末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

臼杵石仏 その2 臼杵石仏の概要とホキ石仏第一群第二龕

2020-08-02 09:09:50 | 旅行

ホキ石仏第一群第二龕

ホキ石仏第一群第二龕 は、臼杵の石仏群の中で古園大日如来、ホキ石仏群の阿弥陀三尊像とならぶ傑作で、

特に彫技に優れた平安後期の作です。

 

 

ホキ石仏第一群第二龕

上の写真で、向かって左の柱のすぐ右に写っているのは第一龕の観音菩薩立像です。

 

 

 

ホキ石仏第一群第二龕アップ

 

向かって左から愛染明王坐像、薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、伝釈迦如来坐像です。

ホキ石仏群の中心的な存在である中尊の阿弥陀如来は、静まった顔で、眉・目・髪を墨で描き、量感あふれる姿が特徴です。

三尊とも彫技は優れ、平安後期の作といわれる。

 

           

左から見た三如来。左から薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、伝釈迦如来坐像

 

 

右から見た三如来

 

 

 中尊の阿弥陀如来像

 

 

薬師如来坐像

 

 

薬師陀如来像

                   

                    終り      

       

 

            

 

 

コメント (9)

臼杵石仏 その1 臼杵石仏の概要とホキ石仏第一群第一龕

2020-07-29 12:58:42 | 旅行

臼杵石仏(磨崖仏)(うすいせきぶつ・まがいぶつ)の概要

 

大分県臼杵市にある臼杵磨崖仏は、一般には臼杵石仏の名で知られています。

磨崖仏とは、そそり立つ岩壁や岩壁を龕状に彫った内側に刻まれるなど

自然の岩壁や露岩に造立された仏像を指します。

 

地元に伝わる「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」によると

この磨崖仏は亡くなった娘の菩提を弔うために長者が彫らせたとされています。

磨崖仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない様ですが

仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されています。

 

その規模と60余体という数量、また彫刻の質の高さでわが国を代表する石仏群であり

1952年に国の特別史跡に、1995年には磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定されました。

また、2017年には古園石仏群の手前右側の岩壁に刻まれた2体の「金剛力士立像」が国宝に追加指定され

これにより臼杵石仏の国宝の数は合計で61体となりました。

 

見所マップ7

 

上の図に見られる様に石仏群は4群に分かれており、

地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、同第2群、山王山石仏、古園石仏と

名づけられました。なおホキとは、「がけ」という意味の地名です。

 

小生ここ大分県臼杵市には行った事も無い所ですし、この石仏をどうして知ったかについてはボケ爺さん思い出せません。。

調べてみると素敵な石仏がここには沢山あり、楽しい散策が出来そうな所です。

然し小生がこれから臼杵市に行く可能性は殆どありませんので、インターネットに掲載されている

各種資料を利用して散策しようと考えました。

本来はインターネットに掲載されている資料を利用させて頂くためには掲載者のご了承を頂くべきですが

今回は「米寿のボケ爺さんのお楽しみのため」という事で、

ご了解を頂かない事の特別のお許しを頂きたくお願い申し上げます。

 

臼杵石仏全景

 

 

    蓮畑と奥の臼杵石仏

 

 

 

 左手に見える建物が 古園石仏群 。右手の建物がホキ石仏第二群

 

ホキ石仏第一群

 

ホキ石仏第一群は4つの龕から成り,

石仏群に向かって左から第一龕(がん)・第ニ龕・第三龕・第四龕があります。

なお龕とは、石窟の壁面に、仏像・仏具を納めるために設けた窪みの事です。

 

ホキ石仏第一群遠望

 

 

第一群 第一龕

 

第一群 第一龕 は伝薬師如来・伝釈迦如来・阿弥陀如来の如来坐像三体を中心に

両脇に菩薩・観音菩薩の2体の立像が配され、合計5体の石像があります。

 

第一龕を左側から写しました。その向こう側に写っているのは第ニ龕]

 

 

左がホキ石仏第一群第一龕で右は第二龕

 

阿弥陀薬師三尊坐像

 

釈迦如来を中心にした阿弥陀薬師三尊坐像で

向かって右から観音菩薩立像、阿弥陀如来坐像、伝釈迦如来坐像、伝薬師如来坐像、菩薩立像ですが

観音菩薩立像は頭部が確認できるのみで、菩薩立像は全体の形状が確認できるのみになっています。

平安後期の作です。

 

 

                           如来三尊造他と菩薩立像

 

                終わり

 

 

 

 

 

 

コメント (16)

ブログ再開

2020-07-14 09:40:49 | 

長野から戻りブログ再開しましたので、またよろしくお願いします。

調べると長野に行くことをブログに書いて無い事が分かり

爺さん大分ボケが進んでいるのかとがっかり。

何時もの通り我が家から家内の妹の家松戸までは我が家の車で。

松戸から長野の家内の実家までは妹のご主人の車で往復しましたので楽な旅行です。

途中時々雨も降り屋根のある所に逃げ込んだりはしましたが

休憩所では密を避けて外の机で休める事が出来ました。

 

ボケ事件

帰りの車に実家の妹から電話があり、「お兄さんの腕時計が残っている」との連絡。

幸い別の腕時計が家にあるので、そのまま保管を依頼。

もう一件は、家内の実家から車で往復一時間の長野の家に行った時、カメラを置いてきてしまい

取りに行かざるを得なくなった事です。

 

家内の実家の木の剪定

大半は植木屋さんに選定を依頼していますが、モミジとヒイラギの剪定は小生にさせてもらっています。

庭木は入口門から入った両側に     

右庭の高い木4本は植木屋さん剪定済み

 

 

横玄関の松は未だか?

小生が選定した木

 

一番上の写真で、向かって左側大きな木の下に少し顔を出しているモミジ

裏玄関を入った所にあるヒイラギ

実は小生20年以上前に文部省認定社会通信教育「庭木と果樹の手入れ講座」を受講し

詳細な庭木の手入れ法の資料を入手したため

我が家の全ての木と家内の実家の2本の木の手入れをしているわけです。

 

庭の花

ハンゲショウ

上から2番目の写真にも写っていますが、ハンゲショウが賑やかに咲いています。

賑やかに咲くハンゲショウ

桔梗

庭のあちこちで咲いています

花 壇

一列だけ新たに花を植えましたが、時間が無くて綺麗につくる事ができませんでした。

一列だけ新しく花を植えた花壇

                         終わり

        

         

 

 

 

 

 

コメント (14)

珍しい町名5

2020-06-13 14:00:42 | 旅行

小生のHDに記載されている珍しい町名が非常に多くなってしまったため

一つずつ取り上げるのをやめ、先ず九州の県を取り上げて町名を掲載させて頂きます。

今迄入手した中で、珍しい町名の一番多いのは熊本県でした。

熊本県の珍しい町名

薊原あざみはら:熊本県- 阿蘇郡南小国町

改寄あらき:熊本県- 熊本市北区

軍ヶ浦いくさがうら:熊本県- 天草市

大畑おこば:熊本県- 人吉市

金川かなごう:熊本県- 球磨郡五木村

この中で今日は天草市をご紹介します。

天草市

天草市は、熊本県天草地方の市で、熊本県下では熊本市・八代市に次いで3番目の人口を擁します。

また、本土と橋で繋がっている離島自治体の中では最も人口が多い所、大小120余の島々からなる諸島です。

九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれています。

イルカウォッチングや日本最大級の肉食恐竜の化石が発見された恐竜の島、南蛮文化やキリシタンの歴史を

伝える施設などがあります。

天草の﨑津集落は、禁教下に仏教、神道、キリスト教と共存しながら信仰を続けた集落として評価され

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つとして世界文化遺産に認定されています

次に天草市の名所の幾つかをご紹介します。

 

天草の名所

大江天主堂

 

大江天主堂

 

丘の上に建つロマネスク様式の白亜の教会は、昭和8年に、天草へのキリスト教伝導に生涯を捧げた

フランス人のガルニエ神父が私財を投じて建立した教会です。改修工事が終わり、創建当時に蘇っています。

敷地内には、ガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があります。

 

崎津天主堂

崎津天主堂   

崎津天主堂:海の天主堂とも呼ばれるゴシック様式のこの教会は、1638年の禁教令の後、                         キリシタンへの厳しい弾圧の絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡の土地に、1934年に再建されました。                                                   日本でも数が少ない畳敷きの教会となっており、2011年に国の重要文化的景観にも選ばれています。

 

日本一の 天草四郎像

 

天草四郎像

 

高さがなんと15m!堂々とそびえ立つ「日本一大きな天草四郎像」です。

 

倉岳大えびす像

 

倉岳大えびす像

 

      総大理石で造られ、台座を含めると高さ10mと日本一の大きさです。

 

ありあけタコ入道

 

ありあけタコ入道

 

海岸にある「巨大なタコのオブジェ」は、 有明町が「タコによるまちづくり」を進め、

その一環として製作されたものです

                                                                                                                  終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (14)

珍しい町名4と偕楽園

2020-06-07 15:45:45 | 旅行

何時もの様に大分怠けてしまいましたふが、また続けさせて頂きます。

なおここ何年も水戸には行っていませんので

写真は主として偕楽園サイトの写真を勝手に利用させて頂いています。

 

茨城県-水戸市木葉下町(あぼっけちょう)

地名の由来については下記があります。

1)鎮守香取神社を下総国香取神宮から勧請して遷座する際に榊葉の裏に御影を顕したということによるという説、

2)山肌の崩れた所を「ばっけ」、赤土が露出した崖地を「あかばっけ」などといいそれが転訛したという説、

3)木葉下の字は当地に大樹の美蔭があったことによるという説

4)崖地を意味する「ボケ」に「木の葉が下に落ちる」という漢字をあてた。

 

水戸市について

水戸市は、茨城県中部の県央地域に位置し、県庁所在地です。

水戸徳川家所縁の地として、水戸黄門や偕楽園が有名です。

毎年2月には水戸の梅まつりが、8月には水戸黄門まつり、9月には水戸萩まつりが開催されます。

また明治時代以降は納豆の生産が盛んになり、「水戸納豆」として親しまれ、納豆にちなんだ料理やお土産の販売、

納豆早食い世界大会も開かれています。

観光施設も多くあり、日本三名園の一つ偕楽園、国指定特別施設弘道館が代表的なものです。

 

偕楽園

偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで 

  1842年に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。

偕楽園概略図

斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民とともに楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」をつくりました。                                                                  

偕楽園全体の面積は実に東京ドーム約64個分という広さです。                                     

都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の面積を誇ります。

園園内には約100品種・3,000本の梅が植えられ、早春には観梅客でにぎわいます。   

    偕楽園は梅の名所として有名ですがその他にも四季折々の見所があり

          春には桜、初夏にはツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や杉林、秋には可憐な萩の花やモミジが見られます。 

    これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景です。                            

また、偕楽園の眼下に拡張した新しい公園は、梅を中心とした田鶴鳴、猩々、窈窕の各梅林、芝生広場の四季の原 

             水鳥たちが遊ぶ月池などが点在し、広大な風景をゆったりと楽しめます。                                

表門から入ると孟宗竹林が広がり、そこを下っていくと弛まなく水が湧き出る吐玉泉、そして徳川斉昭公が 

自ら設計をしたものといわれている好文亭があります。

                                                                           

好文亭 

 

 

   初夏の好文亭(借用写真)    

園内の中程に位置する好文亭は

木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿から成ります。

        ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集め、詩歌や慰安会を催されたそうです。

         偕楽園は、「陰」と「陽」の世界観を意識して作られているとも言われています。 

     「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という

      故事に基づいて名付けられました。

 

好文亭室内(借用写真)

好文亭から千波湖を望む眺め

 

弘道館 

 

弘道館(借用写真) 

                                                                                                                                    弘道館は水戸藩の藩校として、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により1841年に創設されました。 

  藩士に文武両道の修練を積ませようと、武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問を採り入れた                                                  

いわば総合大学というべきものでした。                                                                    

当時の藩校としては国内最大規模のもので、全国各地の藩校建築に影響を与えました。                                                                                                                                                            

弘道館は国の特別史跡になっており、幾度の戦火を免れた正庁・至善堂・正門の3か所は重要文化財に指定されています。                                                                

敷地には約60種800本の梅が植えられており、偕楽園とともに梅の名所となっています。                          

平成27年4月には、「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定されました。

 

吐玉泉 

 

吐玉泉 (借用写真)                                                                                                                                                                                                                                                吐玉泉 は偕楽園の湧水を利用した泉で、井筒は寒水石(大理石)でできています。

   創建当時、吐玉泉の湧水は好文亭での茶席の水などに使われました。

    吐玉泉と対をなすかたちで桜山の崖下には玉龍泉(現存する噴水では日本最古級)もあります。

 

          終わり

 

コメント (14)