末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

フィラデルフィアの思い出 その3

2011-09-20 09:12:46 | 海外旅行
Love Parkと市庁舎

ベンジャミンフランクリンパークウェイのツアーとして、
先ず右端の市庁舎から出発したいと思います。

フィラデルフィア市庁舎(Philadelphia City Hall)

市庁舎は1871年から建設が始められ1901年に完成しました。
設計当時は世界一の高さを目指したものでしたが

完成時にはワシントン記念碑やエッフェル塔に抜かれていましたが
居住できる建築物としては、世界一の高さでした。

約700の部屋を持つこの建物は、市庁舎として米国最大です。

近づいて見上げた市庁舎

更に近づいて見た市庁舎

石造りの建物としては世界2番目の高さで
上の像を含めての高さは167米です。

御影石と煉瓦で構成されており
外壁の主材料は大理石、御影石、石灰岩です。

1932年まで、居住できる建物としては
ペンシルバニア州で1位の高さでしたが現在は16番目の高さです。

塔の頂上にはフィラデルフィアを建設したウイリアム・ペンの
27トンの銅像が載っています。

塔頂上の銅像(小生の写真では見えていませんので借用写真)
  


塔の4面には径8米の大時計がついています。
像の下152米にある展望デッキはエレベーターで上れ
市の景色が眺められます。

残念ながら小生下から眺めただけでした。

Love Park

市庁舎の西手前にLove Parkがあります。

公式の名前はジョン・F・ケネディ広場ですが
写真でご覧頂けるように
広場を見下ろす彫刻LOVEにより付けられたニックネームです。

Love Par(借用写真)


LOVE 彫刻ついて

この彫刻を作ったのは米国の芸術家Robet Indianaで
このデザインは最初はクリスマスカードに使用されました。

その後色々に用いられており
写真の特殊な鉄で作られた3次元的な彫刻は
現在ニューヨーク他米国の何カ所かにもあります。


Love彫刻のアップ(借用写真)

広場はかってスケートボーディングのメッカ

広くて表面は固く、曲がった傾斜のある広場は
1980年代にはスケートボーディングのメッカでした。

メッカ時代の広場の様子

著名なプロスケーターが使用したり
2001と2年には国際的な大会も開催されました。

しかしその後市は
ここでスポーツをすることを違法とし、取り締まりを行うようになりました


取締りの看板(借用写真)


現在の広場

コンサート、ゴスペル歌手、政治的なスピーチ、ダンス等の
催しが行なわれ、昼食時これを見たり聞いたりする多くの人が訪れます。

大変美しいい噴水は、また面白い光景を見せる様です。

それは学年の終わりに、高校生が靴とストッキングを脱いで
噴水の中を跳ね廻り祝うのだそうです。

また噴水は、イベントを祝うそれぞれが意味を持った
ピンク、青、緑、赤に染められる時があります。


ピンクに染められた噴水(借用写真)

写真のピンクは、2009年10月乳がん啓蒙月のキックオフに用いられたものです。

小生が訪れた時は一番上の写真のように静かな場所でした。


フィラデルフィアの思い出  その2

2011-09-18 19:44:54 | 海外旅行
                    独立記念館(借り物写真)
        多分近くまで行ったと思われますが入りませんでしたし、写真もありません

2回目のフィラデルフィア滞在は、研究財団勤務の時
ニューヨーク、フィラデルフィア、シンシナティー3都市への出張で

フィラデルフィアには1991年6月21日から28日朝まで1週間と
一つの都市としては最長の滞在でした。

出張報告書のコピーが我が家に残っているため仕事関係のことは
克明に分かりますし、街を撮った写真も若干あります。
それでは先ずフィラデルフィアの紹介から。

フィラデルフィア(Philadelphia)について

フィラデルフィアは、ペンシルベニア州南東部にある州最大の都市で
人口は約150万人で全米5番目になります。

独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で独立宣言の起草が行われたり
1790年には合衆国の首都がニューヨーク市から移り
その後1800年にワシントンに移るまでの10年間
合衆国連邦政府の首都でした。

独立記念館や自由の鐘がある等合衆国建国ゆかりの地です。


フィラデルフィアでの日程

ここに来た主目的は、米国水道協会(AWWA)年次総会、
研究発表会等に出席するためでした。
                21日(金) 夜 米国水道協会研究財団(AWWARF)
                       創立20周年記念パーティー出席
                22日(土) 街の見学
                23日 (日) 日曜セミナー出席
                24日(月)~27日(木)
年次総会、研究発表会、展示会、海外参加者招待晩餐会等に出席

撮った写真についている日付が全て22日ですので
其の日に観光をした事が分かりました。

折角の日曜日の23日には日曜セミナーがあり
滞在中の大半は専ら勉強?に励んだ様です。


インターネットで撮った写真の場所の調査

写真を見ても、フィラデルフィアの何処を見たのか殆ど分かりません。

そこでインターネットで調べてみると、
米国のサイトに写真入で観光場所を紹介したのが見つかり
写真の70%の場所が分かり
インターネットの威力を改めて感じました。

歩いた場所はフィラデルフィアのダウンタウン中心部にある
ベンジャミンフランクリンパークウェイとその近くで、

AWWA総会等が行なわれた場所は、次の地図でご覧頂ける
真中付近のFuranklin Instituteでした。


泊まったホテルはどこか記憶も記録もありませんが
主催者がアレンジしたホテルだったのでしょうか
バスで会場に通った記憶だけがあります。


ベンジャミンフランクリンパークウェイとは

ベンジャミンフランクリンパークウェイは、
フィラデルフィアのシャンゼリゼと呼ばれています。

地図でご覧いただける様に 道に沿って一番左端にフィラデルフィア美術館
其の側にはワシントン記念碑、ついでロダン美術館

中央に噴水のあるローガンサークル
その少し手前に会場のフランクリン科学博物館
更に右端に進むとLOVE Parkがあります。

地図からはみ出してしまいますが
其の更に右側にはCity Hallがあります。

City Hall側の高い所から見たパークウエイ(借り物写真)
一番奥はフィラデルフィア美術館


フィラデルフィア美術館から見たワシントン記念碑と、一番奥はCity Hall
 

手前南北戦争戦士記念碑と一番奥フィラデルフィア美術館

さらにCity Hallから歩いて数分の所には
インデペンデンスパーク、独立記念館 自由の鐘などがあります。

そして通りには噴水、小さな公園、彫像、および記念碑等がいくつかあります。

残っている写真に、インターネットで見つけた写真を加えて
主として見た場所の紹介を順次してみます。

自由の鐘(Liberty Bell)

1776年7月8日、独立宣言の朗読が行なわれた際
自由の鐘が鳴らされる等

自由の鐘はアメリカの独立、並びに独立戦争を連想する上での
シンボルの一つになっています。

この鐘について調べると小生の知らぬ事が多くありましたので
長くなりますがご紹介します。

小生が見た時の鐘。鐘にも触りました
大きなひびがあります

現在の自由の鐘は3代目、そしてひび割れ

初代の自由の鐘は1752年ペンシルベニア州議事堂での
使用を目的として作られました。

この初代の鐘は初めて鐘が鳴らされた際に
鐘にひびが入ってしまいました。

そのため2代目がつくられましたが、鐘の音が悪く
3代目が1753年につくられ、議事堂の尖塔につけられました。

そして何時かは明確でないようですが
鐘にまたひびが入りました。

さらに1846年ジョージ・ワシントンの誕生日を祝って
独立記念館の尖塔で数時間に渡って鳴らされた所

修復された割れ目部分の上部から鐘の冠の部分まで
亀裂が広がって使用不能になってしまい
修復が行なわれたのが、写真の鐘です。


流浪した自由の鐘

議事堂の尖塔につけられた鐘は
1777年アメリカ独立戦争が激しさを増し
イギリス軍がフィラデルフィアを襲撃しようとした時

鐘はペンシルベニア州の村移され
1778年にイギリス軍が撤退するまで隠されていました。

尖塔に戻された鐘ですが
1852年に尖塔から移動され、独立記念館内に展示され
記念館の尖塔にはレプリカが取り付けられました。

1885年から1915年まで
自由の鐘は数多くの都市を訪れ、国際博覧会でも展示されました。

1976年、アメリカ独立200周年に対応するため
鐘は独立記念館から1ブロック北側に位置するガラス・パビリオンに
移されました。(小生が見た写真の鐘)

しかしこの小さな質素なパビリオンは人気が無く
2003年に近くに建設されたリバティ・ベル・センターへ移されました。


独立記念館

当初は州議会議事堂

一番最初の写真の高い木の尖塔を持った
レンガのジョージ王朝風の独立記念館の建物は
1756年にペンシルベニア州の議事堂として建設されたものです。

その後何度か修復が行なわれ、当初の姿は大分変わりましたが
1951年に当初の姿に修復されました。

横から見た独立記念館(借り物写真)



記念館内部(借り物写真)




フィラデルフィアの思い出  その1 ドレッシャー

2011-09-16 10:47:19 | 海外旅行
ドレッシャーの風景(借り物写真)

フィラデルフィアには2度は行っています。
1度目は先日書いた古い手紙で解かった1972年に
フィラデルフィア近くのドレシャーにあるS社へ行った時と

2度目は1991年にニュ-ヨ-クからフィラデルフィア、さらに
シンシナティーへ行った時で、この時は写真や資料が残っています。
今回はこの2つの旅について順次書かせて頂きます。

S社について

ドレッシャーにあるS社はフィラデルフィア国際空港から
直線距離で20キロ程度の所にあります。

当時S社と技術提携をし、日本の石油化学工業やアンモニア工業向けに
重要な装置を提供しましたが、その後提携は解消した様です。

インターネットで調べて見るとこの会社、名前は少し変わりましたが
日本やドイツに子会社まで作っており、一層発展している様で
ご縁があった会社だけに嬉しい事です。


リムジンバスがトラブル

空港からドレシャーに行くのにリムジン・バスに乗りました。
どこら辺まで来たかは覚えていませんが、
バスが故障で田舎のような所で降ろされてしまいました。
どうしたらよいのか大いに戸惑ったと思います。

それからどうしたかは記憶はありませんが
多分同乗していたどなたか親切な方が
呼び寄せた車で送って下さったと思われます。


S社の景色

S社の事務所は緑の中にあり、周囲で動物が走り廻っていた記憶があります。

現在の事務所風景(同社HPより)



こんな可愛い動物達だったかも


S社長さんとの夕食

S社の社長さんのお名前もSさんです
仕事が終わって
素敵な森の中にあるS社長さんのお宅に案内され
庭を眺めながら金粉入りのウイスキーをご馳走になった事だけが
記憶に残っていました。

ご年配のS社長さん、クリスマスでサンタさんになると?
失礼しました

そして古い礼状を見て思い出せたのは
お宅に伺った後で素敵なカントリークラブで
夕食をご馳走になったことです。

森の中余り大きくない白い瀟洒なクラブの建物が
思い浮かんできます。

礼状はSさんご夫婦宛に出していますが
奥様の事は全く思い出せなく申し訳ない思いです

Sさんとビールで乾杯

ここで少し脱線

この陶製のビールジョッキ
実は財団の国際シンポジュームに講師として二度お呼びした
ドイツニュールンベルグ市のH局長さんから頂いたものです。

Hさんの思い出は沢山あるのですが変わった思い出があります。
シンポの後で講師を京都にご案内していましたが
お寺に案内すると御朱印帖を出された事です。

恥ずかしながら小生その時まで御朱印帖を知らず
Hさんから見せて頂き、これは旅の良い記念になる事を知り
それから小生も利用するようになりました。

然し旅に出る時半分は持参するのを忘れ
書いた紙を頂き、貼り付けている有様です。

ご参考まで書かれた一例を掲載しなす。
行った日が分かり大変便利です。

御朱印帖に書かれた例


W部長さん家族との昼食

礼状を見るまで全く記憶から消えていたのですが
昼食時にはW部長さんが先ずご自宅に案内してくださり
そこで奥さんと子供さんと会い
其の後皆で一緒にレストランに行き昼食をご馳走して
下さった様です。

礼状を見ていると、素敵なご自宅が何となく思い浮かぶものの
ご家族その他の記憶は全くなく
多分次の人形の様な奥様と子供さんだったのでしょう。

ボケ爺さんで、Wさんに申し訳ない思いで一杯です。

日本人の格好をしたらこんなにかわいい子供さん


多分こんな素敵な奥さん



巾着田の曼珠沙華

2011-09-14 16:20:05 | 
この所年寄りの思い出話が続いて
お読み頂いた皆様は退屈された事でしょうから
今日はいい色には掲載した写真ですが
一昨年9月29日にバスツアーで訪れた
高麗巾着田の写真を掲載しましたので、ご覧頂ければ幸いです。


巾着田について
 
巾着田は埼玉県日高市の西部にある平地で
この珍しい名前の由来は、そこが市内を流れる
高麗川(こまがわ)の蛇行により、
長い年月をかけてつくられた平地の形が
巾着の形に似ていることからきています。

 
直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地で
秋には辺り一面が曼珠沙華で真紅に染まります。

其のほかコスモスや蕎麦の花も見られ、毎年多くの人が訪れます。
今年コスモスは既に見頃、曼珠沙華は20日頃から見頃になる様です。

曼珠沙華の咲く景色
曼珠沙華はバス駐車場の土手から咲いていましたが
メインは巾着田の周囲の森の中でした。

駐車場の土手

森の中は赤の絨毯
近づくと

更に近づくと


森に沿って歩いた一番奥には「あいあい橋」があります。
巾着田の高麗川にかかる歩行者専用橋で
橋長91.2米、木製トラスト構造の橋としては日本一の長さとの事。

あいあい橋

あいあい橋に行く途中の森と反対側にはお馬さんが。

森が囲む広場の中

森が囲む広場にはコスモスや蕎麦畑、
更に水車小屋もありました。

大きなコスモス畑

蕎麦畑白い花だけでなく、ピンクの花は珍しい

蕎麦畑

ピンクの蕎麦の花

水車小屋

ボストンの思い出

2011-09-13 16:10:45 | 海外旅行
ボストンについて

アトルへは前述した様にボストン経由です。
ボストン市はアメリカで最も歴史の古い街の一つで
マサチューセッツ州の州都であり、人口60余万人です。
アメリカ北東部6州ニューイングランドの中でも最大の都市で
同地域の経済的・文化的中心地です。

ボストンの街(借り物写真)

小生ボストンと言えば直ぐ思い浮かべるのは
小澤征爾さんが音楽監督をされたボストン交響楽団


ボストンシンフォニーホール(借り物写真)

そして昨年のボストン美術館展「西洋絵画の巨匠達」や
今年のボストン美術館「浮世絵名品展」などで
特に馴染みになったボストン美術館があります。

ボストン美術館(借り物写真

さらにNHKハーバード白熱教室「JUSTICE( 正義)」で名高い
サンデル教授のハーバード大学
技術屋の憧れの大学マサチューセッツ工科大学 (MIT)も
昔はボストンにありましたが、今は近郊のケンブリッジ市にあります。
両校関係者のノーベル賞受賞者150余人を出しているという名門校です。

Y君と会う

ボストンでは当時MITに留学していたY君に会いました。
小生より一周りは若いY君高校時代にも米国に留学していた大変優秀な方で
会社に入ってからも、社内留学制度により留学をしていたのです。

ボストンに来たのだから、MITに案内しましょうと
Y君自分の車で迎えに来てくれました。
綺麗な車ではありませんが、大きな車ですが乗ってビックリ!
床から地上が丸見えでした。
MITでは校内まで入り写真を撮りました。

MITにてktemple

Y君の話では日本の大学と異なり、
MITは大変厳しい勉強を強いられるとの事で
それがノーベル賞受賞者を出す一因かと思いました。
MIT以外の記憶はありませんから、ボストンの街は
残念ながら見物しかった様です

その後のY君

留学を終り会社に戻ったY君には、
海外関連の仕事では小生色々と助けてもらいました。

小生が会社から財団に出向した後相当経ってからですが
子会社に移っていたY君はヘッドハンターに引き抜かれ
会社の社長として活躍を始めたのですが
病に侵され数年前若くして亡くなってしまい本当に残念な思いをしています。

どうも秀才は早死にする傾向があるようで
小生の様なボンクラは何時までも生きていますが
困ったことかもしれませんね。


天井のY君に花を捧げます。