の経済産業省である当時の通商産業省でした。

29技懇は、昭和29年度に通商産業省に入省した技術官僚の会で

現在の会員は18名ですが、今回は10人が出席し楽しく歓談が行われました。

メンバーの皆さんは、地方通産局長等の重職を歴任され、退職後は各種団体の長をされたりした方達です。

一方小生は、後述するように通産省には僅か7年間勤務で企業に出てしまいましたが

29技懇が発足する時に小生も仲間に入れて下さり、会に出席し楽しんでおり感謝しています。

家内の体調

29技懇から帰ると、家内が沢山の薬を前に体の具合が悪そうな様子。

聞くと頭が痛くなって血圧を測ると150を越していたので、すぐかかり付けの医者に行ったところ

疲労のためだと薬を出して下さったとのこと。

この所の家の整理も家内が中心的に動き、小生はその手助けをしている状態で

家内には申し訳なく思っています。

幸い今日は疲労も取れて元気になり、一緒に30分の歩きもしましたのでホットしています。

応接間の車解体

解体前の車

前回触れた応接間の車ですが、予定通り解体しました。

車は簡単に外れたのですが、台についている飾りその他が

長いねじくぎでつけられていたため、それを取り去るのに結構苦労しました。

                                  終わり


昨日は湖栁会に出席

2017-06-18 22:23:49 | 仲間の会
今日は久しぶり梅雨時らしい雨が僅かながらですがあり、

草木も嬉しそうです。

昨日は湖栁会がありましたので、朝10時過ぎに家を出て夜11時頃帰宅しました。

何時もの様に賑やかに楽しい話し合いと、マージャンそして夕食を楽しみました。

マージャンは負け2500点で傷は浅かったです。

ただ心配なのは、足が悪くて湖栁会には出てこられないS君が

今度は大腸がんになって入院したが、手術は出来ないとの情報があった事です。