末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

孫達からのHappy Birthday

2012-01-31 16:08:36 | 生活
息子の所からのHappy Birthday

皆様からの暖かいお祝いの言葉を頂き感謝ですが
やはり嬉しいのは孫達からの手紙です。

その中で一番驚いたのは、小5の孫の言葉のなかに
「はなれてくらしているけれど、心はつうじあっているから
ずっといっしょだよ」というのがあった事です。

この孫は長女で、下に二人の妹がいますが、何時も姉として
よく妹達の面倒をみている気の利く孫で、小生その年で
こんな言葉は多分使えなかったと感心しました。

この兄妹の長男は中1ですが、妹3人は習字をならっているせいか
一年生の孫でも綺麗な字を書くのですが、長男は一年生の妹より下手で
これは爺さんに似たのかと苦笑です。

娘の所からのHappy Birthday

娘からは誕生祝いと、バレンタインチョコが送られてきましたが
嬉しい事に高一の孫が、おばあちゃんへと、婆の兎年を意識して
兎の形をした箱に入ったチョコを、爺向けと一緒に送ってきてくれた事で
婆は大感激でした。

誕生日にデパートでパジャマでも買おうかと家内と話をしていたところ
娘からのプレゼントはパジャマで、娘には思いが通じるのかと
これも感激でした。


お陰様で80歳の誕生日を迎えました

2012-01-30 15:30:11 | 生活
雪にも負けず元気を取り戻している花壇の花

お陰様で今日小生80歳の誕生日を迎える事が出来ました。
若い頃は人生50年と言われていましたから
昨年の震災等で若い命を無くされた方達を思うと
申し訳無い程長生きをしている事になりますが
折角頂いた命と感謝しながら、お迎えが来るまでは
今日の我が家の花のように少し草臥れてはいますが
この花達と一緒に今の生活を続けていきたいと思っています。



ブログでお付き合い頂いている皆様には
皆様のブログを拝見してコメントを差し上げたり
また小生のブログに皆様から暖かいコメントを頂いたりで
お陰様で毎日楽しい思いをしており、心より感謝しております。

ただ小生段々ボケが進んでおり
失礼な事や、訳の分からぬ事を書いているのではと心配ですが
どうぞ年に免じてお許し頂き
引き続きお付き合い頂ければこの上ない幸いです。



昨年は思いも寄らず9月に台風対策で植木鉢を動かしたのが原因で
椎間板ヘルニアになり、歩けない状態が続いていましたが
お陰様でこれも順調に快復してきており
今は千歩程度ですが歩けるようになりました。

暖かくなる3月頃には、以前のように散歩や外出ができ
外の景色を写真に撮ったりが出来るようになり
ブログにも掲載できるのではと期待して楽しみにしています。

ローマ その1  ヴァチカン 1

2012-01-28 21:23:04 | 海外旅行

ヴァチカン全景

イタリアではローマ、ミラノ、ベネチアを訪ねましたので
先ずロ-マのヴァチカンからご紹介することにします。

ヴァチカンについて

ヴァチカンは、イタリアのローマ市の西側、バチカンの丘にある
世界最小の主権国家です。

ローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と
東方典礼カトリック教会の「総本山」です。

東西約1キロ、幅 850 メートル、面積0.44 平方キロの世界最小の国家で
その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館
サン・ピエトロ広場などがあります。

ヴァチカン地図

歴史

バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって
人の住む地域ではなかったのですが
26年に使徒ペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられました。

やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して
強い影響力をおよぼすようになると
バチカンはカトリック教会の本拠地として栄えるようになりました。

しかし1860年にイタリア王国が成立すると、教皇領は接収されてしまいます。
そして1929年になって、バチカンを独立国家として
イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証する
ラテラノ条約が結ばれました。

教皇

教皇は80歳以下の枢機卿たちの選挙(コンクラーヴェ)によって選ばれます。
なお教皇に必要な資格は男性のカトリック信徒であるということだけですが
実質上は枢機卿たちの互選になっています。

軍事・警察

バチカン市国は一切の軍事力は保持しておらず
警察力もスイスからの傭兵はいますが
基本的にはイタリアの警察に依存しているため
「別国」でありながら実際の警備はイタリア国家警察が行っています。

スイスからの傭兵

なお、公共に開放されている区域への入国は原則的に自由で
イタリアとの国境の管理や検疫は行われていません。

言語


公用語はラテン語ですが、通常の業務においてはイタリア語が話され
外交用語としてフランス語が、そして警護に当たるスイス人衛兵達の
共通語はドイツ語との事です。

観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂
バチカン博物館周辺のみです。

国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界遺産に登録されています。

サン・ピエトロ広場とサン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ広場

サン・ピエトロ広場はサン・ピエトロ大聖堂の正面にある
長径200m、短径165mもある巨大な楕円形の広場で
バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家ベルニーニの
設計により1656-67年に建設されました。

なお「ベルニーニはローマのために生まれ
ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたほど
彼の手により古き都ローマは、壮大なスケールと
絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌しました。

4列の合計372本ドーリア式円柱による列柱廊と
140体の聖人像に囲まれた広場の中央にオベリスクが立つています。
オベリスクの両側には二つの噴水があります。


中央オベリスクと左右に噴水


列柱廊と聖人像


噴水

左右の噴水とオベリスクのそれぞれの中間地点には
「柱廊の中心」と記された円があります。

円の上に立つktemple

そこに立って列柱を眺めると4列の列柱がピッタリ重なり合い一列に見え
広場の外の景色が見えるようになます

4列の柱が1本になり、外の景色が見えます


サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂正面

サン・ピエトロ大聖堂のサン・ピエトロは
ここに墓所があった使徒ペトロ=「聖ペトロ」の意味です。

キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇り
4世紀に創建されましたが、現在の聖堂は2代目にあたり
1626年に完成したものです。

大聖堂ドーム

当時の第一級の芸術家たちがその造営に携わっており
その巨大さ、荘厳さ、内部装飾の豪華さを含め
聖堂の中の聖堂と呼ぶにふさわしい威容を誇っています。

次回に内部の様子をご紹介します。












スペインの最後 

2012-01-25 20:59:28 | 海外旅行
スペインの旅の最後に、残った写真の一部を掲載させて頂きます。

スペイン広場

マドリードの観光客が集まる広場の一つにスペイン広場があります。
この広場には「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの没後300年を
記念して作られた記念塔、セルバンテス像、そして
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像があります。


スペイン広場

手前がドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像、
その後ろ中央にはセルバンテス像、高いのがセルバンテスの記念塔です

ドンキホーテーの像で。お隣は同行のご婦人

食事風景

珍しく食事風景の写真がありました

小生の前が銅像で一緒のご婦人。ご主人は向こうで立っておられます

運ばれてきたご馳走は?


ご機嫌ktemple

ホテルの前で外人さん?と


少し狂ったかktempleフラメンコを踊る?


プラド美術館

プラド美術館

マドリードといえば歴代のスペイン王家のコレクションを展示する
世界でも有数の規模と内容をもつプラド美術館があります。
グレコ、ゴヤ、ベラスケス等の有名な絵があります。

グレコ自画像


ゴヤ自画像



ベラスケス自画像

2002年には国立西洋美術館でプラド美術館展が
そして現在プラド美術館の所蔵品から「ゴヤ 光と影」展が29日まで開催中です。
この展覧会の前売り券は買ってあるのですが
残念ながら足の痛みで行くのは無理かと諦めかけている所です。

話はそれましたが、プラド美術館に行った記憶は明確に残っており
美術館で購入した画集もあるのですが写真が見当たりません。

ビデオを撮っていて写真を撮る暇がなかったのか?
敬意を表して有名な絵を少し掲載します。


グレコ:聖三位一体


ゴヤ:裸のマハ


着衣のマハ(こちらが西洋美術館で展示中でした)



ベラスケス:ラス・メニーナス(女官達)


分けの分からぬ看板

鯨の様に見えますが?


次回からイタリアの旅を掲載予定です。







ガウディーの建物 その6 住宅建築

2012-01-21 16:05:20 | 海外旅行
ガウディーの作品についの最後に、日本では見られない
独特のスタイルの住居についてご紹介することにします。
ガウディーは住宅も幾つか手掛けていますが
小生が見ることが出来たカサ・ミラを掲載します。

カサ・ミラ

カサ・ミラ正面

ガウディが地元の実業家ペレ・ミラとその妻に依頼されて
1905-1910年にかけて建築された集合住宅です。

直線部分を持たずに地中海をイメージしたという
波打つような外観が特に目をひきます。

窓も色々と違った形をしています。

カサ・ミラの部分

タイルでできている屋上を除いて建物全体が
巨大な石を加工したような外観のために
「石切り場」とも呼ばれています。

岩を掘り出した様な建物

一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材を使いながら
まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出ます。
これは、大部分はJujolによって即興的に設計されたそうです。

海藻のような造形

屋上風景

屋上には抽象的な独特の形をした造形物が立ち並んでいます。

屋上の様子


屋上テラスの造形物


煙突とテラス出口


換気塔


中庭の様子

この建物には中庭があります。中庭から見た建物の様子です。


ガウディはカサ・ミラの工事を進めるに当たっては
設計図は書かず1/10の模型を使って指示を出したとの事で

これは構造があまりに複雑なため、職人達に指示を出す際
この方が伝わりやすいと判断したためとのことです。

この建物も世界遺産に登録されています。