末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

我が家の花と  自分史その4 湖柳町に移っての痛恨事

2015-02-23 19:01:08 | 自分史
我が家の花

連日暖かい日が続き、我が家の花壇も花が賑やかになっています。

花壇の花

花壇の花

新しく加わった花達







福寿草

以前掲載した福寿草も賑やかに咲いています。

賑やかに咲く福寿草

湖柳町に移ってからの家族写真

妹が写っている家族写真

この写真は湖柳町に移って、多分昭和12,3年頃の家族写真です。

場所は父が勤めていた当時の諏訪高等女学校(現在の諏訪双葉高校)の庭です。

新たに妹が加わっています。湖柳町に移ってから生まれた妹は昭和12年生まれです。

痛恨事

実は妹は残念な事に昭和15年に3歳で亡くなってしまいました。

しかも辛い事に、亡くなった病気の原因が小生にあったのです。

夏の暑い日に、妹と二人で留守番をしていたところ

アイスキャンデー屋が「アイスイキャンデー」と声を上げて売りにきました。

妹が欲しがったどうかは記憶にありませんが、買って食べさせました。

それが原因で下痢を起こし亡くなってしまったのです。

その後は、4つ年上の兄との二人兄弟になりましたが、兄も60歳で亡くなってしまい

今は兄弟無しの一人だけ残っているという寂しさです。

もし妹が亡くならなかったら、今頃も生きていてくれたのではと、一層残念に思うこの頃です。

なお妹が亡くなってからは、家で皆で殆ど毎日般若心経をあげましたので、

今でも空で般若心経をあげることが出来ます。



自分史 その2 乳飲み子時代

2015-02-19 15:49:13 | 自分史
乳飲み子のktemple

今日は綺麗なお花の写真のかわりに、とんでもない写真の登場です

腕白相の乳飲み子時代のktemple

母に抱かれたktemple

最初に住んだ場所

小生の生まれは現在の長野県諏訪市で、当時は上諏訪町大手町という所でした。

ただ生まれた場所がその家か、母の実家か、産院かは分かりません。

大手町の家には3歳位まで住んでいたと思われます。

その家の前は、大きくなってもよく通りましたから、その家が四辻にあり、

道路に面して塀があり、割と広い庭の奥に家があったことは覚えていますが

どんな家であったかの記憶は全くありません。

そして前の家が確か「しらとり」さんで、小生と同年配の子供さんがいたため

よく悪戯をして遊んだという記憶が残っていますが、

残念ながら転居してからは交流が途絶えてしまいました。

その後隣町にあたる湖畔の湖柳町に転居し,終戦近くまで住み続けましたので

湖柳町の家のことは鮮明に覚えています。

大手町時代の家族

大手町に住んでいた頃か湖柳町に転居してからかの写真かはよく分かりませんが

その当時の家族写真です。


父母と兄とktemple



我が家の花 税務署に確定申告書を提出

2015-02-17 21:02:11 | 我が家の花
我が家の花

今日は適当な写真がありませんので、代わり映えのしないものですが

花壇の花を掲載します


花壇の花

水仙

水仙

税務署に確定申告書を提出

確定申告書は気早の家内が添付の必要書類を整理してくれたため、

10日程前に税務署のインターネットによる申告書作成コーナーを利用して完成しました。

今日は、ぼた雪が一時降り出したりの天気でしたが、車で行くので問題なしと出掛けたところ

やはり天気のためか、何時もは混んでいる税務署の受付も空いており、全く待たずに終了しました。

実は税務署には駐車場がないのですが、歩いて5分ほどの場所に、

和食の「木曽路」があるため、何時もそこに駐車し、提出の後昼食をとる事にしています。

今年も例年通り5万円程度の税金還付があるための前祝い?です。

今日は「初花 昼御膳 妻籠」というのを食べましたが、

味も量的にも丁度よく満足しました。ただ小生はご飯は半分残してしまいました。

この所食欲が落ちてきています。

我が家の花  Iさんの葬儀に参加

2015-02-16 19:20:38 | 自分史
我が家の花


今日後述のIさんの葬儀から帰宅すると、小生の部屋に置いてある胡蝶蘭が

一輪開いていましたので、Iさんに捧げたいと思います。

Iさんのご葬儀

今日は昭和46,7年の2年間小生の上司であったIさんの葬儀に出掛けました。

Iさんは東北大学で研究生活をされた後の中途入社で、

実はその年に小生も中途入社したという珍しい関係もある方でした。

ここ何年かお会いしていない上に病で長く寝込んでおられたためか

今日拝んだお顔を若し町でお見かけしたとしたら、全く別人と思う程変わっておられました。

90台になっておられる上に、ここ4年程寝込んでおられ、近頃は認知症にもなられたとの事でした。

Iさんもメンバーであった会社時代の事業部のある時期の部課長の集まりが

現在も2ケ月に1度開催されています。

メンバーは16人程で発足したのですが、今日帰って調べると既にお亡くなりになった方が8人と

半分にもなっており、人数が減ったため70台の3人に新たに加わって頂きましたが

後は皆小生より年配の老人ばかりになっています。

そんな事からか、以前この会の仲間が亡くなると殆どの方が葬儀に参加されたのですが

段々参加者が減りだし、昨晩の通夜に出られた方もおられると思いますが

今日の葬儀参加者は僅か3人となってしまいました。

葬儀はIさんのお宅がある戸塚の斎場で行われたため

電車で往復4時間余。朝8時に出て帰宅は1時半となり疲れました。


こいう状態を考えると、やはり自分の葬儀は家族葬とするのが良いという感が

一層強くなりました。


我が家の花と 自分史その一 総括

2015-02-15 19:57:06 | 自分史
我が家の花

今日もお天気は良かったのですが、冷たい風が吹いており定例の散歩もとり止め。

我が家の花も前にも掲載したカランコエですが、小生の部屋の中で満開です。

満開のカランコエ

自分史その一 総括

自分史を書き出すために今までを振り返ると、小生の人生は次の様に大きく四期に分けられそうです。

第一期:幸福な時期

諏訪で生まれてから中学2年の終戦迄で、戦時中の食糧難はありましたが、

父母と兄の4人家族で比較的恵まれた環境で育ち、更に素敵な幼友達にも恵まれて幸福な生活を送った時期

第二期:苦難の時期

終戦で父親が進駐軍の命令で教職を追われ長野の実家に移ってから大学卒業迄の時期。

父の収入は少なく、一方兄は既に東京の大学にいっていたため生活は苦しく

小生は奨学金をもらっての学生生活で、楽しかるべき学生時代でありながら、

勉強も学生らしい楽しい生活も二の次となって、初めて農業を経験した父母とともに、

専ら生活のために農作業に追われた苦難の時期

第三期:充実の時期

東京に出て就職。中央官庁、企業、財団と3ヶ所で、素敵な上司、同僚、後輩に恵まれて

68歳まで常勤として思う存分働き、サラリーマン生活を楽しむことが出来た時期。

その間には結婚して男女一人ずつの子供が生まれ、その子供達も結婚して5人の孫も生まれ、元気に育った時期。

またこの間、東京に10余年住んだ後は柏に家を建て、柏の生活が現在40数年間と人生の中で一番長くなっており

仕事面でも家庭的にも恵まれて充実した楽しい生活を送ることが出来た時期。

第四期:至福の時期

人生50年と言われた時代に生まれながら既に83歳迄も生き長らえており、

今は第一期から三期までの仲間達との幾つかの会に出たり、本ブログで皆さんとお付き合いさせて頂いたり、

孫達が来たりで、色々の方との交流を楽しんでおり、また趣味のガーデニング、美術鑑賞、写真撮影、

変わった事では現役時代には殆どしなかったマージャンを幼友達夫婦と定例的に行ったり、

家では家内と二人マージャンを楽しんだりしており、申し訳ない様な気ままな楽しい生活を送っており、

後はあの世からのお迎えを静かに待つという至福の時期

以上の四期について、一期より順に書くことにしますが、

小生にとっては自分史を纏める事が出来るという楽しさはあっても

皆さんにとってはつまらぬ内容が多くなると思いますので、お許し頂くようお願い致します。